第五話 森と芸術と魔法
しばらく森を進んだところで自分が丸腰である事に気付く。しまった……ぼんやりしていたから忘れていた。ガラクタ地帯にいるような怪物はいないらしいけど、採集の事も考えるとせめてナイフの一本でも持ってくるべきだった。
まあ今さら言っても仕方がない、手ごろな木の棒でも尖らせて持って行く事にしよう。
道中でいくつかのモノは見つけた。しかし見つかるのは見た事のない不気味な色のキノコだの、不気味な形の果実だの食えるのかどうかわからないシロモノばかり。というか正直言って食べたくない。
食えないものを持って帰っても仕方がない、かといって手ぶらで帰ってもただ散歩してきただけになってしまう。動物でもいれば狩りができるんだけどな。
「……?」
あれこれ探し回っているうちに結構深い所まで来てしまった。
すると、ふと不思議な音が聞こえる事に気が付いた。生き物の鳴き声……じゃないな、どちらかといえば音楽に近い。風の具合でそう聞こえるのだろうか。
頭の中で警戒心と好奇心が争い始める。危ういものに近付くべきではないという気持ちと、音の正体を確かめたいという気持ちが。
ここで手ぶらで帰りたくないという気持ちが拍車をかけた。はい好奇心の勝ち。だが心配するなオレの警戒心よ、音の正体に見つからないよう慎重に行くから。
木々をかき分けるように音に近付いていくと開けた空間に出た。そして音の正体もそこにいた。大きな切り株をステージのようにして立つ、楽器を持ったゴブリンが。まあ間違いなくこいつだろうな。
わかったらちょっとがっかりしたな。なんだ、獲物でもいるかと思って期待してたのに。もう用はないから帰るか。
「やあそこのキミ! 観覧希望かな?」
んぐっ……。
立ち去ろうとしたところで話しかけられてしまった。マジか、気配は消してたつもりだったんだけど。
まあいいか、ここで何してるのか興味がない事もない。退屈しのぎに話してみよう。
一応、最低限の警戒はしつつゆっくりとそのゴブリンの元へと歩み寄る。せっかくだ、とりあえず疑問に思った事でも聞いてみようか。
「観覧……って、何のだ?」
「おや、違うのかい? でもいい機会だから聴いて行きたまえよ。美しき森の中で、ボクと、ボクのヴィオラが奏でる愛と癒しのシンフォニーを!」
要は普通に弾いてるだけだろ。
うーん、思ったより変な奴だった。茶髪はともかくベレー帽とマントで芸術家っぽさを出しているつもりなのだろうか。話合わなさそうだし関わるのはやめとこう。
「悪い、帰るわ」
怪しいゴブリンに背を向け引き返そうとしたその瞬間、ふわりと周囲の空気が一瞬甘く感じられた。花の香りが風に乗って舞うような、そんな感覚だった。
「まあまあそう言わず。ほら、特等席も空いているよ」
怪しいゴブリンは正面からオレの肩を掴み、切り株の方へとぐいぐい押していく。
おい……ちょっ、見た目より力強いな!
……あれ? ちょっと待て、どうしてお前が正面にいるんだ? 甘い香りがした際に一瞬気が緩んだのは確かだけど、その一瞬で回り込んだとでも言うのだろうか。
こいつ、結構手練れなのか?
「おっと、ボクとした事がまだ名乗っていなかったね。ボクはチャンティ、芸術を追い求める知識の探究者さ!」
聞いてないのに名乗ってきた。そして黙っていてもうるさい程の視線でこちらに催促しているのを感じる。
「……アカリ、だ」
「よろしくアカリくん! キミは運がいい、素晴らしい音楽を独り占めできるのだから!」
頼んでないのに演奏が始まった。
静かな森にヴィオラ……って言うのか? そういう楽器の音色が響き渡る。
その演奏は……実に普通だ。そう、普通。聴けないほど下手でもないけど別に上手くもない、感想に一番困るやつ。いや、どちらかといえば下手寄りかな。
そしてしばらく聴かされているが一向に終わる気配がない。オレは何か森の禁忌を犯して処罰されているのだろうか。礼儀として眠らずちゃんと聴いてはいるが瞼がオレに逆らい始めている。長くは持たない、今のうちに行け!
……などと思考が混乱し始めたその時、ようやく演奏が終わったようだ。チャンティは一礼し、オレに向かって爽やかな笑顔を振りまいた。
「どうだったかな? ボクの演奏は!」
「眠い!」
おっといけない、混乱しかけていた事もあってつい本音が。しかもやや被せ気味に。
「あ、いや、これは眠くなるほど心地良い演奏だったという意味で……」
慌てて取り繕ってみたけど我ながら白々しい。これでは相手の機嫌も損ねてしまっただろう。……と、思いきや。
「アッハッハ! やはり術なしの演奏技術はまだまだ未熟だね!」
意外にも自分のレベルを良く分かっているらしい。自己陶酔するタイプかと思ったけど結構冷静なんだな。
「実はね、普段は街中でゲリラ演奏するんだけど苦情が多くて。職場で演奏してもみんなに怒られるし、こうして森で腕を磨いているというわけさ」
「職場ではやめておけよ……」
悪い奴じゃないのは伝わって来るけどやっぱり変な奴だ。
……それはそうと、ちょっと気になる事を言っていたな。
「なあチャンティ、さっき術がどうとか言ってなかったか?」
術。まさか魔法の類が存在するとは思えないが、さっきの一瞬意識を飛ばされかけた花の香りのようなもの、アレの正体が気になっていた。
オレのこの問いかけに対し、チャンティは不思議そうな表情をしている。それは何かを秘密にしているという感じではなく、知っていて当たり前の事をあえて聞かれたといった様子であった。
「アハッ、キミもおかしな事を聞くね。まあ世の中には常識的な事であっても様々な理由で知識から遠ざかろうとする者もいる。嘆かわしい事だよ」
「いや、頭に大ケガして色々と記憶が飛んだんだよ。常識的な事とやらも含めて」
「なんと……それは災難だったね。でも心配はいらない、なにせキミの目の前にいるのは芸術家にして知識の守護者でもあるのだから!」
ただでさえ高いチャンティのテンションが更に上がってきた。普段は教師でもやっているのだろうか、教えるのが好きなようだな。
さっきまで演奏のステージだった切り株が今度は教卓に見える。オレも聴衆から生徒になった気分だよ。
「まず、マギリアという言葉に覚えはあるかな?」
「はい先生、全く覚えがありません」
「素直でよろしい! マギリアというのは、目には見えないがこの世界に絶えず降り注いでいる粒子の事だよ。動物も植物も、全ての生物はその影響下にあるんだ」
チャンティの話では、そのマギリアとやらは生物を変異させる力を持っているとの事だった。どうりでこの森の植物は見慣れない不気味さだったわけだ。
「しかしそんなマギリアも我々ゴブリンのような高い適応力を持つ生物ならまた話が違ってくる。才ある者はマギリアから力を得て、理を超えた力すら発揮できるんだ」
そう言うと、チャンティは再びヴィオラを奏でる。
するとどうした事か、先程とは演奏の質が段違いだ。更には甘い花の香りが辺りを包み、思わず気が緩んでしまいそうになる。
そして曲が止まると同時に香りも失われ、森は普段の静寂さを取り戻した。ついでにオレの意識も飛びそうになっていたところからのご帰還だ。
「……ハッ! い、今のって」
「さっきもキミに聴かせたものさ。だってあのまま帰ってしまっては、ボクの演奏に触れる機会だけでなくこの出会いすら失われてしまったのだからね!」
演奏はともかく、コレを教えてくれたという事には感謝する。
しかし凄いな、まるで魔法じゃないか。ちょっとワクワクしてきた。
「それ、オレにも使えるのか?」
「もちろんだとも! ……と言いたい所だけど、この『マギ装術』は才能に大きく左右されてしまってね。扱える者は多くはないし、後天的に身に付けるのはかなり難しいんだよ」
えー。なんだ……つまらないな。
「ま、オレは楽器弾けないし」
「いやいや、どんなマギ装術になるかはそれぞれ違うよ。それにキミだって使えるかもしれない、才があるのに気付いていないというケースも多いからね。何より芸術も知識も飽くなき挑戦あってこそのものさ!」
そう言われると期待しちゃうな。魔法が使えたら何がしたいとか、誰だって一度は考えた事あるだろう。オレの場合は……。
「そうだ、せっかくだし練習してみるかい? ボクがレクチャーしてあげよう」
「え、いいのか?」
「そうだね……ほら、あの木を狙ってみよう。さあ意識を集中して」
よし、やってみるか。とりあえず手でも突き出して集中してみればいいのかな?
こういう時ってやっぱ攻撃の魔法がいいのだろうか。炎でも出たら面白いかも。
「集中……集――」
何か出たら面白い、そう思いながら念じた瞬間であった。狙った木のすぐ隣にある、やや細い木が激しく音を立てて砕けるようにへし折れたのだ。
「おっ、おお!? できた? これできたやつ?」
狙いとは違うけど何かできた気がした。思わずテンションも上がってしまうというもの。
しかし、チャンティは渋い顔をしている。
「……いや、これは違う。どうやら、ボクにお客さんのようだ」
「ん?」
よくわからないが術が使えたわけではないらしい。
ちょっとがっかりしながら、なぜか演奏を始めたチャンティの目線を追う。その先の木々の間から数人、何者かが姿を現した。お客さんってこいつらか。
おや、こいつらゴブリン……じゃないな。全体的に青っぽいし、ゴブリンとは違い細身だけど背が高い。獣のような上向きに生えた耳も特徴的だ。
「チャンティ、こいつらもゴブリンなのか?」
「……常識も飛んでいるというのは本当だったんだね、キミの記憶障害は結構深刻かも。それはそれとして、彼らはイークという。種族的には近いけど別の種族だよ」
イークか。まあ見た目からして全然違うし。
それより問題は、こいつらから敵意を感じるって事だ。武装もしているようだし、ただのお客さんってわけじゃなさそうだな。
「チャンティ先生よ、待ってたぜ。お前が人気のない場所で一人になるのをな」
イークの一人がそう言った。
おいおい大丈夫か? オレがいるのに何が一人だよ。そう思っていたらそいつの視線がゆっくりと動きオレと目が合った。
「……って、もう一人いるじゃねえか!」
ああ良かった、気付いてくれて。寂しかったよ。
オレがいる事に気付いたイークたちはヒソヒソと相談を始めた。合わせて三人、最低でも一人はマギ装術とやらが使えると考えていいだろう。手前の二人が刃物を持っているのに対し奥の一人は丸腰だ。となると、術使いは奥のやつかな?
「お前らはそいつを片付けとけ、チャンティは俺がやる」
お、動き出した。相談終わった?
奥のやつが武装した二人に指示を出してたな、という事はあいつがリーダーか。武器持ち二人をオレに、自分はチャンティを相手にするわけね。
正直言ってオレの見立てだとチャンティはこいつらより強いと思う。付け狙ってたのならそのへんの事情もわかってると思うんだけど、何か秘策でもあるのだろうか。
「へっ、運の悪いヤツだな」
「こんな所にいた自分の不運を呪うんだな」
……おっと、そろそろこいつらの相手をしてやらないと。
でもやる気出ないなあ、なんだよその中途半端な敵意は。動きにも特筆するような所はないし、武器持ってるだけのチンピラか。訓練を受けている感じじゃない。
「死ねっ!」
一人が攻撃してきたけど、死ねって言ってる割にはほとんど殺気が感じられない。覚悟が足りないのか、何とかなればいいくらいの感じで攻撃してるんだな。
これなら木の棒すら使う必要は無い。素早く剣を持った方の腕を取り、関節を逆に捻ってやったらあっさり剣を落とした。
「いででで!」
「お前なあ……もうちょっと粘れよ」
こいつら細身な見た目通り力は強くないようだ。せっかく二人いるのに連携取れてないし、面白くないったら。
「う、うわわわ!」
一人目に打撃を加えて気絶させたら次は二人目だ。
でもこの二人目はもうほとんど戦意喪失してたから、ちょっと棒で小突いてやったら簡単にひっくり返ってしまった。
前言撤回、見立てより弱かった。これならチャンティも問題なく対処できているだろう。
「チャンティ、そっちは――」
もう終わったかと確認するためにチャンティの方を見た。予想通りほぼ終わってはいたが、その状況は想定とはまるで逆だった。