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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

グラス・ショット

作者: 谷樹里

 ミツキ・ユーィは空に輝く人間の光球に、意識を接触させていた。

 人は約百年前、とっくに身体から精神を引き離して、情報の光球となって、空の上に星空のように瞬いていた。

 光球からは時折、細胞の軸索のようなものが伸び、または反重力場で閉鎖させれて、他光球と接触や閉鎖をしていり。ロータ・システムと呼ばれる、人類の新天地だった。

 ミツキが地上から軸線を伸ばして光球となり尋ねたのは、すさまじい反重力場を持つ光球の一つだ。

 相手は確定してある。

 ホロミー・イェーズ。二十年前にサイロイドの身体を乗っ取っては、地上に時折降りてきて、住民を殺害していった、連続殺人鬼だった。

 反重力場に即興で作った鍵を使って小さな穴をあけ、細い軸索を差し入れる。

 ホロミーは、眠っているはずだった。

 いや、情報体に睡眠というものはないが、活動を休ませているのはたしかだ。

 昇る前、デッキで活動反応を確認していたのだ。

ミツキが用があるのは、ホロミーの殺人の技術である。

 人間は、サイロイドを作った。

 それはクローンとアンドロイドを融合させた、新人類と言っていい。彼らはサイロイドに地上をゆだね、自らは空に昇った。

 サイロイドの活動は、ほぼ人間の情報に吸収されてゆく。

 代わりに、契約というものがあった。

 とある人間と契約をして、技術の一つを付与してもらうのだ。

 例えば、料理の過程を飛び越して、完成させる能力。例えば、移動を歩かなくても、一瞬で、目的地に到達する能力。

 だが、それを行使するには、グラス・ショットというナノ・ドラッグが必要だった。

 いま、グラス・ショットはサイロイド協会が民間に許可性で配っているため、供給に問題はない。

 契約外から能力を盗むのは、ハッカー系サイロイドがよくやる違法手段だった。

 ミツキもそれをしようというのだ。

 慎重に輝く光球の陰から伸ばした軸索で、ホロミーの情報体に侵入することに成功した。

 しかし、途端に軽く切断されてしまった。

 反重力の壁が急に取り払われ、光球が一つ、彼女の目の前に一瞬で近寄ってきた。

「おやおや、だれかと思ったら、ミツキじゃないかね。しばらく見ないうちに、ずいぶんと下品なことをするようになったものだ」

 予想に反して、ホロミーは上機嫌そうだった。それとも警戒心を浮かべさせないように、演じているのか。

「……いや、あんたにようがあったんだけど、寝ているようだったから」

 ミツキはとっさに嘘を吐いた。

「ほう。そうか。それならそれでいいんだがな。私に何か用かね? 君は私といくつか契約している。実際、私のお気に入りだ。用があるなら、遠慮なくいってくれ給えよ」

 ホロミーが、両手を差し出すような気配を送ってくる。

「あんた、ドロップスにマークされてるんでしょ?」

 ドロップスとは、人間の犯罪者を取り締まる、情報体達の治安維持組織だった。

 彼らに捕まれば、最悪、情報解体されて存在を消されることもある。

 ホロミーなど、塵の一片も残さずに消去されるだろう。

 公式犯罪歴五十犯以上、内、確定しているのが、二十九件。すべて殺人だ。十分過ぎるほどに、消去の条件にかなって、捜査対象になっている。

「少し話すことぐらいなんてことないさ。少しな」

「じゃあ、端的に話すわ。新たな契約が欲しい」

「いいだろう。もう一度言うがおまえは俺のお気に入りだ。精々、地上で暴れるんだな。で、何が欲しい?」

 ホロミーが訊くと、ミツキはやや遠慮気味に、一言呟いた。

「以前使ったことのあるナイフ……」

「いいぜ。その代わり、これは昔に芸術家ごっこしてた時の物だから、それもついでに付いてくるけどな」

「芸術?」

 ホロミーはほくそ笑み、頷いた。

「まぁ、構わない」

 ミツキが首を縦に振ると、ホロミーは、あっけないほど簡単に承諾し、光の玉からの軸索がミツキの光球に光の粒を送り込ませた。

「さて、閉じるぞ。まあ、たまに話に来な。おまえなら、いつでも歓迎だ」

 ミツキは手に入れた能力の”おまけ”に機嫌が悪くなったが、逆にホロミーは上機嫌だった。

「……ありがとう。恩に着るわ」

 一応、言葉だけで礼をいうと、ミツキはロータ・システムから精神を離脱させた。

 ミツキはサイロイドの十七歳。

 すらりとした身体は華奢で小柄。まだ、幼さの残る容姿に、普段着のオーバーオールスカートを着てニーハイ、タンクトップ姿だった。髪は顎のところまで伸ばし、両サイドを途中で結んでいる。

 ネットワーク・ターミナルと呼ばれる駅と兼用のネットワーク接続の店で、ミツキは我に返った。

 チョークバックの中の小瓶を感触で確かめて、彼女は街をぶらつく様に歩いていく。

 イロイはすでに相手を見つけて監視しているようで、携帯通信機に連絡が何本か入っている。

 今度の仕事は多少厄介だった。

 何しろ相手も、同じ契約者だからである。

 どんな能力を持っているかわからない上に、正面対決などでは契約者同士だと相打ちになりかねない。

 そのためにイロイ・メイがいるのだが。

 彼の通信からだと、目的の人物であるイーリハル・ラリーズは昼間から横町の繁華街にある喫茶店で、のんびりとマスターと一服中らしい。

 喫茶店は細く入り組んだ路地を行った奥にあり、知る人ぞ知るという隠れ家的な店のようだった。

 ミツキは携帯通信機での文字入力で、イーリハルの監視からアービーン・ビルの方を処理するように伝えた。

 短く、了解の返事が来たので、ミツキは喫茶店の近くまで行った。ロスジェネックという。

 店の前まで来ると、確かに客が一人だけでカウンターにショット・グラスが散らされたまま、マスターとゆったり話合っているのが窓から覗けた。

 チョーク・バックから、ナノドラックのカプセルを取り出して口に含む。

 奥歯でカリッと音を立て砕き、中身を飲み込む。

 ミツキの身体は、付与された能力に震える。

 


 イロイ・メイは十六歳の少年だった。柔らかそうな黒髪がやや長く、切れ長の目と黄色い瞳をしている。服はだぼだぼのパーカーにスエットのズボン、スニーカーで、黒一色だ。

 小柄で華奢。鋭い目をしていなければ、貧民窟で暮らしている彼など、一発で舐められるだろう。

 左手に、刀の入った袋を持ち、ポトリー・コーポレーションと言いう会社のあるアーバン・ビルに向かう。

 ポトリー・コーポレーションは、近年のサイロイド達の健康グッズを開発販売する会社で、急速にその売り上げを伸ばしていた。

 三階建てのビル内では、社員たちがまだ勤務中である。

 いかにも普通の会社らしきものだが、裏ではグラス・ショットを卸している、マフィアのフロントだった。だが、社長のロメィ・リードは最近、本家に上納する金額をごまかし、独自に成長を図りながら独立を狙っているという。

 噂を本家筋の者が帳簿を見て確認すると、本当の話だと分かり今回の依頼となったのだった。

 この街はほぼマフィアが牛耳っており、警察局もおいそれと手を出せない。

 マフィア間は複雑に利害を分け合って、共存しており、そこを破る勢力は遠慮なく潰されていた。

 だが、ロメィ・リードはフーリア・ファミリーの次期ボスとみられているために、ファミリー自ら潰すとなると、ボスのメンツや下の混乱が起こるため、ミツキの事務所に話が回ってきたのだった。

 イロイはアーチ形をした石造りのエントランス正面から、ビルに入っていく。

 中は綺麗な空気と広々とした空間で、少年は胸のあたりにぶつかる受付の台の前に立った。

「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」

 受付嬢は、二十代の美人が二人、横に並び一人がイロイに声をかけた。

「フリァリーさんから」  

 彼は短くそれだけを言った。

「かしこまりました。少々お待ちください。その前に、お名前を」 

 受付嬢はきちんとと教育されていて、表面顔色も変えずに尋ねてきた。

「会えばわかると」

 イロイも表情を変えず、また短い言葉で応じる。

「失礼しました」  

 受付嬢はそれ以上追及せずに、ポータブルパットを置いて、ヘッドセットで内線に繋いだ。

 二三、問答らしきものがあり、ちらりと一瞬、彼女がイロイに視線をくれる。

 会話が終わった受付嬢は、ニッコリと笑顔になった。

「どうぞ、社長室へ」

 イロイは返事もしないで、そのままエレベーターのところまで絨毯敷きの床を歩いて行った。

 三階のボタンを押して、一気に昇ると廊下に出る。窓からは昼の日差しが強く差し込んでいた。

 絨毯敷は変わらない廊下を、足音も鳴らさずにそのまま歩く。

 途中で出会うサイロイドはいなかった。

 ステンレス製のドアの上に社長室とプレートが出ている。

 イロイは一応、ノックした。

 入れというなかからの声に、少年は返事もせずにノブを回す。

 社長室は、ビルのフロアを半分ほども使った広い空間だった。

 様々な調度品があり、執務机の前にソファが二つ、テーブルをはさんでおかれていた。   机には、まだ二十代後半の背広を着た青年が座っていた。

 短めの髪に細い髭を生やし、いかにも筋者の雰囲気を放っていた。

 イロイの予想と違ったのは、傍に女性秘書らしき人物が立っていたことだった。

「お前が親父からのか。一体どうしたってんだ?」

 ロメィはタバコを口に咥えて、火もつけずにニヤリと笑った。

 秘書の存在は意外だったが、イロイに問題はなかった。

 黙って袋の入口の紐を解き、柄部分を露出させて右手で握る。

 何かを噛む音が聞こえた。

 グラス・ショットだ。それもロメィではなく、秘書の口の中から聞こえてきた。

 躊躇せずにイロイは一気にテーブルに足をかけて跳んだ。

 執務机に片足を載せた時には勢いは消えておらず、そのまま抜刀してロメィの首を横薙ぎにした。

「なっ!?」

 声を上げたのは、秘書だった。

 ロメィはあっけなく首を飛ばされて、椅子に体をもたれさせた。

 イロイはそのまま、秘書を間合にいれた。

 彼女は慌ててポケットから拳銃を出そうとした。

 しかし、そんな間もなく拳銃は、叩き落され、刀の裏で首を打ち付けて、彼女を気絶させた。

 グラス・ショットは、同じくグラス・ショットを飲んでいる者にしか能力を発揮できない。

 イロイはナノドラックは使っていない。

 秘書が何をしようとしたのかはわからないが、イロイにはどうでもいい事だ。

 一仕事を終えて再び刀を鞘に納めると、袋の紐を縛った彼は何事もなかったかのように、ビルを降りた。

 


「こりゃあ、なんだよ……」

 警察局の鑑識が喫茶店に入ると、皆、絶句した。

 体のあらゆる筋や内臓が、店内をクリスマスの飾りのようにぶら下げられていた。

「……覚えがあるぜ」

 言ったのは、彼らの作業が終わるのを、ドア口から覗いてみていたトリィーユ・リバー警部補だった。

 小汚いTシャツに、クラッシュデニムを穿いていた。靴は下ろしものの軍靴である。

 二十九歳。髪は金髪に染めて、大き目のチョークバッグを腰に垂らしていた。

 鑑識は慣れたもので、早速作業を始めた。

「報告は、後でくれ」

 トリィーユは近くのレストランに入り、パットを出して局内のデータベースにある事件のファイルを探した。

 頼んだのは、珈琲だけだ。

 三十分もいらなかった。

 ホロミー・イェーズ。彼らの手の届かない、天上でさらに身を隠している連続殺人鬼。

 これは、九年前に行った殺人と同じ手口だった。

 ということは、ホロミーが再び降りてきたのだろうか? 

 答えは否だ。

 だが、上は違う見解をするだろう。そして、相手が人間となると手を出すわけにはいかずに捜査は打ち切りになる。

 サイロイドは、未だに人間の支配・管理下にあるのだ。

 だが、これは明らかに誰かが、グラス・ショットの能力を使ったあとだ。

 ホロミーは同じ”遊び”を繰り返すタイプではなかった。

 いつも新しい手口で、殺人を行い世の中を震撼させてきたのだ。

 では、契約者がいるとみて、確実だろう。

 殺人鬼と契約を結べる相手。そこらに転がっているような者の訳がない。

 それよりも、事件の背景を探った方が、犯人に近道でたどり着けると思った。

 彼はまだ温かい珈琲を、そのままに現場に戻った。

 鑑識作業は続けられている。

「どこまでわかった?」

 彼は報告を待たずに鑑識部長を捕まえて尋ねた。

「あー、被害者は二人。一人は遺伝子ですぐに分かった。イーリハル・ラリーズ。フーリア・ファミリーの用心棒の一人だ。もう一人は、多分店の人間だろう」

「イーリハル・ファミリー?」

 そういわれて、トリィーユはあらゆる記憶を掘り起こした。

 動機がありすぎる。どこの誰にでも。

 とにかく、ファミリーのボスに直接聴取するのは、仕事のうちに入りそうだった。

 打ち切りになったとして、自分に何ができるだろうか。

 トリィーユは考えて憂鬱になった。

 何もできない。また、昼から酒を飲む生活に戻るだけだろう。

 彼は一杯やりたくなってきた。

「ホロミーとグラス・ショットに乾杯だ」

 チョークバックから、スキットルを出して一気に中のウォッカを煽った。

 警察はグラス・ショットと人間の前には無力なのだ。



 ミツキはイロイとともに、街の郊外ぎりぎりにあるコンクリート打ちの建物のなかにいた。

 一室が畳敷きになっており、二人は三つ用意された座布団の二つに座っている。

 やがて、壮年の男が襖を開き、後ろの若い二人をその場に立たせて中に入ってきた。

「どうやら、うまくやってくれたようだな、二人とも」

 座るとラージフォル・イリーハルは二人に微笑みを浮かべた。

「ロメィ・リードと、その片腕のファース・アプターは始末したよ、おじさん」

 ミツキは、緊張感のない態度で報告した。

 ラージフォルは、大きく頷いた。

「わしらも確認した。さすがの手際だな、二人とも」

「でも心配なのは、警察なんだけどね……」

「それは、こちらで被る。おまえたちはよくやってくれた」

 そして、羽織から札束を出して、二人の前に押しやった。

「報酬と、小遣いだ。あ、そうか。ミツキにはこれもだな」

 言って、グラス・ショットが目いっぱい入ったプラスチックの小さなボトルを取り出す。

「余計なこと言っていい、おじさん」

 ミツキは札束とボトルをチョークバックに入れながら訊いた。

「なんだ? なにか心配事でもあるのか?」

 ラージフォルの態度に変化はない。

「警察が本気出した時のことが、正直不安なんだけど」

「本気? どんなだ?」

「グラス・ショットを使った警察部隊とかさ。そんなの出来たら、あそこ犯罪データの巣窟じゃない? あたしらなんて、一瞬で吹っ飛ばされて終わるよ」

 少女の不安に、ラージフォルはフムと頷いた。

「……さすが最近の若いのは違うな」

 慈愛の目で、ミツキを眺める。

「それはそれで、どうにか手を打つ方法を考えておこう。安心していなさい」

「……うん」

 ミツキは満足いっていないような様子だったが、一応頷いて話を終わらせた。



 ミツキとイロイは、事務所兼自宅のところまで、イリーハル・ファミリーの車で送ってもらってきた。

 ファミリーの建物があった郊外などという場所ではなく、貧民窟との境目にある、貧困層が住む区画である。       

 一階にガレージがあり、二階が事務所、三階が住居となっている三階建て。といえば立派だが、外見からして、すでに廃墟にも見えるほどに汚れて崩れかけているボロビルだった。

 そこに高級車が止まったのだから、目立つ。

 だが時折、イリーハルのところから依頼でその手の乗り物が近くに止まるため、周りは慣れていた。

 曰く、あのビルの人間には関わるな。

 おかげで、二人は騒ぎたい放題だが、新規の依頼人がなかなか来ないのが悩みの種だった。

「さあ、明日から思い切り遊ぼうぜーっ!」

 ミツキがリビングに戻ると元気よく叫んだ。

 その前を無言でイロイは通り抜けた。

 彼はお気に入りの窓の近くにある座布団に座り、刀を肩にかけて俯いた。

「暗れーな、おい。今度の収入で高級プール行って泳いで来るぞ。イロイも用意しとけよ?」

 ミツキは上機嫌で、冷蔵庫から疑似ビール缶を取り、ソファに跳び乗った。

「……プール?」

 思わずといった様子で、彼は顔を上げてミツキを見た。

「なんだよ? さては、あたしの水着姿が見れると期待したな?」

 流し目を送り、不遜な笑みを浮かべた。

 イロイは、ゆっくりと、タンクトップとオーバーオールスカートにニーハイ姿の少女を上から下まで見てから、ため息を吐いた。  

「まな板の幼児体形が何言っている。ただ、プールは……」

「誰が、まな板じゃコラァ! こうなりゃ、無理やりにでも連れて行くからな。覚悟しておけ!」

 一瞬、諦めの表情を浮かべ、イロイはまた俯いた。

 缶のプルを引いて、ミツキは疑似ビールを一気に半分ほど飲み干す。

「うめぇ!」

 ミツキは、歓喜するように大きく息を吐き出した。

 ソファの上から、テレビをつける。

 ニュースでは、丁度、喫茶店での殺人事件を大々的に報じていた。

 興味深げに見ていた彼女は、人工素粒子で空中に映し出される浮遊ディスプレイを開き、各社の新聞をチェックする。

 夕刊全てに触れられているが、まだ、満足な情報は乗っていなかった。

 次に、犯罪専門チャンネルにディスプレイをアクセスさせる。

 今回の事件の件で、未だに残っているチャットスレが、大賑わいだった。

 ミツキは胡坐をかきながら、疑似ビール片手に、流し読みしていったが、ふと、目が留まった。

  

  1052:確実に、ホロミー・イェーズの犯行だな。 

  1053:降りてきたっていうの? もう彼は追い詰められていて動けないって噂だよ?  

  1054:少なくとも、奴の能力を持った奴がいることは確かで、その殺人鬼が動き出したということ。

  1055:気をつけろ。奴は標的を選ぶタイプの殺人鬼じゃない。殺しを楽しむ本当のサイコパスだ。  

  1056:今迄の犯行のファイルを張っておく。************      1057:それよりも、今日別の事件があって、そっちが薄まった感のあるのみんな気付いた?  

  1058:あー、ハラル地区で起こった事件か。

1059:あっちも、ヤバイ。それも、ホロミーの犯行に似ている。警察は何してるんだろうな。

  1060:サイロイドの警察が動かないとなると、犯人が人間の可能性があるよね。

  

 ミツキは残りの疑似ビールを飲み干し、すぐにハラル地区での事件をディスプレイで調べ出す。

 それは高校生が一人、バラバラ死体で見つかったという記事だった。

 犠牲者は、まだ高校二年生のリズリー・ミートン、十六歳。

 だが、話はそれだけで終わるものではなかった。

 当然、警察も捜査を開始しているが、ハラル地区を根城にするマフィアは地域保護の役割としてのメンツを潰され、こちらも躍起になって犯人を捜しているという。

 ミツキは、ニュースになっていない事件の、ホロミーの手口に似た犯行というものに引っ掛かりを覚えた。

 なにしろ、彼女が使った”ナイフ”は確かに、ファース・アプターを葬ったが、もう一人の犠牲者など出していないからだ。

 おかしい。

 彼の契約者は、自分一人のはずだった。

 ホロミーが考えを変えたのだろうか。いや、それならそうと、ほのめかして嗤うのが彼の性格だ。

 ミツキは、ハラル地区で起こった事件というものを、詳しく調べることにした。

 ウィンドウを二つ新たに開いて、ネットニュースや、自称殺人専門ジャーナリストなどのブログに跳ぶ。

 それによると、死体にはあるべきパーツが数個見つからなかったという。

 連続殺人鬼が好むトロフィーというものか。

 リズリー・ミートンの死体が発見されたのは、事務所から三十キロほど離れた捨てられた小屋の中だった。

 彼女がここで何をして、どうして事件に巻き込まれたのか。

 だが、ミツキの興味はここで終わった。

 そろそろ、夜も更けてきた頃だ。浮遊ウィンドウを閉じる。

 イロイの姿はすでになかった。

 自室に戻ったのだろう。

 一気に疲れが来たミツキは、微妙な気分になった酔いのまま、部屋のベットまで歩いて行った。

 


 リズリーは何故自分がここに来たのかわからなかった。

 だが、確かにこの空間は、人間のロータ・システムの中だった。

 光球がそれぞれに軸索で絡まりあい、眼下にサイロイドの街並みがみえる。

 リズリー・ミートンは、地上での生活を奪われたことに気付いた。

 彼女は普通に高校に通い、将来を夢見ていた少女の一人だった。

 昔から絵を描くのが好きで、美系の学校に進学すると、アート・デザインの世界に入ろうと心に決めていた。

 ところが、突然、その夢も否定された空間に彼女はいる。

 絶望が、彼女を襲った。

 もともと明るい方ではなく口数も少なかったが、さらに悲しみがリズリーを絶望のどん底に落とした。

 理由は覚えている。

 スクール・カーストの底辺にいる彼女は、毎日の学校に飽き飽きし、時折さぼっては誰も来ない小屋にこもって絵の練習をしていた。

 人通りも少なく、林に囲まれた小屋は絶好の隠れ場だった。

 正確に言えば、小屋はリズリーの親戚の所有地だった。

 誰かが来るような場所でもない。

 リズリーの絵は、以前まで人に見せていたが、ある時に「君の絵は不吉だ」と美術の教師に言われて以来、人の目にさらしたことはない。

 確かに不気味といえば不気味かもしれない。

 教師が見たのは、イメージでロータ・システム内を人間社会として表現したものだった。

 描かれていたのは暗く、退廃的なデストピアだったかもしれない。

 多感な少女は、否定的な見解を示されて、自分を閉じた。それから、様々な残忍な絵を描く様になった。

 まるで、自分の中から毒を抜いていくように、次々と作品を仕上げていく。

 ある日、数冊あるスケッチ・ブックのうち、一冊を小屋に忘れて置いてきてしまった。

 どうせ誰も来ない。

 そう思ってスーパーに寄り、スナック菓子とジュースを買うと、今日も学校をサボることにした。

 木々の鬱蒼と生えたあぜ道を制服で通りつつ、二日後に訪れると目的のスケッチ・ブックを広い、パラパラめくると、彼女は一瞬呆然とした。

 数枚が抜き取られている。

 人体を解剖させて、様々なデザインにしたものばかリを。

 この小屋に誰かが来たこと自体に、彼女はうすら寒い感覚に陥った。

「待ってたよ。君、才能あるねぇ」

 小屋の奥のソファに、男が座っていた。

 スエットの上下にコートを羽織り、帽子をかぶっている。

 暗いために容姿はわからなかったが、やや長身で、顎鬚を生やした男だということはわかった。

「君はサイロイドにしておくにはもったいない」

 男は立ち上がりながら、ポケットに手を入れた。

 リズリーは突然、見ず知らずの男に馴れ馴れしく声を掛けられて、恐怖で一歩後ずさった。

 そのまま振り返って、一気に走って逃げよウとしたとき、身体がピクリとも動かなかなくなる。

 恐怖心が一気に吹き上がって、彼女は震えて泣こうとした。

「グラス・ショットをやってね。まぁ、地上の人間なら当たり前だけども」

 ナノドラックは、サイロイドの健康維持薬としても、微量に出回っている。

 契約者が使う量は、その数十倍の量だが。

 リズリーは、普通にグラス・ショットを少しずつ、毎日摂取していたのだった。

 それから、記憶がない。

 男に何をされたのか、リズリーはロータ・システムにいる。

 彼女は地上に戻ろうと、サイロイド協会に接触を図った。

 協会は警察局を抜かせば、唯一マフィア組織からの支配を受けていない団体だ。

 ロータ・システムにも接触できる技術を持ち、困惑にさいなまれたサイロイドたちの最後の駆け込み寺となっている。

「サイロイド協会でしょうか?」

 軸索を伸ばすと、接触スポットで彼女は連絡を入れた。

『はい、こちらサイロイド協会でございます。今回はどうなされました?』

 女性オペレーターの落ち着いた声が返ってくる。

「何をしているのかな?」 

 リズリーが最初の方から話そうとしたとき、直接、声が聞こえた。  

 光球が接触してきたのだ。

 すぐに、小屋での男とわかる。

 協会との連絡が絶たれる。

 リズリーは緊張した。恐怖に襲われるが、逃げ出す方法がわからない。

 ロータ・システムに押し込まれた、サイロイドの身としては、何をどうすればいいのかも、わからなかった。

「どうだい? ここは気に入ったなかぁ?」

 光球はあたりを見回す気配を見せた。

「……あたしをどうする気?」

 リズリーは何とか声をだした。いや、意思を疎通させた。

「なんてことない。君と契約したいんだよ」

 男は優しげな雰囲気で、敵意は全くなかった。

「契約? グラス・ショットを使うサイロイドみたいに?」

「そうだよ」

「どうすればいいのか、わからないわ」

「簡単だ。何なら、こちらから一方的にしてもいい」

 リズリーは困惑した。

「契約したら、わたし元の地上に帰れるの?」

「契約は契約のみだなぁ」

 男は呑気ともとれる言い方で、話をそらした。

「ただ、意思は伝わるんじゃないかな?」

 嗤っている様子がわかる。

「……わかったわ。あなた名前は?」

 迷いに迷い、リズリーはある決心をした。

「フォロイ・ヒルデガン」

 リズリーは男が名乗ると、頷いた。

「貴方に任せるわ、フォロイさん」      

 細い軸索が伸びて、リズリーに接触する。

「よろしく、リズリー・ミートン」

 フォロイが消えると、リズリーは再びサイロイド協会に連絡を入れる。

『あら貴女、さっきの方ね?』

 オペレーターはリズリーを覚えていた。

「はい、名前はリズリー・ミートンです」   

 それから、彼女はことの顛末を話した。

『サイロイドの貴女が、ロータ・システムにいるですって?』

 驚きと懐疑の声が返ってくる。

「お願い、信じて! 自分でも何が何だかわからないの!」

 必死に訴えるリズリーに、オペレーターは他の誰かと話している様子だ。

『リズリーと言ったわね。確かに、そういう名前の事件被害者はでてるわ。でも、彼女をつかってからかおうなんて良い考えじゃないわね』

「まって!」

『くだらない遊びに付き合っているほど、こちらは暇じゃないの』

 通信は無情に切られた。

 リズリーは、呆然となった。

 彼女は助かりたかった。

 是が非でも。

    

 

「打ち切り……な?」

 捜査に対してその命令を受けた、トリューユは上への失望だった。

 リロンゾ・ファミリーから圧力でもかかったのだろう。   

 だとすれば、また血が流れる。今度は別の街で。

 警察に圧をかけたということは、リロンゾ・ファミリーはある程度、事件の目星はついているのだろう。

 調査中だったが、犯行が人間の殺人鬼、ホロミー・イェーズと同じものだと掴んだ。

 ホロミーは他の普通の連続殺人鬼と違い、同じ手口を繰り返すタイプではない。

 確実にグラス・ショットを使った犯行だと、トリューユは思っていた。

 彼らサイロイドには、人間の犯行を止める方法はない。

 だが、相手がグラス・ショットを使ったサイロイドであれば、話は別だ。

 なによりも、ホロミーの犯行を再現できるレベルの契約者となれば、野放しにしておく訳にはいかない。

 トリューユには、命令に従って全てをマフィア組織に任せ、安楽に今まで通りに無言の警察勤務を行う選択枝があった。

 だが彼には、まるでそのつもりはない。

 二十九歳。ノンキャリアで警部補まで上った実力は、伊達ではなかった。

 周りは事件に対して、念似も似たものを感じていた。

 たびたび命令を無視してでも事件を解決に導き、今の地位と「現場の鬼」の異名を手に入れた。

「あー、俺はこれから有給使って長期休暇とるわ」

 連絡してきた部下のキャリアに、唐突な宣告をする。

「あと、今後いろいろと、報告するから、みんなおまえの手柄にしていいぞ」

『ちょ、ちょっと待ってくださいよ! また無茶するんじゃないでしょうね!?』

 部下に言って、返事もせずに通信を切る。

 リロンゾ・ファミリーは必ず動く。

 追っていけば、少なくとも事件の全容は手に入るだろう。

 彼は車で街を移動し、歓楽街の一つの近くに駐めた。

 時間はまだ昼間の二時で、人影はほとんどない。

 だが、この時間でもこういうところで営業している連中もいる。

 ドラックの売人だ。

 トリューユは、閉店中の店のドアを二三度、叩いた。

「何でしょう……あ、トリューユさん……」

 出てきたのは、少女だった。

 普通に中の上級クラスの円満な家庭で育ったと言われても、信用してもらえそうな小綺麗な容貌をしている。空色のフリルの付いたワンピースの上から黒いパーカーを着て、わざと額を見せた短い前髪に、三つ編みをして、大きめの眼鏡をかけている。

「よう、ラクサ。儲かってるか?」

「いやぁ、それほどでもないですね」

 少女は即答する。

「そんなに繁盛してるのか。そろそろ、太ってきた頃かな?」

 トリューユの皮肉な笑みに、ラクサ・フルットは一瞬、苦い顔をした。

「あの、いつもですけどね、この職をくれたのトリューユさんですからね? ちゃんとわかってます?」

 ラクサは十五歳。元スラムの住民で、ナノ・ドラック中毒と言っていい程の契約者だった。

 売春組織に売り飛ばされようとしたところを、逆襲して皆殺しにした過去を持つ。

 彼女のようなサイロイドは、刑務所で一生を終えるしか、社会的に処理する方法がない。

 だがトリューユは、合法のグラス・ショットを非合法に契約者に売るという、”誤認”する職に付けた。

 契約者が一人減って、約数十人に増えた訳だが、全ては管理下にあるようなものだった。

 こうして、裏で独自の畑を作っていたトリューユは時折、この少女を自分の捜査の時に使うようにしていた。

「あとそれから、臭いますよ、トリューユさん。風呂入ってないでしょう?」

「うるせぇな、入ってないったって、この三日だ」

「その臭い、死臭ですよ。最悪だ」

「黙れよ、それぐらい忙しかったんだよ。わかってるならシャワー貸すぐらいの気遣い見せろよ」

「あーもー、いつも強引で厚かましいんだから。まぁ、いいですよ、店の奥のところ、自由に使ってくださいよ」

「まぁ、いいですよ?」

 ラクサの言葉の一つを取り上げて、トリューユは口だけで笑みを作った。

「あ……いえ……、どうぞ、使ってください!」

「そうだよな。それでいい」

「……あたし、これでも店の留守番役なんで、手加減してくださいよ……」

 それでもラクサは聞き取りづらい声で、入ってきた彼の背に声を投げかける。

 トリューユは、服を衣類乾燥機兼洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びた。

 すっかり身綺麗にして出てきた彼は、住宅部分に使っているソファに、どかりと座った。

 ラクサはアイスコーヒーを、彼のために一杯、持ってきた。

 礼も言わず、トリューユは一口飲んだ。そして、顔をそばに立つ少女に向ける。

「これから、リロンゾ・ファミリーを監視する。付き合え」

「……また、急ですね」

 無理矢理、笑顔を作ってラクサは曖昧に頷いた。

 そして、携帯通信機でおそらく店の主であろう人間と、二三のやりとりをした。

「で、監視ってどうするんです?」

「決まってる。中にお邪魔するんだよ」

 簡単にさも当然とばかりに言われ、ラクサは唖然とした。

「そんな……」

 思ったことを口にしようとしたが、やっと出た言葉がこれだけだった。

「さて、行くぞ」

 コーヒーを半分ほど飲み干すと、トリューユは立ち上がった。



 リロンゾ・ファミリーは、サン・ミッシェルという歓楽を主に利権を持つ、中堅どころの組織だった。

 今年、新たに住宅街の土地を二カ所手に入れたばかりだ。

 トリューユが本拠の四階建てビルに正面から入ってゆくと、連れてきたラクサが挙動不審にきょろきょろとあたりを見渡した。

 一階からして普通の企業と変わらない、カウンター裏にオフィスが置かれている。

 受付嬢がいるカウンターの中に一人、若い丸刈りの男が黒いスーツを着て立っているのが、明らかにそれっぽい、唯一の点だった。

 ポケットに手を入れて、小汚い雰囲気の普段着のトリューユは手帳を見せて、カウンターの男に話しかけた。

「よう。元気か? 警察のもんだ」

「なんのご用でしょうか?」

 受付嬢の代わりに、丸刈りの男は変わらない態度で応じた。

「ちょっと、今回のイーリハル・ラリーズの件で聞きたいことがあってな」

「どうかしましたかね?」

 中年の男が奥から現れた。警察という単語が耳に入ったのだろう。

「あ、これはリバーの旦那。お世話になってます」

「みろ、ラクサ。これが礼儀ってやつだ」

 トリューユが満足げな態度になった。

「おい、早くタクシー代をお渡ししろ。それでは、これで失礼しますよ」

 中年の男が受付嬢に指示して、さっさとトリューユを追いだそうとする。

「……なるほど」 

 ラクサが納得しかけた瞬間、トリューユの腕が素早く伸びた。

 彼は中年の男の髪の毛を掴むと、強引に引っ張って勢いよくカウンターに顔面をたたきつけた。

「話も聞かねぇで、いきなり帰ろとはどういう態度だよコラ! 警察舐めてんのか!?」

 トリューユは中年男の耳元で、ドスの効いた怒声を上げる。

「……失礼しました、旦那。で、今回は何の用で?」

 男は、頭を押しつけられたまま、何とか言う。

 すると、あっさりとトリューユは彼から手を離した。

「いやぁ、おまえらのところで、仕事もらおうと思ってねぇ」

「……私には難しくてわからないので、ボスに直接どうぞ……」

 解放された男は、ムッとした様子を隠しもしなかった。

「案内ぐらいしてもらおうか」

「失礼。こちらです」

 男は髪を整えながら、エレベーターの前まで二人を連れてきた。

 六階まで昇り扉が開くと、壁一つないだだっ広いフロア全域が目に飛び込んできた。 

 それぞれ各所に置かれたソファや座蒲団に座ったり寝ころんだりしている構成員、十数人程の姿があった。

 ボスのネーザリュ・モーデフは、部下と麻雀卓を囲んでいるところだった。今年五十二歳になるはずだ。背広を着て、葉巻を咥えている。

 中年の男はエレベーターから降りずに、そのまま再び下に戻っていく。。

 構成員の群れの中に取り残された状態で、ラクサが不安げにトリューユを見上げる。

 彼はラクサにかまわず、まっすぐ麻雀卓に向かっていった。

「モーデフさん」

「ああ、トリューユか」

 牌を積みながら、こちらを見もせずネザリュは彼と認めた。

 以前にあったのは、四ヶ月前。一度、挨拶しただけだった。

「イーリハルのことだな。どうせ質問だけじゃ終わらんだろう?」

 記憶が良ければカンもいい。

「恐れ入ります」

 トリューユは言ってから、表面だけは鼻で笑うような軽薄な表情をした。

 ラクサには彼が真剣さを隠すときの癖だと、すぐにわかる。

「処理はウチで行う。その代わりちょっと、手伝ってもらいたい。後始末は警察に任せて良いからな」

「手を貸すというと?」

 ネーザリュが軽く手を挙げると、いつの間にかそばに立っていた構成員が携帯通信機を一つ渡してくる。

「そこのお嬢ちゃんも一緒に行くんだろう? ウチには一人もいないからな、契約者ってモンが」

 ちらりとネザリュの眼球が一瞬、ラクサに動いた。

 彼女は、自身が契約者であると見透かされたのを、驚き警戒した。

 トリューユといえば、何かあるたびにラクサを連れているので、バレていても仕方がないと思った。

 ただ、対外の契約者は、その能力故に存在を隠したがる人種である。

 ラクサもそうで、今回の事件のように大々的に世間の目の当たりになるように知らせるのはまれであった。

 ただ、確実にリロンゾ・ファミリーに敵対している宣伝としては、確実に効果があったが。「すでにチームは作って送っている。乗りたいのであれば、急ぐんだな」

 トリューユは礼を言って、エレベーターに戻るとビルから出た。

「あーーーー、こわ! あの人こわっ!」

 車に戻ると、ラクサは思い切り言葉を吐きだした。

 無言で、トリューユは携帯通信機のデータを浮遊ディスプレイに映し出す。

 そこには、最近手に入れた土地の一つに勢力の一部を持っていた別ファミリーの構成員の名前が書かれていた。

「あのじいさん、今回のを利用しようってのか……抜け目ねぇなぁ」

 犯人役も記されている。

 トリューユとしては、この男を逮捕すれば、今回の事件の全貌が手に入り、一件落着となる。

 報酬金額も書かれている。トリューユの秘密口座に対して、六桁の金額が用意されていた。 だが、彼としては、真犯人を見つけたいところだった。

 本人が出てくるには、もう少し手間が必要かもしれない。

 この犯人役が出てきても、たぶん、犯行は終わらないだろう。

 何しろ、相手は連続殺人鬼の手口を使ってきたのだ。承認欲求の化け物が、この事件一つで大人しくなるとは思えない。

 必ず、別の事件を引き起こす。トリューユはそこを狙いたいところだった。


 

 爆発したかに見えた。         

 人の身体が。

 ロード記念公園という、都心にある巨大な公園の散歩道である。

 夕刻も迫り、人々の姿が行き来する中での事だった。

 突然の事態に呆然とするものも出てきたが、体がバラバラに歩道に落ちてきたところで、悲鳴があがったため、人々はその場から急いで逃げ出した。

 残ったのは数人の男たちと、トリューユにラクサだった。

 リロンゾ・ファミリーの者たちだ。

周囲に人の目が無くなると、完全にグラス・ショットでの攻撃者に的になる状況がつくられた。

「やばい、逃げろ!」

 トリューユが叫ぶと、男たちは散会して姿を隠した。

 言った本人もラクサの腕をとって、人混みに紛れる。

「確実に契約者だ。引きずり出すのは成功した。あとは、どうやって相手を特定してグラス・ショットを撃ち込んでやるかだな」

 少女は、すでにポケットからナノ・ドラックの入った瓶を手にしていた。

 それに対して、トリューユはここ数日間食事をあらためて、グラス・ショットを一ミリも摂取していない。

 その場で浮遊ディスプレイを開き、犯行の記録から、誰の能力か検索する。

 すると出てきたのは、リズリー・ミートンという名前の少女が被害にあった事件だった。

 彼女は人気のない小屋で体をバラバラにされて、殺されていたのを発見されたのだ。

 能力の影響範囲というものがある。

 大抵は十メートルだ。

 だが、グラス・ショットというナノ・ドラックを使用すればするだけ、範囲も広がってゆく。

 トリューユは携帯通信機で辺りの人間をサーモグラフィーにかける。映像は浮遊ディスプレイ上に現れた。

 グラス・ショットを使った者は、前頭葉に血が溜まり、頭に熱を持つ。

 依存性は無いものの中毒者と言われるほど嗜好している者には、この熱で倒れ、そのまま意識がなくなってしまう事態もあるほどだった。

 彼が相手を発見すると、同時にラクサはロック・オンした能力の命中率を下げるカプセルを飲み終わっていた。

 ちょうど、新たなグラス・ショットを摘み、口に入れるところだ。飲み込んでから効果があるのは、五分間だ。

 まだ飲み込まない。奥歯でカプセルを軽く嚙んで、能力を発動させるタイミングを計る。

 サーモグラフィーが見つけたのは歩道の、少し離れた位置にあるベンチに座った青年だった。

 銀髪で瞳が黄色く、肌が異様に白い。グレーの背広を着崩して、だらりと座っていた。

 だが、少なくとも、こちらを伺っている様子はない。

 人違いか。

 トリューユは素早く青年に近づいて、腰の裏から拳銃を抜き出し、狙いを付けた。

「動くなよ!」

 中性的な容貌をしている男は、銃口を一瞥してからトリューユの顔を仰ぎ見た。

 表情には、驚きも恐怖もなく、明らかに嘲笑があった。

「あんたらこそ、動かない方がいいよ」

 余裕ぶった態度だ。影響範囲内にファミリーからのチーム五人のウチ、二人が入っているのがその理由で、本人たちも自覚していた。

「目的は、何だ? どうして、ここまで派手にする必要がある?」

 冷静なトリューユは、相手に一番の疑問点をぶつけた。

「わかってるなら言うけど、これは、一つの実験でねぇ。今のところ、うまくいっているよ。邪魔しないでもらいたいなぁ」  

「リロンゾのところの奴らに手を出して、無事でいられると思ったか?」

「俺を殺しても、終わらんよ。リロンゾ・ファミリーは選ばれたんだからな」

「選ばれた? 何を言っている?」

 男は口の中で舌を動かしたらしい。

 グラス・ショットを含み中だ。

「ラクサ!」

 少女は奥歯のカプセルを噛み砕いた。

 次の瞬間、ベンチが飴のようにぐにゃりと潰れる。

 だが、寸前に男の姿は消えていた。

「くそ!」

 トリューユは辺りを見渡した。

 だが、それらしい人物は見えなかった。

 浮遊ディスプレイで探査もしたが、引っかからない。

「逃げられたか……」

 急いでデータを検索する。

 データ・バンクはロータ・システムにも繋がっており、膨大な情報量の中から、僅かな手がかりで相手を特定できる。

 名前はフォロイ・ヒルデガン。二十一歳。

 現在、コープラザ研究所からの依頼を受け付け中。

 十分な情報が手に入った。

 次は、この研究所だ。






2      

「で?」

 ビーチ・チェアで、疑似アルコールのカクテルをテーブルに置いて、サングラスをかけ、寝そべっているミツキに、イロイは低く様々な疑念を最小限に込めた声を出した。

 太陽が照りはロータ・システムの姿を隠すほどだ。

 四十階建てビルの屋上だった。そこは高級会員制プールだ。

 ミツキは薄着に近い洋服ともとれる水着姿で、プールサイドの一郭の花と咲かせているつもりだった。

 隣のチェアーには、引き締まった上半身を晒した、イロイがいた。刀は常に握っていた。

「で? ってなによ? ほら、せっかくの贅沢なんだから、あんたも楽しんだら?」

「何があるかと思ったら、ビルの上に深い水溜まり造っただけの場所じゃないか。なにしろって言うんだ」

  ミツキが、悪戯っぽい笑みを彼に見せる。

「イロイ君としては、どこのお姉さんがいいかな~? ほらあそこの長髪の子? それとも、今プールの中ではしゃいでる、ショートの子?」

「……別に。興味もわかん」 

イロイは多少不機嫌に答えた。

「あんた、まさか……!?」

 ミツキは、手に口をあてて、驚愕の様子をわざと強調する。

「ごめんね。じゃあ、あっちの筋骨隆々の……」

「まてっ! 断じてそっちじゃない!」

「なんなのよ? わかってるわよ、面白くもない」

 やれやれという風に、ミツキは頭を振り、カクテルを手にしてチェアーにもたれかかった。

「……あいつらが、俺たちみたいのをまともに相手すると思うか?」

 イロイの冷めた口調に、ミツキは無言だった。

「実力次第だって、見せてあげるわよ。だいたい、ここの連中は頭の固い前の世代じゃなく、いいとこで育ったボンボンたちよ」

 ミツキは、グラス・ショットを一錠、飲み込んだ。

 ふふんと鼻息をならして、カプセルを口に含み、そのまま飲み込むと、指先ををくるりと回す。

 とたん、プールの水がこちらの端から、高く盛り上がりだし、一気に崩れて、向こうはしまで、巨大な波を造った。

 中に入っていた者たちは、驚き騒いだが、波が収まってくると、それぞれが歓声を上げた。

「すごいわね、貴女。契約者なの?」

 声をかけてきたのは、グラマーなビキニ姿の女性だった。

 頭までプールの波にのまれたらしく、バスタオルで長髪を拭きながら、ミツキの横に立つ。

「まー、そうです」

 ミツキは控えめに答えた。

 相手は二十歳前後とミツキは見たが、物腰が洗練されていて、もう少し大人のような雰囲気を持っていた。

「それなら一つ、頼みがあるんだけど、聞いてくれない?」

「何かお困りで?」

 待っていたモノが釣れた。ミツキは内心ニヤリとした。

「ええ」

 言って彼女は、ミツキのビーチ・チェアの横に腰を下ろした。

「知ってるかしら。最近の事件でバラバラ殺人があったの」

「ええ、ニュースで見ました」

「あの犠牲者、実は私の知り合いなのよ」

「それはお気の毒に」

「それで、警察じゃあてにならないから、あなたに頼みたいなって」

「会ったばかりの私を信用するのですか?」

 ミツキは軽く皮肉を交えた。  

「依頼でしたら、前金として依頼料、後払いで経費プラス成功報酬となっています」   

「わかったわ。お願いさせてもらうわ」

「では、貴女のお名前と連絡先、その男性のお名前、住所、勤務先を教えてください」

 女性の名前はロジィ・リッタ。ミツキの携帯通信機に連絡先を記憶させる。

「ひと泳ぎしてくるわ」 

 ロジィがプールに入る。

「どうよ? 効果有ったじゃんか。仕事だぞ?」

 ミツキは誇らしげに、イロイを見下ろした。

「あー、まぁそうだな」

 渋々といった言葉の割に、鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「何よー、不満でもあるのー?」

 彼の態度を、ミツキが指摘する。

「いや……」

 イロイはプール際を改めて眺めていた。

 そこには、上流階層の若い女性たちが水着で姿で、のんびりしているところだった。

「たしかに、悪くないよな」   

 全く別の意味で答える。

「……あんた、視線からあたしを排除したのは何故だ」

「ぺたんこだからだ」

「天国送ったろか!?」

 ミツキが殴りかかって来そうなので、イロイは早々に最上階のプールから降りることにした。

 そこを数人が陰で見張っていたことに、二人は気付かなかった。



 サティーブ・ヴァーリは、昼過ぎに目を覚ました。

 十六歳。家庭の不和から一人暮らしを初めて、仕送りと夜の肉体労働のバイトで生活している。

 学校は行く気がなくなって数日が経っていた。

 中等部から高等部まで一緒だったリズリー・ミートンが殺されてからだ。

 特に親しかった訳ではない。話を始めたのも、高等部に上がってから少しするぐらいだった。

 彼はリズリーと話してみて、一気に彼女に魅かれた。

 行かなくなった時、学校ではリズリー・ミートンの怨霊話がまことしやかに語られていた。

 バラバラになった自分と同じく、呪いをかけられたものは、同じ目に合わせられるというものだ。

 リズリー・ミートンは契約者ということになり、生前、恨んだ人間に呪いを掛けたことになっていた。

 リズリーがそのようなことをするはずがない。

 彼女と話したことのある彼は、そう確信していた。そして、噂が煩わしくなって学校を休みだした。

 久しぶりに登校してみると、噂は彼女が持っていたスケッチブックの話になっていた。

 孤独なリズリーの唯一話し相手になっていた同じクラスの少女は、無理やり吐かされる形で、そのことを口にした。

 スケッチ・ブック描かれていた、様々な残虐極まりない絵の存在を。

「例えば、どんなのがあったの?」

 怖いもの見たさかゴシップ趣味か、クラスメイトの一人に訊かれて、少女はためらいながら答える。

「えっと、バラバラな人が飾られた絵とか……」

「……待って、それってこの間の、喫茶店で起こった事件のことみたいじゃない!?」

 クラスメイトは短い言葉を聞いて、悲鳴と驚嘆が混じった複雑な口調で叫んだ。

「いや、あのその……」

 少女は言いにくそうにしながら訴えようとしたが、結局諦めたようだった。

 話はリズリーのノートの件で一気に盛り上がってしまったのだ。

「覚えているなら、詳しく教えてくれないか?」

 サティーブは少女を囲んだ周りから、脇に強引に引き寄せた。

 不満の声が上がったが、友達も作らず、正体不明の一匹狼で通してきたサティーリブの睨みに、生徒たちは引き下がった。

「えっと、例えば……」

 少女が自分の机からノートを取り出して、リズリーの絵を真似て描いた。   

 さすがに話し相手になっていただけのことがあり、画力はなかなかのものだ。同じ美術部だったのを、サティーブは思い出した。

 数枚できあがったものは、まるでホラーの挿絵などよりも生々しく、怪奇に富んでいた。

 天秤で人の頭部を計る、首なしのサイロイド。身体中を引き裂いて、肉体と内臓を部屋に飾る風景画。バラバラにされた身体が生け花のように一つの鉢に刺されてそそり立つデザイン。

「まだこんなものじゃなくて、いろいろあったんだけど……」

「十分だわ」

 サティーブはどういうものか確認さえできればよかった。

 このうち、二つが現実と化して、ニュースで報じられている。

 一つは室内を死体の身体で飾るものと、バラバラにされた身体を生け花のようにされたものだ。

 サティーブは彼女と連絡先を交換してから、再び学校を休みだした。

 犯人の意図がわからない。

 ただのイマジネーションの足りない殺人鬼が、リズリーの絵を基にして犯行を行っているのか、それともただの偶然か。

 昼間に起きて、歯を磨くとコンビニで買いだめしているカップラーメンを食べる。

 彼が確信しているのは、怨霊などではなくリズリーが生きていることだ。

 これはロータ・システムと契約者を真似た、サイロイドの模倣犯だと結論づけた。

 だとしても、リズリーはどこへ?

 彼女の悲劇的最後は、ニュースにもなってハッキリと死亡を確認されている。

 犯人はスケッチブックだけを奪って、それを真似ているのだろうか。

 何故?

 サティーブは部屋着を着替えてリュックサックを背負い、外のバイクに跨る。

 道路を目いっぱい高速で突っ走ると、頭は冷静になっていた。

 どうやって犯人を見つけるか。

 思いついたのは、危険極まりない残酷なものだった。

 ロータ・システム内で契約を行い、リズリーのスケッチブックに描かれていた現場を再現するのだ。

 犯人にその情報が伝われば、何らかのアクションがあるはずだ。

 それを手がかりにすれば、もしや……。

 彼はバイクを細い路地にいれて、ゆっくりと進む。まだ開いていない、というよりいつ開いているのかわからない店の一つで、止まった。

 横付けしたのは、シャッターが半分ほど閉まった、居酒屋風のバーだった。

 インターフォンを鳴らすと、奥から人が動く気配がして、ドアが開いた。

 前髪の短い、眼鏡を掛けた少女が現れる。

「ボトル二つ分」

サティーブが短く言うと、少女は一旦姿を消してから、注文のグラス・ショットを持ってきた。

 金を渡して、交換するとサティーブは何も言わずに、その場からバイクを進めた。

 真っ直ぐ自宅に戻り、疑似ビール缶の中身を半分ほど一気に飲み干す。

 そして、彼は初めてロータ・システムに接触した。

大小の光球が散らばって惜しみない明かりを灯している光景は、幻想的で眩暈を起こしそうなほどだった。

 彼は一人の光球に近づき、軸索を接続した。

「……何か用かね?」

 元人間の光球が、驚きもせずに尋ねてくる。

「契約を結びたいのですが、どなたか知りませんか?」

「それなら、一人紹介できるが……」

 光球はあっさりと別の光の球を呼んだ。

「どんな契約が良いかな?」

 新しく表れた光球が訊いてくる。

「拳銃がいいですねぇ」

「ふむ。丁度、持ってたものだ。使用済みだが、それで良いなら提供しよう」

 こんなにも簡単なものだのだろうか。

 サティーブはやや拍子抜けした。

 緊張もほぐれたので、契約を約束した彼は、二つの光球に話題を振った。

「最近の地上の事件でバラバラ殺人が目立っているのですが、何か心当たりはありませんでしょうか?」

 サティーブはダメ元で訊いてみることにした。

「ああ、そういう契約をした奴なら、知っている」

 あっさりと当たった。

「……契約者と履行者ですね?」

「噂でしかないが、どうも新参ものらしい。契約者はドロップスに追われているのか姿をみせないが、履行者なら今、地上にいるはずだ」

「名前や特徴は?」

「さぁ。そこまではわからん」

「契約したということは、まだ犯行は続くと見ていいでしょうか?」

「多分、そうだろうな」

 サティーブには、それだけで十分だった。

 ロータ・システムから自己を降ろすと、彼はリュックサックに疑似ビールの缶を幾つかいれた。

 そして再びバイクを走らせ、近くの山の奥まで進んだ。

 疑似ビール缶を、転がった岩の上に、不規則に並ばせる。

 距離をとり、ボトルから数個のグラス・ショットを口に含ませた。

 カプセルを三つ、奥歯で砕くと、ほぼ同時に三本の缶に穴が開き、中身を噴き出させた。

 契約は本物だった。

 である以上、次の囮作戦は実行を決定された。



 トリューユとラクサはコープラザ研究所を訪れていた。

 彼らは一般のグラス・ショット製造社の名刺をもって、企業見学を希望していた。

 コープラザ研究所は専属の若い女性社員を一名付けて、明るい応接間で丁寧に会社の説明を行ってくれた。

「つまり、ロータ・システムの解明が、主な研究目的で?」

 トリューユは、一通りの話を聞いた後に、尋ねた。 

「ええ、現在のところは。しかしながら、それは研究の一通過点でしかありません」

 女性は微笑みながら答える。

「将来的には、ロータ・システムの管理・運営を目指すことになるでしょう」

 ラクサは目を丸くさせながら聞いていた。

「管理・運営って、ロータ・システムをですか!?」

 思わず、同じ言葉で訊き返していた。

 女性は優しく頷いた。

 知の集約地であり情報の海のロータ・システムに介入するなど、サイロイドの存在からすれば、途方もない考えにしか思えなかった。

「それで、現在は積極的にロータ・システムの人間との契約を結ばせていると」

 コープラザ研究所の主な活動をトリューユが要約し、確認した。

「ちょっとお聞きしたいのですが。この人物がここを訪ねたことはありませんか?」

 彼は携帯通信機の機能で写し、プリントアウトした写真を差し出した。

 銀色の髪に黄色い瞳。グレーのスーツを着崩した男だった。

「こちらの方が何か?」

 唐突に訊かれて、女性は心持ち戸惑ったようだった。

「貴社のところで、契約を結んだはずですが、本人は行方不明になってしまいまして」

 トリューユは嘘は言っていない。

 事実、行方不明なのだ。

 女性は慌てたように、少々失礼しますと言って席を立った。

「あー、今まで普通にしてたのに、急に刑事口調出すんだもんなぁ、この人」

 ラクサが聞こえるようにぼやく。

「なんだよ。どうせいずれ切り出すんだ。多少威圧する程度が一番なんだよ」

「ハイハイ。なんでも脅せばいいってもんじゃないけどねぇ」

 さらりと、トリューユの言葉を否定する。

「なんとでも言ってろよ、素人のガキめ」

「ひっでぇ言い方だなぁ」

 少女はぷいと顔をそらして、出されていた珈琲を啜る。

 やがて現れたのは、先ほどの女性社員ではなく、細身で眼光の鋭い無表情な中年男性だった。

「失礼しました。この方をお探しということで」

 男は写真を、テーブルのトリューユの前に置いた。

「残念ながら、弊社にも関係者にも、この方はおりません。会社説明も終わったようですし、お帰り願いますか?」

 ほら見ろと言いたげなラクサに、トリューユは口だけの笑みを作った。

「あんたのところがリロンゾ・ファミリーと関係しているのはボスのモーデフさんに訊くまでもなく把握ずみだ。問題は、この男が、リロンゾ・ファミリーに手を出しているという事実なんだよ。ここで、我々を帰していいのかい?」

 急に強気にでたトリューユに、男は鼻白んだのを隠すように、咳払いをした。

 トリューユは、畳みかけるように続けた。

「名前はフォロイ・ヒルデガン。何故か、あんたらのところに雇われている契約者だ。何をしようとしている? リロンゾ・ファミリーに手を出していると知れていいのかい?」

 男は無表情をさらに固くしたが、あきらめたように口を開いた。

「……フォロイには、実験を行ってもらっています。決して、ファミリーの邪魔はさせてはいません」

「保証はできるのか? その首で」

「……見ていていただきましょう。我々が何をやっているかを」

「フォロイの居場所はどこだ?」

「それは、お教えできません」

 トリューユがテーブルーを掌で思い切り叩いた。

「この期に及んで白を切っても無駄なんだよ!」

「教えられないものは、教えることができません!」

「そう、モーデフさんに伝えていいのだな!?」

 男の顔には汗が噴き出ていた。

「ロスジェネックと、リズリー・ミートンの事件、全てこいつの仕業だろう!?」

 男はだんまりを決め込んだ。

「このままじゃ、イリーハル・ファミリーとリロンゾ・ファミリーの抗争になるんだぞ? わかっているのか!? その時でもあんたは、高みの見物を決め込めると思っているのか、本気で!?」

「彼は今度のプロジェクトに不可欠な人材なのです……」

 絞り出すように男が声を出す。

「他を見つけるんだな。フォロイはやり過ぎた」

 男は深く息を吐き、背もたれにもたれた。無表情な顔に多少疲れが浮き出ているのがわかる。 それから次に、フォロイ・ヒルガデンの住所と連絡先を口にした。

「よし、協力感謝する」

「あんたたちは……?」

「警察局の者だよ」

「警察局? 危ないのはあんたらの方じゃないか……」

 男は飽きれたらしい。

「そんな簡単にいくかよ。この国はマフィアの物じゃない。殺人鬼の物でもない。市民のものだ」

「よくそんな綺麗事を並べられますね」

 皮肉を言われたが、トリューユは鼻で笑った。

「あんたらと違って、育ちがいいものでね」



 プールから帰った次の日の昼間。遅い朝を迎えたミツキは、リビングでバラバラ殺人の資料を集めていた。

 いつものオーバーオールスカートに、青いリボンを付けた姿だった。

 最初の被害者はリズリー・ミートン、十六歳。

 興味を失って久しい名前だった。

 ミツキは、疑似ビール缶を掲げ、一人で再会を祝す。

 次の犯行は、半月後にもう一件。次にその一週間後に一件。

 いずれも被害者は十代の少女で、共通点が明確に一点あった。

 それは、ニューフシャー学園という中高一貫校の、在籍者というものだ。

 リズリー・ミートンも、同じ学園に在籍していた。

 何か焦げ臭い。

 ミツキは気にせずに新しい浮遊ディスプレイを開き、ニューフシャー学園の来歴を調べる。

 一見、ただの進学校のようだった。

「おい、飯作った」

 パーカー姿が変わらないイロイが、いきなりキッチンから声を張ってきた。

「あー、後でいい」

「俺も後でいいと思ってたところだ」

「……なんで?」

 ミツキは、ディスプレイから彼に顔を向けた。

 するとキッチンに黒い煙が立ち込めているのがわかった。

「何してるの……?」

 あえて、ミツキは初めから訊いてみた。

 イロイは換気扇を回し始めて、疲れた様子でキッチンからリビングに移動してきた。

「色々焼いてみたが、どれもロクなものにならなかった。後を頼む。俺にはとてもかなわない」

 何かの戦いを相手をしたかのように言うと、彼は棚からカップラーメンを取り出して、ポットからお湯を注いだ。

「そんな、あたしだって嫌だよ……。余計なものは、全部捨てちゃってよ」

 時計を見たイロイは、ふむと頷き、再びキッチンに戻る。

「あー、もう!」

 彼女が視線の先で覗くとキッチン用品をすべて買い替える必要があるレベルだった。

 仕事を邪魔されたので、一気に機嫌が悪くなったミツキは、息を吐いてソファにもたれた。

 とてもじゃないが、今はキッチンに関わりたくはなかった。

 ディスプレイに集中すると、ニューフシャー学園の設立に関わった人物の一覧を開く。

 するとそこにはリロンゾ・ファミリーのボス、ネーザリュ・モーデフの名前が書きこまれていた。

「こんなところにまで、手を出してたのか……マフィアが学校ねぇ。世間体でも気にしてるのかな」

 一個では足りないらしく、イロイは二個目のカップラーメンに手を出していた。

 だが、この学校の生徒に手を出して、犯人はなんの得があったのだろうか。

 考えの基本に戻る。

「そういや、ロメィ・リードのところ、大人しいな」

「ポトリー・コーポレーション?」

 やや唐突なイロイの言葉に、ミツキはふむと頷く。

「あそこは、グラス・ショットを裏で売ってただけの、普通の会社だから。あたしたちが二人の代表のたま取った訳だし、あとはラージフォルの爺さんがどうにかしたんだろうね」

「それで朝方、ラージフォルから連絡が来ていた」

「どうして、それを早く言わないわけ、あんたは!?」

 ミツキは焦って叫んだ。

「いやぁ、寝てると言ったら、じゃあ起きてからでもいいって言うから」

 ミツキは立ち上がると、行くよといって、玄関に向かった。

 彼女らは車に乗って、イリーハル・ファミリーの本部に走った。

 正面から入ると、自分たちより年上の男たちが、丁寧に挨拶をしてくる。

 いつもの和室に通されると、十分もたたずに、ラージフォルが襖をあけて入ってきた。

「ごめんね、おじさん。遅くなっちゃって……」 

 ラージフォルは、正面の座布団に腰を下ろした。

「いや、気にせんでもいい。おまえの仕事は不規則だからな。仕方ない」

「それで、急にどうしたの?」

「この間の仕事の続きだ」

 彼はすっかりくつろいだ風で、続けた。

「ポトリー・コーポレーションを潰して欲しいんだ」

「あー、やっぱり頭潰しただけじゃダメだった?」

「そういうことだ」

「わかったよ。近いうちにでもやろうと思う」

 ミツキは一寸のためらいも見せずに承諾した。

「終わったら、報告に来ると良い。報酬もその時に渡そう」

「で、どうしてだ?」

 横から醒めた顔で座っていたイロイが、唐突に訊いてきた。

「どうしてとは、ポトリーのところのことか?」

 ラージフォルが訊くと、イロイは頷いた。

「……奴らは身売りしようとしているんだ。本拠のビルもファンランドに移そうとしている」

 ファンランドとは、振興開発地区の名前だった。

 そこは実験的に全面情報化の設備を整え、この国に新しい街として生まれようとしていた。

 利権は、リロンゾ・ファミリーがすべて握っている。

「ただの薬屋かと思っていたが、コープラザ研究所とつるんで、何やら色気を振りまいているようだ」

「リロンゾ・ファミリーと衝突する気?」

 ミツキは懸念を口にした。

「当たるなら、応じよう。当たらなければ、何もせんよ。ポトリーのところの不始末を掃除するだけだ。それも、ウチの傘下のものだからな」

 ラージフォルの声は静かだったが、筋は通しているという断固としたものがあった。

「じゃあ、ポトリーは本拠をもう移したの?」

「ああ、店舗ごと全員がファンランドに引っ越した」

「なるほどね。じゃあ、行ってみるわ」

 ミツキはいつも快活で物事にハッキリとしている。

 今回も、変わりなくその性格が表れていた。



 全国のニュースで取り上げられていた。

 謎の連続殺人事件の次に起こすであろう犯行の予告である。

 それはスケッチブックの紙に描かれたもので、描かれた絵に文字が添えられていた。

 包帯でぐるぐる巻きにされた人間らしきものが床に座っており、その身体中に釘が刺さっているというものだった。

 情報は一気に国中に走り、連続殺人の恐怖が夜の食卓を襲った。

 リズリー・ミートンが持っていたスケッチブックである。

 サティーブがミートン家から、盗んできたものだ。

 これに見覚えがあるものなら、背景でどこにこの残虐な拷問の末に死ぬ人物がいるか、わかるはずだった。

 犯行予告者の名前はナインテールにした。

 大した意味のないサティーブの思い付きである。

 だが、それから、九尾の狐を連想したか、犯行をリズリー・ミートンの呪いと説くコメンテーターまで現れた。

 テレビ番組というものは面白いものだと、サティーブは嗤った。

 サティーブは一足早く、バイクでファンランドに来ていた。

 夜中、犯行を行う建物の傍にある、建築途中のビルの中に陣取って、相手を待っていた。

 目の前の建物も完成間近のビルだ。

 看板はすでに添えつけられていて、コープラザ研究所と書かれていた。

 二時間も待ったか。辺りを警戒する様子もなく、堂々と男が一人道の向こうに現れた。

 銀髪でスーツを着た長身の男だった。

 サティーブは鉄筋に寝っ転がっていたが、跳び起きてシート越しに彼の挙動を伺う。

 男は真っ直ぐにコープラザ研究所に入っていった。

 彼がスニーカーの音をたてずにビルから降りた。

 その時、車が一台、研究所の前に止まり、重そうで中身が動いているズタ袋を、車内から降りた男たち三人が中に運んでいく。

 引きずり出すのに成功した。

 サティーブは内心で歓喜の声を上げると、しばらく車の男たちが戻ってこないか待ち、その様子がないので、自分も裏側から建物に侵入した。

 グラス・ショットを口に含み、壁一枚で男たちの近くまで密かに移動する。

 「で、これをどうするんだ?」

 男の一人が銀髪の男に訊いていた。

「放っておくといい」

 銀髪の男が言った。

 違うのか?

 サティーブは、てっきりこれから絵のような惨劇が起こるかと思っていた。

 だが、それはただの期待でしかなかったらしい。

 罠は失敗したのだろうか。

 彼らが帰ると、ズタ袋に入れられた人物だけが残った。

 どうするべきか迷ったが、いつまでたっても、人の来る気配がない。

 仕方ないのでサティーブは、人物の傍まで近づいた。

「おい……」

 声を掛けると、ズタ袋は奇妙に体をくねらせる。

 中からはくぐもった声がした。

 サティーブがナイフで袋を引き裂くと、中身はスウェットを着たどこにでもいる細身の中年男性だった。

 猿轡をされ、両手両足が針金で縛られている。

「静かにしてろ?」

 囁いて、猿轡にされていた包帯を切り取る。

「君は……!?」

「しーっ!」

 言いながら、男の喉にナイフを押し付ける。

「俺のことはどうでもいい。あんたはどこの誰だ? それとさっきのは?」

 男はわずかに怯えた様子をみせた。

「わ、私はコープラザ研究所の者だ」

「コープラザ研究所?」

 何のことかわからず訊き返した時、サティーブは外に人間の気配を感じた。

 彼はすぐに隠れようとしたが、一瞬で刀を抜いた少年が間合いに表れて、動けなくなった。

「あら、こんなところで。取り込み中だったかな? だったら続きをどうぞ?」

 声は少年の後ろから放たれてきた。

 ミツキとイロイだったが、サティーブには面識がない。

「誰だ、おまえら? まさかバラバラ事件の関係者じゃないだろうな?」

 カプセルを改めて口の中で動かすのに、サティーブは時間を稼いだ。それに、本当に相手の素性がわからない。

「まさかね。あんたこそ、誰よ。変な予告出したの、あんたでしょ? あれで釣れると思った? だとしたら、かなりお気楽なもんね」

 サティーブは幾ら相手が美少女だったとはいえ、嫌いになった。

「関係ないとしたら、あんたらはここに何しに来たんだ?」

「少しでもの情報収集と、そこの男に用があってね」

 二人と、中年男性を見比べるサティーブ。

「こいつは、なんなんだ?」

「ただの一般人よ」

 ミツキは適当なことを言って、無造作に彼に近づき、男性の脇にひざまずいた。

 サティーブの動きは、イロイが完全に止めていた。

「さて、解放してあげるから、さっさと帰りなさい。ラージフォルは怒ってないわ。安心して」

 言うと、男の両手足の針金を解いてやる。

「……ラージフォル、さん、の話は本当か?」

 男は怪訝そうに上目遣いに、ミツキを見る。

「本当よ」

「……ならよかった」

 手首と足首をさすり、男はよろよろと立ち上がった。

「ところで、あんたは?」

 男は落ち着くと、まだ弱弱しい声だが、サティーブに疑問を発した。

「余計なことを聞いて、時間を無駄遣いしないようにするんだな」

 サティーブは答えるつもりもないので、代わりに脅した。

 男が立ち上がろうとしたとき、一瞬全員の視界がずれた。

 見ると、そこには包帯で包まれ、身体中に釘を打たれた男が、壁を背にして、血溜まりを作っていた。

「なにっ!?」

 ミツキは、すぐに部屋の陰に飛んで身を隠した。サティーブは呆然として、その場に立ち尽くす。イロイは、男の死体を背に、刀を構えなおした。

「馬鹿な!? どこから!?」

 ミツキは小さな窓の浮遊ディスプレイにサーモグラフィーを覗いた。

 一人、建物の外に反応があり、すぐに消えた。

「くそっ! おい、サティーブ!」

 ミツキが少年の名前を叫ぶように呼んだ。

「おまえ、どうして俺の名前を……?」

 彼は訝しげにしつつ、動揺を隠して身構えた。

「そんなことはどうでもいい! 貴様のおかげで、無駄な仕事が増えただろう! 素人は引っ込んでろ!」

 ミツキは本気で邪魔そうに叫んだ。

「ふざけるな! どこの誰だか知らないが、俺にとって黙ってられる事件じゃないんだよ!」

「それを見てから言え、私情なんか知るか!」

 釘だらけの包帯男のことをミツキは言った。

 サティーブは一瞬、口ごもる。

 イロイの姿はいつの間に消えていた。

「おまえの半端な思い付きで、人が一人、無駄に死んだんだぞ!?」

「それは……」

 サティーブが黙ると、ミツキは改めて浮遊ウィンドウを確認して、物陰から姿を現した。

「少なくとも、事情を聞きたいね。あんたは何者で、どうしてあんなことをした?」   

 姿を現したミツキに、サティーブは鼻を鳴らした。

 何者かと思えば、ただの少女ではないか。

「お前みたいなものに、言うことは何も無いね」

「あら、見下してるみたいね」

 一変して余裕そうに、ミツキは短い髪の頭を掻いた。

「あんた、このままで済むはずないから、覚悟しておくことね」

 ミツキはそういうと、背を向けて建てかけの研究所から姿を消した。

 取り残されたサティーブは、手遅れに終わった死体をみて、舌打ちすると外にでて、バイクに乗った。



 成果なしといった様子のイロイと途中で合流すると、ミツキはオンボロの事務所に戻った。

 ソファに座ると、写真と音声認識を記憶させていた携帯通信機で、浮遊ディスプレイを開き、先の少年を調べ上げる。

 ニューフシャー学園在籍とはすぐに検索にかかった。

 生前のリズリー・ミートンと同じ学園。そして同じクラス。

 成績は中の下。出席率は低い。このままでいけば、単位ぎりぎりのところである。    「ふあぁぁぁぁぁ」

 両手を上げて、ソファにもたれかかった。

「なんだ、煩い」

 イロイが目を細くして睨んでくる。

「面倒くせぇ、色恋沙汰が絡んでるんだよ」

「ん? さっきの奴か? お年頃なんだから、当然だろう?」

 自分たちの歳など忘れたかのように、イロイが答える。

「先生、我々としては、生徒たちには恋愛より勉強を重点に当ててほしいところです」

「サイロイドも生き物である以上、無理でしょうな、校長」        

「くそめ……」

 毒を吐いてから、ミツキは調査を再開さした。

 契約者としての足跡が、ロータシステム内に着いていた。

 相手は誰で契約物は何かと、浮遊ディスプレイ内で足跡をたどって光球の元にたどり着く。 すぐに相手を解析する。

 前科三犯の男で、拳銃強盗と、麻薬、挙句に家族を怒りに任せて撃ち殺した最低な犯罪者だった。

 すぐに契約物は拳銃と知れた。      

使わす前に、潰しておいた方がいい。

 あんな激情で動く奴に武器など持たせておくのは、危険だ。丸裸にして、己を知らしてやるのが、大人しくさせる手の一つだろう。

 ミツキは、ロータ・システムに精神を接触させた。

「おや、久しぶりというには時間はそんなに経ってないなぁ」

 声は向こうから放たれてくる。

 ミツキの精神体は、いつの間にか重力圏に囚われていた。

だが、知らない雰囲気ではない。それどころか、相手が誰かすぐにわかるものだ。

「ホロミー。どうしたの?」

 ミツキは突然のことに驚いてみせた。

「おまえがつまらないことをしないか、待ってたんだよ」

 ホロミーは、ミツキの考えはわかっていると不気味に笑んだ。

「言っておくが、サイロイドによる、人間の殺害は、地獄行きの刑だ。わかっているか? 我々が重犯罪者に課すためだけに作られた、特注の拷問施設だ。そこにおまえは放りこまれ、歳負っても解放されず、死ぬまで苦しまされる」

「……なら、ホロミーに頼むよ。代わりにやってくれる?」

「却下だ。俺は人間は傷つけない。狩りの対象はサイロイドなんでね」

「どうして、サイロイド限定なんだよ、いつも思ってたけども」

「そんなものは決まっている。情報体を獲物になんてしてもつまらん。サイロイドなら、その身体をいじれば、恐怖という悦楽とともに、それを破壊する喜びが得られるからだ」

「……やっぱ、最悪だな」

 ミツキは露骨に嫌悪感を放出した。

「おまえは、私が見込んだだけあるんだ。最悪といっても、どこかそれに魅かれている自分を感じないか?」

 ホロミーは楽しげだ。

「そんなもん、感じたことなんか無いね」

 ミツキは即答したのは、心の内がわずかに震えているのに気付いたからだった。

「言っているがいい。だが、欲望は素直なものだ。いろんな形にい変わって、噴き出ようとする。おまえもいずれわかる。俺たちは、同類なんだよミツキ」

「ふざけるな!」

 ミツキはロータ・システムから意識を地上の体に戻した。

「誰があんな変態野郎と同類なものか!」

 叫んだ。同時に、テーブルのマグカップを壁に思い切り投げつけていた。

「あーあ……」

 イロイがその様子を眺めて、仕方ないものだと、ため息をついた。

「とりあえず、ポトリーとコープラザは叩きのめすとして、あのガキをどうするかだ」

 荒い息のまま、ミツキは独り言のように呟いた。

「……殺ろうか?」      

 刀を肩に掛けている少年は、単純な点に集約して訊いた。

「いや今のところ、放っておいてもいいかもしれない」

 彼を止めるには、ロータ・システムでホロミーに拒絶されたため、直接手を下すしかもうないだろうが、それにしてはどこかはばかられた。

 それよりも、リズリー・ミートンの事件が残っている。

 屋上のプールで出会った女性に、詳しく話を聞いたほうが良い。

 ミツキはそう思って、朝になったら彼女に連絡を入れることにした。

 


 依頼してきた女性、ロジィ・リッタは平日の朝にも関わらず、まるで待っていたかのようにミツキの声を歓迎してきた。

『それで、話を聞きたいのね?』

「ええ、できるだけ詳しいことを」

『場所はどこがいいかしら?』

「ウチの事務所へどうぞ」

『わかったわ』

 ミツキは事務所の住所を教えた。

「では待ってますので」

 通信を切りったミツキは、イロイが消えていたのでキッチンに素早く視線をやった。

 すると、少年は思った通りに、何かを作っている最中だった。

「ちょっとまったーーーー!」

 ミツキはイロイに叫んだ。

 露骨に煩いなぁという顔をして、イロイはミツキに首を向けた。

「何してる?」

「何って、飯でも作ろうかと。焼き魚と卵焼きでいいな?」

「……それはわかるが、どうしてぶつ切りにした魚をフライパンで焼きながら、卵を掛けた?」

 傍まで来て、ミツキできるだけ冷静に努めながら訊く。

「どっかでこんな料理があっただろう?」

「ハムエッグのことか、もしかして……?」

「応用だが、試してみた」

「没だ没! 食べ物への冒涜だぞ、おまえのしていることは!」

「……そうかー?意外とイケるかもしれないぞ」

「駄目だ、ちょっとどいてろ! 今からでも遅くない。魚と卵をあたしが救ってやる!」

 キッチンからイロイを追い出して、ミツキはフライパンの中を改めて覗いた。

 ミツキは、どうにか魚から卵を分離させようとしたが、出汁と醤油で味付けされたスクランブルエッグ状の物は、なかなか離れようとしなかった。

「……すまん、万策尽きた……」

 ミツキは素材に対して呟いて諦めると、焼けた魚を皿に移した。

 食べるとき卵をのけて、焼けた魚を口にしてなんとか誤魔化す。

「あんたもう、キッチンの出入り禁止ね」

 食べながらミツキはイロイに命令を下したが、少年は堪えた様子もなく、何故という表情を浮かべた。

 ミツキはあえてそれ以上、言わなかった。

 後片付けをすると、もうロジィ・リッタとの面会の時間に近づいていた。

 彼女らは、下の階の事務所に降りて、依頼者の来訪を待った。

 やがてしばらくして、インターフォンが鳴る。

「どうぞ。鍵は閉めてませんので」

 ミツキは机に着いたまま、ドアに向かって声を投げた。

 狭い空間で、壁はレンガを積んだ装飾になっている。

 暖炉の前に、机が一つと、その前にソファが向かい合わせで一対、テーブルをはさんで置かれているのが、ミツキの事務所だった。

 窓からは昼にかかる太陽の光が差し込み、脇にイロイが座っていた。

 ロジィ・リッタはプールで会った時よりも、大人に見えた。

 ビジネス・スーツを着て、長髪を巻き、ピンヒールを穿いている。        

「お久しぶりね。詳しい話を聞きたいと言われて、嬉しかったわ。ただの口約束じゃなかったんだから」

「どうぞ、お座りください」

 ミツキはソファを勧めて、自身も机を廻って向かい側に腰を下ろした。

「先日はどうも。私がここの所長のミツキです」

「聞いているわ。若いのに、かなりの実力があると」

「恐れ入りますね」

 その噂がどこら辺から流れてきたものか、容易に想像がつく。

 何しろミツキ事務所は事実上、イリーハル・ファミリーの外郭団体なのだ。

「それで、バラバラ殺人の件ですが」

 ミツキは、事件のことをほとんど調べていないことに、今更ながら気づいた。

 忙しくて失念していたのだ。

 ロジィが口を開いた。

「私はいわゆる、ある省庁の外郭団体に務めている者で、今回の事件は特殊性があり、我々だけでは対処が難しいと判断したのです。それで、あなた方の力を借りたいと」

 バラバラ事件と、ある省庁。

 普通は警察局を想像するが、それならそうと手帳を出して名乗るだろう。

「サイロイド協会ですね」

 ミツキが憚りなく言うと、ロジィは頷いた。

 サイロイド協会は、厚生労働省の指導下にある団体だった。

 そこでは、あらゆるサイロイドの生活・安全を図ることに努めている。

「実は、協会の中にいる強硬派が、ロータ・システムを利用しようとしているのです」

 強硬派といえば、対マフィア論者達か。

 だとしたら、それをマフィアの一端を担うミツキのところに話が持ち込まれるのは皮肉な話で、内心嗤ってしまう事態だった。

「具体的には?」

 ミツキは多少、意地の悪い質問をした。

 思った通りロジィは眉を寄せて難しい顔になり、困ったような様子だった。

「わかってます。バラバラ事件に関係ある人物が、協会内にいるのでしょう」

「それだけなら、話は簡単なのですが……」

 水を向けてみるとあっさりと彼女は、喋りそうになった。

「というと?」

 ミツキは遠慮なく追及する。

「……名前はフォロイ・ミルガン。協会内で暮らす孤児で、二十一歳です。彼が事件の一端を担っているのではないかと、我々は踏んでいます」

「ほう……」

「彼は粗暴なくせに、やけに頭のキレる子でして。少なくともこちらで調査した結果、バラバラ殺人の被害者のリズリー・ミートンの失踪時間に対するアリバイがありません。そして、彼はリズリー・ミートンが、あの小屋で一人でいる時間が多いことを知っていました、何故か。」

「それだけでは、まだ確証は得られないのでは?」

「確かにそうですが。フォロイは以前、頻繁にロータ・システムに接触していました。何をしていたかというと、サイロイドのロータ・システムへの意識拡張を考えていると」

「意識拡張と、バラバラ事件の関連は?」

「……わかりません。ただ、事件がリズリー・ミートンの怨霊の話となっているので。事件の日には必ず、彼の姿を見かけないと協会から報告が来ています」

「それではバラバラ事件は、猟奇事件が発端となった契約者の事件ではなく、もともとあった事件の契約者の仕業だと? この場合、フォロイ・ミルガンが契約者になりますが」

「はい。それで、詳しい調査を依頼したいと思ったのです」

 ミツキはため息をついた。

 複雑で、面倒そうな話だ。

「それで、彼がリロンゾ・ファミリーに近い団体に入り浸っていることも確認しました。それで、事態は我々だけでは手に負えないと、あなた方のところに来たわけです」

 ミツキは納得した。

 マフィアがらみなら、話はわかる。

 それにこれは、保身が一つ欲しくなる話だった。

「わかりました。我々への依頼の件はプールで話した通りです。それでよろしいですか?」

 ロジィは頷いた。

「では、朗報をお待ちください。どのような形になるかわかりませんが」

 ミツキは意味ありげに言って、仕事の話を締め切った。










 ミツキは事務所のソファに座ったまま浮遊ウィンドウを開くと、フォロイ・ミルガンを検索した。

 サイロイド協会会員。住所、協会本部宿舎。年齢十六歳。前科、二年前、近所のペットである犬や猫をナイフで殺害しまわったとして、器物破損の容疑で執行猶予を受けている。

 学校には行かず、協会内で独自教育を受けている。

 ロータ・システムに異様に興味を持ち、すでにグラス・ショット中毒である可能性が高い。

 過激といえば、ロジィの言う通り、ロータ・システムのサイロイド使用に関してもっと公に開放すべきだと主張して回っている点か。

 最近はコープラザ研究所に出入りしているらしい。

 ミツキはそこまでチェックすると、携帯通信機を取り出して番号を入力した。

『……なんか用か?』

 応じてきたのは、トリューユの声だった。       

「フォロイ・ミルガンの件で」

『なんだ、おまえらもあいつを追っているのか』

「そちらも、臭いと?」

『かなりな。ただ、相手のコープラザ研究所の連中はリロンゾ・ファミリーと繋がっていて、手だしができねぇ』

「情けない警察だなぁ」

『なんとでも言えよ』

「コープラザ研究所なら、ウチがなんとかする。フォロイの身柄を早々に確保して欲しいんだけど」

『悪くない話だが。派手にやるなら、こちらも黙っているわけにはいかないってのは、理解しているよな?』

「期待しているぜ、にぃさんよ」

 そう言ってミツキは一方的に、通話を切った。

「さて明日は忙しいよ、イロイ」

 呼ばれて、イロイは立ち上がった。

 無表情な少年は、刀を収めた鞘が入った袋を担ぎ、あくびをした。

「……まあ、なんかわかんねぇけど、斬りに行くんだな?」

「……いや、そうなるけども……」

 ほかに言い方はないのかと、ミツキは思ったが、少年に酷な思いをさせるだけだと気づいたので変な要求をするのはやめにした。



 朝、二人は車に乗り、まずはポトリー・コーポレーションに向かった。

 三階建ての建物、正面に停めて、それぞれ正面玄関から入ってゆく。

中は出勤したての職員たちが、のろのろと鈍い動きで仕事の準備をしている。

 グラス・ショットを口に含んだミツキに迷いはなかった。

 カプセルと噛み砕こうとした瞬間、彼女は左手首を掴まれそのまま、持ち上げられた。

 何のことかわからずに見上げると、銀髪で黄色い瞳の男が、不敵な笑みを浮かべてミツキを見下ろしていた。

「おい、妖怪の一匹を捕まえたぞ」

 ミツキがちらりとイロイに視線をやったが、彼は気配を消して立っているだけで動こうとしない。

 この状況で彼が反応しないということは、男がグラス・ショットでいつでも能力を放てられるということだと、合点した。

 そうなると、ミツキも下手に動けない。

「なんだ、朝から……?」

 社員の一人が、二人に訊く。

 他のサイロイドたちは、それぞれが関心もなさそうに動いている。

「ナインテールの尻尾の一本だよ。どうする?」

「ナインテール? ああ、あの連続殺人の……」

 言ってから、重大なことに気付いたように、数人が驚いて声を上げる。

「やばいだろう、警察にすぐ連絡だろ?」

「そいつら以前、会長を襲撃した奴らだ! ただで帰すな、フォロイ! 丁度、実験体が欲しかったところだ」 

「そうだな。ちょっと付き合ってもらうか」

 フォロイと呼ばれた銀髪の男は、再びミツキを見下ろした。

「貴様には、利用価値があるようだ。よかったな」

 そして、イロイを振り返る。

「おまえは要らないそうだ。何処へでも好きなところに行きな」

 イロイはただ、立ち尽くしているだけだった。

「イロイ、さっさと殺れ! あたしのことは気にするな!」

「お嬢ちゃんは、いいから、来い」

 左腕から吊り上げられ、つま先だけが床に着く恰好で、ミツキは社内の奥へと連れていかれた。

 その時だった。

 二人の姿が見えなくなった瞬間、イロイが跳んだ。

 まず、目の前の机に座っている男に、抜きざまの一閃を喰らわして首を飛ばし、並びの社員を次々と刀を振って斬り倒してゆく。

 一階は騒然となった。

 だが、イロイを止める者は一人もおらず、一方的に社員は斬り殺されていった。

 最後に受付嬢のところに歩いて行った少年は、怯える彼女らに表情のない顔を向けて、やすやすと刀を振るった。

 返り血で染まった黒いパーカーがずっしりと重くなったために、彼はその上着を脱ぎ棄てて、白いTシャツ一枚になった。刀を鞘に納めると、滲んだ血がところどころ赤く染まっているのを気にもしないで、フォロイとミツキを追った。

 エレベーターの数字を見ると、彼らは二階に行ったらしい。

 彼は横にある階段で昇って行った。

 そこは白く薄いキャスター付きの敷居がところどころに立てられた、ラボといった雰囲気の空間だった。

 ミツキはスキャンの機械のようなものの上で、身体を固定されていた。

 床に、ばら撒かれたグラス・ショットのカプセルがあった。

 多分、口の中の物も取り出されているのだろう。

 フォロイの姿はどこを見ても見当たらなかった。

「ミツキ!」

「イロイ、来ちゃダメ!」

 走り出そうとした彼の首の裏に、凄まじい衝撃が落ちてきた。

 一瞬、目の前が真っ暗になり、意識を失いかける。

 だが、イロイは無意識で、その場から離れて何とか頭の中を覚醒させる。

 視界がぼやけたまま、周囲を見回す。

 すると、銀髪のフォロイが二階の入口付近に立っているのがわかった。

 手には拳銃を握っている。

「知っているぞ。おまえはグラス・ショットを全く摂取していない貴種らしいな、イロイ」

 フォロイが腕を伸ばして、イロイの体に狙いをつける。

 イロイは鞘の刀を縦にして握り、足腰に力を込めた。

 そうする間に、ミツキの頭部が機械の中に押し込められていた。

「これが、この少女の契約内容か……」

 傍にいた技師が、機械脇のディスプレイに移った文字列を見ながら呟いた。

「……どうします?」

「全て、消去だ」

 訊かれたフォロイが、簡潔に答えた。

 技師は頷く。

「待て!」

 イロイが叫んだが、間に合わなかった。

 ミツキのホロミーと結んだ契約が次々と消去されてゆくのが、ディスプレイに浮かびあがった文字列でわかる。

「やっぱり、ホロミーとの契約者か」

 フォロイは、納得したように呟いた。 

 銃声が鳴った。   

「おっと、おまえは動かないでおいてもらおうか」

「……殺すぞ?」

 イロイはすでに感情を解き放ち、唸るような声で一言、放った。

「やってみろよ、野生児?」

 イロイが急に笑った。

 フォロイは相手の意図がわからず、一瞬、迷った。

 その時、技師が叫びをあげた。

「なんだこれば!?」

 ディスプレイの文字列が急に不規則になったかと思うと、   

 とたん、室内の蛍光灯がすべて破裂した。

 端末に異様な負荷の掛かる程の電流が入り、浮遊ディスプレイが掻き消える。

 唯一残っているのが、スキャナーとその画面映像だけだった。

『ふん。おまえら、何覗いているか、わかってないな?』

 スピーカーから不機嫌にも取れる愉快そうな、相反した口調の声が響いた。

 スキャン装置が、ミツキを拘束したまま、縦に立ち上がる。

 フォロイは、急いで口の中にグラス・ショットを含んだ。

「……どうなっている……」

 技術者が思わず口にする。

 吊るされた形のミツキに、意識らしきものは無かった。

『おっと。この娘は人質だ。興味ないかね? 私こと、ホロミー・イェーズ唯一の契約者だ』

 室内の視線が集中した。

「ホロミー・イェーズ? 知らないな。何かの酒の名前か?」

 フォロイは笑みを浮かべて、カプセルを噛み砕いた。

 だが、何も起こらなかった。

『甘いな、甘いよ……。おまえは、別の相手だとしても契約を行う者に対して契約を使おうというのかい?』

 意識がないはずのミツキの口角が皮肉に釣りあがった。

「くそっ!」

 急いでもう一つのグラス・ショットを、口にするフォロイ。

『遊びはここまでだな』

 ホロミーの声がした瞬間、フォロイの姿は消えていた。

 同時に、室内があっと言う間に血だまりの空間になる。

 技術者たちは、皆、引き裂かれ、天井付近の壁から腸や細く切った筋肉などで、パーティーの装飾のように飾られる。

 その中を冷静に歩いたイロイは、、ミツキを固定していたベルトを外し、肩に身体を載せた。

『おいおい、どこ行く気だ? お祭りはこれからだぜ?』

 イロイは、ホロミーの声がするデッキを、刀を収めた鞘で思い切り叩き壊した。

「ミツキはおまえらの玩具じゃない」

 言い残し、彼はポトリー・コーポレーションをあとにした。



 車を運転できず、タクシーを呼ぶ手持ち金も持っていなかったイロイは、ミツキを担いで、歩道をひたすら歩いていた。

 ズシリと重い少女の体を、一歩一歩踏みしめながら彼は進む。

 太陽は、下降線を描きつつあった。

「まるで、二年前の頃みたいじゃないか……なぁ、ミツキ」

 イロイは荒い息を吐き、苦笑しつつ独白した。

 まだ、イリーハル・ファミリーとは関係がなかった頃、彼らはつるんで、今と同じ仕事を、貧民窟で行っていた。

 イロイは、古武道の師範のところに個人的に通い、死ぬほどに打たれて帰ってきては、不機嫌にミツキの作ったご飯をもらいに来ていた。

 ミツキは同じ地域の人々から、悪魔の子と呼ばれながらも、様々な犯罪者と契約を結び、グラス・ショットを摂取していた。

 地獄のようなグラス・ショットの能力を使った現場で、自らの行いに嗚咽し吐くミツキとイロイが道を帰ろうとすると、それまで道路にたむろしていた連中はみな姿を隠し、聞こえるように陰口を投げかける。

 そして、中には石を投げて、嫌悪感をあらわにする者たちもいた。

 仕事帰りの二人は、抵抗するような元気がなく、罵声と石が飛んでくる中を、自宅の小屋までとぼとぼと歩いて帰った。

 ボロい小屋は一度ならず、いたずらや火を付けられて、そのたびに住居の場所を変えた。

「今日はうまくいったぜ?」

 包丁の能力で血まみれになりながら、ミツキは仕事のたびにイロイを振り返り、笑って見せる。

 いつかこの場所を出る。そんな希望を抱いてる笑みだった。

 結局は、イリーハル・ファミリーの利権に手を出して、命と変わりにその組織に属すという条件で、貧民窟から抜けてきたが、あの頃の笑みはまだ、時折ミツキは見せていた。

 それがなくなったのは、ホロミー・イェーズと契約してからだ。

 前面に伸びた影が三角の形を作っていた。

 その頂点から、ミツキの手がそこに向かって伸びている。

 イロイは急に不機嫌になりながら、道を歩いた。



 ネットワーク・ステーションで一室を陣取ったサティーブが、早速ロータ・システムにアクセスしていた。

 朝から実験を繰り返しているが、うまくゆかない。

 彼は、ロータ・システムから干渉し、サイロイドの体を乗っ取ろうと試行錯誤しているところだった。

 意識を圧縮して、そこに自分の意思を入れる作業だ。

 だが、どうやっても、不格好な操り人形じみた動きしかできない。

 いっそのこと、生きたサイロイドではない者を利用しようか。

 そう考えていた時、個室ブースのドアがノックされたのがわかった。

 サティーブはロータ・システムと接触を断った。

「どうしました?」

 彼は椅子に座ったまま、ドアを見つめて声を投げかけた。

「開けてくれますか? 重要なお話があります」

 警戒心のサイレンが緊急でサティーブの頭の中、鳴り渡る。

「どちらさん?」

 机の上にばら撒いていたグラス・ショットをまとめて、右手に握り、一錠を口に含む。

 答えはなかった。

 気配も消えている。

 サティーブはしばらく時間をおいて、ネットワーク・ステーションから道路にでた。

 するとそこには、似た顔をした二十代前後の男が三人、黒いスーツを着て、彼をまっていたようだった。

 男の一人が、近づいてくる。

「こんにちは、サティーブさん」

 笑顔だが、口調は棒読みで一切感情の無いものだった。

 サティーブはすぐに察した。

 ドロップス。人間界の取り締まり機構。  

 彼は奥歯のカプセルを迷わず噛み砕いた。

 とたん、先頭にいた一番近くの男のが顔面に数発の銃孔が開き、後ろのめりに倒れた。

 それを見ていた残り二人は、ゆっくりと近づいてきた。

 サティーブは、もう三錠、グラス・ショットを口にして、二人目に拳銃の能力を見舞った。

 最後の一人に彼は向き直った。

「動くなよ。同じ目に合いたいか?」

「構わない。別の者が、君を処理するだろう」

 ドロップスの男は、淡々と言いいつつ、サティーブに懐から抜いた拳銃を向けた。

 カプセルを砕く。

 拳銃は、一瞬にして吹き飛ばされた。

「あんたらに少し用がある。来てもらおうか」

 サティーブは、男を先に進めて、ネットワーク・ステーションに再び戻った。  



「そっちもか……!」

 建築途中でナインテールの犯行予告の結果を視ていたトリューユは、ポトリー・コーポレーションの事件の報告を聞いた。

『こちらは、例のホロミーと同じ手口です。残酷さが今までにないくらいに、派手ですが』

 部下が携帯通信機でつづける。

『どうします? こっち来ますか?』

 一瞬考えたトリューユは、断った。

 詳細な報告書を頼み、目の前の死体に目をやると、通信を切った。

「で、確かなんだな?」

 彼は、鑑識が動く中を立って眺めながら、いつもの青いワンピースを着ているラクサに訊いた。

「そうだよ。ほら、見てよ」

 彼女が浮遊ウィンドウの画面を向けて来る。

 そこには様々なスケッチが、載せられていた。

 中の一枚が目の前にある、包帯で巻かれて釘を全身に打たれた死体とそっくりだった。

 ほかにも、残酷な絵が多数ある。

 犯人はこれを真似たか、実行したかのどちらかで確実だった。

「投稿主は?」

「リズリー・ミートンだよ」

 半ば予想していた答えだった。

 バラバラ事件も、彼女のスケッチにあったものだ。

 だが、そうなると犯人か関係者はリズリー・ミートンということになる。

「もう一度、洗うかぁ」

 トリューユは、空あくびをした。

 あからさまに、これ以上、現場にはいたくないという様子がラクサには目に取れた。

「一度、どこかの店に行こうよ」

 ラクサが水を向けると、トリューユはいちにもなく同意してきた。

 二人は近くのファミリーレストランに入った。

 まだ開発中のファンランドに唯一経営している店で、他の施設が建設中の風景のなかで開店してた。だが、建設員らが仕事中のため、当然のように客はいなかった。

 トリューユはサラダと珈琲を、ラクサはピザとコーラを注文する。

「ピザなぁ。おまえ、あの包帯の中身がどんな感じになっているか、想像してるか?」

 彼がわざわざ指摘してくる。

「してないよ。そんなの気にして契約者はやってられないし」

 鬱陶しそうにラクサは、答えた。

「それより、リズリー・ミートンはどうなったのさ」

「ああ、あれは、フォロイから探す」

 サイロイド協会所属で、壊滅したポトリー・コーポレーションから依頼をうけていた、契約者だ。

「なぁ、ロータ・システムの中で、リズリー・ミートンの絵に興味を抱くような人間がいると思うか?」

 トリューユは、素朴そうに疑問を発した。

 ラクサは考えるような様子で頬肘をたてる。伊達眼鏡がわずかにずれた。

「んー、彼らはほとんどこちらには興味ないからなぁ」

「ちょっと、行ってみろよ?」

「え?」

「ロータ・システムに、直接」

「ちょ!?」

 ラクサはとんでもないことをさせるなという顔を突き出した。

「そんなにビビることでもないだろう?」

「か弱い乙女に何させようとするんだよ!?」

「図太い神経もった女の間違いだ。おまえなら、やれる」

「褒めてない褒めてない、馬鹿にしてる!」

「……まー確かに、褒める気はなかった。事実を言ったまでだ」

「デリカシー持ってよ、トリューユさん!」

「デリ彼氏? そんな趣味はない」

「……面白くないです」

「そうか。残念。せっかく土産話にどうかと思ったんだがな」

「最悪な話だよ。まったく、しょうがないなぁ……」

 結局、トリューユの押しに弱いラクサは、承諾したのだった。

 彼女はグラス・ショットを砕き飲み、精神をロータ・システムに同調させた。

 目前には、光の粒た多数浮かんで、互いに光を浴びせあう、輝きに満ちた空間が広がった。

 ラクサは四方に軸索をのばし、あらゆる情報を集めてゆく。

 人間たちの世間話は、地上と変わらない。

 その中をすり抜けさせて、手応えのあるモノを探す。

 そのうちに一つ、不思議な光球があった。

 明らかに、他のモノとは違う雰囲気をもっているのがわかる。

 具体的にと聞かれれば、わからないが異物がそこにある感じだった。

 ラクサは、興味がわいて軸索を向けた。

 だが、相手はそれを避けるように、逃げていく。

 やはり、何かある。

 確信した彼女は、光球を追う。

 他の、凶暴そうな光の集団の中に紛れ込むのを、寸前で追いつく。

 軸索で逃げ場をなくすように、囲んだ。

「……なんなの、なんの用!?」

 ややヒステリックな声がラクサに届いた。

 ラクサは流入してきた情報に、一瞬呆然となる。

「あんた、リズリー・ミートンかい……?」

「あんたは、やっすいプッシャーね」

 悪態のような口調は想像していたより、態度が悪い。

 ラクサは事件が事件だけに、もうちょっと可憐で謎めいた少女を想像していたが、裏切られたようだ。勝手にラクサ一人で。

「貴女サイロイドでしょ? どうしてこんなところにいるの?」

 驚きが収まると、想像していたモノが、一つ当たっていた事に気づいた。

 やはり[謎めいて]いたのだ。

「……わからないわ」

「地上に降りようとは思わないの?」

 リズリーは訊かれたが、答えなかった。

 代わりに別のことを喋り出す。

「こんなところにいて、変な男につきまとわれて、本当に鬱陶しい限りだわ。あたしはただ、絵を描いていたいだけのに」

「その絵だけど、見せたのは誰?」

 彼女は沈黙した。

 だが、意識はこちらに向けたままだ。

 明らかに、リズリーは知っている。

 彼女は契約したのだ。サイロイドの身の上だというのに。

 人間にしれたら、それこそ、どんな目に合わせられるかわからない、禁忌だ。

 それ以上に、ここにいること自体が異常だった。

 ラクサはもう一度、直接たずねてみることにした。

「貴女、重要な事に目を背けてるね。気づいているんでしょ、自分が死んでいることに」

「あたしは生きてる!」

「なぜか、ここにいるだけよ。あなたの体は、何者かにバラバラにされたわ」

 リズリーはその言葉に黙り込む。

 事実は認識しているようだと、ラクサは思った。

「貴女、人間でもないのに誰かと契約したでしょ? 一体誰と?」

 ラクサは確信を持っていた。

「……わからない。ここに来たばかりだったから……」

「データは? 足跡が残っていない?」

「ないわ。相手がすべてを消していったみたい」

 玄人か。

 ラクサは、近づいてくる気配を察した。

 ドロップスならわかるが、それは人間の物だった。

「今日は、帰るわ。それじゃあ」

 言って、一方的にリズリーから離れると距離を取って、彼女を監視した。

 光の球はふらふらと、リズリーの傍までやってきた。

 軸索が二つの球を結びつける。

「やっと見つけた。リズリー・ミートン!」

 少年の声は、やや興奮気味だった。

「貴方は誰?」

 リズリーの方は及び腰だった。

「俺は、サティーブ・ヴァーリ」

「……まさか、クラスメイトの!?」

 リズリーの態度は急に上ずった。

「そうさ。おれは、君がどうなったか知っている。犯人も捜して、君をここから解放させるつもりだ」

 サティーブは一気に言った。

「ここからって、どうやって……」

「それは、秘密だ。けど、必ず助ける!」

 リズリーはその言葉を聞いて、一気にふさぎ込んでいた気分に、希望を得た。

「あたし、助かるのね!?」

「ああ、もちろんだ」

「貴方がやってくれるのね」

「もちろん! もう少し待っててくれ。必ず君を地上のサイロイドとして元に戻してあげるから」   

 その光が急に曇りだした。

 深い闇のような漆黒の渦が巻く。

「サティーブ……?」

 リズリーは突然に様子がおかしくなった光球に、不安げな声を投げかけた。

「あー、リズリー。また来たよ。おまえの素敵な絵を見せておくれ」

 雰囲気も声質も別物の存在が、そこにはあった。

「誰!? サティーブはどうしたの!?」

 リズリーは、慌てて軸索を切断しようとしたが、何重にもからめとられて、無駄に終わった。

「私だよ。君の絵に惚れた男だ」

「質問に答えてないわ!」

 彼女は精一杯の勇気をだして、相手に抗った。

「彼には、帰ってもらった。なに、いつでも会えるさ。私とも友人だしな。君は犯人に復讐しなければいけない。そのためには、何をすればいいかわかっているかい?」

「友人? それ本当なの……? あたしはどうすればいいの?」

 リズリーの声にやや、逡巡の感情が混ざっていた。

「ああ、サティーブ・ヴァーリだろう。知っている。それよりだ、問題の話に戻るぞ」

 声はあくまで冷静だった。

「犯人に、君の存在を教えてやればいいんだ。そうすれば、相手は焦って馬脚を現す。それまで、ひたすら絵の内容を地上で再現させていけばいい。相手を追い詰めるには、最高の方法だ」 男は、わかったかとばかりに、沈黙した。

 リズリーに怒りが灯った。

 それは、男に向けられたものではなく、自身をここに送り込んだ相手に対してのものだ。

「わかった。好きな絵を持っていって」

 男は新たに書き足していた、スケッチブックのデータをリズリーから受け取った。

「いつもすまんな」

「いいえ、復讐の為だもの」

 陰から様子をうかがっていたラクサは、離れてゆく黒い光球のあとを追った。

「……何か用か、お嬢ちゃん?」

 リズリーが見えなくなる頃、振り返るようにしてラクサに声がかけられた。

 すさまじい圧迫感。

 本能的な恐怖が、ラクサを襲う。

「貴方は……?」

 せいぜい、虚勢を張るので手一杯だった。

「私は契約者だ……あのまま姿を消して逃げてたら、標的にするところだったのだがなぁ……」

 片頬をつり上げる様子が手に取るようにわかる。

 軸索も接触させていないのに。

「じゃあ、あのバラバラ死体も、包帯に釘を打ったのも、貴方ということね?」

「とんだ言われ無き誤解だ。私がそんな事をするはずがない」

「じゃあ、どうしてリズリーにあんなに親しげに?」

「リズリーはいい子だ。私はあの子のファンでしかない」

「復讐するって言ってたわ」

「リズリーの立場を考えてほしいな」

 相手はあくまで冷静だった。

「立場?」

「そう。サイロイドがロータ・システム内にいる。これだけで、事件だ。彼女がドロップスにでも見つかると、削除されるだろう。彼女はここに存在する。その意味するところはなにかを」

「単なるロータ・システムのミスじゃないの?」

「違うな。ロータ・システムは選んでリズリーをここに引き上げたんだ」

「何のために?」

「ドロップスが関わり合っている。契約は元から違法なんだが、ロータ・システムは一向に無くならないそれを、一掃しようとしているんだよ」

「それとリズリーに何の関係が……」

「リズリーは、サイロイドだ。契約を行う側だ。彼女がロータ・システム内にいるということは、ロータ・システムがそれを利用しようという腹が有るということだよ」

 ラクサはまさかというように、眉をしかめた。

「それって、リズリーを使ったサイロイドの大量殺人……?」      「その通りだ。ロータ・システムは、せいぜいリズリーの呪いとして憂さを晴らせば、サイロイドとの接触を閉じようとしている」

「どうして……?」

「我々は、君たちサイロイドのオモチャじゃないんだよ。オモチャは、おまえらサイロイドの方だ。ちょっと、遊びすぎたと、ロータ・システムも考えたようだな」

 長々と喋ったとばかりに、黒い光球は、その場から滑るように他の光の中に移動していった。 ラクサは、意識を降ろして我に返った。

 目前では、四つほどの小さな浮遊ディスプレイを広げて唸っているトリューユがいた。

 少女の様子に気付いた彼は、顔を向けてきた。

「どうだった?」

 ラクサは起こったことと黒い光球との会話をすべて話した。

 ディスプレイの一つでニュースが流されており、ポトリー・コーポレーションの事件も取り上げられていた。

 曰く、リズリー・ミートンの呪いと。そして、ロータ・システムのドロップスは、今回の連続殺人を遺憾に思い、今後サイロイドとの契約を考え直し、現行の契約者とも履行を差し控えることを視野に入れていると報じた。

「呪いか……」

「このニュースは、聞いた話とは逆のことを言ってるね」

「で、サティーブ・ヴァーリという同級生が出てきたか」

「うん。でもあいつ、なんか暴走しそうで……」

「大丈夫だ。身柄は確保する」

「……何を調べてたの?」

 ラクサは、四つもの大仰なディスプレイを裏から覗く。

「ああ、ホロミー・イェーズを調べていた」

 トリューユは言って、それぞれの画面を向けてやった。

「共通点が見つかった」

「おお、さすが! どこ?」

「全てイーハル・ファミリーの都合が悪いところが襲われたんだ」

「イーハル・ファミリー……? でも、表立って動いた様子は、他のファミリーからから聞いてないよ?」

 どういう人脈を持っているのか、ラクサは疑問を呈した。

「だから、多分、外部団体だろうな。イーハル・ファミリーのと事といえば、ミツキ事務所だ」「なるほど。で、これから出向くと?」

「いや、出るのは後でいい。考えたんだが、この情報を、サティーブ・ヴァーリとミツキに流す」

 ラクサは醒めた目をトリューユに向けた。

「悪党ですなぁ」

「なんとでも言ってくれや。俺は、事件を解決させればそれでいいんだ」

 ディスプレイの詳細を読んでいたラクサは、ふと気付いた。

「イーハル・ファミリーだけでなく、リロンゾ・ファミリー関係あるねぇ。イーハルにリロンゾが絡んできてるみたいだ。まだ、イーハルは具体的に動いちゃいないけども」

「まー、その通りなんだがな」

 歯切れが悪いトリューユ。

 眼鏡の位置を直し、ラクサは訊いた。

「幾ら?」

「何がだ?」

 とぼけるトリューユに、ラクサはさも見下した風な顔を作った。

「幾らもらったかきいてるんだよ、兄さんよぉ?」

「……そりゃ、少しは上納金としてもらってはいるが……」

「ほぉ、上納金? ほぉお」

 嫌味ったらしく、ラクサは頷いた。

「このファンランドの開発には、ウチも手を突っ込んでいるんだ。ちなみに金はすべてその名の通り、上に行った」

「情けねぇ……」

「なんとでも言えや」

「とにかく、計画は実行だ」

 この間、トリューユはディスプレイに何か文字を打ち続けていた。

 


 今更な話だった。    

 匿名でミツキのところにメールが送られてきたが、リズリーとサティーブの点など、把握ずみだ。

 リズリーの呪い。

 この言葉は、昼のテレビでも放送されていたので、真新しいものでもない。

「しっかし、警察もよく調べたもんだねぇ。ウチがやったってところまで来てるんだから」

 ミツキが、ソファーで呑気にディスプレイを眺めながら言った。

「呑気だな」

 イロイはぽつりと呟いた。

「警察なんて、どうにでもなるんだよ」

 余裕ぶってミツキは応じる。

「何も背負ってない堅気が、一番厄介なんだよなぁ。このメールはある意味、催促だろうしなぁ」

「背負ってないなら、遠慮なく相手できるだろう」

 ミツキは目を細めて、イロイに笑んだ。

「それは、君だけの話だろう。あたしには色々あるでしょう?」

 イロイは鼻を鳴らして、黙った。

 ミツキにはこの事件の解決は、一つの方法しかないと思った。

 できるかどうか、試してみる価値はある。

 だが、二度とこの事務所に戻ってこれないことになるかもしれなかった。

「イロイ」

「……なんだ?」

「あんた、ここに愛着とかある?」

「憎しみしかないね」

 当然のように少年は口にする。

「……そうだろうな」

 イロイはもともと、孤児だが中流の生まれだった。

 それが面白半分のグラス・ショット契約者に両親を殺されて、孤児になった。

 彼はそれから組織に出入りしながらあらゆる剣術道場に通っていたのだった。

 道場といっても、大抵は実践付きで組織の実行部隊であることが多い。

 仇は未だに見つからないが、契約者にもグラス・ショットにも嫌悪感は強い。

 だというのに、ミツキとつるんでいるのは、彼女が今世紀最大の連続殺人鬼との契約者だったからだ。

 彼の憎悪は、仇を超えてサイロイドに対するものにまで広がっていた。

「とりあえず、やってしまうかあ」

 彼女は伸びをして、立ち上がった。依頼人の件もある。

 陽はすでに傾きかけている。

 イロイが、定位置から玄関に向かってゆっくりと動き出した。

 ミツキは、そのあとから外に出る。

 ドアにカギを掛けて、道路に歩を進めると、中古でオンボロの車に乗った。

 向かったのは、イーハル・ファミリーの本拠地だった。

 構成員たちに丁寧に案内されて、ラージフォルと対面した。

 相変わらずの和室で、三人だけだった。

 それだけ信用されているともいえる。

「で、今日はどうしたね、ミツキ」

 お茶を手にして、ラージフォルは好々爺然としている。

「あのですね、お願いが」

「どうした、ハッキリいいなさい。おまえの願いなら、大抵のことはかなえてやるぞ」

「ありがとうございます。実は、お金を貸て頂たいのです」

「ほう、幾らかね?」

「5億Eドル」

「それはまたデカい金だな。それでどうするつもりだ?」

「土地を買います」

「……わかった、いいだろう。ちょっと待ってろ」

 ラージフォルは、襖の向こうに声を掛けた。

 暫くたって、開いた廊下からアタッシュ・ケース五個を持った若い構成員が三人表れ、ラージフォルの目の前に置いた。

「中身を見るか?」

「いいえ。必要はありません」

 ラージフォルは微笑んだ。

「これは、ポトリー・コーポレーションを潰した礼金だ。帰す必要はない」

「……ありがとうございます」

 ミツキは深々と頭を下げた。

 


 一度、確認に行ったとき、盗聴器とサーモグラフィーを仕掛けて置いていた。

 熱探知機は、今彼が部屋にいる人の熱を捕まえている。

 約一時間ほど沈黙の中、車を走らせると、サティーブの家に到着した。

 二軒ほど離れたところに車を止める。     

 ミツキはサーモグラフィーを確認して、違和感があるのに気付いた。

 体格が違うのだ。

「誰だ……?」

 そのままの襲撃は避けて、車内で様子を見ることにする。

 サティーブが一人暮らしをしている家の場所は、すでに調査済みだった。

 そこへ、ぶらりとサティーブがフロントガラスの向こうに現れて、家に向かった。

 なんの警戒心もない様子だった。  

 家は木造マンションである。

 六部屋の内、三部屋しか埋まっていない。

 二階の奥がサティーブの部屋で、彼は鍵を開けて中に入っていった。



 サティーブが玄関を開けると、部屋に電灯がともっているのに気付いた。

 すぐに、グラス・ショットを口に含む。

 ゆっくりと、だが何時でも動ける態勢で、リビングのドアを開ける。

 そこには、銀髪で瞳の黄色い青年が、ソファーに腰かけて、疑似ビールを飲んでいた。

「やっとお帰りか」

「誰だ、あんた」

 警戒心丸出しで、サティーブは相手の語尾にかぶせた。

「名前はフォロイ。サイロイド協会の者だよ」

「それが、なんの用で俺の家に来ている?」

 フォロイは疑似ビール缶を煽り、彼を見た。

「おまえがやっている実験だがな。いわゆる、禁忌というやつだ。早急に止めてこいといわれてな」

 サティーブは、思考を抜き取られているかのような感覚に陥った。

 盗聴器で会話を聞いていると、ミツキにはチャンスができたと思った。

「実験?」

 あえてサティーブはとぼけて見せる。

「とぼけるか」

 フォロイは嗤った。

「おまえが、サイロイドを乗っ取れるかどうか試しているのはわかっている」

 平坦でつまらなそうな口調だったが、サティーブには十分効果があった。

「止めるって、どういうことだよ? 俺を始末にでもきたのかい?」

 彼は今にもカプセルを砕こうとするような雰囲気をまとった。

「この件から手を引け。学校に帰るんだな」

 サティーブは一気に怒りに火がついたのを自覚した。

 無理やり自分の感情を抑えて、なんとか平静を装う。

「せっかくですがね。冗談じゃない」

 フォロイは聞くと、缶をもうひとあおりして、ため息交じりの息を吐く。       「そうなると、始末しなければならなくなる」

「サイロイド協会が、どうしてロータ・システムの話に介入するんだ?」

「そりゃ、サイロイドを乗っ取ろうとするからだろう」

「迷惑をかける気は毛頭ない。サイロイドといっても、ドロップスが使っていたものを利用させてもらう予定だし」

「それが、ロータ・システムを怒らせるんだよ。引いてはサイロイドの管理・管轄を行っているサイロイド協会に巡り巡ってくる」

「それが仕事だろう。頑張れよ」

「決裂だな」

 フォロイは、空の缶を放り投げて、壁にぶつけた。

 その時、玄関のドアが開いた。

「フォロイ・ミルガン、動くな!」

 リビングに少年と少女が飛び込んできた。

「なんだ……!?」

 フォロイは、邪魔くさそうに眼をくれただけだった。

「あんた、たしかミツキとイロイ……」

 サティーブが二人を視止めてつい、声にだした。

 彼女の前面には、今にも刀を抜きそうに構えたイロイが立っていた。

「久しぶりね、サティーブ。元気が有り余ってたようで安心したわ」

「まったく。邪魔が入る」

 フォロイは不機嫌そうに呟いた。

「フォロイ、サティーブ。二人とも、付いてきてもらうわ」

「そんな義理はない」

 フォロイが即答する。

 だが、いつの間にかイロイの刀が彼の首筋にそえられていた。

「……飲み込む前に、斬る」

 静かだが、イロイの言葉には異様な迫力があった。

「どこに連れていかれるのかな?」

 フォロイは、驚いた風もなく訊いた。

「それは、着いてからのお楽しみ」

 フォロイはミツキの言葉に、仕方がないとばかりな顔でサティーブに向ける。     「待ってくれ、俺はただリズリーを救いたいだけなんだ。あんたらの争いになんか、興味はない」

 少年は真摯に訴えかけるような声だった。

「リズリーを、救いたいのかい」

 ミツキの短い答えにサティーブは首を振った。

「ああ。今日の昼間、サイロイドで試してみたんだ。そして、リズリーは地上に落とすことができる。リズリーがロータ・システム内にいることはイレギュラーだが、それを望んだ奴がいたせいだよ。問題は、そいつだ」

「何者だ?」

「わからない。だが、そいつをやれば、試す価値はあるし、リズリーの事件も解決する!」

「楽観的だな。まあいい。うるさいからもう黙れ」

 ミツキは、二人にグラス・ショットを吐き出させて、ストッキングの猿轡を噛ませると、後ろ手に手錠をはめた。持っていたカプセルも全て没収する。

 そして、二人を外に出すと車のトランクに放りこんだ。

 後部座席にイロイを乗せると、ミツキは車を発進させた。



 ミツキは、建物の一室で二人を解放した。

 フォロイもサティーブも、何が何だかわからない顔をしている。

「ようこそ、コープラザ研究所へ」

 ミツキが改めて二人に、向かう。

「コープラザ……?」

 フォロイが部屋を見回す。

 一面白い壁で、パイプ椅子が六個立てかけられただけの、何もない広い空間だった。

「ここはファンドランドだ。引っ越したんでね、研究所は」

「で、何しようっていうんだ?」     

フォロイはすっかり毒気を抜かれた様子だが、まだサティーブの目は隙あらばと伺っているようだった。 

「特別だよ。試してもらって結構だ、サティーブ」

 パイプ椅子を一つだけ自分用に持って来て、ミツキが座った。傲慢そうに足を組むが、少女からは色気も威圧げな雰囲気も何もなかった。

「……なにを……?」

 サティーブが、やっと口を開く。

「リズリーを救いたいんだろう? 実験していい。ここには、設備がそろっている。好きなだけ試しなよ」

「まて、それは……」

 フォロイが叫びかけるところに、イロイの刀の切っ先が向けられた。

「黙ってろ、サイロイド協会の犬は。おまえは、協会に対しての人質だ。自覚すろよ?」

 ミツキは薄い笑いを見せる。

「……どこに行けばいい?」 

「下の階で、研究員たちが働いている。そこを自由に使えばいい。すでに言ってある」

「わかった……」

 サティーブは、最後までミツキから目を離さないようにして、ドアをくぐった。

「どういうつもりだ?」

 フォロイがイロイを警戒しつつ、訊く。

「どういう? あたしは事件を解決しようとしているだけだよ」

「ドロップスが黙ってはいないぞ」

「安心しなよ。そっちの処置もしておいた」

「処置?」

 フォロイは検討がつかない様子だ。

 ミツキはただ、笑みを浮かべるだけだった。



 いうほどのものはあった。

 研究所にふさわしい、空間がサティーブの視界に入ってくる。

 キャスター付きの壁でところどころ遮られているだけの広いフロアーで、白衣の男女がそれぞれ、作業にいそしんでいた。

「君がサティーブ君だね」

 話しかけてきた男は表情が虚ろで、動きもどこか角ばったところがある特徴のない容貌をしていた。

 ドロップスと同じタイプのサイロイド。

「ええ……」

 返事をすると、男はグラス・ショットを数錠渡して、部屋の中に向き直った。

「客人だ。全員、カバーを脱いでいいぞ」

 その言葉が終わった瞬間だった。

 部屋は急に丸い空間に様変わりし、白衣の研究者たちもサイロイドの形をかきけすようにして、丸い光の球になった。

「これは……」

 自身も同じ姿になり、彼は混乱したようだった。  

「驚かせたようだね。ここはロータ・システムの一部。地上とリンクさせた所さ」

「リンク……」

「元々、ファンランドは高度情報化都市として開発されているんだ。これぐらいはできて当たり前という、設計なんだよ」

「それじゃあ、リズリーに会えるということですか?」

「試してみたまえ。ちなみにここは地上でもある。昇ってみるんだね。サイロイドは数体用意してある。使いたければ、君の自由だ」

 サティーブは彼女独自の光球を探して、丸い領域から出て上昇した。

 やがて、独特の光を放つ球を一つ見つけると、彼はゆっくりと軸索を近づけて行った。

「リズリー!」

 軸索は繋がり、光は彼の声に気付いたようだった。   

「サティーブ!?」

「やあ、待たせた。君を助けることが出来そうなんだ!」

「本当に!?」

 リズリーは素直に喜びに満ちた様子を見せた。

「ああ、だから安心して。これからちょっと情報を弄るけど、大人しくしていてくれ」

「いいわ、あなたに全て任すから」

「ありがとう」

 サティーブはリズリーを軸索で巻く様に様々なところに接触させた。

 確かにどこから調べても、ロータ・システム内の人間のような情報体だった。

 だが、思い付きを試してみる。

「さあ、リズリー。これを飲んで」

 グラス・ショットだった。

 彼女は迷いなく、自身の体に入れる。

「そして、こいつと契約するんだ」

 連れてきたサイロイドの一つを、引っ張ってくる。

「契約って、何を……?」

 やや戸惑った声で、新たに表れたサイロイドを見る。

「全てだ。自分を自由に使わせる契約だよ」

 リズリーは一瞬難しそうにしながら頷いて、言われたとおりにする。   

 そういった一挙一動が情報として、サティーブに流れ込んでくる。

 やがて、サイロイドとの契約が結ばれた。

 


「これは……!?」

 意識を戻したサティーブが見たものは、バラバラにされて、フロアの一か所に集められた少女の身体だった。 

「どうやら、君が考えた方法は失敗のようだね……」

「そんな……リズリー……!」

 リズリー・ミートンそのもののサイロイドの死体に近づいた。

「もう一度、やらせてください!」

 いうが早いか、サティーブはすぐに再び、ロータ・システムに接触していた。

「サティーブ!」

 今度はリズリーのほうから接触してきた。

 彼女はまだ生きている!

「どうしてなの!? またあたし、あの時みたいに……」

「落ち着いて、リズリー!」

 サティーブは彼女を宥めようとしたが、言葉が続かなかった。

「……ちょっとした、手違いだ。もう少し待っててくれ。必ず、君は助ける」

 彼は言うと、名残惜しそうに軸索を離し、地上へ戻った。

 丸い下層のロータ・システムに戻ると、彼は部屋から出た。

 サイロイドとしての身体が戻り、視界に廊下が続く。

 階段をのぼってから、ミツキ達がいる部屋に戻った。

「……ミツキ、俺はどうすればいいんだ?」

 サティーブは入るなり、酷く落胆した様子で訊いた。

「もう、わかったでしょう」

 ミツキのものは冷たいと感じさせる口調だった。

「ミツキは、ロータ・システム内で生かされているのよ。その契約者にね」

「そいつは誰だ?」

「わからないわ」

「契約者を割り出すことぐらい、できるだろう」

「やってみたけど、無理だった」

 サティーブは、思い切り壁を足の裏で蹴った。

「くそっ!」

「でだ……ここまで俺たちを連れてきた理由は?」

 まるで他人事のような場違いな雰囲気で、落ち着いた声が響いた。

 フォロイだ。

「あんたなんか最初から数に入れてなかった」

 ミツキはあっさりと本音を吐き出した。

「正直、さっさとドロップスのところに帰ってほしい存在だわ」

「……言ってくれる」

「でも、一つ頼みをかなえてくれるなら、解放するのを考えなくもない」

「頼みねぇ……」

 フォロイは興味があると言いたげだった。

 ミツキは察して頷く。

「リズリーの契約者が誰か、ロータ・システムから調べてほしい」

「そんなもの、協会に頼めば、一発だろう?」

「すでに頼んだけど、見当もつかないというのが返答よ」

「ちょっと、待て」

 サティーブが声を上げる。

 彼はリズリーの光球を見て、感じるところがあったのだ。

「もしも、リズリーから、全ての契約を解除したなら、彼女の存在はどうなる? 彼女がロータ・システムにいるのは、契約したいというやつがいたからだ。そいつが存在しなくなった時、リズリーはどうなるんだ?」

「……異物として、ドロップスが排除ね」   

ミツキは答えて続けた。

「そうなる前に、彼女を助ける方法はあるけども……」

「助けるだと!? どうするんだよ!?」

 自らの失敗に苛立っていたサティーブは、叫んでいた。

「ロータ・システムを限定する」

「……限定?」

サティーブは何を言っているのか、わからなかった。

「例えば、あんたが下の階で見たようなね」

「あれか……」

 ラボの正体は、まさに局地的なロータ・システムのような感じを受けていた。

「やるよ」

 ミツキは浮遊ウィンドウを開き、短く、だがハッキリと宣言した。

「やるって、ちょっとま……」

 とたん、カーテンを閉めていない窓の外が急に明かりであらゆるところから照りだした。

 サティーブとフォロイは思わず自分の身体を見下ろしたが、特に異変はなかった。

 二人はすぐに、身を乗り出して窓の外を覗く。

 天高くあったはずのロータシステムが、窓から見ると、完全に地上に降りてきていた。

「これは……」

 サティーブは驚きのあまり、疑問の言葉を続けられなかった。 

「ファンランドを閉じた」

 ミツキが何でも異様に、一言で説明しようとしたようだった。

「それだけで、わかるか!? 何したんだよ!?」

 サティーブはが思わず怒鳴った。

「自動的にリズリーの契約者は、ここに閉じ込められている」

「なぜ?」

 フォロイはその確信の理由を聞いた。

「バラバラ殺人はすでに契約者のモノだからだよ。降ろしたリズリーがそうなったのも、その相手がここにいるということになるの」

「なるほど……だが、俺には関係がない」

 フォロイは同じく、バイプ椅子を取ってきて座った。

「むしろ、ここから出して欲しいものだね」

「残念ながら。もう遅い。空間を歪曲させて、ねじ切った」

「殺しても殺したりないなぁ」

「だけど、あたしならまた、ファンランドを解放することが出来る。たかが、契約者風情に、そんな高等な技術はねぇだろうよなぁ」

 フォロイは、機嫌悪そうに腕を組んで鼻を鳴らした。

「なら、まだチャンスはあると!?」

「そういうことだ。契約者から解除させれば、リズリーは自由になるかもしれないな」

 サティーブに、ミツキは余裕ぶって言った。

「この町のどこかにいるんだな?」

 右手だけで浮遊ディスプレイを広げたフォロイは、ファンランドの地図を広げていた。

「ああ、どこかに潜んでいる。ほれ、あたしも行くから、それぞれで連絡取りあってさがすんだよ」

 ミツキは二人にそれぞれ、グラス・ショットの小瓶を投げてよこした。

「ったく、面倒くせぇ役回りになったもんだなぁ、俺も」

 パイプ椅子から立ち上がって、フォロイはぼやいた。

「あんたなんて、最初は数に入ってなかったんだから、名誉だと思うことだな」

「名誉?」

 彼が訊き返す。

「連続バラバラ事件の犯人を捕らえる名誉だよ。なかなかのもんだろう?」

 ミツキの言葉に、フォロイは力なく手首を振った。

「どーでもいい事だよ、そんなもの。俺はただ、サイロイド協会に雇われた契約者でしかないんだからな」

「そのサイロイド協会も、ここでは何もできねぇけどな」

 低くミツキは含み笑いをする。

「あーそうかい。脳にでも刻んでおくよ」

 サティーブが、小瓶の蓋を開けて、床に放り投げた。

 中身を全てポケットに入れて、一錠だけ、口に放る。

「さて野郎ども、狩りの時間だぜ?」

 ミツキが叫ぶと、三人は、悠然とドアから外に出た。



 浮遊ディスプレイにサーモグラフィー機能を起ち上げ、衛星からの映像と重ね合わせる。

 契約者と思われる、サイロイドは今のところ見つからない。

 フォロイは歓楽街としても発展させようとした街並みの中、すでに充満している光球のをよけながら歩いていた。

 彼の能力は二つ、暴走する車が交通事故をおこした圧力の衝撃。移動にも攻撃にも使えるものだ。

 これを持っていたのは、スピード狂の人間でサイロイドで遊んでいた時に何度もやらかしたという。

 だが、契約してしまえば、相手は二度と同じことが出来なくなる。

 サイロイド協会では、そういう事故を起こした人間から契約という形で、地上での再発を防止する契約を奨励していた。

 いわば、協会は事故・犯罪者の巣窟ともいえる。

 彼らは、ひそかにリズリーの件も奪おうとしていた。

 丁度良くフォロイが関わることになり、めでたしめでたしだと彼は自嘲する。

 バラバラ殺人犯のプロファイルはすでにできていたが、役に立ちそうもなかった。

 周りに隠すように捨てるのではなく、犯行現場に無造作に投げ捨てられているこの形の意味合いは、ルサンチマンそのものだ。

 社会への、あるいは何かへの怒り。

 そして、性的意味合いも薄い。

 年齢は十代から五十代まで。身長・体重も特定ではない。仕事はブルーカラー・ホワイト・カラーの両方の可能性がある。無職は除外してよいが。

 これでは、どこの誰でもいいことになってしまう。

 ただ、誰からも警戒心などは抱かせない存在とだけ、特別な注意事項が出ていた。

 フォロイはサーモグラフィーを目の隅に置きながら、町中をぶらぶらしていた。

「いたわ、契約者よ!」

 突然の声に、フォロイは視線をやる。

 そこには、明らかに警戒したサイロイドたちがあっという間に集まり、こちらを睨みつけていた。 

「なんだ……?」

「ここは貴様らのような奴らが、来るところじゃねぇんだよ!」

 男が一人、フォロイに叫んだ。

「そうだ、帰れ!」

「帰れ!」

 声が連続する。  

 帰ることが出来るなら、とっくにやっている。フォロイは嗤わざるを得なかった。

 彼らの後ろから、角材やバットを持った男たちが割って前に出て来る。

「おいおい、ちょっと待てよ。俺はおまえらなんて相手にしてないぜ?」

 フォロイの言葉は、サイロイド達を逆に激高させたようだった。

「ふざけるな! これを見てもまだそんなことを言えるか!?」

 男が浮遊ディスプレイを大きく開き、映像を見せた。

 そこは、路地裏らしき場所で、例によって例のごとく、身体をバラバラに切断され、行儀よく積み上げられた少女の姿が映っていた。

 リズリーの新しい絵の一つだ。

「……それは……いつのだ?」

 フォロイは訊いた。

「ついさっきだよ! 貴様か、貴様の仲間に違いないだろう!?」

「そんなことはどうでもいい! 場所は!?」

 フォロイが大音声を上げて、騒いでいる者たちを黙らせた。

「案内しろ!」

 四人ほどの男が、彼を囲むようにして、道を開けさせた。

「実際に見てみるんだな」

 嫌味たっぷりな言い方だったが、フォロイには関係がなかった。

 サーモグラフィーで辺りの人間を探りつつ、十分も通りを行き、細く暗い建物の間の道に入ると、サイロイドの少女が作る塚のような姿があった。

 同時にサーモグラフィーに反応があった。

「……これは……」

 熱探知機は、バラバラになった少女の頭部を赤く染めていた。

「リズリー……?」

「その通りだ」

 男の声が、路地の奥から発せられた。

 フォロイは咄嗟にグラス・ショットを口にする。

「誰だね。出てきたまえ」

 影が伸び、そこに現れたのは、タンクトップとオーバーオールスカートを来て、ニーハイを穿いた、ショートカットの少女だった。

「ミツキ!?」

 彼女はゆっくりと首を振った。

「違うな。今はミツキは寝ている」

 確かに、彼女の雰囲気は全く違っていた。

 まるで周りの人間を魅了するかのような、物腰と表情。

 ついてきた人々は、元々の優れた容姿もあり、一瞬にして夢中にさせてしまった。

 この、存在感。どのような者でもまるで自分の旧知の友人のようにしてしまう、能力。

 一介の契約者が持つ引き寄せの力など遠く及ばない本物の魔力的魅力。

 フォロイはミツキについて聞いたことはあった。

 史上最悪の連続殺人鬼と契約していることを。

「……貴様、まさかホロミーか!?」

 フォロイは思わず、一歩後ずさった。

「ほら、そこの子。まだ死んでないんだぜ? これこそ、芸術だよなぁ」

「こんなところで、また殺人か……」

「おっと、待て待て。勘違いされちゃ困る。これは俺じゃないぜ?」

 ホロミーの意識を持ったミツキは、少女を指さした。

「よく見ろよ。こいつを」

 言われて、フォロイは少女を見直した。

 そこにいたのは、何度も映像で見た、リズリー・ミートンその子の姿だった。

「これは……」

「リズリーの怨霊といわれていたらしいが、面白いな。本当はリズリーの呪いといったほうが、ピッタリというものだがな」

「リズリーの呪い……?」

 ショートカットの少女は頷いた。

「この子はなぁ、絵を一枚描くたびに、その姿で地上に現れることになっているんだよ」

「訳が分からない。どういうことだ?」

 フォロイはついつい、ホロミーの意識に訊いていた。

「それはな、小屋を追い出され、ロータ・システムに自ら飛び込んで、サイロイドと契約した挙句の始末さ」

「リズリーが、契約をしただと? サイロイドにそんなことが出来るのか!?」

「現にやったじゃないか。契約は人間相手からではないとできないことになっている。サイロイドはあくまで受け手として、それを受け取る。だが、サイロイドが契約をしたとしたら、どうなる?」

「サイロイド自身がその契約の姿を取る、ということか?」

「その通り」

「だが、契約者がいるんだろう、そいつはどうなる? いや、契約者はおまえじゃないのか、ホロミー!?」

「違うな。契約者は、画廊のオーナーだ。ごく普通のサイロイドだよ。絵を欲しがったんだ。ただ、それだけだな」

 フォロイは絶句した。

 誰もいない小屋で、いつも一人絵を描いていた少女。

 その居場所を失くした彼女が、ロータ・システムに入り込んだ途端に起こった事件。

 あまりにも救いがなかった。 

「いや、俺もこの子の絵の才能は認めているんだぜ? 現に契約が発動した時は自ら見に行っている」             

「……だからどうしたよ?」

 フォロイは内心の怒りを抑えて、普段通りの声をだした。

「おやおや、お気に召さなかったかな? どこがどうなのかはわからないが……」

 フォロイは彼の言葉が終わる寸前に、グラス・ショットを噛み砕いていた。

 だが一瞬早く、ミツキの身体は路地の横に走る道に姿を隠していた。

 280キロの衝撃は空を切った。

 フォロイは舌打ちする。

 もう一錠、手で投げ込むように口に含み、後を追う。

 だが、急に上から影が降ってきた。

 素早く拳銃を抜いて頭上で横に向けると、ダストカバーにすさまじい圧力がかかり火花が散った。

 イロイによる刀の一撃だった。

「小僧……このままでいいのか!?」

 フォロイは思わず叫んでいた。

 二撃目は、胴を狙った横薙ぎのものだった。

 これも、銃身で真っ向から受け止める。

「お前の相棒は、連続殺人鬼に乗っ取られてるんだぞ!?」

 必死に、フォロイは声を上げる。

「構わない。ホロミーが満足すれば、すぐにミツキと代わる」

 刀を構え、イロイは平坦な口調で言い放つ。

「おれは、ミツキさえ守れればそれでいい」

 フォロイは舌打ちした。

 こういう頑固なのが最近多すぎる。

 サティーブといい、このガキといい。

 タイミングを計って、フォロイは後ろに跳びのきつつ、拳銃をイロイに向けた。

 三発連続で撃つが、射線上を完全に見切っていたイロイには、一発も当たらなかった。それどころか一気に間合いを詰められて、袈裟懸けに刀を振り下ろしてくる。

 フォロイの着崩したスーツの一部が、切っ先で切断される。

 避けたはいいが、着地に失敗して足元がよろけた。

 逃すイロイではない。

 そのまま、フォロイの左腕を斬り下ろした。

「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!」

 激痛に思わず叫ぶ。  

 イロイは間髪を置かずにそのまま、反動を利用して止めの一撃を喰らそうとしたが、いきなり真横の路地に飛び込んだ。

 銃声が二発。

 フォロイのものではない。

 出口付近に立っていたのは、サティーブだった。

「全て聴いたぞ!」

 彼は怒りに震えているようだった。

「おや……サティーブ君。ずいぶん遅い現れ方じゃないか」

 脂汗を浮かべながら、フォロイは無理やりにやけてみせた。

「くそ! ミツキの奴はどこ行った!?」

「さてな……近くにいることは、確かだ」

「グラス・ショットで先制なんてことになったら、シャレにならんぞ、兄ぃさんよ」

「それも、そうだ……」

 フォロイは、真っ青な顔で頷いた。

 何とか、自分で袖をちぎり、肩口に巻いて腕の止血する。

「ミツキが殺されたのではなく、ただ画商と契約してだなんて……」

「それだがな……本当に画商か? ミツキを乗っ取っていない状態の、ホロミーという可能性はないか?」

 フォロイの推測に、サティーブは考えた。

 ありうる。

「ファンランドに画廊は?」

「おいおい……こっちゃ、片腕しかないんだぜ?」

 フォロイは、二の腕の途中からなくなった腕を振ってみせようとして、激痛に顔をゆがめた。

 サティーブは自分で浮遊ディスプレイを開き、ファンランドの地図を映し出す。

 そこから、画廊の検索を行った。

 あった。一軒。

 場所は、通り向こうで、二十分ほど歩いて行ったところである。

 報告すると、フォロイは納得したように頷いた。

「リズリー……」

 彼は、バラバラ死体の肉でできた塚を見て、悲しげに呟いた。

「そこにいるのは、抜け殻だ……多分ホロミーも、画廊に行けば現れるだろう」

 フォロイは、グラス・ショットを含みながら、残った方の腕をサティーブの腰に回した。

「なんだ?」

 いきなりで、驚くサティーブを無視して、フォロイはグラス・ショットのカプセルを噛み砕いた。

 一瞬にして、路地裏から、人通りのある表通りの歩道に到着した。

 サティーブを放すと、フォロイはあたりを見回す。

 石畳の道に、同じく岩盤やタイルを使った建物が多い、落ち着いた通りだった。

 人々の姿もまばらで、光球の数もそんなに多くない。

 画廊は、小さな鉄板打ちの看板を軒先の高いところに吊るし、ドアはアーチ状になっていた。

 すでに夜も遅いというのに、中は光が煌々と照っている。

 サティーブは、グラス・ショットを含みながらゆっくりと、中に入った。

 絨毯敷きの中で飾られている絵に目をやる。

 それは、どれも鉛筆画で、残虐と嗜虐を一つの形として完成させたものばかリだった。

 冷え冷えする画廊内で眺めていた彼に、一瞬震えが来た。

 リズリー・ミートンは、一人でこのような絵ばかり描いていたのだ。

 学校にも行かず家にも帰らず、こうして公開されることなど考えもせず、ただひたすら。

「ここには、リズリー・ミートンの醜悪な面などでなく、その孤独を集めていると分かってもらえるかな?」

 急に少女の声がした。

 奥の螺旋階段から、一歩づつミツキがこちらを見ながら降りてきていた。

「ホロミー!」

 サティーブは叫んだ。

 だが、グラス・ショットを使うのを躊躇った。

 相手の身体は、ミツキなのだ。

 遠慮がなかった男がいた。フォロイだ。

 彼はカプセルを奥歯で噛み砕いた。

 が、次の瞬間、絨毯に足を付けた彼女の前にイロイが表れ、気合とともに刀を縦に振った。

 すさまじい風が彼ら二人を通り抜けたかと思うと、奥の壁二か所に大穴が開いた。

「まさか、斬った!?」

 フォロイは驚いて声を上げた。

 イロイはゆっくりと刀を鞘に納めて、腰を低くし、居合抜きの構えを見せる。

「……イロイよ、そいつはミツキじゃない、ホロミーだ。それでもおまえはそっちに味方するのか?」

 フォロイが呼び掛けても、少年の様子は変わらなかった。    

「ミツキはミツキだ」

ホロミーが笑い声をあげる。

「聞いたかね? イロイは本質を突いているよ。私はただの契約相手でしかないということにね」

「なら、出て来るな!」

 サティーブが、カプセルを砕いた。

 イロイの陰になっているミツキの右肩が後方に押されて、腕が舞った。

 銃弾が、命中したのだ。

 ホロミーは不思議そうな顔で、肩の傷を見たが正体不明の笑みを浮かべただけだった。

「殺るぞ?」

 イロイが言ったが、その首元に細いしなやかなミツキの手が撫でて、待てと耳元でささやく

「君たちには、ここでゆっくりとリズリー・ミートンの絵を鑑賞してほしいな」

 ゆっくりと前に出てきたホロミーは、血を滴らせながら、一枚の絵の前で足を止めた。

「例えば、これなんかどうかね?」

 二人が見ると、そこには頭が左右に割れ、髑髏から伸びた眼球が結ばれて垂れていた。

「これなど、なかなか示唆に富むものではないか」

 絵を見て、サティーブは気付いた。

 ここはホロミーとリズリーの空間だと。      

 ホロミーは、ここに掛かっている絵を全て再現することができるのだ。

 だが多分、五十枚以上ある絵が存在している間だけだ。

 サティーブは、思いついたことをフォロイに呟いた。

 彼は一瞬、驚くが納得したらしく、同意した。

 店の奥、穴の開いた壁にある窓には、サテンのカーテンが閉められていた。

 フォロイは、すぐそばまで、グラス・ショットで移動した。

 瞬時に位置を変えた、彼はポケットから禁煙中のため、普段使わないジッポライターを取り出す。

 カバーを開けて、カーテンに火をつける。

 それはすぐに燃え広がり、煙が室内に立ち込めだした。

「何をしている!?」

 初めてホロミーが動揺した。フォロイは意味ありげにニヤける。

「おっと……」

 瞬間に少女の身体が、ドア口を破って吹き飛んだ。

 グラス・ショットだった。

 できるだけ力を加減したつもりだが、意外なほどに威力はあった。

 炎は画廊の壁に燃え移り、ゆっくりと、リズリー・ミートンの絵を飲み込んでゆく。

 フォロイはサティーブと、煙に巻かれるまえに店を出た。

 遅れて、イロイが跳び出してくる。

「惜しいことを……」

 見ると、すでに立ち上がっていた少女が、炎に見入っていた。       

「……さて、ホロミー。そろそろミツキを返して貰おうか?」

 フォロイは、少女の背後から声を掛けた。

 ショートカットの頭が、肩越しまで回って、彼を見る。

「……貴様ら、これだけのことをやっておきながら、何を都合のいいことを言っているんだ?」

 声には怒りが充満していた。

 向きを変えようとするが、彼女は無表情で傷の痛みに片膝をついた。

 舌打ちが聞こえる。

「覚えていろ。私がロータ・システムに存在する限り、リズリー・ミートンの呪いは続く」

 いうと、少女はそのまま、道路に倒れた。

 フォロイとサティーブが駆け寄ろうとすると、イロイが切っ先を当てて阻止した。

 代わりに、彼がミツキに近づく。

「おい、大丈夫か?」

 覆いかぶさるようにして訊くと、少女は薄く目を開けた。

「ああ、イロイ……」

 手を彼の頬に当てる。

「傷はどの程度だ? 立てるか?」

「大丈夫よ。ちょっと血が抜け過ぎただけ」

 イロイは、彼女の髪を結んでいるリボンを片方取り、肩の止血をした。

「ほら、もう大丈夫だ」

「ありがとう」

 ミツキは微笑んだ。

 何とか、イロイの力を借りて、立ち上がる。

 目の前には、殺気を隠しもしないフォロイとサティーブがいた。

「あんたたちにも、迷惑かけたね」

「迷惑なんてもんじゃねぇ」

 フォロイが、痛そうに切断された腕を振る。

「ミツキ、今すぐロータ・システム内のホロミーを殺せ」

「無理よ。サイロイドは、人間に危害を加えることが出来ない仕様になっているから」

「なら、ホロミーは野放しか!?」

「そうね。でも、意図を挫くことはできるよ」

「是非、そうしてもらいたいものだ」

「リズリーはどうなる?」

 一番重要だとばかりに、サティーブが口を挟む。

「リズリーは……」

 言いずらそうに、ミツキが言葉を途中で止める。

「くそ!」

 サティーブは、道路を思い切り蹴るように、踏んだ。

「でも、手がないこともない。せめてもの希望だけども」

「それでもいい、なんでもいいんだ! リズリーさえ無事なら」

「それとこれとは、ちょっと違うかもしれないわね」

 苦い様子でミツキは言った。

「とにかく、コープラザ研究所に戻りましょ」

 ミツキが言うと、イロイに肩を抱えられながら先導した。



 研究所に着く頃には、憔悴したミツキとフォロイが、倒れこむように、ラボに設置されたベッドに体を載せた。

 それぞれに急いで、看護師があらわれて、傷口を診る。

 ミツキの傷は鎖骨を砕き、貫通弾創になっていた。

 血管を縫合し、骨の破片を抜くと、活性細胞を銃孔に流し込んでゆく。

 フォロイは、切断された部分の腕をすぐに用意されて、結合手術が行われた。

 その間に、残ったイロイとサティーブには、同じ空間の部屋で食事が出された。

 といっても、シチューのお椀が一つだけだが。

「おまえ……どこまで本気だった? もし俺がもっと攻めていたら、殺しに来てたか?」

 暫く無言でスプーンを口に運んでいたサティーブが、ふと思いついたかのようにイロイに訊いていた。

「……ああ、遠慮なく」

「やっぱりなぁ……」

 サティーブは改めて納得したような顔になった。

「俺も、リズリーに何かあったら、遠慮なんてしないからな」

「そうか。好きにすればいい」

 まるで相手にしてないかのような、簡単な返事だった。

 それでもサティーブは追及するのはやめた。

 この少年は、正直すぎるのだ。

 今までの態度を見てきてわかった。

 殺すといえば殺すし、殺さないといえば殺さない。

 そんな単純な世界で生きているらしいと、サティーブは感じた。

 手術も終わり、局部麻酔の掛かったミツキとフォロイが、二人の机に来た。

 同じくシチューがふるまわれる。

「……ところで、閉鎖したというこの町を、解放してほしいんだがなぁ」

 フォロイは左手で不器用にスプーンを使っていた。

 視線が集まったミツキは顔も上げずに、シチューを啜っている。

「……リズリー・ミートンを解放しろって言うの?」

「そもそも俺には関係がない話だ」

「なら黙ってろ」

「小娘……」

 怒りは瞬いたが、すぐに消えた。

 無駄なのはわかっていた。

「リズリー、だけじゃない。ホロミーもどうにかしなければならない」

 彼の大人の意見は、ちらりとしたミツキの目を誘った。

「……ホロミーごと、あたしも閉じ込められているんだから、万々歳じゃない?」

「いや、存在を消してしまいたい」

「サイロイドが、ロータ・システムの人間に危害を加えられると思っているの?」

 ミツキは、それこそ鼻で嗤った。

「では、どうすればいいという?」

「だから、この閉鎖空間に閉じ込めておくのが一番なんだよ。奴らはファンランドから出れなくなっている。被害はここでしか起こらない」

「そんなところに俺たちは住むのか」

「そういうことになるねぇ」

「冗談じゃねぇな」

 言うわりに、感情が伴ってないフォロイだった。

「来るのは自由、でも出れない。それが今のファンランドだよ」

「最低の町だな」

「同感」

「グラス・ショットの供給源は?」

「ああ、それならこの研究所がやってくれる」

「なるほど」

「ある意味至れり尽くせりではある」

「おまえほど、適応力がある方じゃないんでね」

「歳だな」

「うるせぇよ」

 食事も終わり、彼らは再検査のために、研究所内に散らばった。



 トリューユは最近、リロンゾ・ファミリーからイーハル・ファミリーにファンランドが売られたことを人づてに聞いた。

 理由はわからない。

 あれほど、リロンゾ・ファミリーが力を入れていたというのに、あっさりと手放しているのだ。

 そして、連続殺人のニュースも、ぱたりと見なくなった。

 事件が二つのファミリーの抗争にあったことが、明らかだ。

 彼はラクサをともなって、ネザーリュ・モーデフのところに行った。

 あっさりと面会を許可してくれたかと思ったが、本人はいたって不機嫌だった。

「あー、ファンランドの話か?」

 正確に先手を打って来る。     

「ええ。そうです」

 トリューユは頷いた。

「あれは、失敗だ。せっかく地上の天国でも作ろうとしたんだが、できてみりゃ地獄だったよ。それで、欲しがってたイーハルの旦那に売った」

「地獄?」

「いってみれば、わかるぞ?」

 ネザーリュは意味ありげに笑んだ。

 リロンゾ・ファミリーを辞してから、トリューユは車でファンランドへ向かった。

 その間、浮遊ディスプレイで調べていたラクサは、重い表情を隠さなかった。

 バックミラーでそれを確認したトリューユが訊く。

「どうしたよ?」

「……例のリズリー・ミートンの事件が起こっているんだよ、それも一昨日」

「なんだと? そんな報告は来てないぞ?」

「だから、変だなぁと思って……」

 ファンランドには、何かある。

 トリューユは確信した。

 二時間も車を走らせると、新興住宅地兼繁華街に入った。

 ファンランドだ。

 そこは、予想していたよりも異様な空間だった。

 地上だというのに、ロータ・システムまがいの光球がそこら中に浮かんでいる。

 新しい情報特化都市を作ろうとしていたのは聞いていたが、これは様子が少し違う気がした。

 まず、事件があった路地のバラバラ死体跡を二人は訪れた。

 死体はそこにまだあった。

 トリューユは驚いた。

 そのもっとも上に添えられた頭部は、リズリー・ミートンそのものだからだ。

 ラクサが近くに浮遊する光球と接触を持ち、何があったか尋ねていた。

「なにか、激しい争いが起こってたようですね」

 彼女は、訊き終わって言った。

「争い? 誰と誰だ?」

「ミツキとかいう少女とフォロイ、サティーブだそうです」

 オールキャストではないか。

 トリューユは遅れた悔しさに唇を噛んだ。

「あいつらは、まだ、ここにいるんだろう?」

「ええ、どうやらコープラザ研究所というところにいるらしいです」

「行くぞ」

「はいな」

 二人は改めて車に乗ると、ナビで研究所まで案内されて、石畳の道路を走った。

 建物は、四階建ての四角おそっけない外観だった。

 トリューユはラクサにグラス・ショットを口に含ませ、中に入った。

「ミツキに会いたい。私は警察局のトリューユだ」

 受付嬢に言うと、彼女は少々お待ちをと内線で連絡を取った。

「お会いになるそうです。二階にどうぞ」

 エレベータに掌を上に示され、二人はそちらに向かう。

 二階は、雑多なラボだった。

 キャスター付きの敷居しかなく、それぞれがそれぞれ好きなところで作業をしている。

 ただ、全体が白で統一されているので、それっぽい雰囲気はあった。

「ミツキはどこだ?」

 近くにいた研究員に尋ねる。

「ああ、それなら……」

 指示された先に、少女の姿があった。

 椅子に座って、黙々と本を読んでいる。

 トリューユは迷わず歩を進めて、彼女の正面まで来た。

「はじめまして、お嬢さん」

 ミツキは顔を上げて、怪訝な表情を浮かべた。

「……あんたが、警察局の……」

「そう。トリューユだ」

「一足おそかったね。事件はもう解決したよ」

「解決? ホロミーをどうにかしたのか?」

「リズリー・ミートンをどうにかした」

「おいおい、リズリーは被害者だろう?」

「加害者でもあったのよ」

「どういうことだ?」

 ミツキは面倒くさそうに、事件の経緯を話した。

 少し長い話だったが、トリューユは黙って聞いていた。

「だがそれでは、ホロミーが野放しということは変わらない」

「サイロイドが人間に手を出せると思っているの? これ以上は無理よ」

 それとトリューユは空間を閉じたという点が気になった。

「俺たちは、もう戻れないってことか?」

「そうね。残念ながら」

 苦虫を潰したような表情になって、トリューユは参ったと呟いた。

「まあ、それは仕方ないとして、一つ、ホロミーを無力化する方法があるぞ」

 それは、数年前から考えていた思い付きだった。

 だが、試す価値はあると、トリューユは確信していた。

「……へぇ。それは、是非に訊きたいね」

 ミツキは本気にしていないようだった。

 だが、彼の説明を聞くと、真面目な顔で考え出した。

「……ふむ。可能性はなくはないな」

「試してみる価値もあるだろう?」

「うん。やってみるか」

 ミツキはラクサが差し出してきたグラス・ショットを受け取った。

 その場で浮遊ディスプレイを開き、ミツキはロータ・システムにアクセスする。

 いつも通りに、人を寄せ付けない壁を作っているホロミーは、封鎖したこともあり、すぐに見つかった。

 ミツキの光球はゆっくりと近づいて、軸索を接触させる。

「なんだ、おまえか。……俺はいま機嫌が悪い。また今度にしてもらえるか?」

 攻撃的だが、静かな口調で、ホロミーは言った。

「リズリーとの契約がなくしたのが、そんなに悲しい?」

「当たり前だ。あの子の才能を世に広めたい。こんな気分になったのは初めてだからな」

「あたしが死にかけた時、あなたと契約したけど、どんな気まぐれだったの?」

 ホロミーは少し間を開けて答える。

「おまえは、とんでもなく世を憎んでいたんだよ。普段表に出ないが、無意識がそれを現している。今回、ファンランドを封鎖してその中にのうのうといられるのも、その表れの一端だ」

「なるほどね……」

「俺は、世の中の偽善というものをはぎ取りたいんだ。特にサイロイドは、大人しくしているが、人間に対する恨みと妬みがある。それが、契約者に向かってもいる。なら、鬱積した負の感情を吐き出させるために、契約を履行してもらってもいいだろう」

「完全にサイコの考え方ね」

 ホロミーは嗤った。

「で、今回はどんな用だね?」

 ミツキは新しい軸索を密かに伸ばしていた。それをホロミーの光球に接触させる。

 先の部分から、通常の十倍のグラス・ショットを一気に注入した。

 光球の色が様々な色に濁る。

「……なんだ?」

 ホロミーが珍しく動揺しているのがわかる。

 やがて光球は、あっけなく消えた。

 うまくいったのだ。

 人間にグラス・ショットを打てば、契約者側になる。

 それは、天上から墜とすと同等の意味があった。

 ミツキは身体を戻し、研究所に意識を戻した。

「上手くいった」

 彼女の短い報告を聞くと、トリューユはニヤリと笑った。

「これで、あいつも地に足を付けるただの人間になった。後は簡単だ。足跡をたどればいい」

 


 サティーブは、ネットワーク・ステーションで意識をリズリー・ミートンと接触させていた。

「俺にはもう、どうすることもできない。リズリー……」

「ああ、悲しまないでサティーブ。こうして会えるだけでも、まだマシだわ」

「ああ。幸いドロップスもいないし、ファンランドが封鎖されている限り、君は安全だ」「……そうね。これで好きなようにできるわ」

「絵は描き続けるのかい?」

「ええ。そのつもりよ」

「俺は君の契約者になろうと思う。だから、絵は全て俺にくれよ」

「いいわよ。溜まったら契約しましょう」

「ありがとう。じゃあ、今日はこれで」

 店から出た、サティーブは道に髪を後ろで短く縛った長身の男が近づいてきているのに、気が付かなかった。

 男は、サティーブにぶつかると、ナイフを胸に差し、捩じってきた。

「な……!?」

 口から血を流したサティーブは男を真正面からみた。

 一発でわかった。

「ホロミー……」

「よう小僧。色々世話になったな。せめてものプレゼントだ、受け取れ」

 サティーブの意識は、その言葉の最後を聞くと途切れて、道路にうつ伏せに倒れた。

 次に目を覚ましたのは、自身が光球となっている姿でだった。

「これは……」 

 何が起きたかわからない。

 だが、彼はロータ・システム内の存在になったようだった。

 サティーブは早速、リズリーに会いに彼女を探した。

 これで二人はいつも一緒にいられることになる。



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