回想
光の中に飛び込んだ瞬間、視界が白く焼けた
眩しさに目を細める
目が慣れてくると、そこは円形の広間だった
天井は吹き抜けで、遥か上方まで螺旋状の階段が続いている
壁には先程の部屋と同じように棚が並び、瓶詰めの目玉が整然と陳列されている
広間の中央に石の台座がある
台座の上に天秤が置かれている
古びた、錆びついた天秤だ
『来たな』
声は台座の後ろから聞こえた
人影が立ち上がる
老婆だ
いや、老婆に見えるだけで、顔には皺ひとつない
髪だけが真っ白で、身体は干からびた木の枝のように細い
『また新しいのが来た。最近多いね。世界の端が縮んでるからかね』
老婆は私を値踏みするように見つめる
目が青い
瓶の中の青い液体と同じ色だ
『審判を始めるよ。右手を出しな』
私は従う
老婆は私の手のひらをじっと見つめる
『ふぅん。長く歩いたね。三日か。最近にしちゃ長い方だ』
『私のことが分かるのか』
『手相じゃないよ。砂の跡さ。お前の皮膚に砂漠が染み込んでる。歩いた日数だけ深くなる。三層だね。三日分だ』
老婆は私の手を離す
『さて、審判だ。簡単な話さ。この天秤にお前の目を乗せる。釣り合えば合格。傾けば不合格。それだけ』
『目を乗せる?取り出すのか?』
『取り出さないよ。まだね。見るだけさ。天秤に顔を近づけな。目を開けて、じっと見つめるんだ。天秤がお前の目の重さを量る』
私は台座に近づく
天秤は左右に皿がついた古典的な形状だ
片方の皿には黒い石が乗っている
拳ほどの大きさで、表面がぬらぬらと光っている
『その石は何だ』
『基準だよ。この世界で生きていくのに必要な重さ。お前の目がこれより重けりゃ合格。軽けりゃ不合格。単純だろ?』
『目の重さって何だ。物理的な重さじゃないだろう』
老婆が笑う
歯がない
『賢いね。そう、物理じゃない。お前が見てきたものの重さだ。経験と言ってもいい。でももっと正確に言うなら、お前が目を逸らさなかったものの重さだ』
目を逸らさなかったもの
私は何を見てきた
砂漠
ピラミッド
瓶詰めの目玉
それだけか
いや、その前だ
この世界に来る前
私は何を見ていた
思い出せない
記憶が霞がかっている
『思い出せないだろう?そういうもんさ。ここに来ると、前の記憶は薄れる。でも目は覚えてる。お前の目がどれだけのものを見てきたか、天秤は量れるのさ』
私は天秤に顔を近づける
冷たい金属の匂いがする
皿の上の黒い石が脈打っているように見える
目を開ける
天秤を見つめる
何も起きない
『もっと近くだ。目と皿が触れるくらいに』
私は更に顔を近づける
皿の縁が睫毛に触れる
その瞬間、視界が反転した
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見えた
断片的な映像が流れ込んでくる
雑踏
都会の雑踏だ
スーツを着た人々が行き交う
私もその中にいる
鞄を持っている
会社員だ
私は会社員だった
映像が切り替わる
会議室
長いテーブル
怒鳴り声
誰かが私を責めている
私は俯いている
目を逸らしている
映像が切り替わる
病室
ベッドに誰かが横たわっている
顔が見えない
見たくない
私は窓の外を見ている
目を逸らしている
映像が切り替わる
葬式
黒い服
線香の匂い
私は最後列に立っている
棺を見ていない
目を逸らしている
映像が切り替わる
マンションの屋上
風が強い
柵を越える
目を閉じる
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『あっ!』
私は天秤から顔を離す
息が荒い
汗が噴き出している
老婆が私を見ている
天秤が傾いている
私の側が上がっている
軽い
私の目は軽い
『不合格だね』
老婆の声に感情はない
『お前は目を逸らしすぎた。見るべきものを見なかった。だから軽い』
『待ってくれ。もう一度、もう一度やらせてくれ』
『一度きりさ。審判はね』
背後で足音がする
振り返ると男が立っていた
あの登山家の男だ
『残念だったな』
男は私の肩を掴む
『燃料確定だ』
『嫌だ。待ってくれ。私は、私はまだ』
『まだ何だ?何がしたい?何を見たい?お前、さっき見ただろう。自分が何から逃げてきたか。目を逸らし続けて、最後には全部から逃げて、ここに来た。違うか?』
男の言葉が胸に刺さる
私は屋上にいた
柵を越えていた
そうだ
私は自分で選んでここに来たのだ
『ここはな、逃げてきたやつらの終着点なんだよ。目を逸らし続けたやつの目は軽くなる。そういう目は燃料にしかならねぇ。でも重い目は違う。辛いことも悲しいことも全部見てきた目は、この世界を動かす力になる。使う側になれる』
男は私を引きずるように歩き出す
『お前の目は軽かった。残念だけどそれが結果だ』
『待て。待ってくれ。見る。今から見る。逃げない。だから』
男が立ち止まる
老婆が口を開く
『もう一度やりたいのかい』
『ああ。やらせてくれ』
『代償がいるよ』
老婆が棚から青い瓶を取り出す
中の目玉がぐるりと動いて私を見る
『これはね、まだ審判を受けてないやつの目だ。ウォーカーのまま力尽きた。可哀想にね。こいつの代わりにお前が審判を受けたんだ。もう一度やりたいなら、次のウォーカーを待たなきゃいけない。そしてそいつの代わりにお前が審判を受ける。つまり』
老婆が瓶を撫でる
『誰かを犠牲にするってことさ』
私は黙る
また目を逸らすのか
また誰かを踏み台にして逃げるのか
それとも
『決めな。時間はないよ』
ガーンガーンガーンガーン
鐘の音が鳴り響く
広間が揺れる
天井の螺旋階段がきしむ
『次のウォーカーが来る。近いね。すぐそこまで来てる』
男が私を見る
『どうする。逃げるか。また目を逸らすか』
私は拳を握る
爪が掌に食い込む
痛い
この痛みは本物だ
私は生きている
まだ終わっていない
『やらない』
私は言った
『誰かの犠牲で審判を受け直すなんてしない。私は、私の目で見る。この結果を受け入れる』
老婆が目を細める
男が眉を上げる
『燃料になるんだぞ。意識だけ残って、永遠に瓶の中だ。それでいいのか』
『良くない。全然良くない。でも、また逃げたら同じだ。また目を逸らしたら、私は私のままだ。それは嫌だ』
私は天秤を見る
傾いたままだ
私の目は軽い
でも今、この瞬間、私は目を逸らしていない
『面白いことを言うね』
老婆が天秤に近づく
『お前、今の自分を見たね。逃げてきた自分を。目を逸らしてきた自分を。それを見て、逃げないと決めた。それはね』
老婆が天秤の皿に手を置く
『見るってことなんだよ』
天秤が動く
傾きが戻っていく
ゆっくりと
少しずつ
釣り合った
『合格だ』
老婆が笑う
今度は歯があった
真っ白な歯だ
『審判はね、一度きりだって言ったけど、嘘じゃないよ。でも審判は続いてたのさ。お前が決めるまで。お前が自分を見るまで。天秤はそれを量ってたんだ』
男が肩の手を離す
『運がいいな。いや、運じゃねぇか。お前が選んだんだ』
私は自分の手を見る
震えている
でも目は逸らさない
『さぁ、次に行くよ。お前はこっち側になった。使う側だ。でもね、これからが本番さ。この世界を生き延びたきゃ、目を開け続けな。閉じたら終わりだ』
老婆が扉を指差す
広間の奥に、今まで気づかなかった扉がある
重厚な石の扉だ
『あの先に行け。仲間がいる。やることを教えてもらえる。男、案内してやんな』
男が頷く
『行くぞ。ついて来い』
私は歩き出す
扉に向かって
振り返らない
目を逸らさない
それだけが今の私にできることだ
扉が開く
眩しい光
また光だ
でも今度は怖くない
私は目を開けたまま、光の中に踏み出した




