08話 今の救い
< ピチャ……ピチャ……
水の落ちる音が、無機質な空間に響き渡る。トイレがついただけの小さな部屋で、落ちた水はしぶきをあげて地面がいかに固いかを示す。
鉄格子によって外と断絶されたこの部屋は、王国オストフォーズの最高傑作であった。
DSPブーコ監獄と呼ばれるこの施設は、重罪から軽罪まで数々の犯罪者を捕らえており、王都の地下全体を覆い尽くすほどの超巨大施設である。
王国の人口を上回る量の過剰な部屋は、他の国からも犯罪者が運ばれ一日中稼働を止めることはない。
そんな牢屋の一歩手前、詰所にある留置所が一部屋埋まっていた。最も留置所とは言っても、牢屋と構造はほとんど変わらない。
「寒い……」
衛兵に一発喰らわせられ、起きたときにはすでにここにいた。
周辺にある何部屋かに人の気配は感じられず、恐らくここには自分しかいないのだろう。
隙間から入り込んでくる風がやけに冷たく、顔に吹き付けるたび体温が下がっていくのを感じた。
また、石で形成された床や壁が冬において圧倒的な寒さを演出し、身を震わせずにはいられない。
服越しに伝わってくる冷たさに、体を限界まで丸めて寒さを凌ごうとする。
そんな現状にため息をつくことしかできなかった。
「……」
両手で足を抱き寄せて顔を埋めながら、これでもかというほど手に力を込めた。
ただ、決して今の状況を悲観しているわけではない。
なぜなら自分は何もしておらず、ハレストというものが無くても罪に問われる道理はない。
きっと説明すればわかるはず。そんな相手任せの淡い希望に、今はただすがるしかなかった。
< ゴトッ
静かな空間に響き渡るのは、石と金属の噛み合わせが外れた音。即ち、この部屋一体に入るための扉が開かれたと言うべきだろうか。
甲高い音と共に扉が閉められ、その後にガチャガチャと金属をすり合わせる音が鳴る。
音は徐々にこちらに近づいてきて、自分の前に来たところでピタリと止んだ。
「目が覚めたようだな。こっちに来い」
静かに威圧感のある声で、付いてくるように催促される。
その男は大柄でガイアスよりも一回り大きく、筋肉量も負けるに劣らないほど強そうな見た目であった。
これを見たら誰も逆らわないだろうな。と、この大きい収容施設にふさわしい衛兵に、適任感を感じる。
気づくと扉が開いており、抵抗する意味もないため言われた通りに外へ出てついていく。
目的地は、二つほど扉を隔てたところにあった。
紙と筆を用意した衛兵と武器を構えた衛兵、ベテラン衛兵の計三人が一つの部屋に集まっている。
さながら尋問室とでも言いたげな空間には、天井に明かりが一つぶら下がっているのみ。真ん中には机が一つと木の椅子が二つ置かれており、古臭さの感じるとてもシンプルな部屋であった。
「お前が街中でやり始めるから、処理が大変だったんだぞ、フォートマン」
「えぇ。その件に関しては、とても感謝しています」
今までのベテラン衛兵はフォートマンと言うらしい。
巨漢衛兵はフォートマンと同じ立場なのか、『勘弁してくれ』と苦言を呈しつつその場を後にした。
一時の間の和やかな雰囲気は、フォートマンによって切り替えられる。目を鋭くし、獲物を真っ直ぐに見据えるような顔の強張り。
僕を気絶させたあの時と全く同じ雰囲気を纏っていた。
どうやら、仕事と私情ではっきりとメリハリをつけれる、こちらからするととても厄介な人物らしい。
「では、改めてお話を伺いましょう。まずはあなたのお名前から、仰ってください」
「……レイド・シースリーです」
「家名を持っている、と……。シースリー家ですね。調べてみましょう」
そう言うと、フォートマンは新たに部下を呼び、調査をするよう指示を出す。
指示を出された衛兵は、適当に返事を返し意味がないとでも言いたげな表情を浮かべながら、奥へと消えていった。
自分の言ったことを全てメモしているのだろうか。後ろでは、心地の良い筆を走らせる音が響いていた。
フォートマンは座り直し、改めて僕を真正面に見据える。
「あなたがここ、王都に来た目的を教えてください」
「僕は怪我をしてここに来ました。その怪我を治療してもらい、先日からここで暮らし始めています」
「怪我をして……ですか。でもそれだとおかしいんですよ、レイドさん。いくらここが王都の端だと言っても、王都に入る前の門兵があなたのような輩を見逃すはずないんです」
あなたのような輩とは、随分ひどい言い方である。
ハレストがない人物という意味なのだろうが、それほど重宝されるものならば、リオラはどのようにして僕ごと門を潜ったのだろう。
少なくとも今現在、本当に何も分からないため、おかしいと言われても経緯などを説明することはできなかった。
王都に入る前に止められていて気づけたのなら、このような事態は起きなかっただろう。
それよりも先ほど言った、王都の端という言葉が引っかかる。
”王都の端だと言っても”? つまりリオラの家は、王都とは少し隔絶されている場所なのだろうか。
「では次に、あなたはどんな魔法を使って、殺人を行ったのですか?」
疑われているだけかと思いきや、もうすでにフォートマンの中では僕が殺人を行ったとみているらしい。
最初からずっと否定していたはずだが、ハレストが彼の考えの根幹になっているのだろうか。一才の疑う余地なしという口調で詰めてくる
「僕は殺人なんてしていません! なのでどんな魔法を使ったかなんて分からないんです!」
「あなたが殺人をしていないというのなら、一体誰が? 何のために?」
「そんなの僕の知るところではありません! あなたたちが話していた、刑場の司裁とかじゃないんですか?」
そもそも、自分達で犯人候補を話していたのだ。
その犯人が女性だという話もしていたはずであり、なぜ僕が捕まえられ、ここまで詰められるようなことになっているのか、尚更訳が分からなかった。
フォートマンがより一層厳しい表情になり、あたりに風が起こり始める。風は彼の感情を表すかのように、強く、荒く、吹いていた。
その気配を察してか、周りの衛兵たちは緊迫とした表情になり場が張り詰める。とーー
「まだごちゃごちゃ抜かすのか!! この魔物め!!」
「え!?」
思わぬ発言に、素っ頓狂な声が出る。
落ち着きのある印象とは異なり、感情をむき出しにして大声で怒鳴ってきたのだ。
魔物……どこをどうみたら魔物に見えるのだろうか。もしかすると、魔物というのは人殺しの例えのようなものなのかもしれない。
そう思いたかったが、周りから溢れ出んとする殺気の量がヒトに向けられるソレではなく、本気で魔物だと捉えていることを肌で感じる。
魔物だと思われていたとは夢にも思わなかった。しかし魔物は異形であるが、現に僕は人の形をしたヒトである。どう考えても間違えようがないのだ。
もしやこの衛兵、ベテランだと思っていたが感情だけで動く勘違いの多い人なのかもしれない。
「なんでそうなるんですか!? 僕はいま普通のヒトじゃないですか!」
「ヒトの姿をしていようとハレストがない限り、その理論は成り立たないな。なぜ、あのあと現場を離れたかについてもまだはっきりとしていない。どんな魔法を使って殺したのか。情報収集に使おうと思っていたが、どうやら貴様から有益な情報は出てこなさそうだ。早いところ処分するとしよう」
「魔物は異形のはずでしょう? ハレストがないと言っても、つけ忘れただけかもしれない。第一、まだ僕の家名を調べている最中のはずだ」
なんて話の通じない人なのだろう。ハレストの有無で魔物と判断するのは、流石に早計すぎると言わざるを得ない。
現場を離れたことについても、犯人を追いかけようとしていただけのことで、フォートマンらは死体を前にして雑談をしていただけだった。
もしそんなに怪しく思っていたのなら、その場で留めておけば良かった話である。
「……そうですね。では、家名を調べている間に、一つ試してみるとしましょう」
そう言うと、フォートマンは指を顔の目の前に持っていく。
そのまま上下左右にスライドさせ、簡易的な魔法陣を完成させた。
神妙な面持ちで呪文を唱え始め、一通り唱え終わった後に質問をする。
「汝に問う。我に対し嘘の発言はないと、誓えるか」
「はい、誓います」
何もやましいことはしていない。が、自分が何かを犯してしまったような、そんな気分になるのはなぜだろう。
これで疑いが晴れるのなら、とにかく万々歳である。
そんな方法があるのなら最初から使って欲しかったとも思うが、マナの関係上、考えなしに使えるものでもないのだろう。とはいえ、疑いのある人物に尋問するのであれば、使うのが妥当ではあるが。
時間が一分ほど過ぎた頃だろうか。
突如として魔法陣が尋常でないほどに光り始め、何かが起こる予感がした。ともすれば、何事もなかったかのように跡形もなく、魔法陣は空に消えてしまう。
「この魔法は、光ると嘘をついていることに。何もなく消えたら、正しいことを言っているとなります。やはり、あなたの発言は妄言。無意味な演技でしたね」
「は?」
嘘など全くついていない。にも関わらず、魔法は嘘をついていると示したらしい。
フォートマンが嘘をついている可能性もあるが、ここで嘘をついてまで捕まえようとする人ではないという確信も、心の中にはあった。
「あ」
どこでも嘘をついていない。そう思い一から質問を思い出していると、一つ言っていないことを思い出した。
おばあさんを殺したことについてである。
魔法を使った犯人について全く知らないと僕は言ったが、犯人がミクスであることを知っている。
もしかしなくても、これはミクスの話に反応したのだろう。
ただここで一つ、新たに失敗したことが生まれる。
自分の無意識下でついた嘘だったので、思いがけずに声を出してしまったが、聞いてる方からしてみれば本人も嘘を認めていると見えるだろう。
「あなたにも心当たりがあるようで、安心しました。自他共に認める虚言である、ということですね」
「本当に違うんです! 間違い…ではないけど、これは言っても仕方がなくてーー」
「フォートマン様!!!」
家名を調べると言って出ていった衛兵が、このタイミングで戻ってきた。
なにやら慌てている様子で、出て行った時の様子から大きく変わっている。何度も転びそうになりながら尋問室に入ってきて、ハァハァ息をあげながら報告しようとしていた。
「もうすでに結果は分かっているがな。早急に報告したまえ」
フォートマンはこちらへ殺意を向けつつ、最後の一押しとでも言うかのように素直に報告を聞こうとする。
大丈夫だと分かっていても、心の中は不安でいっぱいだった。
万が一にでも調査のミスなどがあれば、自分の首は胴体となき別れになるだろうから。
「はは! シースリー家は実在しており、レイド・シースリーの名がありました。それと、シースリー家にはリオラ様がいらっしゃいます」
「……なにっ!?」
緊張のあまり止めていた息をようやく外に吐き出すと、心の底から安堵した。
本当に助かった。
家名を勝手に入れられていた時はかなり驚いたものの、まさかこのような形で助けになるとは考えていなかった。
リオラはどこまで僕を助けてくれるのだろうか。
感謝してもしきれない。そう最初に述べた気がするが、感謝の量は日に日に増すばかりである。
フォートマンは驚きを隠せないのか、唖然とした表情をしていた。
しばらく心ここに在らずといった状態を続けた後、思い直すように意識を戻すと、
「さっさとハレストを入れてもらいなさい。大衆が怖がります」
信じられないとでも言いたげであったが、最後に捨て台詞のようなセリフを吐いてこの場を後にしようとする。
「ハレストがないと大衆が怖がるのはなぜですか?」
ハレストが無いことでここまでの事態に陥ったのだ。
なぜハレストが無いと魔物と思われるのか、聞いてみようと思った。
「そこら辺の犯罪者やホームレスですら刻まれているものです。それが無いとなったら、人里に住んでいない魔物が人に化けて出たと考えるのが普通でしょう」
魔物は異形しか見たことなかったが、人型になることもあるのか。
学校に行っておらず外でも動物と戦っていた自分には、有益な情報であった。
今度こそこの場を後にすると、残った衛兵たちも続々と部屋を出ていく。
少しの時間が経ったあと、フォートマンはすぐに留置所から出れるように手配をしてくれた。
外に出ると既に当たりは真っ暗で、鐘楼に行く暇はなさそうである。
息を大きく吸って吐き、半日ぶりの空気に新鮮さを感じながら帰路につく。
「あのフォートマンって人、間違えて捕まえた割には謝罪の言葉一つすら無かったな……。そりゃあ勘違いするのも無理はないかもしれないけれど、それでも間違えたら謝るのは常識、だよね。むしろ抗議してこれ以上の犠牲を増やさないように……」
改めて考え始めると、フォートマンについて苛立たしくなってくる。
最後は、ハレストが無いこっちが全部悪いかのように終わらせてきたが、問答無用で圧力を受けたのだ。
微々たる言い返しぐらいは許されたかもしれない。
言葉でフォートマンを圧倒している状態を頭で思い浮かべながら、それですらストレスを発散できず夜の道で一人悶々とするレイドであった。