結婚式前夜
とうとう結婚式の前日になった。
今夜ぐらいは互いに実家で過ごそうと話し合い、私達は簡単な身支度を整えて帰ることにした。
見慣れたはずの実家の玄関が何となくよそよそしく感じて、何かもう帰る家はここでは無くなったんだな、とちょっと悲しくなったりして。
「ただいま!」
なるべく今までのように明るく大きな声で中に入ると、やっぱりいつものように母が迎えてくれた。
「お帰りなさい」
こんなやり取りを、今までに何度繰り返してきたのだろう。
今までは当たり前だったことが、何となく愛しくて。
私はちょっとばかり切なくなってしまった。
母は笑顔で私の肩を叩いた。
「ご苦労様。もうすぐ夕食の用意ができるから、荷物を置いて手を洗ってらっしゃい」
「はい」
私は言われたとおり自分の部屋に荷物をおいて、洗面所で手を洗い、台所へ向かった。
「何か手伝えることある?」
「じゃあ、お箸とかお皿を出してもらえるかな」
「はい」
ふと見ると、父が居間のソファーに座って新聞を読んでいた。
「お父さん、ただいま」
「おお、お帰り」
いま気づきました、とばかりに父親が顔を上げる。
でも、きっと玄関から入った時から解っているよね。
だって、もうすでに目が赤くて、ちょっと潤んでいるもん。
いつの間に、そんなに涙もろくなっちゃったの?
明日、大丈夫?
私はちょっとだけ笑ってしまった。
「お父さん、用意が出来ましたよ」
「ああ、いま行く」
私達はいつもの席についた。
テーブルの上には、私の好物ばかりが盛りだくさん。
明日のために、今日は食べ過ぎないでおこうと思ったのに。
でも、母の気持ちは嬉しかった。
「いただきます」
私は感謝を込めて、いただくことにした。
あむ。
うん、やっぱり美味しい。
私の味の原点だな。
真似てみようと思って作ってみるけど、私のとはちょっと違う。
私は口の中に広がる幸せをかみしめて、ようやく帰ってきたことを実感していた。
「いよいよ明日ね。緊張してる?」
「ちょっとだけ。だって私も挨拶するから」
「そうね。私も楽しみにしているわ」
「大した話もできないけれど……お父さんも、よろしくね」
私は黙々と食べる父に声をかけた。
明日は結婚式で父、私、誠さんの順番で話をするのだ。
「解っている」
父は力強くそう返事してくれたけれど、母が、
「お父さん、大丈夫かしら。だって挨拶の文、読むたびに涙声になっちゃって、未だに最後まで読めたことがないのに」
と暴露してくれて、私は笑ってしまった。
父はひとり、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「本番は大丈夫さ」
「本番が一番泣けるものよ」
最近の母は容赦がない。でも、温かさと二人の仲の良さを感じる。
うん、私もこんなふうになりたいかな。
私は背筋を伸ばし、このタイミングで気持ちを伝えることにした。
「お父さん、お母さん」
「うん」
「なに?」
「今まで有り難うございました。私、二人の子供として産まれて、幸せでした」
私は箸を置いて、頭を下げる。
しばらく頭を下げていたら、あたりに沈黙が広がってしまい、私は思わずそろりと顔を上げた。
そこには、滂沱の涙を流す父と、温かい微笑みで涙を滲ませる母の顔があって。
……って、父、泣きすぎです。
はっ、いけない。
私までもらい泣きしそうになってしまった。
父の涙を見て、あまりに凄くて笑いそうになったのに、思わず涙が出そうになるなんて、不意打ち過ぎ。
ここはあえて我慢だ。
「長かったような、あっという間だったような」
と母。
「あっという間だ。20年なんて、短かすぎる」
と父。
20年が短く感じる、ってどんな思いなんだろう。
私も家族を持ち、子供が産まれると解ることなのだろうか。
「まどか」
父がその大きな手で頭を撫でてくれた。
久しぶり感触に、私は一瞬だけ小さな子供に戻った。
「まどかのことを、私達は誰よりも愛している。困ったときにはいつでも戻って来なさい」
「はい」
「どこに出しても恥ずかしくない、自慢の娘だ。自分に自信を持って」
「はい」
「明日は最高の花嫁姿を見せてくれ」
「……はい!」
私は照れくさかったけれど、元気に返事をした。
一柳家では、誠さんの言葉を借りれば「宴会」が開かれていたとのこと。
と言っても、真穂さんと誠さんの二人だけの宴会で、それも一方的に真穂さんが飲んで、誠さんにからんでいたらしい。
「ああもう、本当にめでたい!」
「はいはい」
「あなたも二十歳になったんだから、一緒に飲みなさいよ!」
「ちょびちょびいただいています」
「そんな舐めるように飲まないで、ぐいっと!」
「新郎を二日酔いにして、どうしようというのですか」
「ああもう、本当にめでたい」
そんなやりとりが何度も繰り返えされる。
「あんな可愛いお嫁さんを連れてきて、本当にでかした!」
「はいはい」
「結婚したら、早く孫を見せなさいよ!」
「はいはい」
誠さんは食事も終わり、明日の挨拶の文を読みながら、生返事をする。
それでも、真穂さんは終始嬉しそうにビールを飲んでは何かを呟いていた。
「あー……妊娠がわかった時は不安だったけれど……産んで良かった……」
あまりに静かに呟いたので、誠さんは真穂さんの言葉を聞き逃すところだった。
誠さんが顔を上げると、いつのまにか真穂さんはうなだれる姿勢になってしまっていて、その表情を確認することはできない。
真穂さんはそのまま、独り言のように話し始めた。
「親には誰の子か話せなかったし、反対されて勘当されたし、友達も誰も賛成してくれなかったし、寂しかったな…………でも、好きだったから、どうしても産みたかった……」
真穂さんは机に突っ伏すようにもたれかかる。
耳をそばだてなければいけないぐらい、声も小さくなってきた。
「産まれた時は、一人で泣いちゃって。でも、それからもう二度と泣かないって決めて頑張ってきたけれど……まどかちゃんと一緒に……泣いちゃった…………もう……いいよ……ね……」
「母さん……」
誠さんの声が届かないまま、真穂さんは寝息をたて始める。
誠さんは膝かけ用の軽い毛布を持ってきて、真穂さんの肩にかけると、その寝顔に一筋だけ涙がこぼれているのが見えた。
「……母さん、有り難う」
誠さんの言葉は寝ている真穂さんには届かなかったけれど、寝顔は何となく嬉しそうだった。




