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名もなきわたしと毒花の姫  作者: 東堂杏子
郭の用心棒
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第4話

 ここは今も昔も戦ばかりの北大陸だ。

 平原も山岳も海浜も草原も、ひとが住まう国はみないくさをしている。大陸皇帝の権威が失墜し、それぞれの王が隣国と喧嘩をしている。喧嘩は北大陸の会釈であり、戦争は北大陸の宴なのだ。

 イグルス国は、北大陸内陸部の山地にしがみついた小国だ。

 金はない。いくさも下手糞。唯一誇れるものがあるとすれば、それは、壁画と毒花の栽培だった。

 毒花の栽培は壁画の発達と同時進行だったという。美しく発光する赤と青の染料はいずれも猛毒の花から抽出される。落書きに夢中になれば指先が染料まみれになって早く死ぬ。絵を嗜みながら邪悪な草花を研究し、さらに哀れな絵描きたちのための解毒薬の発明を繰り返して平和な小国の時は流れた。

 まあ、つまり、そういう国。

 ここに来たのは初めてだけれど、わたしは城内の地理を把握している。頭に染みついている。幼い頃から何度も聞かされてきたからだ。


 ひとつ溜息をついて、足をとめる。


 ここから先は王宮だ。

 荘厳な正門は松明に照らし出されている。

 堀はない。門番は左右に並んでいた。

 再び深呼吸をする。肩を上げて下げる。わたしの躰は、わたしが思うよりもずっと緊張して強ばっていた。


「おい小僧、何者だ」


 ひとりの門番がわたしに気づいた。

 わたしが奇妙な顔で笑ってみせると、他の門番たちも次々とわたしに視線を向ける。

 芝居の幕が上がった。


「やあやあ皆さんこんばんは。ここは王様のお住まいだというのに、こんなところまで近寄れるんですね。他国なら考えられないことです。ホルクス国やライディス国ならとっくにわたしは捕らえられているところだな。ミルフィリアの王宮には人食い魚がうようよしている深い堀があるし、ああどうも、どうも」


 愛想笑いで門番たちに挨拶した。


「だから、思ったよりもいろいろな手間が省けたみたい、あ、よいしょっと」


 わたしは、ここまで引きずってきた男の躰を連中の前に放り投げた。

 駆け寄った門番はふたり。すぐに大声を張り上げた。


「この外套、血に染まっているがもしやムリラナス家の……パイラス将軍!」


 傷だらけで腫れ上がった男の頬を叩いて、「まだ息があるぞ!」と叫ぶ。

 もちろんだ。わたしはこの男が意識を取り戻す度にぶん殴ったけれど殺してはいない。途中からは担ぐのも面倒で、直接引きずってきた。背中にも深い擦傷を負っているだろう。

 わたしは男の傍で腕組みをして睨み上げた。こうすると身長が高く見える。


「さっき西の遊郭で娼館が燃やされて、何十人もの女と客が皆殺しにされた。調べたらすぐにわかるけど、首謀者はこいつだよ」

「おまえが捕らえたというのか!」

「王宮に入れてもらえるでしょ? イグルス国では大罪人を捕まえて引き渡した民には王様が直接ご褒美をくださると聞いたんだけど」


 わたしは髪を束ねなおしながら、門番たちを睨んだ。

 緊急事態を想定したことのない平和な兵たちだ。こんなときにはどう対処していいのか判らず戸惑っている。彼らを指揮している長は他所に出向いているらしい。「すぐランス様に……いつもの酒場に……」なんて耳打ちしている声が、残念ながら筒抜けだ。

 男たちが一様に困った顔をしているなかで、ひとり、背の低い門番がわたしの前に進み出た。


「あのね、娘さん。責任者はいないこともないのだけれど」


 軽やかな声だ。

 躰は小柄で細く、似合わない兜が顔の半分以上を覆っている。

 少年だ、たぶん。

 わたしは女にしては背が高くてしばしば少年に間違えられるけれど、この少年兵はしょっちゅう少女に間違われているに違いない。

 足下には瀕死のパイラス将軍が呻いているにもかかわらず、暢気な声でわたしの前に立ちはだかった。


「ここは王族だけが出入りする正門だ。ひとまずは東門で詳しい事情を伺おう。案内するよ」

「悪いけど信用できない。この人殺しの将軍を保護して、人影のない場所でわたしを斬って真相を隠匿しようっていうんでしょ。あなたたちにとってはこの下手人は都合の悪い身内だもんね、役人という生き物は互いをかばい合って不正を隠すもの」


 わたしはさらに背伸びして、顔の見えない少年を挑発した。

 ところが相手も姿勢を変えない。


「住居と名前を告げて帰るように。褒美については追って沙汰がある」

「やだよ。この正門からわたしを王宮に入れて。王宮にはどうしても会いたいひとがいる。わたしはそのひとに会うために来たの」

「王宮で勤めている者なら西門の館で面会できる。明日の朝まで待って手続きをしなさい」

「野菜売りの小娘のように追い払おうったって無駄だよ」


 わたしは背中の玲瓏刀を抜いた。

 月の光が片刃の先からすべり落ちてくる。


「ひれ伏せ。わたしはこの国の王弟アルバスの娘にして、先王の第三女レディキュアス姫と母を同じくする妹である。今すぐに王宮の正門を開けよ!」


 宵闇の湿気が一気に凍りついてゆくのが、自分でもわかった。

 勝負の前の、鼻の奥が痛む感覚。


「阻む者はここで斬る。わたしは本気だ」


 はっ、と誰かが息を飲んだ。


「アルバス王子……先王の寵姫を後宮から奪って逃走した……!」


 足下で転がっていたパイラス将軍だ。

 その声を聞き取った門番たちは、一気に後ずさった。腰を抜かしている者もいる。でも、当事者から野次馬に成り代わった者がほとんどだ。

 ただ一人、わたしの前にたつ少年ひとりを除いて。


「猛毒の名をもつレディキュアス姫の妹御だって?」


 冷めた口調だ。

 わたしは少年の喉元に刀をつきつける。


「証拠を見せろと責めるつもりね」

「証拠なんてとんでもない」


 そして彼は、大きな兜を小さな頭からすぽんと抜いた。闇夜の長い髪が松明に照らされる。白い頬と真っ赤な唇。

 ――女だった。

 黒と呼ぶには深すぎる蒼の眸。

 小柄だがすらりとしている、優美で曲線的な身のこなし。風が揺れるように視線を流し、わたしを見据える。


「血脈の証拠は目に見えないものよ。確かめる方法はただのひとつ」


 舞踏のようにゆっくりと右手を動かし、左脇から剣を抜く。

 月光を背に受けて女兵は構えた。

 いい剣だ。

 わたしは深く吐息した。

 女兵はわたしの緊張を笑い、朗々とした声で言った。


「さて、誰が()()()()()()()()()ですって? 戯れ言は私を倒してから仰ることね」


 わたしの目の前で殺気を漲らせているのは、

 レディキュアス姫、そのひとだった。

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