01話 天からの水
ザァァァァァァ ザァァァァァァ
「……」
ある森の中、一つの人影が雨宿りをするように大樹の上にあった。
葉の間を通り抜けるたび小さな水滴が集結し、やがて大粒の水がその影に落ちる。
その時、女がボソッと呟く。
「いつ……」
その声には焦りや悲しみ、それと同情の三つの感情を含んでいた。
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「ただいまー」
降りしきる雨の中、森の中にある洞窟にその場に似合わぬ一つの声が響き渡る。
「まさか、こんなに降ってくるとは思わなかったなー。いや、酷い目に遭った」
腰紐に並べられている斧やナイフを、金属音を立てながら紐ごと取って慎重に置く。
置かれた凶器の鼻先には、大きな葉と木で作られた簡易的な寝床が作られていた。
くすんだ洞窟に所狭しと飾られる、羽や肉や植物たち。
そんな光景などお構いなしに、ここを住処とするものがいる。
「今日も、一日分の食料の確保が完了しました!!」
彼の名はレイド。優しそうな見た目の少年で、短く切られた黒髪に吊り上がったことのなさそうな目と眉毛。
瞳の色はイエローに輝いており、少年の純粋さを表していた。
ローブ一枚で隠されたその身からは、可もなく不可もない背の高さと華奢な体格が見て取れる。
この少年が洞窟の主として振る舞い始めてから、既に一年ほどが経過していた。
どこまでも続きそうな洞窟の入り口付近を自分好みに開拓し、慣れもあるかもしれないが比較的快適に過ごしている。
「このローブ、明日までには乾かなそうかな……」
雨の中で狩はするもんじゃない。
これが今日得た教訓だ。
この呟きは、誰に向けてる訳でもないため、ただの波として洞窟の奥へ吸い込まれていく。
別に、独り言を言っている訳ではなく、これは作戦なのだ。
帰った時の挨拶。それにまるで何人もいるかのような立ち居振る舞い。
泥棒に入られないよう、誰かいる風に装っている。そういう訳だ。
自分でも、泥棒がここに入るのなら、僕の方が奪えるものが多いと感じている。
今の格好は、ずぶ濡れのローブにボロボロになった上下服のみ。
替えも一切ない。
あるのは数個の武器と、硬い寝床。
それと、普通の人なら口にしなさそうな、獣肉や野草たちだけだった。
「流石に話し相手が道具だけっていうのは、キツすぎるかな……」
先ほどから、一方的に会話の相手になっているのは、お手製の道具だ。
誰かがいる感じ、ではない。
ちゃんと道具と話しているので、決して寂しい奴じゃない。
この生活を始めてから早一年。
それより前に、僕にはちゃんと家があった。
最底辺、クラスⅢの土地に住む、どこにでもある家庭の一つ。
領主の地位によって、その土地に住む人の価値が変わるこの世で、価値に縛られることなく平穏に暮らせていた。
他の家庭と唯一違ったところは、母しかいなかったことだろう。
裕福に過ごせる訳でもない中で、物心がついた時に父は既にいなかった。
そして、物心がついて自分で考えられるようになってきた頃に、母は突如として死んでしまった。
目の前で親の死を確認した時の気持ちを、今でも忘れることはない。が、意思とは関係なくトラウマとして蘇ってくる、ということはほとんどなかった。
なぜなら母が死んですぐ、示し合わせたかのように領主がやってきて、
『家を持ちたいものは沢山いる。借主がいないのなら、今すぐ出て行くように』
感情が追いつかなかった。
この時、子供の頃から当たり前のようにあった家を失った。
生活の急変。
母の死を悲しむ暇など与えられず、家に入れてあげれると言ってきた者もいたが、それらを全て無視してこの森に飛び込んだ。
感情の処理ができなかった。物を考えられるような年齢になってしまったことを、深く後悔した時期だ。
森に入って洞窟を見つけ、一旦の休憩場所として使うようになった。
しかし、段々住み心地が良くなっていき、完全にこの洞窟に住むと決めるまでそう長くはかからなかった。
食事と睡眠。両方をこなすため、武器と寝床を作った。
見通しの立たないこの生活を一体いつまで続けるのか。そう思うようになってから、自分の精神状態の危うさを嫌でも感じるようになる。
そこで、解決策として編み出したのが、道具との会話だった。
昔から今まで、孤高の存在に慣れることはない。
むしろ会話を始めてからというもの、孤独感はより強くなったとも感じる。
「明日は忙しくなるぞ! 念の為、君たちの再調整をしておこうじゃないか」
空元気というのは分かっている。
誰かが僕の今までの苦労を知っていて、心配してくれていないだろうか。
そんな希望を持っていた。
一方的に話をしたあとやることは、無言になるか自問自答。
明日に生命の不安を抱えながらも、やりたいことは漠然としてどうすれば良いのか自分でも分からない始末だった。
< カンッカンッパキッ
石と木を紐で結びつけただけの武器を手に、火花を散らす焚き火にかけてより強さを磨いていく。
明日は忙しくなる。これは、冬の支度をするためだ。
ある一つの木を目印にその葉が全て落ちた時、来るべき冬に向けての準備を行うと決めていた。
そして今日まさにその葉が全てなくなり、いよいよ明日決行することになったのだ。
時折外を覗きながら、暖かさと光を兼ね備えた焚き火の音に身を任せての武器調整。
癒しの焚き火と冷たさの雨。このダブルコンビが、子守唄を歌われているかのように眠気を誘って意識を暗闇に落とそうとする。
それに抗うように頭をコクコクとさせながら、気づけば朝になっていた。
地平線から顔を出す日の光が、目と目の隙間に忍び込み朝を伝えて起こそうとする。
太陽からの思惑にまんまと乗せられて目を開き、意識も徐々に覚醒していった。
焚き火はいつの間にか火が消えて、調整された道具が並ぶ。
「今日中には帰ってこれなさそうかな……」
日を増すごとに寒くなってくる朝に出発への意欲が削がれつつ、生死に関わる問題なので覚悟を決めて外に出る。
腰紐に武器を結びつけながらもう一度手の感触で確認をし、洞窟を出発した。
「行ってきます」
*********************
[グォォォォォォ!!!]
[フェーーギャァァァ!]
「行くところ間違えたかな……」
初めての森に来てみたものの動物なのか鳥なのか、少なくとも簡単に狩られるような獲物はいなさそうだ。
『行ったことのない方向へ』
これが自分のポリシーだ。
見たことのない景色を見る。これは優先順位として、上位に存在しているものである。
どうやらこの森の植生は豊かではないようで、同じ木が立ち並んでいる。
また開発が進んでいるのか、いくつかの場所には舗装されたであろう道が出来ていた。
一部が人工的に作られた森なのだろう。
これは使えるかもしれない。
個人の戦闘力としては、無いに等しいものである。
また戦闘自体も非常に不向きで、最低ランクの魔物にすら一度も勝てた試しはない。
ましてや初めての森なのだ。
土地勘などあるはずもなく、それが余計に不利な条件だった。
なおも恐怖の念が生まれることはなく、新たな出会いへのワクワクと自信に満ち溢れている。
「流石に止まってるのは危ないかな」
しばらく森からの音を聞いた後、走りながらある物を探す。
それは境界線の役割を果たしていて、己だけの絶対不可侵領域の目印。
「あった!」
難なく目標を見つけることに成功し、それらに囲まれた領域へと足を踏み入れる。と、どこからともなく地響きが一帯に響き渡り、段々と近づいてくるのを感じた。
待ってましたとばかりに飛び出してくるのは、大型の獣ジャイアントベアーだ。
最も、こちらからしたら待っていたように思えるが、向こう側からしたら自身の生活を脅かす脅威である。
そう。ナワバリの目印を見つけ、その領域を侵したのだ。
鋭い目は白目を剥き、口には標的を捕らえるのに適した歯が取り付けられている。
全身を覆う白い毛は寒い冬を越すための手段となり、手には鋭利な刃物よりも鋭い爪が生えていた。
生態系の頂点へ上り詰めただけあり、正面から見るととても勝てそうにない。
「ちゃんと付いてきてよ」
勝てそうにない。そのような感情を抱きながらも、付いてくるよう誘導を始める。
誘導先は近くにある整備された道で、開けた場所の方がコレがやりやすいのだ。
追いかけてきた白い獣もここが終着点と気づいてか、飛び付くための準備にかかる。
お互い戦闘直前のインターバルを経て、万全の体勢へと移行を開始。
本来、恐怖を感じるべきヒトが落ち着き、優位性を保っているはずの獣が警戒を緩めず。
僕は手のひらを獣に向けて、獣は飛び付けるように身を屈めて。
空気を読み合わせたかのように、
ーー同時にアクションを開始する。
全速力で接近してくるジャイアントベアー。
それに対し至って冷静に、手のひらを向けたまま高らかに叫ぶ。
「ロシータ!!」
刹那、獣は勢いよく飛びかかってくる。
その巨体はヒトを飲み込むように思われたが、標的の上を軽々と超えてしまう。
勢いづいた体は止まることを知らず、後ろにある木と衝突した。
質量の重い音がなり、辺りには若干の衝撃波が吹き荒れる。
それは地中に伝わり、周囲の地面をいとも容易く持ち上げた。
そのままそばの木を押し倒しつつ、後に残るのは根本が残った木の幹だけ。その光景からいかに勢いが強かったのか、見ているものは察せれる。
「ウガッ……グルルルルル」
「普通ならこれで気絶するんだけど、思ったよりタフだね」
生態系の王者に対し、気の抜けた発言をかます。
ダメージは喰らっていそうだが、致命傷にはなっていない様子。それでも、僕が動揺することはなかった。
ジャイアントベアーは勢いよく立ち上がり、今度は右手の大振りを繰り出そうとする。
攻撃の直前後ろに下がり、またもや回避をしてみせた。
大きく空振った右手の行き先は、他ならぬ獣自身。
外れることを想定していなかったのか、深く爪が食い込んでいき、その場でもだえ苦しみ始めた。
突き刺さった自らの爪に、どうすることもできないといった様子。
出血の量が酷く、息絶えるのも時間の問題だったので、止めを刺すことにした。
「やっぱり魔法はすごいな」
そう呟き、魔法の凄さに感心する。
先ほど叫んだ『ロシータ』とは、何を隠そう魔法である。
魔法には大きく分けて、攻撃魔法とサポート魔法の二種類が存在している。
両親の体質上、生まれつきサポート魔法しか習得できず、しかもこれが何とも厄介なものなのだ。
驚くべきことに、サポート魔法は自分に使うことができない。そのため、現在進行形で孤独である自分にとっては、甚だ無用の長物だったのだ。
しかし、僕はこの弱点を克服した。
今やって見せたのも、その努力の賜物である。
速度を上げるロシータと力を上げるオルザの二つ。この自分が使える材料を見たときに、ふと頭に思い浮かんだのだ。
獲物の力や速度を、逆に上げてやるのはどうだろう、と。
試しに獣の速度を上げてやると、通常よりも体が素早く、自身で対応ができなくなっていた。
それにより自滅や仲間同士での攻撃を誘導し、苦労せずとも狩りを行う。
仲間がいないのにサポート魔法しか会得できない所から、なんとか捻り出した応用技で、なんとも不安定な秘技である。
< ジョキジョキジョキ
< ザクザクザク
小さい獲物を何体か。そう思っていたが、予想以上の大物を仕留められたことで、その手間も省けそうだ。
持ってきた武器で丁寧に肉を切り分けていき、ついでに毛皮も剥いでおく。
両手に肉を抱えて持ち、毛皮は落ちないようにしっかりと背中に結んだ。
当分困らない食料に満足し、落ちていく夕日に背中を向けて、家の方角に体を向ける。
「もう、こんな時間なのか。早く帰らないと」
夜の森の中での移動は、いくらなんでも危険が多い。
この時間であれば完全に暗くなる前に、家に戻ることができそうだ。
一泊覚悟での狩りだっただけに、この成果はとても大きい。
余計な欲は出さずに、家に急いで帰らなければ。
しかしその考えのもと動いたおかげで、周囲への警戒を怠ってしまった。
飛ぶように走り森を抜けようとした時、目の前には奴らがいた。
「……っ!」
「「「グォォォォォォン!!」」」
ジャイアントベアーが群れをなし、森のなかで囲もうとしていたのだ。
八方塞がり、半ば七方塞がりといったところだろうか。
木の何倍もの大きさの獣が、目の前に立ちはだかり帰りどころか生存すらも危うくなる。
生存本能に駆られた僕は、その場に立ち尽くすことなどせずにとにかく必死に逃げ続ける。
「こんなにいることなんて……っ! もしかして一体倒したら、仲間を呼ぶみたいなものがあるのか!?」
今はそんなことを考えていても仕方がない。が、考えずにはいられない。
即座に荷物を全て捨て、逃げることに全力を注いだ判断は決して遅くなかったはずだがーー
< ガッ…ガガガガガガガ
判断の早さに申し分はなかったが、身体能力の方に難があり。
気づいた時には、得意の大ぶりをお見舞いされていた。
「うぐぅ!!」
引きずるようにして引き裂かれ、あまりの痛さに思わず声が漏れてしまう。
毛皮を背中に結んでいたため、間一髪で致命傷は逃れたが、それでも重症なのには間違いなかった。
僕の必死さなど露知らず、手の長さだけで勝負をしてくる理不尽さ。
昼間は楽に見えたジャイアントベアーも、今では立場が逆転していた。
今からでも魔法を使ってみるのはどうか。そう思ったが、自分の今の状態では避けるに避けれなさそうだった。
もし使うなら、最初に見つけた時である。
出会った途端に、戦うよりも逃げることを優先に考えてしまった。
その判断が今まさに、自分の足枷になっている。
「グァァァァァァ!」
「ぁ゛ぁっ!!」
咆哮とともに、今度こそ爪が背中を抉り取った。
痛い、痛い、痛い。
その場に立つことはままならず、ゆっくりと体が傾いて行く。
死ぬ……
冷えていく体の中で、諦め感情が湧いてくる。
「うぐっ……はぁ、はぁ」
動けないのを分かってか、じりじりと近づいてくる獣たち。
僕を殺したところで、一体何になるというのだろうか。
『最後までは諦めない』
これも僕のポリシーだが、痛さが、死への恐怖が、自分に諦めて受け入れるよう囁いてくる。
「……死な……ない……っ!」
死以外の結果は想像できない。
それでも、諦めたらもう活路はない。
群れは、充分な距離まできたところで身をかがめ、一気に仕留めようとする。
心は諦めていない。
しかし身体は反射的に目を瞑り、死への諦めを表した。
「「「グァァァァァ!!」」」
瞑る目に力が入りーー
< ボッボッボッ
< シュバッ
< シュウィン
数瞬の間に、聞き慣れない音がいくつか続く。
物音も何も聞こえない。
僕は死んでしまったのか……?
耐えきれないほどの沈黙の間に、脳で考えるより先に目が開く。と目の前には、自分を守るように立つ、人の姿があった。
ーーそれは、手を血に染め堂々と立つ少女であった。
表現の修正を行いました(2025/4/10)