剣よりも杯を
日暮れの頃に、俺とエーリカは、人々の活気に溢れた街に辿り着いた。
若者の冒険者たちが酒をあおり、声を大にして、はしゃいでいる。
「酒という短絡的な快楽に溺れるような、ああいう奴らは嫌い。うるさいから死ねばいいのに」
エーリカは、そんな人々に対して、毒を吐いた。
「エーリカは、お酒のまないの?」
「あんまり。強いていうなら、ワインを少し」
エーリカって、酔うとどうなるんだろう……?
――ここは、ドアル帝国の城塞都市のひとつ、エーレブルク。
俺がこの世界に召喚されて初めて訪れた街だ。
街が丸ごと壁に囲まれており、家々が立ち並び、鉄道も通っており、ドアル帝国の交通、商業の重要な都市となっている。
「まずは宿を探す。お金なら、ヴァルハイトからたんまりと支給されたから、一番寝心地が良くて部屋が広い宿にする」
エーリカが懐から取り出した袋には、金貨50枚が入っている。
数週間、たらふく食べて飲んで、最高級の宿に泊まったとしてもお釣りが出るぐらいの大金である。
「ヴァルハイトって、お金持ちなの?」
「当然ね。地方の貧乏貴族の出自とはいえ、一時期は、世界を牛耳るノアズアーク国の宰相だったんだから。それにアイツ、土地とか、名誉とか、女とか……とにかく、そういうものに対して興味がないから、余計に金が溜まるのよ」
エーリカは、冷たく言った。
その横を、一台の馬車が通り過ぎる。
トカゲのような見た目をした巨大なドラゴン……?のような魔獣が引く馬車である。
鉄の格子付きの荷台の中には、子どもたちが閉じ込められていた。
手足を鎖で拘束されており、人類の歴史の奴隷貿易の様相を呈していた。
「……あれって、奴隷の子?」
人の命を売り買いするなんて、酷い話だ。
エーリカは、馬車のほうをチラッと見て、答えた。
「奴隷ではないけど……恐らく、貧しい親に売られた子でしょうね……かわいそうに」
「畑仕事をさせられるのかな……炭鉱でトロッコを押し続けるとか……」
「明るい未来が待っていないことは確かね」
普段、命を軽視するような毒舌を惜しまないエーリカは、珍しく、馬車の中に囚われた子供たちを見て、同情を寄せた。
エーリカは、ローブを目深に被り、二度と、馬車の列を見ることはなかった。
♦
俺とエーリカは、宿を探して街を歩いた。
そのとき、エーリカの背中を、何者かがトントンと叩いた。
「そこのおねえさーん、今、何してるんですか~?これから夕食ですか?オレと一杯、どうっすか~?」
こいつ、酒に酔っているな。
呂律が回らず、語尾が抜けた感じの話し方だった。
エーリカをナンパなんかしたら、腕を鎖で引きちぎられるのでは……
俺が振り向くと、そこには、既視感のある顔が。
「あ、あれ?」
茶髪とオレンジ色の中間の色の髪をした男だった。陽キャっぽい色付きのサングラスをかけており、裾の長いミリタリーチックな深緑色の外套を身に纏っている。
――そして、最もな特徴である、背中に背負った銃は……
「え、イオリじゃねぇか!?生きてたのか!?」
「ガルク!?」
思わぬ再会を果たした相手は、異世界に来たばかりの俺をクエストに誘い、エーリカやヴァルハイトと戦い、姉マーレと団長とともに逃げ帰ったガルクだった。
彼は、サングラスを外して、俺の顔をまじまじと見つめ、目を真ん丸に見開いた。
そんな彼に、エーリカが振り向く。
「もっと他に、素敵な女性がいると思いますよ?わざわざ、《《私なんか》》を誘わなくても……」
エーリカが、黒いローブのフードを取り去った。
ガルクは、腰を抜かした。
「は……?え、お前、なんでここにいるんだよ……あの城にいたはずじゃ……」
ガルクは、秩序立って舗装された石畳の上に尻を突いて、立ち上がることができなかった。
膝が笑っている。
彼が決して望んでいなかったであろう邂逅の場に、もう一人、俺の見知った顔がやってきた。
「ちょっと、ガルク?何してるの?飲みすぎはダメって、あれだけ言って――」
紺色のリボンでツインテールを結わいており、ゲームやアニメでいう、魔法使いや賢者という言葉が当てはまりそうな衣装を身に纏っており、金色の装飾が細緻で、高級感を漂わせている彼女の名は――マーレだ。
マーレは、エーリカの鋭い目つきに見つめられて、石になってしまったかのように硬直した。
「また会ったわね、魔女さん」
「え、え……?」
「それじゃ、私とイオリは、宿を探しているところだから、失礼するわね」
「ちょ……ちょっと待ちなさいよ!!」
俺の手を引いて立ち去ろうとしたエーリカの背中に、マーレの叫びが突き刺さった。
「あんたみたいな人殺しを見かけて、野放しにしておくわけないでしょ!」
マーレは、魔法の杖を構えた。
尻もちをついていたガルクも立ち上がり、背中に携えていた銃を手に取った。
「なんだ?」
「どうせ下らないトラブルだろ?」
「おい、あの兄ちゃん、銃を持ってるぜ」
「珍しい武器だな……」
街行く人々の注目など眼中にあらず、臨戦態勢のマーレとガルク。
エーリカは、そんな二人に、いつもと変わらない、落ち着いたトーンの声を届けた。
「私たちは、戦いに来たのではない。人を殺しに来たのではない。――私たちは、ただ、良さげなお宿を探しているだけ」
「あんたの言葉なんか、信じられるわけないでしょ!」
確かに、マーレの言う通りかもしれない。
しかし、エーリカが胸元に巻いている黄金の鎖に手をかけていないことも事実。
エーリカに、戦う意思はない。
顔を真っ赤にするマーレと、月明りの下に、いつもと変わらないクールな表情を見えるエーリカは、まさに対極的だった。
「今ここで、私とあたな方が刃を交えれば、どうなるかご存知?巻き込まれて犠牲になるのは、街の人よ」
「っ――」
マーレは反論できず、杖をかざしたままの恰好で口を閉ざしてしまった。
周囲の野次馬たちは、「よくわかんね」「何言ってんだ」と言って、散り散りなる。
そんな姉の弱腰を押し退けて、ガルクが赤い顔をしながら、エーリカの眼前に寄った。
「おっけー、おっけー。そっちが戦う気がないって知れて、安心したわ。じゃあ、気を改めまして――オレと一杯、どうっすか?」
「ちょっと、あんたバカなの!?相手は、人殺しだよ!?平気な顔して冒険者と兵隊さんたちを殺したんだよ!?そんなやつと飲もうだなんて、頭おかしいって!バカ、大バカよ!」
「落ち着けって姉ちゃん。話せば、意外と分かり合えるかもしれないぜ?一期一会を大事にしよーぜ」
姉の制止の声を聞く耳を持たず、ガルクは赤い顔をエーリカの顔に寄せて「どうだ?オレのおごりでいいぜ」と、エーリカを何度も誘った。
エーリカは、ガルクの顔面を殴って頭部を吹き飛ばす――ということはなく、ワインレッドの色の瞳を右に寄せて、ちょっと考えた。
「分かった。飲みましょう」
「おう!案外、ノリいいじゃねぇか。イオリにも、美味いもん食べさせてやるから、ついて来いよ」
「え、うん。わかったよ」
エーリカがガルクのナンパに付き合うなんて、どういう風の吹き回しか。
「おっし!早速、レッツゴー♪」
俺の頭は、情報を受け入れることに戸惑っていた。
ガルクは、俺とエーリカの手を引いた。
「はぁ?信じられないんですけど……私は、もう、どうなっても知らないからね!」
頭から湯気を出して、弟の自由奔放さにご立腹なマーレは、俺たちに背を向けた。
どうなっても知らない……と言いつつ、俺たちの背中を追いかけて来るマーレであった。
俺たちは剣や鎖、魔法の杖を持つことはせず、酒の注がれたグラスを持った。