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響と博物館

作者: 折田高人

「響ちゃん……響ちゃん……」

 呼びかける声が微睡に沈んでいた意識を引き上げる。

 身体に感じる心地よい振動。覚醒しつつある意識を再び泥濘の中に沈ませようとするかのよう。

 しつこい睡魔を追い払うかのように、目を覚ました響は伸び一つ。

 車窓を流れるのは見慣れない景色。

「……今、どこら辺だ?」

 寝ぼけ眼の宮辺響に、鴫留ルミは小さな声で返す。

「もうそろそろ到着だよ。ゆっくり休めた?」

「……ボチボチだな」

 人も疎らなバスの中、最後尾の座席に陣取っている響一行。

 ルミとは逆隣の席に座る灰堂マリが怪訝そうな表情を響に向ける。

「バスに乗って早々爆睡なんてね。何、夜更かしでもした?」

「……ロビンから貰った魔導書読んでた。ついついのめり込んでさ。ま、何時もの事だ」

 その言葉に、マリは顔を顰めた。

「何時もの事って……じゃあ、テスト勉強手伝ってくれていた時によく眠そうにしてたのって……」

「まあ、そう言う事」

 マリは溜息をつく。

「ほんと理不尽。何でそれでテストの成績良い訳? こちとら必死に勉強しても赤点回避がやっとだってのに……」

「そう言ってもな。テストなんざ授業を受けてさえいれば問題無いからな……」

「問題無いって……それが理不尽なのよ。何でアンタら揃いも揃ってテストの成績良いのよ? 真っ当なテスト勉強もしてないのに何で上位十位以内を独占出来る訳?」

 恨めしそうな顔で響を睨むマリ。

 実の所、マリ達のごく普通の悩みを響は全く理解ができないでいた。と言うのも、御桜館の連中は響同様に一度授業を聞きさえすればテスト勉強など不要と考える連中ばかり。入学以降、たった一度の授業だけで堅洲高校の成績上位に毎回食い込むのが普通の高知能軍団の中で過ごしているため、響は凡人の悩みに疎かったのである。

 とは言え、赤点を回避したいマリ達に勉強を手伝ってほしいと頼まれても無碍にはしない程の人情を響は持ち合わせていた。当然、御桜館の仲間達も同じであるのだが、妃と遼は興味がある分野になると話が脱線しがち、環はそもそもフィーリングでテストをこなしているので他人に勉強を教える事自体が苦手であり、消去法で響が勉強を手伝う事になったのだ。

「でも助かったよ~。響ちゃんが勉強を見てくれたおかげで皆補習せずに済んだしね」

「ハイ。わたし、国語のテストで初めて良い点をとれました。ヒビキちゃん、ありがとございますです」

 金髪青眼の少女、朴シンシアがにっこり笑って頭を下げた。

「お前には大した事は教えてねーよ。漢字読むのが苦手だっただけで成績自体はお前らの中で一番良かったじゃねーか」

 実際、シンシアはただ単に漢字が苦手なだけだった。それが原因で問題文の理解が追い付かなかっただけで、シンシアの地頭は相当高い。事実、漢字によって書かれた問題を読解さえすれば、ほぼ確実に正解を導き出していた。漢字の読解力が完全なものになれば、間違いなく堅洲高校の成績上位陣に食い込むだろう。

「どーせ私は頭が悪いですよ~だ」

 ムスッとした様子で呟くマリ。

 伊達に今まで赤点すれすれの低空飛行を続けていたわけではなく、彼女の成績は体育以外は壊滅的なのだった。そんな彼女が今回の試験で低くはあるものの赤点には程遠い点数を取れたのは、まさに快挙と言えた。

「はいはい、マリちゃん気を取り戻して。ほら、もう着くよ」


 響達がバス停を降りたすぐ先には、立派な建物が聳え立っていた。

 ここはフォルタレサ如月。堅洲町の隣町、月之宮町が誇る如月市最大の博物館である。

 試験終了後、何時もの様に担任教師の秀吉の頼み事を聞いた響は、その報酬としてこの博物館の入場無料券を四枚渡されたのだ。秀吉も響が何時もの面々と出かけられるように配慮して無料券を四枚渡したのだろう。

 渡された無料券の使用期間の終了が迫る中、御桜館の面々を誘ってみた響であったが、今回ばかりは友人達の都合が悪かった。

 環と遼はトイショップ雅各の面々との先約があるとの事で辞退。妃に関しては暇であるのは確認できたのにも拘らず辞退してきたのだ。

 冒険好きの妃ならば世界で発見された品々が揃う博物館を喜びそうな感じがするのだが、何か問題でもあったのだろうかと響は思案する。どことなく名残惜しそうな表情で誘いを断った妃の顔が未だに頭を離れない。

 結局、何時もの面々の都合が取れなかった響。このまま無料券を無駄にするのも気が引けると、テスト勉強を手伝ったルミ、マリ、シアの三人組を誘ってこの博物館へとやってきたのだった。


「わあ! とっても綺麗です!」

 フォルタレサ如月の一角にて、シンシアが感嘆の声を上げる。

 ここは刀剣類の展示室。ずらりと並ぶ備前刀の数々に、有名所の刀工の作品もちらほらと。

 そんな中、御当地刀工コーナーなるものの前で、シンシア達三人娘は興味津々で一振りの刀剣を眺めていた。

「斑侘助……この変わり者の刀工は、一般的な玉鋼ではなく変わった素材の刀のみに自身の銘を刻んでおり、普段は笹舟竹光なる銘を用いていた……だとさ」

 響はコーナーに添えられた刀工の紹介文を読み上げる。そこには、斑侘助が残した日記帳が展示されていた。どうにも、発見された日記のおかげでこの刀工の奇人じみた一生が判明したとの事だった。

「本当だ。他の刀は笹舟竹光って紹介されてるね」

「ふ~ん? じゃあ、この刀は特別製って事? 確かに何かスペシャルな感じするけど」

「どうやらこいつは流星刀みたいだな。隕石から鍛え上げられた奴」

「おほしさま! きらきらデスね!」

 どうやらこの刀は刀剣展示室の目玉のようだった。全国的に有名な刀工の作品を押し退けて、マイナーな刀工の作品が最も見物客の注目を引いているのは、やはりその希少性から来るものなのだろうか。

「しっかし妃の奴、用事もないのに何で来なかったんだか」

「ホントにね。あの娘、こういうの好きそうなイメージだったんだけど。滋野財閥の御嬢様の考える事は分からないわね」

 そんなマリの言葉に耳聡く反応したのは、全く知らない声だった。

「し~げ~の~?」

「うお! なんだこの爺さん?」

 何時の間にか女子高生四人の後ろに出没した白髪の老爺。

 初対面の響達の前ですら、不愉快そうな顔を隠そうともしない。

「若いの……滋野なんて止めとけ止めとけ! あんな山師の集めたガラクタ何ぞ、儂の博物館の展示品とは比較にならんぞ!」

「いや、話が良く分からんが……そもそも爺さん、あんた何者だ?」

「儂か? 儂は大村業蔵という者。この博物館の館長じゃ」

「へえ。その館長さんが私達に何の用だ?」

「だ~か~ら~! 滋野なんて止めとけと言っておるのじゃ! 儂の博物館の方が凄い物が揃っておるんじゃ! さあさ若いの、儂について来い!」

 全く話が通じない。通じないが、この博物館を案内してくれるらしい事は響達にも理解ができた。

 折角の館長のお誘い。お勧めの展示品に興味が湧いた響達は、強引な老爺に連れられて刀剣展示室を後にした。


 館長に導かれるまま訪れたのは、世界の不思議展なる展示室。

 奇怪な縞瑪瑙のメダルや現代科学では解明できない技術で作られた円筒、一九二五年三月中に世界各地で作成されたという題材が一致する奇妙な作品の数々……。

 作品の一つ一つにまつわる逸話を丁寧に説明する館長であったが、響達の反応は淡白であった。

 当然であろう。何せ、彼女達が過ごしているのは怪奇事件が起きない方が珍しいとされる魔境、堅洲町である。今更又聞きした怪談程度で驚くはずも無く、変わり種な展示品を見ても館長が喜ぶような反応は見せなかった。

「へー」だの「ほーん」だのと適当な相槌に痺れを切らしたのであろうか、今度こそは本当の取って置きとばかりに紹介した物は。

「見よ、若いの! これが我が博物館始まって以来の珍品、猫のミイラである!」

 エジプトから買い付けたと言う数体の猫のミイラが、収められていたらしい小さな黄金の棺と共にズラリと並べられていた。

「まあ、ミイラも棺も見応えはあるけどさ。やっぱりこれも何か曰くがあるのか?」

「若いの。よくよく棺を見て見るのじゃ」

 展示ケース越しに輝く黄金の棺達。精緻な装飾が施されたそれは、亡くなった猫に対する深い愛情と畏敬の念が感じられる。それだけだ。別に可笑しな所は見受けられない。

「……あれ? 棺が一つ多い?」

 ルミの言葉に、響達は漸く奇妙な点に気付いた。展示されている猫のミイラに対して、棺が一つ多いのだ。

 その言葉を聞くや否や、老爺の表情が輝きを増す。

「そう! 本来ならば、余った棺にもしっかりとミイラが入っていたのじゃ! これを見てみい!」

 そう言って手渡されたのは数枚の写真だった。写っていたのは夜の博物館。一枚目には今目の前に存在する猫のミイラの展示ケースが写されている。成程、確かに写真には棺の数と同数の猫のミイラが飾られていた。

 次の写真に目を移すと、思ってもいなかったモノが写っていた。展示ケースに残された古ぼけた包帯、そして博物館を歩き回る黒猫の姿。

 黒猫は出口を探しているのか、数枚の写真の中でうろついているのが確認できる。闇夜に光る金色の瞳が印象的だった。

「どうじゃ、驚いたじゃろう! この棺には生きたミイラが眠っておったんじゃ!」

 曰く話等ではない、紛れもなく怪異が確認できた事例として鼻高々な館長。

 食い入るように写真を見ている響達を見て、勝ち誇った様子を見せている。

 最も、響達は怪異に驚いた訳ではなかった。何度も言うが、怪異が日常に組み込まれている彼女達にとっては別段驚くような事ではない。

 では、何が彼女達の目を引いたかと言うと。

「……ねえ。この黒猫って……」

「……カタバミちゃんにそっくりです」

「……って言うか、あの子そのものじゃない? この金色の目とか、どことなく感じる太々しさとか」

「……だよなあ。アイツ、やっぱり普通の猫じゃなかったか」

 写真の猫は堅洲を気儘にうろついている黒猫、片喰に瓜二つであった。

 特に響は、この黒猫が縄張りとしている御桜館に住んでいる。毎朝顔を合わせている事もあり、見間違いとは到底思えない。

 知り合いの話題で盛り上がっているとは露とも思わない老爺は、鬱陶しいくらいのドヤ顔を少女達に向けている。

 そんな時。

「館長、何しているんですか?」

 声を掛けてきたのは堂々たる体躯を持ちながらも穏やかそうな相貌を持った偉丈夫であった。

「おお、武藤君。今、このお嬢さん方に我が博物館が如何に素晴らしいかを説明していた所じゃ!」

「はあ……」

 頭を抱えるような仕草をしつつ、武藤と呼ばれたその青年は気の毒そうな表情で響達を一瞥する。

「館長、新しい展示品が届きましたので確認をお願いします。どんな曰く付きな代物か分かっているのは館長だけですからね」

「おお、そうか。これでまた一歩、滋野の奴に差を広げられるぞい!」

 そう言ってそそくさとその場を去る老爺。

 その姿が見えなくなった所で、青年は響達に深々と頭を下げる。

「本当に申し訳ありません。館長の癇癪に付き合っていただいて……」

「そう言えば滋野って名前にやけに噛み付いていたな」

「ええ、実は……」

 何でも、あの館長は滋野財閥に……と言うよりは妃の祖父である総帥の滋野清玄に対して並々ならぬ対抗心を持っているらしい。

 切欠は名の知れた冒険家でもある滋野総帥が、これまでの冒険で手にしてきた珍品を展示した博物館、滋野清玄冒険記念館をオープンさせた事が始まりである。

 現在こそ世界有数の財閥の総帥ではあるが、身を立ち上げる前はしがない冒険家の一個人。それほどの数の展示品は確保できず、あくまでも総帥が過去を懐かしむためにオープンした小さな博物館に過ぎなかった。

 それだけならまだ、金持ちの道楽程度の認識で大村も気にしなかったに違いない。

 しかし、冒険記念館の紹介を行った三流ゴシップ紙が「凡庸で古臭い月之宮の博物館では考えられない刺激的かつ不可思議な展示物!」という見出しでフォルタレサ如月を煽るかのような記事を載せた事で大村は激怒。滋野財閥に負けてなるものかと曰く付きの奇怪な展示品を集め出すようになったらしい。

 なお、滋野総帥は自身の開いた博物館を「趣味に過ぎない」「歴史あるフォルタレサ如月には到底敵わない」と評しているのだが、館長はそれを謙遜……と言うか嫌味だと捉えて一方的にライバル視しているとの事だった。

 道理で妃が同行を断った訳である。あの館長に延々と絡まれる恐れがある以上、素直に展示品を楽しむ事等できはしないだろう。

「それで武藤……さん? 武藤さんのお勧めの展示物ってありますか?」

 マリの言葉ににっこりと笑い、穏やかな声で武藤は答える。

「そうですね……今、英国の博物館から借り受けた展示品を飾っているんですよ。なかなかの迫力で、一見の価値はあるかと。展示期限は明日までなので、是非見学していって下さいね」

「へえ、面白そうね。行こ行こ!」

「はいです! ムトーさん、ありがとです」

 早速紹介された展示室へと向かうルミ、マリ、シアの三人。

 一人残された響は、武藤の顔を凝視していた。

「……あの、何か?」

「ああ、いや。なあアンタ、武藤兼則っておっさん知ってるか?」

「おや、兼則叔父さんとお知り合いでしたか」

「やっぱりか。知り合いって言うか、夏の初めに夜見島の観光で世話になったんでな」

「成程。僕の父は武藤家の長兄でしてね。本来ならば家を継ぐ立場に居たのに、やりたい事が出来たと言って叔父さんに家督を丸投げして月之宮に移住してきたんです。叔父さん、帰郷するとよく親父に愚痴をこぼしてますよ。僕の事は随分と可愛がってくれるんですけどね」

「へえ。武藤家の連中って、皆堅洲に執着している感じがしたけど、そうでもないんだな」

「親父だけですよ、そんな変わり者は。今度は冬に夜見島を訪れてみてください。きっと夏の夜見島よりもご満足いただけると思います」

「サムもそんな事言ってたな。検討しとくわ。じゃあな」

「ええ。楽しい一時を」

 先に行った三人に合流するべくこの場を後にする響を、兼定は手を振って見送るのだった。


 兼定に勧められた展示品が飾られているであろう部屋の前には大々的な看板が掲げられていた。

 ジョージ・ロジャーズ作品展。

 展示室に足を踏み入れてみると、響は感嘆の声を上げた。

 ドラゴンやキマイラの野性味溢れる力強い雄姿。身体の奥底まで石になりそうな現実感を湛える、恐ろしくも艶かしいゴルゴン三姉妹。筋骨隆々とした肉体美で槌を構え、職人としての誇りが単眼に見いだせるサイクロプスの鍛冶師達。

 世界中の神話や伝承の生物を生き生きと表現した蝋人形の数々の前に、響はまるでファンタジー世界に足を踏み入れたような錯覚さえ覚えた。

 これ程の作品、仕上げるのにどれ位の技量と熱意が必要なのだろう。正気にあらず、狂気の領域に足を踏み入れたと思える製作者の熱量に唯々圧倒される。

 妖しく、しかしどこか可憐に舞い踊るハーピーの姿の前で、響は三人の姿を見つけた。

 三人の少女はハーピー像に背を向け、とある蝋人形を眺めているようだ。

 響が覗き込むと、そこには堅洲民にとってはよくよく見慣れた姿があった。

 多くの触腕を生やした蛸のような姿。堅洲でボランティア活動に積極的に取り組んでいる有名団体、ダゴン秘密教団が信仰する大祭司そのものだった。

「凄い迫力だな……」

「あら響。遅かったじゃない。何してたの?」

「世間話。しっかし、流石お勧めするだけあるな。本物が混じっている言われても信じてしまいそうな出来だ。それにしても……なんでこんなに見物客が少ないんだ? もっと話題になってもおかしくないだろ、これ?」

 響の疑念は最もだった。

 芸術品に対しては素人に過ぎない響ですら、魂を直接殴られたような衝撃を覚える蝋人形の数々である。

 にも拘らず、周辺に確認できる客の数は疎ら。

 この展示室に足を運ぶ際、かなりの数の見物客がこの部屋を出入りしていたはずなのだが、彼らはどこに消えたのか。

「ああ、それね」

「お客さん、みんなみんなアッチにいますです」

 シンシアの指差す先。人影は蝋人形に隠れて確認できないものの、確かにざわめきが聞こえてくる。

「よく分からないけど何だか凄い数のお客さんが集まっている作品があるの。そんなに凄い作品なのかな? 私達も見てみたいけど、流石に人が多いから落ち着くまで他の作品を先に回っていたのよ」

 どことなくソワソワした様子のマリを見て、気になった響は騒めきの下へと足を運ぶと、成程。人が多すぎて目当ての作品がよく見えない。

 結局、その作品を落ち着いて眺める事が出来たのは随分後の事だった。

 人の波が大分引いて、漸くその蝋人形の前に立った響達。眼前に展示されていたのは今までにない位の生々しさを湛えた奇怪な象だった。

 球形の胴体に鋏の付いた六本の手足。三角形に位置する魚のような三つの眼と長く柔軟そうな鼻。柔毛一つ一つが再現されたそれは、どれ程の労苦の下に生み出されたのであろうか。

 確かに背筋が凍るような素晴らしい作品ではあるのだが。

「他の作品と比べて何が違うんだ?」

 響は率直な意見を述べた。

 確かに目を見張る作品ではあるが、だからと言って他の作品に勝る所はあまり感じられない。

 奇怪なモチーフの蝋人形は他にもあり、何故この作品だけが客を引き付けるのか、響には理解できなかった。

 そんな疑問に答えるかのように、周囲の客の囁く声が響の耳に飛び込んで来た。

「ねえ、やっぱり変よ……」

「気のせい……じゃないわよね?」

「なあ……やっぱり、前見に来た時とポーズ変ってないか?」

「そんな事ある訳……ある訳……あるかも……」

 耳を澄まして声を拾っていくと、響は漸くこの蝋人形が客を呼び寄せている理由を察する事が出来た。

 どうにもこの像、展示する日が変わる度にポーズが変化していると噂されているらしい。

 その噂が真実かを確認すべく、作品展が開かれてから足繁く博物館に通う見物客が多いとの事だった。

「へえ。面白そうね。明日が最後のチャンスだし、確認しに来ようかしら」

「そん時は自費だぞ」

「あはは。でもマリちゃんの言う通り、確かに気になるね」

「ホントに動くんでしょうか?」

 感嘆よりは困惑の声が周囲を支配する中、響達は動く瞬間を待ちわびるかのように蝋人形を眺め続けた。


「うげ! マジか……」

 フォルタレサ如月前のバス停。そこに張られた連絡事項を見て、響は頭を抱える。

「現在、我が社のバスが原因不明の異常に見舞われており、今日のバスはこれ以上出せません。原因究明とお祓いが済むまでの間、再開できませんので何卒ご了承ください……だって」

「何やらかしたのかしら? 前みたいに間違ってお地蔵様でも轢いた?」

「どうしましょう……」

 途方に暮れる響達。件の蝋人形を見物するためにだいぶ時間を使っており、そろそろ日が落ちそうだ。

 バスが異常事態という他の市では意味不明の理由ではあるが、如月市では……特に堅洲町では珍しい事ではなく、それに対して不満を覚えないのは彼女達が怪異慣れしすぎたせいか。

 とは言え、今日はバスがもう使えないのは不便である。明日が休みなのがせめてもの救いだが、まさか歩いて隣の堅洲町まで帰る気にはとてもなれない。

「タクシーでも呼ぶ?」

「高いんだよな、タクシー代……」

「でも、仕方ないんじゃない?」

「出来れば節約したい。ヒッチハイクでもするか? おい、お前ら。セクシーさをアピールして男を釣るぞ」

「冗談言わないでよ……って目がマジ? 響、アンタ落ち着きなさい!」

「せくしー? うっふんですか?」

「シア! アンタは真に受けない!」

「おや皆さん。どうなさいました?」

 バス停の前で響達が揉めている中、声を掛けてきたのは兼定だった。

「ムトーさん? これ……」

 シンシアの指差した張り紙を確認した兼定は、少し思案した後に口を開く。

「皆さんは堅洲町で過ごしているのですよね。では怪異に耐性ありますか?」

「嫌でも耐性付くさ」

「日常だよねえ」

 その言葉を確認すると、兼定は頷く。

「では、今日は博物館で一夜を明かしては? 休憩室と仮眠室、空いてますから」

「いいんですか?」

「ええ。明日まで待って、バスが復帰しなければ僕が車で送っていきますよ」

「何で今日は送ってもらえないの?」

「すみません。僕、今日当直でして。今夜は博物館を長く離れる訳にはいかないんですよね。明日は休みですから、一晩我慢していただけると幸いです」

「成程。じゃあ、お言葉に甘えるわ! いいわね皆!」

 断る理由はなかった。特に響は一泊する為の資金が浮くと浮かれた様子である。

 博物館に引き返すと、兼定が館長に理由を話して承諾を受けていた。

 その後、兼定は休憩室まで響達を案内すると、少し席を外すと言ってその場を後にしたのだった。


「「「おおーっ!」」」

 ルミ、マリ、シアの三人の上げた歓声が重なった。

 彼女達の目の前には黄金色に揚げられた大ぶりの天ぷらが丼からはみ出さんばかりに乗せられた天丼が置かれている。

 兼定が響の前にも天丼を差し出した。その数三つ。

「奢ってくれるのは有難いが、こんなに食えんぞ?」

「影の中の方々の分ですよ」

 にっこり笑って答える兼定に、伊達に武藤の血を引いている訳ではないようだと感心する響。影の中に使い魔が存在する事は打ち明けてはいなかったはずなのだが、どうにも彼には勘付かれていたらしい。

 兼定の言葉に反応したのだろう。響の影が大きく広がり、そこから這い出して来る幼女と妖樹の姿。

「うわあ、有難う兄ちゃん! 美味しそうだな、芙蓉!」

 瞳を輝かせて天丼に挑もうとする幼女シオンと、嬉しそうに体をくねらせる妖樹芙蓉。

 目の前ではしゃぐ怪奇生物達の姿を微笑ましそうに眺めながら、兼定は急須でお茶を注いでいる。

 割箸の箸袋に書かれた「食事処うらなみ」の文字を確認しつつ、響達は早速夕飯に取り掛かった。

「しっかし、こんな高そうな店のものを奢ってくれるって、この博物館の仕事は相当儲かるのか?」

「それとも、可愛い女の子に良い所見せようと無理しているとか?」

 借金を返す方法を考えて給料を気にする響と、随分と高い自己評価をしつつ悪戯っぽく笑うマリ。

 そんな二人に兼定はにこやかな表情を変えないまま答える。

「いえいえ、そんな事は。実家の手助けをしているだけですから心配は無用ですよ」

「実家……ですか?」

「響さんにはもう話しましたよね? 僕の親父が家督を捨ててまでやりたい事があったと」

「それが料理屋か?」

「ええ。幼少から暦姉さんの腕に惚れ込んで料理を手伝っている内に、いつか自分の店を持ちたいと考えるようになって……暦姉さんにお墨付きを貰ってから、夢を叶える為に夜見島を飛び出したんです」

「暦仕込みか……道理で夜見島で食べたアイツの料理を思い起こさせる味な訳だ」

 コンロに火を入れるような軽い感じで魔術を用いて火を操り、次々と料理を仕上げる暦の姿を思い出す。

 何でも、細かい調整をこなす為の修業にもなっていいとの事だったが、それを一般の調理場で再現する兼定父の腕は随分と優れているようだった。

 和気藹々とした食事時間が流れるフォルタレサ如月の休憩室。

 箸をうまく使えない芙蓉が天丼を食べる手伝いをしていた兼定が、唐突に閉め切られた扉に目を向けた。

 何かを引き摺るような足音が静かな廊下から聞こえてくる。人の足音とは思えないそれは、扉の前で足を止める。

 扉が開かれた。そこに存在する異形に響達は絶句した。

 球形の胴体。鋏の付いた手足。三つの眼と長く柔軟そうな鼻。

 それは正しく、館内に展示していた件の蝋人形そのものだった。

 ゆったりとした動きで休憩室に侵入したそれは、唖然とした様子で自分を見つめる少女達の視線を受け止めつつ、器用に後ろ手で扉を閉める。

「おや、ランテさん。お先に頂いてます」

 まるで同僚に声を掛けるかのような気安さで、兼定はその異形に語り掛ける。

 その言葉に、異形は嬉しそうな様子で兼定に近付くと、隣の席に着いた。

「おお、ムトー。これがテンドンか。毎晩御馳走になって悪いねえ」

「ランテさん、明日帰国してしまいますからね。お世話になりましたし、最後の夕飯のリクエストくらいは聞きますよ」

 何とも流暢な日本語で話し出すその異形の前に、兼定は天丼を差し出した。

「しかし、僅かな滞在期間で随分日本語が上達しましたねえ」

「展示中は他にやる事も無いしね。脳内で日本語をシミュレートしっぱなしだったから……」

 和やかな様子の一人と一柱。

 それを怪訝そうに見つめる少女達に、ランテと呼ばれた異形は話を振った。

「それで、この娘達は? 生贄じゃないよね? っていうか、今は生贄よりも日本食堪能したいんだけど」

「トラブルで帰りの足が無くなったようでして。一晩ここに泊まる事になったんです」

「大変だねえ」

 鋏状の手で器用に天丼を食すその姿に、ようやく響は声を出した。

「お前、何? 何者?」

「ん? 一応は神様と呼ばれた事もあるよ。何か気付いたら英国の博物館に展示されていてさ、行く所も無いし蝋人形の真似をして糊口を凌いでいるのさ。あっちでは犬だの猫だのばっかり供えられてたんだけど、ここでは私に気付いてくれたムトーが面倒見せてくれてさ。生贄の用意は難しいってんで色々と食事を用意してくれるんだけど、すっかりハマっちゃって。明日帰国してからどうやって舌を満足させよう……」

 何ともフランクな神様であった。

「でも、いいのかいムトー? 今晩彼女達を泊めても」

「何か問題でもありましたか?」

「んー。問題あるかどうかは分からないけどさ、さっき展示室内で変な奴がうろついてたのを見たからさ」

「……どんな方でした?」

「ありゃ人じゃないな。怪しいから気絶させようと不意打ちしたけど、全然堪えなかったみたいだし」

「ふむ」

 思案する兼定。

 お茶を一息に飲み干すと、すっくと立ちあがった。

「ランテさん、彼女達の護衛をお願いします。念の為、僕が確認に行きますが、安全が確認できるまでは迂闊に休憩室から出ない様に」

「……怪異か?」

「その様です、響さん」

「なら、私も手伝う。一宿一飯の恩だ。魔術も使えるし、それなりに場数も踏んでる。邪魔にはならないと思うぜ」

「……では、お願いします。正直人手は多い方が良いですしね」

「ちょっとちょっと。人手が欲しいなら私も手伝うわよ」

「お前は止めとけ。魔術使えないだろ?」

 むう、と顔を顰めるマリ。

 魔女になる気満々のルミ、マリ、シアの三人組ではあるが、堅洲町では緊急避難でもない限り、十八歳以上の女性は魔女として取り立ててはいけないという決まりがある。

 メイド喫茶、マリー&セレステの店長であるガラシャも魔術を教えようとすれば出来るのだが、魔女ならぬ人の身で魔術を行使するのには余りにも負担が大きいと、彼女達が魔女になるまでは魔術を教えない方針でいた。

 事実、魔術行使は人間にとっては凄まじい苦痛が伴う。響としても必要だから覚えただけで、使わずに済むならその方がいいと考える程度には肉体的にも精神的にも辛い物であった。

 結局、足手纏いと言われても事実であるから反論できないマリは、不機嫌そうな顔ではあるが了解した。

 ルミが占い用に持ち歩いているトランプを使って遊びだした三人娘と自称神のランテを後目に、響はシオンと芙蓉を引き連れて夜の展示室へと向かうのだった。


 光源の限られた夜の博物館を音も無く徘徊する者があった。

 甲冑を纏った鎧武者。刀を片手にフラフラと彷徨っている。

「何だありゃ……」

「今日届いた展示品ですね。もちろん曰く付きです」

「曰くはともかくしてさ。あの鎧、あれで本当に合っているのか?」

 雄々しい双角を備えた桃形兜に南蛮胴。籠手も臑当も意匠がバラバラで統一感がない。

 国も時代もチグハグな装いは、素人の響の眼で見ても奇怪な姿だと認識できた。

「合っていませんよ。仕入れた甲冑の部分部分を無理やり搔き集めたようですね。しかしこうなると、どの甲冑が原因で動いているのか見当がつきません」

「あれ全部曰く付きか? 何だってそんな碌でもないもんばかり……聞くまでもないか」

「お察しの通りですよ。館長の対抗心から来るものでして……」

 影に隠れてヒソヒソと話し合っていた響達。

 それを認識したのだろうか、継ぎ接ぎ武者がゆっくりと声の方向に向き直る。

 真紅の面頬の奥、ボンヤリとした蜃気楼のようなヒトガタが獲物を見つけたと言わんばかりに刀を構える。

 身構える響達に向かって、今までのゆったりとした動きからは考えられない素早い踏込みで刀を振りかざした鎧武者。その一撃から響を庇うかのように前に出た兼定に白刃が吸い込まれる。

 次の瞬間、亡霊武者に動揺が走った。兼定の両掌にしっかりと受け止められた刃の姿。真剣白刃取りで刀を抑えたまま、兼定は強烈な蹴りを武者に見舞う。

 その衝撃に刀から手を離し、ふら付く鎧武者。兼定は奪った日本刀を構え直すと、鎧武者が体勢を立て直す暇すら与えずにその首を刎ねた。

 転がる武者の首。次の瞬間、首が宙に浮き兼定を睨みつけた。

「……あれが原因ですか」

 日本刀を構えたまま、動かない首なし武者の前で警戒を解かない兼定。陽炎の様に揺らめく武者の生首には真紅の面頬。

 戦時平時を問わず、あらゆる時代で血を啜ってきたとの曰くが付いた品だった。

 亡霊の双眸が爛々と光る。浮遊する首が、本来あるべき所へと納まった。復活した鎧武者は、兼定に対抗するかのように脇差を抜き、構える。

 再び斬りかかる鎧武者の一撃を兼定は易々と受け流し、返す刀で片腕を一閃。手に持った脇差ごと落下する武者の片腕だったが、次の瞬間には時間が巻き戻るかのように鎧武者に繋がれた。

「亡霊相手には日本刀は効きませんし、埒があきませんね……」

「兄ちゃん。何か手はないの?」

 影から顔を出したシオンの問いに、兼定は困ったような表情を浮かべた。

「あるにはあるんですが……それには時間を稼がないと」

 三度斬りかかってくる鎧武者。しかし、その刃は兼定と交わる事も無く。

 密かに呪文を唱えていた響が生み出した不可視の刃が、鎧武者の四肢と首を斬り飛ばす。

 次の瞬間、影から飛び出したシオンが転がった鎧武者の頭を蹴り飛ばし、芙蓉は四肢をかき集めてバラバラな方向に投げ捨てた。霊体が分散された事により、再生するまで時間が掛るはずだ。

「急げ兼定! これで時間は稼げるだろ!」

 魔術の行使で息も絶え絶えながら、響は兼定に退却を促した。

 頷いた兼定と共に、響達は刀剣展示室へと走り込む。

 兼定は迷いなく備前刀コーナーへと足を進め、そこから一振りの日本刀を取り出す。備前長船平光と紹介されていた。

 再生を果たした鎧武者が刀剣展示室に姿を現したのは、兼定が平光を手にするのと同時だった。

 今度は二刀を構える兼定が先に打って出た。奪われた日本刀から放たれる斬撃を脇差で受け止めた次の瞬間、迫る平光を身を捩って回避しようとする。

「ちっ、掠っただけか」

 二刀による鮮やかな連撃が決まらなかった事に舌を打つ響。

 それに対し、兼定は落ち着いた様子で刀を下ろした。

「いえ。勝負ありました。掠っただけでいいのですよ」

 どういう意味かと響が問おうとした瞬間、目の前の鎧武者に異変が起きた。

 僅かに掠ったその傷を起点として、青白い火が灯る。それは瞬く間に燃え広がり、武者の亡霊を包み込む炎となり……それが鎮火した後には、もぬけの殻となった甲冑のみが残されていた。

 兼定は面頬を拾い上げる。鮮血に塗れたような真紅の色はそこに有らず、茶褐色の古びた面頬がそこにあった。

「やれやれ。成仏して下さったようですね」

「……なあ、その刀は何なんだ?」

「これですか? 鬼火で鍛えられた刀ですよ。備前長船平光なんて明らかに偽銘ですね。鬼火で鍛えられているためか霊体を斬るとあのように発火する仕組みになっているんです。人の手による品とは考えられませんよ」

 説明しつつ鬼火刀を元の展示コーナーに戻すと、兼定は散らばった甲冑を集め始めた。響達もそれを手伝った後、休憩室に戻ると。マリ達がトランプで大盛り上がりしていたのであった。


「まあ……そんな事があったのですね」

 ここは堅洲高校。授業が始まる前の朝の一時。

 嬉々として博物館での出来事を語るルミとマリの話に食いついているのは滋野財閥のお嬢様、滋野妃であった。

「本当に凄かったよ、ランテさん。初めてやる遊びだっていうのに私達全然勝てなくて……」

「響がこの手のゲームでボコボコにやられるの、初めて見たよね。楽しすぎてついつい徹夜しちゃったしさ」

「もう、響さんったら。こんな楽しいお話を教えてくれなかったなんて、意地悪ですわ!」

「いや……行けなかった博物館の話をしても嫌味にしかならないと思ってさ……」

「そんな事はありませんわ! 出来れば私も行きたかったのは確かですけど」

 どこか遠い目を外に向ける妃。おそらくあの館長の事を思い浮かべているのだろう。

「でも、片喰さんも博物館から来たなんて驚きました。日本の猫と比べてスタイルがいいと思っていましたが、エジプト出身でしたのね」

「ねー。びっくりだよ」

 他愛の無い朝の会話を交わしていると、ニコニコした様子で話に加わっていたシンシアの制服が振動した。

 携帯電話を取り出すと、響達の前に画面を見せてくる。そこにはびっしりと英文が敷き詰められていた。

「……何この暗号?」

「英語だよマリちゃん。えーっと?」

「ランテさんからです。ムトーさんから電話を借りているですよ。昨日も日本語を話すのは慣れたけど書くのは難しいってメールがきてたです」

「シンシアお前……神様とメール交換って……」

 鋏を使って器用にメールを打つランテの姿を幻視しつつ、英文に目を向けてみると。

「昨日はラーメン食べたよ。醤油味であっさりめ。ムトーは色々と美味しい店を知っているからこれからも楽しみ……っておい。アイツ、英国に返却されたんじゃないのか?」

「んと、ランテさんだけ返却期間が無期限になったらしいです。英国の博物館さんがしばらく日本に置いておいてって館長さんに頼み込んだそうですよ」

 それは体の良い厄介払いなのではないか。そんな感想を抱かずにはいられない響であった。

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