第四話 持て余す時間の先に
……ここは、どこだ?
深い霧がかかったような不思議な空間だ。何もかもがあやふやで自分が立っているのかどうかすらわからなくなる。
こんな所でオレは何をしようとしていたんだっけ? 何か大事な事を忘れているような気がする。
(だって、放っておけないもの)
誰かがいる。でも……誰だ?
目の前のぼんやりとした人影に手をのばすが、触れようとした瞬間に影は霧散しまた別の人影へと姿を変えた。
(……を探……必ず……さもなくば……)
何だ? 何を言っている?
うまく聞き取れない、それ以上に何故だかものすごく不快だ。
何なんだ、何をすればいいんだ。オレは……誰だ……?
***
……。
大量の寝汗と最悪な気分と共に、オレはベッドから転がり落ち目を覚ました。
なんか、変な夢見たな。誰かに会って何かを言われたような、そんな夢。って、これじゃ何もわからないのと同じか。
ガンガンと痛む頭を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
キーラに飲まされた薬のおかげで頭の傷はだいたい塞がった。でも記憶は相変わらず戻らないままだ。さっきの夢、もしかしたらオレの記憶に関係あるのだろうか。
焦って何かを思い出そうとしても頭痛がするだけで進展は無かった。どうにか回復の糸口を見つけないと、胸の奥が気持ち悪くて仕方がない。
「あっ、アカリおはよう!」
部屋を出て階段を降りている途中で、アオミが元気のいい挨拶で出迎えてくれた。
「ああ……おはよ」
自分の名前さえ思い出せない状況の中、今のオレはアカリとして生きている。アオミの家の二階、そのうち一部屋を借りて住む事になった。居候ではない、一応ボディガードとして雇われたという名目でな。
「いただきまーす。今日はイチゴのジャムとハムエッグだよ。スープのおかわり欲しかったら言ってね」
「ん、ありがとう。いただきます」
キッチンのテーブルで朝食をとる。キーラは研究が忙しいとかでなかなか食事の時間が合わないらしい。
ここは職場としては申し分ない所だ。こうして黙っていても美味いメシが出てくるし、実のところここ二日ほどはほとんど自由時間みたいなものだった。
まあ、それが問題なんだけどな。
「なあアオミ、外には行かないのか?」
ここに住むようになってから二日、アオミは家から出ていない。出ていないのだから守る必要もない。一応とはいえボディガードとしてはよろしくない事態だ。
「うーんとね、わたしはガラクタ地帯から資源を収集して、それを修理したり作り替えたりした物を街で売ってるの」
「そんな事言ってたな」
「それで、収集が終わって今は修理フェイズなのね。新しい発明もできそうだし、もうちょっと時間がかかるかも」
つまり、間の悪い事にちょうど外出しないタイミングだって事か。
まいったな……何かしてないと気ばかり焦って仕方がないんだけど。
食事が終わって後片付けをしたらいよいよ本格的に暇になった。
トレーニングしててもいいけどそればっかりってのもつまらない。オレは何かやる事は無いかと家の中を探ってみた。
「アオミ、手伝う事あるか?」
アオミの工房に顔を出し尋ねてみる。
「大丈夫ー」
しかし返事は素っ気ない。機械や道具をあれこれいじっていて忙しそうだ。
修理か……オレにも少しくらいならできそうだな。アオミの手伝いにもなるしちょっとやってみるか。
と、思ったのも束の間。近くにあったジャンク品を拾い上げてみるが、そもそもこれが何の道具なのかがわからない。構造を良く見ようといじっているとバキンという嫌な音がした。
あ……やってしまった。出っ張った部分が根元から見事に折れている。
「アカリ?」
そしてすぐにアオミに見つかった。
「いやその……て、手伝おうと思って」
するとアオミはオレの肩にそっと手を置いた。
「いい? 誰かの仕事の領分に入る時は、生半可な気持ちでやっちゃダメなんだよ」
声は優しいが目がマジだった。
「ゴメンナサイ……」
下手な怪物よりも恐怖を感じ、もうそんな返事しかできなかった。
「しょうがないなあ。……はいこれ」
そんなオレを見かねてか、アオミが何かを差し出してきた。これは、サンドイッチ?
「え、くれるの? さっき食べたばっかりだけど」
「違うよ。それはキーラの分、持って行ってあげて」
「ああ、キーラの朝飯か」
「キーラったら没頭してると食事も忘れて倒れてたりするから、時々は気にかけてあげてね」
「そりゃあ……大した研究者だな」
これは皮肉でもなんでもなく本心、それほど集中できるのは凄い事だ。
さてと、じゃあこれを持って行くか。しくじってアオミの邪魔をしてしまったが、キーラの方に何かやる事があるかもしれないしな。
さっそくサンドイッチを持ってキーラの部屋の扉をノックする。
「キーラ、いるのか?」
いるのかと言ってはみたが、出かけてないのだからいるはずだ。しかし返事がない。
まさか倒れてるなんて事はないよ……な?
「入るぞ」
アオミの言葉を思い出し、念のため強行突入する。鍵がかかっているわけでないのでそんな大げさでもないけどね。
……うわ、なんだこの部屋。入った瞬間に異臭が鼻を衝いた。ゴミ系の臭いじゃなくて薬品臭だなコレ。
棚や床に大量の瓶が転がっているし、その他の部分は奇妙な機材や薬の材料らしきものでいっぱいだ。まさかこの部屋で寝てるのか?
散らかっていてわかりにくいが部屋自体はそこまで広くない。余計なものを踏まないよう探り探り歩を進めた。
「うぐっ」
すると、何歩か歩いたところで変な感触と変な声が聞こえた。
見れば本に埋もれてキーラが転がっている。これにぶつかったんだな。
「よお、何やってんだ」
「いやなに、資料を探していたらそのまま眠ってしまったようだ。ああ、朝食を持ってきてくれたのかい。悪いね」
キーラはオレからサンドイッチを受け取り、山積みにされた本の隙間にあるベッドらしきものに腰かけ遅い朝食を取り始めた。
わあ、一口がちっちゃい。しばらくかかりそうだな、部屋でも見てるか。
「しかし凄い部屋だな」
「私としては資料も設備もまだまだ不十分なんだよ。なにせ種の限界を超え人工的に進化させようとしているんだ、いかに私が天才でも終わりが見えない挑戦なのさ」
凄い事を言ってるんだろうけど、オレには理解できそうにないし興味もない。
「ふーん。それよりヒマなんだ、何か手伝える事あるか? この部屋の掃除以外で」
「……あからさまに興味無さそうだね。手伝える事、か。ふふふ……あるよ、興味の無い君でもゴブリンの進化に貢献できる事が」
何を言おうとしているのかはオレにもわかるぞ。案の定、キーラは机の上からいくつか薬を見繕っている。
「おい……まさか実験台になれとか言わないよな?」
「わかってるじゃないか。これは名誉な事だよ~」
「嫌なこった。記憶が戻る薬でもあれば話は別だけどな」
「ああ、そういえば君は記憶がないんだったね。うーん、脳に作用する薬はいくつかあるけど記憶を戻す薬は無いなあ。失わせるのはわりと簡単なんだけどね」
「そりゃただの毒って言うんだよ」
「当てずっぽうにいくつか飲んでみるかい? もしかしたら戻るかもよ」
そんな当てずっぽうに飲む薬なんざ冗談じゃない。そもそもお前の薬で酷い目にあったばかりなのを忘れてたぞ。
「お前の薬がろくでもないって事を思い出した。じゃあな」
「おや、もう行くのかい。被検体はいつでも募集してるよ」
わざとらしく手を振るキーラを尻目に、オレは半ば逃げるように部屋を飛び出した。
やれやれ、これで振り出しか。いよいよやる事が無くなってしまった。
キーラは言わずもがな、アオミも作業に集中していて話しかけられる雰囲気ではない。家にいても仕方がないのでとりあえず外に出てみたが……どうしたもんかな。
薪でも割ろうかと思ったけどナタが無い。あ、そういやオレが壊したんだっけ。まだ代わりがあるって言ってたけど見当たらない。どこにあるのか聞こうにも今はちょっと話しかけづらいし、本当にどうしたもんかな。
薪割り台に腰かけぼんやりしていると森の木々が目に飛び込んでくる。
そうだな……いっそのこと森にでも行ってみるか。薪なり食材なり何か拾えるだろう。というわけで暇を持て余したオレは森へと入って行くのであった。