牛歩
私たちは闇の中を進む
石畳の道が続く
松明の火が揺れる
狩人の背中を見ながら歩く
大きな背中だ
傷だらけの背中だ
服の上からでも分かる
古い傷が幾重にも重なっている
『なぁ、狩人』
『なんだ』
『アンタ、この世界に来る前は何をしてた』
狩人が足を止める
振り返らない
『なんでそんなこと聞く』
『さっきアンタは俺に聞いた。名前を覚えてるかって。だから俺も聞いてる』
『俺は覚えてねぇって言っただろ』
『嘘だ』
狩人が振り返る
松明の炎が顔を照らす
目が細まっている
『根拠は』
『パネルの数字だ。最初に会った時、アンタは俺に数字を読ませた。bハイフン3690。アンタはハイフンなんていらねぇって言った』
『それがどうした』
『数字の読み方を知ってるってことだ。この世界のルールを。なのにアンタは自分の名前を忘れた?おかしいだろ。忘れたんじゃない。言いたくないんだ』
狩人が黙る
長い沈黙
松明の火がパチパチと音を立てる
『生意気になったな。審判通った途端に』
『答えろよ。俺はアンタに命を預けてる。少しくらい知る権利があるだろ』
『権利だと?ここにそんなもんはねぇ』
狩人が歩き出す
私は後を追う
追いながら続ける
『アンタは登山家だったのか』
狩人の足が一瞬止まる
すぐに歩き出す
『その格好。装備。身のこなし。山を知ってる人間の動きだ。違うか』
『……お前、目がいいな。見えすぎる目は寿命を縮めるぞ』
『褒め言葉として受け取る』
狩人が短く笑う
さっきの乾いた笑いとは違う
少しだけ温度がある
『登山家じゃねぇ。山岳救助隊だ』
山岳救助隊
『遭難者を助ける仕事だ。雪山に取り残されたやつ、滑落したやつ、道に迷ったやつ。そういう連中を見つけて、生きてりゃ降ろす。死んでりゃ遺体を回収する』
狩人の声が低くなる
『二十年やった。何人助けたか覚えてねぇ。何人の死体を担いだかも覚えてねぇ。でも、一人だけ忘れられねぇのがいる』
道の先に光が見える
まだ遠い
集落の光だろうか
『八年前だ。冬山で遭難者が出た。単独登山の女。三十代。天候が急変して下山できなくなった。俺たちは捜索に出た』
狩人の足取りが遅くなる
『二日目に見つけた。岩陰で蹲ってた。まだ生きてた。低体温症で意識は朦朧としてたが、息はあった。俺が背負って降ろすことになった』
松明の火が揺れる
狩人の影が大きく伸びる
『下山中に雪崩が来た』
私は黙って聞く
『俺は咄嗟に岩陰に飛び込んだ。女を背負ったまま。雪崩は俺たちの上を通り過ぎた。助かったと思った。でも違った』
狩人が立ち止まる
『俺は助かった。女は死んだ。雪崩じゃねぇ。俺が岩陰に飛び込んだ時、女の頭を岩にぶつけた。即死だった。俺が殺したんだ』
振り返る
狩人の目が光っている
濡れている
『助けるはずだった。俺の仕事は人を助けることだった。なのに俺は殺した。目の前で。自分の手で』
私は言葉が出ない
『その後、俺は山を降りた。救助隊も辞めた。酒に溺れた。眠れなかった。目を閉じると女の顔が見える。割れた頭蓋骨が見える。血が見える。だから俺は目を開け続けた。眠らなかった。三日、四日、五日。限界が来て、俺は——』
狩人が言葉を切る
私には分かる
『飛び降りたのか』
『いや。首を吊った。自分の部屋で。誰にも見つからないように』
狩人が松明を掲げる
闇を照らす
『気づいたら砂漠にいた。お前と同じだ。歩いた。何日も歩いた。ピラミッドに辿り着いた。審判を受けた。俺の目は重かった。見たくないものを見続けた。女の死を。自分の罪を。だから審判に通った。使う側になった』
『それで狩人になったのか』
『ああ。この世界で俺ができることは一つだけだ。迷ってるやつを見つけて、連れていく。生きてりゃ集落に。死んでりゃ——まぁ、回収する。同じだよ。山でやってたことと』
狩人が歩き出す
私も歩く
『お前に言っとくことがある』
『なんだ』
『さっき、審判の時、お前は誰かを犠牲にすることを拒んだ。あれは正しかった。でもな、この世界で生き続けるってことは、結局誰かを犠牲にするってことだ。燃料がいる。目がいる。その目はどこから来る?ウォーカーからだ。審判に落ちたやつからだ。お前が生きてるってことは、誰かが燃料になってるってことだ。分かるか』
分かる
分かりたくないが、分かる
『俺は八年前、一人殺した。この世界に来てから何人犠牲にしたか、数えてねぇ。数えたくねぇ。でも目は逸らさねぇ。それが俺の贖罪だ。見続ける。全部見る。逃げねぇ。それしかできねぇ』
狩人の背中が少し小さく見えた
傷だらけの背中
二十年分の傷
八年分の罪
この世界での年月分の重さ
『狩人』
『なんだ』
『アンタの名前、本当に覚えてないのか』
狩人が足を止める
長い沈黙
『……神崎。神崎誠一』
『神崎さん』
『呼ぶな。その名前で呼ぶな。俺はもう神崎じゃねぇ。狩人だ。この世界での俺は狩人だ』
私は頷く
『分かった。狩人』
狩人が歩き出す
私は後を追う
背中を見ながら思う
この男も逃げてきたのだ
でも逃げた先で、また同じことをしている
人を助けようとしている
助けられなかった罪を背負いながら
それでも手を伸ばしている
私はどうだ
私は何ができる
まだ分からない
でも、この男についていけば、何か見つかるかもしれない
自分が何から逃げたのか
何を見なかったのか
何を見るべきだったのか
前方の光が大きくなる
集落が近い
『着くぞ。気を引き締めろ。集落の連中は新入りに厳しい。でも認められれば仲間になる。お前の目を見せてやれ。逃げなかった目を』
私は鉄パイプを握り直す
手に馴染んでいる
もう怖くない
いや、怖い
でも逃げない
光に向かって歩く
狩人の隣を歩く
二人の足音が闘に響く
集落はすぐそこだ




