03話 信頼の借用
「うーん、どこから話そうかな」
リオラは眉をハの字にしながら、話す内容を考え込んでいた。
改めて顔を確認すると、最初の印象とは違い大人っぽさは見る影もない。
こうしてみると妹ができたような、家族ができたような、そんな懐かしくも嬉しい気持ちになる。
しかし、話したいことが沢山あるからなのか、一向に話し始める気配がない。そちらが話さないならと、聞きたいことが山ほどあったので早速質問を始めることにした。
「まず、ここがどこなのか教えてくれませんか?」
「ここ? ここは王都にある私の家だよ。実はもう一人いるんだけど、今はここに居なくって……」
「王都!?」
衝撃の事実に思わず叫んでしまう。
この世界において地位は不可侵の権威であり、それは住んでいる場所に依存する。
王国オストフォーズを中心に、周辺各国が王に貢献しようとさまざまに努力をしているのだ。その貢献具合によって、地位のレベルがクラスⅠからクラスⅢまでで決められる。
王都は王国の一部のため、クラスⅠは当たり前。クラスⅠの中でも飛び抜けて、大貴族や富豪が集まる栄誉の場所のはずなのだ。
「ご挨拶が遅れました、レイドと申します。大変無礼かとは思いますが、リオラ…様はどうして僕をここに……?」
「リオラでいいし敬語もいらない。お兄さんの方が年上だし」
彼女は、そんな小さいことを気にするな、と言わんばかりに笑みを浮かべる。敬語を使う使わないは年齢で関係ないとは思うのだが、その言葉を無視した場合も、かなり失礼に当たるだろう。
一度食い下がりたくはなったものの、それ以上に飲み込んだ方が良いと考え、話を進行を求めてみる。
「じゃあ、リオラ……」
思考とは裏腹に、言葉に若干陰りが残る。
そんな僕の様子を楽しむように、リオラはふふっと笑ってみせている。
状況を面白いと捉える彼女と違い、こちらはかなり深刻だ。
ジャイアントベアーの恐怖が無くなったかと思えば、馴染みのない部屋で目を覚まし、ここが王都だと告げられる。
まずは一つずつ、話を繋げて整理をしたい。
そのためにも、呼び捨てを厭わずに話を進めていかなければ。
「ここまで来た経緯を、教えてくれないか?」
彼女はコクリと頷き、思い出すように話し始めた。
「私は依頼を受けて、あの森で魔物の討伐を行ってたんだよ。魔物が夜間に凶暴性が増すことは、知っているでしょ?
夕方になったから、依頼もそこそこに引き上げようとしたら、ジャイアントベアーの群れがどこかに向かっていくのを確認した。不自然すぎたからそれで追いかけてみたら……ってわけ」
「なるほど……」
ジャイアントベアーはあそこで集まったのではなく、群れであそこに一直線。
もしかすると、逃げている最中に考えていた仲間へのシグナル仮説は、本当なのかもしれない。
「それでレイド、が倒れて出血が酷かったから、急いでこの家に運んで治療。ポーションをかけて上の部屋で寝かせて、あとは知っての通りだよ」
背中の痛みが気にならないと思ったら、ポーション治療を施されていたらしい。
しかし、あの致命傷を治せるほどの物は以前にも聞いたことがない。よっぽど高価な代物だろう。考えたくはないほどに。
「改めまして、助けてくれてありがとうございます。感謝してもしきれません」
深々と頭を下げ、自分の気持ちがどれほどのものなのかを姿勢で示す。
この気持ちは本物だ。例え、礼など良いと言われたところで、心の中だけに留めさせず行動しなくてはいけない。
リオラは少し照れくさそうにしながらも、感謝の気持ちを受け取ってくれた。
「そういえば、これからよろしくねって言ってたけど……」
階段を降りる際に言っていた言葉について聞いてみる。
「あぁそのことなんだけど」
リオラは手を合わせ、笑顔で話をし始めた。
「この家で一緒に住んでみない?」
「……え?」
思わぬ誘いに、一瞬限りの時が止まった。
なんで……? よく意味が分からない。
僕にとっては嬉しいことだが、リオラにとっては何もない。もし誘うなら立場は逆であるべきだろう。
止まった時は動き出したが、リオラの姿勢は変わらない。
瞳を瞼でパチパチさせて、居住に対する有無を問う。申し出の態度と仕草から、子供の興味本位の関心であると察しがついた。
「リオラ、助けてくれたことにはすごい感謝してるんだ。
けど、それと同時にここに僕は住んではいけない。第一、親御さんが許さないさ」
未来のないすぐ飽きるだろう遊び道具を、子供に諭して買わないような、そんな語りをリオラにする。
僕と同じかそれより下。命の恩人でもある彼女に、こんなことを言うのは忍びない。
彼女はそれでも諦めきれないようで、「ぜひ!」と強く押してきた。
(そうか、リオラはまだ知らないのか……)
王都、すなわちクラスⅠの最高の都市。しかし、家を無くした僕はどこにも属していない。
すなわち基準にすらも当てはまらない存在であり、忌まれる対象となる人物だ。自分の地位に絶対的な価値を置いているものにとって、浮浪者はイヤな存在である。
そして自分が向こうの立場になったとしても、同じような感情を抱くだろう。
リオラは期待の目でこちらを見ている。
きっとリオラは良い人だ。というより、命の恩人である時点で今後何をされても何も思うことはない。
しかしだからこそと言うべきか、短期間の付き合いとは言え僕に対して、マイナスイメージを持って欲しくない。そんな気持ちが先行する。
大躍進のチャンスであることは重々承知しているものの、親密な関係になる前に断ることにした。
「誘いは嬉しいしありがたいんだけど、僕にも家があるからさ。帰らなくちゃいけないんだ」
「じゃあ家に使いを送るから、場所教えてくれればいいよ!」
「……家族と一緒にいたいから、帰りたいんだ」
「家族もここに招待したげる」
「……」
なぜ、そこまでしてこの家に招き入れたいのだろう。王都の位の高さに気づいていないのか、それとも気にしてないだけなのか。
どちらにせよ、見知らぬものを家に入れようとする行為に抵抗がないのは、頂けないだろう。
このままシラを切り続けても埒が開かなそうなので、潔く自分の身分を明かすことにした。
「……実は僕、家がないんだ。さっきのも嘘で、家族はもう誰一人いない。
だから、ここにはいられない。いては……いけないんだ」
目を逸らしながら、恐る恐る口にした。
リオラの動きがピタリと止まるのを確認し、多少なりとも身構える。
沈黙の始まりにより、暖炉の火の散る音が常より激しく聞こえていた。と、何かが視界に飛び込んできた。
反射神経で目を瞑り、飛んできたそれを左手で掴む。
硬い、それでいて細い。この感覚を、僕は前にも経験している。
手をゆっくりと開け中身を確認してみると、
「鍵……?」
「そ、この家の鍵。
ルールはただ一つ、家を出る時は鍵を閉める! 分かった?」
話していた内容を聞いてなかったのかと、そう思うほどに清々しく、僕の話は無視されていた。
もちろん、僕自身はこの家にいたいのだが、それでも納得はいっていない。
「さっきの話、聞いてたよね?」
鍵を渡せたことに満足したのかドアを開け、外に出ようとしているリオラに声をかける。
「聞いてたよ。家もないし家族もいないから、なにも気にしなくて良いって話だよね?
もしそれでも納得できないなら、君の恩返しってことで」
リオラは「君の扱い方が分かったよ」と、意味不明なことを後に加える。
僕が話す内容を失っている間に、手をひらひらさせながら彼女は外へと出かけて行った。
彼女はずっと大人なのかもしれない。気を遣わせてしまったことに申し訳なさを感じながらも、その好意に心のなかで再度感謝を述べるのだった。
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リオラが去ってからどのぐらい経っただろうか。広い場所に一人でいるとどこか落ち着かない上に、時間が過ぎるのを遅く感じる。
炉の火。
照明。
椅子に扉。
どれも一年前に失ったものだ。
全てなくなったと思っていたが、さらにグレードアップして戻ってきた。
あの洞窟の家も居心地は悪くなかったが、それでもこの家の方が断然良い。
「確か、もう一人いるって言ってたな」
恐らくこの家の持ち主だろう。今はここにいないと言っていた。
リオラからは許可をもらえたが、本命はそのもう一人である。説得と言っても何の材料も用意できておらず、出て行けと言われたらそれまでなのだが。
「あれ、これリオラがいないのに出会したら、泥棒に思われるんじゃ」
ふと最悪の想像を構築し、頭を振ってかき消した。
それにしても、外の様子が気になるな。
窓は多少あるものの、どれも小さく景色を見るには不便である。
太陽光の差し込みで、かろうじて昼であると分かるぐらいだ。
また、リオラを信じていない訳ではないが、本当にここが王都なのか確かめてみたい気持ちもある。
家の周辺でも散策してみよう。そう思い立ったら即行動。
探索気分もそのままに、僕は外へ出ることにした。
両開きの扉に力を込めると、静かにそれは動き出す。
< ギギギギギギギ
古家の建て付けの悪い木のように、音を立てながら世界が露出する。
一日ぶりの日光がとても眩しく、目を開けていられない。
しばらく経ち日光に目が慣れ始めると、目の前にはレンガ状の道路が見えた。
「……!!」
馬を遣わした衛兵が砂煙を立てながら前を通り過ぎ、二人一組で衛兵が歩き、建物の前にはところどころ衛兵が配備されていた。
この街の治安に不安を感じ、辺りを見回して見てみる。
やはりリオラの家は大きいみたいで、周りに比べて一つ抜けていた。庭付きの少し大きめの豪邸のような、存在感を放つ家。それが、我が家になる場所だ。
道はレンガで舗装されており、ただしそれぞれはまばらであった。
隙間を大きく開けて敷き詰められ、歩くたびに凹凸を足裏で感じる。
違和感を無視して歩いていると、一つの大きな通りに出た。
先程よりも衛兵は減り、道に沿って多くの家や出店が立ち並んでいる。
ここほど裕福ではないものの、以前住んでいた街と同じ雰囲気を感じる街並みに、懐かしさに辛い思い出が蘇る。
成人にすらなっていなかったため、親がいなくなったことで家の所有権を失い、それこそ逃げるように街を出た。
周りに裕福な人はいなかったが、同情でもらってくれる人もいるにはいただろう。
しかし、引き取ってくれた人が自分の母親と同じ結末を辿るかもしれない。
なぜあのような行動を取ったのか、理由について深く考えることはしなかったし、したくもなかった。
止まってしまうと、考える時間を作ってしまうとダメになる。
だから外で食糧確保のために奔走し、思考する時間を与えなかった。
徐々に目から涙が出てきて、溢れ出す度に思い出し、道の往来で泣きじゃくる。
決壊した涙腺の壁は、止まることを知らなかった。
「お兄さん、随分とお疲れのようですねぇ。良かったらハンカチでも使いなさい」
突然、誰かに話しかけられた。
「う、うぁ……ありがとう……ございます」
ハンカチを受け取りつつも振り返ると、そこには優しい目をしたおばあさんがいた。
不安そうな目でこちらをじっと見つめている。
よく見ると、おばあさんだけでなく道ゆく人々がこちらを見ていた。
周囲を気にせずに泣いていたため、一気に我に帰り顔が熱くなり、いつしか涙は止まっている。
「ようやく泣き止んだみたいだねぇ。事情はわからないけど、頑張りなさいよ!」
「はい、ありがとうございます!!」
この街全体から応援されているような感覚を覚え、段々と勇気が湧いてくる。
リオラにもこの人にも助けてもらった。
情けは人の為ならず。
優しくしてもらった恩は、例え本人でなかったとしても地道に返していくべきだ。
そうだ! この街で人助けをしよう。
些細なことでもちょっとずつ、他の人に優しくしていく。
それだけで世界は変わるはずだ。
どこか見晴らしの良いところにでも行って、探してみよう。
そう思って歩き出そうとすると、腕を引っ張られた。先ほどのおばあさんだ。
「あの、なにか……」
「五十ね」
「……は?」
唐突に数字を言われた。
五十? 特に思い当たる節はない。
「あの、どういう意味ですか?」
「お兄さん、ハンカチ使っただろう? あれが五十。今回激励代はまけといたげるよ」
「……」
どうやらお金を請求されているらしい。
ハンカチのあれは渡してくれたわけじゃないのか?
確かにあげるなんて一言も言ってなかったけど、流石にそんなはずはないと自分の中の人間性が否定する。
そこであることに気が付いた。
(もしかして、こちらを見ていた人たちは……)
なるほど、これは酷い詐欺だ。
衛兵があんなに沢山いた理由も、今なら納得できた。
「でも、お金持っていないですよ」
「お金出さないと帰さないよっていつもは言ってるけど……ふむぅ。
確かにそのボロ雑巾みたいな服着てるんじゃ、持ってないのは本当かもねぇ」
「励みになったことに感謝はしています。
でもお金は一枚も持っていませんし、もうこんなことやめてくださいね」
人生で初めて引っかかった詐欺であり、こんなことが誰かのためになるとも思えない。例外的に自分のためにはなったので、何かしらやってあげたいという気持ちがないわけでもないが、本当に何も持っていないのだ。
お金は持っていないと言ったが、それでもいまだに疑う詐欺師。
僕の周りを回って、本当にないのか確かめる。
その場で跳んで、その場で身体検査を受けたが、やはり何も出てこない。
嘘をついていないと踏んでか、詐欺師は肩を落とした後に、
「こんなことでも、してかなきゃあたしゃ死ぬんだよ。
無駄な時間だったわい。金のねえガキはとっとと失せな」
思っていたよりあっさりしていて諦めが早い。もう少し食い下がるかと思っていたが、一年も同じ服を使い続けた上、ジャイアントベアーの一撃をお見舞いされたこの服では、流石に何も持っていないと思われたらしい。
この詐欺師は善とは真反対の存在だった。
こんなことでもしてかなきゃいけない。その言葉が頭を過ぎるが、それでも詐欺は絶対ダメだ。
僕は、おばあさん基詐欺師の元を後にした。
「ん、あれは……」
少し歩くと簡易的な広場に出た。
侘び寂びを感じさせるその場所には、人がそれなりに集まって楽しい会話で包まれていた。
そこで特に目立ったものは、遠くの方で自身の存在を強調するかのような鐘楼である。
「あそこだったら、この街を一望できそうだ」
広場では子供達が遊んでいたり、軽い出店が開かれていた。
すると、「もういいよ」という声と共に、子供達が一斉に人を探し始める。
これも手助けの一貫だ。そう思い立ったら即行動。
柱に背中をくっつけていた子供の肩を叩き、探していたよと声をかけた。
また、噴水にお金を落としてしまった人がいたので、中に入ってまで取ってあげる。
さらに転んでしまったご老人を、力を込めて立たせてあげた。
と、ざっと鐘楼に行くだけでも、かなりの善行をした気がする。
なぜか皆、不服そうな顔をしていたが、きっと気のせいなのだろう。
そんなこんなをしている内に、鐘楼に到着した。
高さは申し分なく、近くまで来ると天を貫くほどの偉大さを感じさせる。
赤レンガによる構成で、胴体部分は四角く屋根は先が尖る形。屋根と胴体の間には、やはり大きな鐘がある。
この鐘楼が、今後見慣れるようになるのだろうか。
いまだに家がある、帰る場所があるという実感は感じられない。明日には、外で生活を続けているのではないかと思うほどだ。
まだまだ沢山人を助けたい。
やる気の満ちた足を踏み出し、鐘楼を登っていく。
「着いた……。着いたはいいけどこれは」
そこには人が数人入れるかどうか、とにもかくにも想像を絶するほど小さな空間があった。
鐘を鳴らすだけだと考えたら、充分な広さなのだろう。
それでも観光用かはたまた監視用なのか、双眼鏡や望遠鏡などの辺りを眺めるのに役立つ道具が置かれていた。
遠慮なく双眼鏡を手に取って、目に当て景色を眺めみる。
「あそこが王の城か……。それであそこがさっきいた家。こうしてみると、王国オストフォーズは意外と小さいんだな」
今日だけで色々なことが起こりすぎたが、全ての悩みが小さく思えてくる。四つ目の欲求として、自らを小さいと認識することを挙げたいぐらいだ。
今だけは全てのことを忘れ、その眺望に身を委ねていたい。
「城と家との間に、壁? 同じ王都なはずなのに、さらに一つ壁を挟んでいるのか」
上から見なければ分からなかった。
城とリオラの家との間には、城壁ともう一つの壁、計二つの壁が聳え立つ。そのさらに後ろに、王都全体の壁である。
壁の多さに疑問は抱くが一旦王都全体を見れたので、あとは助けを必要とする人を探すのみとなった。
「ん? 周りに人だかり……? あそこで何かあったのか?」
見つけてくれと言わんばかりに、人だかりがそこにはあった。
鐘楼から身を乗り出し双眼鏡をこれでもかと目に近づけ、それを見ようとする。
不穏な雰囲気を感じ取り何かイヤな予感がしたものの、本能の知的欲求には逆らえない。
「……っ!?」
しっかりとその欲求は満たされ、また同時にそれを上回るほどの後悔に襲われる。
自分の中で時が止まり、そんなことがあるはずないという気持ちと共に理解が段々と追いついていく。
「なんで、おばあさんが……」
ーー自分の手に持つ双眼鏡には、あの詐欺師の惨い死体が映っていた。
表現の修正を行いました(2025/04/12)