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馴れ初め


 その後しばらくは料理を食べたり、他愛もない話が続いた。

 緊張感もだいぶ和らぎ、穏やかな空気になっていたと思う。


 お父様から「まどかさんも、なにか聞いておきたいことはあるかな」という質問に、私は思わず聞いてしまった。



「あの、真穂お母様との馴れ初めは……」



 私の質問に、お父様の手が止まる。



 あっ、空気が固まりましたね。


 私、またやってしまったのでしょうか……。


 

 背中に嫌な汗が流れそうになっていたのですが、お父様はため息をつくと、誠さんに向かって話し始めた。


「確かに君達には聞く権利はあると思う。誰にも話したことはないのだけれど。その……誠くんは聞きたいかね」


 お父様の問いに、誠さんはいくらか戸惑っているようだった。

 今まで意識していなかったけれど、でも聞いてみたい、と思っているような。


「……はい。できれば」


 誠さんは悩んだ結果、そう返事をした。


「そうか」


 お父様は持っていた盃を傾けて、日本酒を飲み干した。

 それでも、まだどう話したら良いか、ためらっているような沈黙が続く。


「もう20年以上前になるのか……」


 そう言って、お父様は静かに語りだしてくれた。


「私は医師として10年以上たっていて、あの時は何でもできるような気持ちになって、仕事が楽しくて仕方が無い頃だった。毎日のように遅くまで診療をしたり、勉強をしたり、スタッフと飲んだりした。すでに結婚していたが、家にはほとんど寝に帰るような毎日だったんだ」


 お父様の昔の様子が、私には何となく想像できた。

 おそらくとても優秀だったのだと思う。

 仕事が楽しくて仕方がなくて、その反面、家庭は疎かになってしまって。

 家のことは奥様に任せた、と考えていたのかも知れない。

  

「真穂さんとは同じ職場で働いていた。彼女も勉強家で、よく遅くまで患者さんのために残って様子を見たり、どうしたらよいかを話しあったりした。向かい合う姿勢が誰に対してもとても誠実で、彼女のほうが年下だったが、私は尊敬していた」


 わずかな沈黙。

 私達は話の続きを待った。


「私はある日、彼女が私に好意を持っていることに気づいてしまった。ほんの些細な行動の端々で、あるいは自分の思い込みだったかも知れないが、私はそう感じた。でも、彼女は不倫を恐れ、それ以上の行動を起こす気がなかったのも理解していた。その関係はずっと続くと思っていた。

 ……私のせいなんだ。ある晩、私達はいつものように仕事が遅くなり、二人で夜道を一緒に歩いていた。その時、彼女が異動になることを打ち明けてきた。同じ病院内だが科が変われば会える機会は激減する。そのことを聞かされて、私は寂しいと感じてしまった。離れたくない、と気づいてしまった。言ってはいけないのに、私はついその気持ちを伝えてしまった。

 彼女がそう言われて、立ち止まった。うつむいていたので、どうしたのかと私はうろたえたが、彼女が顔を上げると彼女の目に涙が滲んでいた。それを見て、私は自分を抑えることが出来なかった。……キスをしてしまったんだ」


 お父様……駄目です。

 意思の強い方と思ったのに。

 真穂さんが魅力的だったのは想像できるけれど、我慢しなくちゃ……。


 と言っても、そこで我慢したら誠さんと出会えなかったわけで。

 私としては複雑な気持ちだった。


 ただ、すこしだけ不安にもなってしまった。


 もしかしたら、誠さんもいつかそんな日がくるのかも知れない。

 お父様も早めの結婚で、仕事が忙しくなって、能力が高くて、魅力的で。

 条件としても合うし、お父様の血を引いているのだから、無いとは言い切れない。


 もし、万が一、そんなことがあったとしたら、私はそれをどう受け止めるのだろうか。


 辛いだろうな。

 変わらずに愛することが出来るのか、今の私には解らない。

 そんな日が来ないことを、ただ祈るしかない。


「互いにいけないと思いつつ、2ヶ月、関係が続いてしまった」


 2ヶ月。

 長いような、短いような。


「そして彼女が私の元から消えた」


 お父様は持っていた盃に力を入れた。

 何かを我慢しているような表情。

 その時のことを思い出しているのかも知れない。


「彼女は退職して、隣町の病院に勤務をしていた。そのことはすぐに解ったが、こんな関係が続いていいわけではないことは理解していた。だから彼女が私の元から姿を消したのを、私が追ってはいけない、と考えたんだ。……まさか妊娠しているとは考えもしなかった」


 医師なのに妊娠の可能性に気づかないこともあるの?とか、離婚をして真穂さんを追いかけるという選択肢はなかったの?とか、いろいろ考えたけれど、さすがにそこまでは質問出来なかった。


 お父様は深く、頭を下げた。


「あらためて、申し訳ない。謝ってすむ問題ではないが、それしか言葉がない」


 誠さんがようやく口を開いた。


「その件については前回もお話ししたとおり、私は恨みを持っていません。ですから謝罪は必要ありません。ただ念のため、1つだけ聞いていいですか?」


「なんでも聞いてくれ」


「他にも、こうした女性との関係はあったのですか?」


 思っていた以上にストレートな質問に、私もお父様も息を飲んだ。

 でも確かに、誠さんにとっては大切な質問かもしれない。


「ない、あるわけがない」


 お父様は断言した。


「ならばいいです」


 誠さんの言葉はむしろ静かだった。

 あまり動揺した様子も見られない。


 と言うよりも、何というか、関係ないと思っていると言うか。


 そう、誠さんは私の父に対しての方がよっぽど、親愛の情を示してくれている。

 本当の父親は、私の父であるかのように。

 血のつながりより、誠さんは心のつながりを選んでくれたのだろうか。


 私の父は浮気をしたことがないはず。今でも、夫婦仲はとても円満だ。

 そんな家庭に、誠さんが憧れてくれているのであれば、私としても嬉しい。



 何とも気まずい空気が漂う。

 この空気を作ってしまったのが自分なので、話題を変えたくなってしまった。


「あの、お父様にはお子様がいらっしゃいますか?」


「あっ、ああ。……娘が二人いる。どちらも嫁いでしまったし、医者とは関係がない」


「そうなんですか」


「だから、もし誠くんにその気があれば、いつかここの院長を引き継いでもらいたい、と思っている」


 おぉっっ!

 それはまた、おっきなプレゼントですね!


 確かかなり大きな病院と聞いていますが。


 でも、誠さんの返事は相変わらず静かだった。


「医師として尊敬しています。……ただ私は研究者でありたいと思っています」


 誠さん……ちょっと格好良かったです。


 父親として、ではなくて、医師として尊敬をしています、と伝え。

 そして自分は経営者ではなく、研究者でありたい、と柔らかくお断りをして。


 いつのまに、こんな技を覚えたんですか。


 もう……これ以上、好きにさせないで下さい…………なんてね。



「そうか……残念だが、そう言うかと思っていた。ただ、私も気持ちを伝えたかった」

「はい。有り難うございます」

「いつでも力になるから、遠慮無く言ってくれ」


 誠さんは軽く一礼した。


「まどかさんも。同じように遠慮せず」

「はい、有り難うございます」


 私も軽く一礼した。


 何とか雰囲気を持ちなおして、私達のお父様への報告は終わった。


 最後はまずまず和やかに終わって、私達はタクシーに乗るお父さまを見送ってから、ゆっくりと夜道を歩いたり電車に乗ったりして帰った。



 良さそうな人だったけれど…………疲れた…………。




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