11/26 フロントライン
あれ?ここも繋がってる?
これってもしかして………そんなことを考えては、ないないと否定する。
そんな毎日。
今日は筋トレをします。
楽しみです。
筋トレをしてきました。
最高です。
人生において大事なことってなんでしょうね。
仲間。
仲間が賢者か愚者を見分ける賢さか。
賢さを手に入れるための習慣か。
習慣を形成するためのマインドか。
そのマインドを授けてくれる仲間か。
その一切合切は繋がっているんですよね。
ああ、もっとこうなりたい。ああなりたい。と思っても、他の人からしてみれば、あなたは十分にその素質を持っている。と言われたりするもんです。
私は思います。
可能性の扉を叩かなければ、その可能性は潜在能力は閉ざされたままだと。
だから、今日もこうして、可能性の扉の前に立っては、誰かが開けてくれるまで、待つんです。
え、それでいいんですか?
待ってる場合じゃなくないですか?
叩いても誰も開けてくれません。
触るべきはドアノブですよね?
こじ開けていかなければ、開きませんよね?
敷かれたレールの上を突き進んでいくだけでは、列車も同然。
私達は、偉大なる人類だ。
人類としての誇りを捨ててはならない。
ホモ・サピエンスとしての本能を今解き放て。
己を制して、初めて一人前になる。
私達は、知らない。
私達が私達であることを。
知っているのは、無知さゆえの過ちから生まれた情報の渦か。
気がつけば、目の前にあるスマホの画面。
毎日見ても、そこからお金は出てこない。
得られるのは、情報だけ。
情報過多社会で生きる私達が、本当に学ぶべきことは、スマホの中ではなく、先人達が残していった紙という媒体の中に潜んでいる。
1枚1枚捲っていくと、宝が現れる。
眠っていた宝が私達の血肉となり、私達を形成する。
私達は、今まで学んだ知恵や知識、経験から育ち、学び、生きている。
時に、それは、劇薬となり、私達に牙を剥くことだってあるが、劇薬であるが故に、思わぬ効果を発揮することだってある。
これだから、人生は面白い。
私の見据える坩堝は、脳内なのか。はたまた、宇宙か。
無限のように思える程、果てしなく地平線のように広がっている。
だけれど、進んでも、進んでも、終わりが見えない。
私が知っているのは、私の事だけ。
他人を知った気になっていた。
何もわかっちゃいないのに。
そうやって、また、傷つける。
ごめんと言った時には、もう遅くて、雫が零れる。
時を戻したいなと思っても、デロリアンもスタンドもないから、虚しく1人泣いて、ああ、あの一輪の花のようになりたい。
と、思った。
以上の文章はジャーナルです。ご了承ください。