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トワイライトと魔法使い  作者: 井ノ下功
第2章 グランダッドの盗難
33/38

5 切り離せなくて

 ブレッドさんに招かれて、僕らは常連さんしか座れないカウンター席に座った。料理は温かいうちに食べたい派のウルフが遠慮なくパイを頬張る。温かくて美味しい物を口に入れて、彼の目元がご機嫌に緩んだ。ブレッドさんの表情はそれと対照的。丸い鼻の頭を神経質そうに擦りながら言う。

「実はな、どうも泥棒が入ったらしいんだ。たぶん」

「たぶんって?」

「それがはっきりしないから困ってんだよ。セキュリティも機能してなかったから、本当は入ってないのかもしれない。でも、遺言書と店の権利書がな……どこを探しても見つからねぇんだ。お袋がそのへんのこと、きちんとしてかねぇわけねぇのに」

 ウルフの宇宙の目が僕を見た。深淵のような闇は無数の言葉を孕んでいる。掘り下げろ、って? 了解。

「グランマは独り暮らしだったんだ」

「ああ、そうだよ」

「セキュリティってどこの会社のやつ?」

「カーディナル・パーソナル・セキュリティさ」

 CPSといえば大手の自宅警備会社だ。評判はとてもよいし、悪い噂も聞いたことがない。不慮の機械トラブルは考えにくそうだ。

「どっかに隠してある、とか」

「家の中は隅々まで探したんだけどな。金庫の類いも全部見たけど、書面類だけどこにも。たぶんあの箱だと思うんだけどな」

「箱?」

「そう、箱。お袋が時々開けてて、日記とかそういうのを入れてたんだ。それがどこにも見当たらなくってね」

「警察には?」

「家を荒らされた形跡もないから、言ったところでどうしようもねぇだろうよ。突っ返されるのがオチだね」

 ようやく大きな一口目を飲み込んだウルフが口を開いた。

「マチルダは?」

「ああ、マチルダもなぁ……」

 ブレッドさんの重たい溜め息。

「二週間前くらいにふらっといなくなって、それっきりだぜ。あいつはお袋のことが大好きだったからな」

 二週間前、というと、僕らを訪ねてきたあたりだ。いったい彼女は何を確認しに、どこへ行ったのだろう? そしてそのまま行方をくらましたということは――。

「それで、どうなんだ? 探せないか?」

 最初の質問が繰り返されたとき、ウルフは二口目を頬に詰め込んだところだった。たっぷりとした間が空いて、それからようやく答えがくる。

「手がかりが何もない状態では不可能です。私が触ったことがあるものや、破片が残っているとか、そういう取っかかりになるものがあればいいのですが……それでも見つかるかどうかは賭けですね」

「そういうモンなのか」

「ええ、そういうものです。一応、占いという手がないわけではありませんが……正確性に欠けますし、その……」

「苦手なの?」

 言いよどんだところを直球で聞いてみたら、彼はすねたような顔で「苦手ではなく嫌いなんです」と呟いた。

「占いは捉えどころがないので、どうにもやりにくくって」

「そうか、無理か……」

「申し訳ありません、力になれず」

「いや、いいんだ、どうせ駄目元だったから」

 ――あ。今、頬がじりっと炙られたのを感じた。僕の真横に炎がある。気遣ったブレッドさんの言葉が、かえってウルフの闘志に火をつけたのだ。

 そっと彼を窺うと、宇宙の瞳がうなりを上げているのが分かった(僕はあの煌めく瞳が嫌いじゃない)。

「駄目元でよろしいのであれば、占うだけ占ってみても構いませんか」

「やってみてくれるのはありがたいがね」

「では、外観だけで結構ですので、グランマのお宅を見せていただいても?」

 ブレッドさんは少し気圧されたように「外から見る分には好きにしてくれていいけども……」と頷いて、場所を教えてくれた。

「ありがとうございます。では、この後少しだけ見させてもらいますね。何か分かったらすぐにお伝えしますので」

 ウルフは一方的にそういうと、あとはすべての労力をカロリー摂取に傾けるべく、大きく口を開いた。

「ちょっと待って、僕も行く」

 先に立ち上がろうとしたウルフを引き止めて、僕はオムレツを口に詰め込んだ。ほとんど噛まずに飲み込む。

「どうせ帰っても寒いだけだからさ」

「ああ、そうでした」

 嫌なことを思い出したとばかりにウルフはしかめ面になった。

 連れ立って外へ出る。と、細かな雨。

「わお、最高だ」

「まったく素晴らしい天気ですね」

 切れの悪い決まり文句を言いながら雨の中に飛び込む。

 数分も歩かないうちに小さくくしゃみをしたウルフは、ひどく寒そうに腕をさすった。やっぱり、真っ赤なコートはどう見ても薄すぎる。

 僕は迷った挙げ句、ついに我慢ならなくなって尋ねた。

「そのコートってさ、君のお父さんのものだったんだろ?」

 彼はちらりと僕を見てから、素直に頷いた。

「ええ、父のものですよ」

 何をそんな当たり前のことを、というような口調だった。それも過去形でなく、現在形で。

「本当は私が着ていていいものではないんですが」

「え?」

 どうやら寒さで口の留め金を失ってしまったらしい。彼はいつになくするりと言葉を吐いた。

「これはもともと、おじいちゃんが父に贈ったものなんです。詳しい経緯は知りませんが、役者としてデビューしたお祝いのようなものだ、と言っていました。……いつか、私が一人前になったら譲る、とも」

 未来を語る平凡な言葉。そこに呪いのような響きをこめたのは、僕の耳だったか、それとも彼の声か。

「父は私が魔法使いになることに反対していました。最初から――最初から、ずっと。どうしてあんなに反対していたのか、結局まともに聞けませんでしたが……だから、たぶん、私がこのコートを着ることを、父は許してくれないでしょう。とてもじゃないけれど、一人前とは言えませんので」

 彼は真っ直ぐ前を向いたまま目を細めた。肌に突き刺さり凍てつかせる雨を天の恵みと思っているような表情。

「それでも、着ていなきゃいけないんです。着なくたって、忘れなどしません。忘れないためではなくて……忘れさせないために」

 誰に、と彼は言わなかった。だからこれは僕の勝手な想像だけど。

 きっとその相手は犯人だ。父親を殺した犯人に、彼はいつかその罪の重さを突きつけてやりたいのだろう。だからコートを着続けている。どこかで生きている犯人に向けて、お前のことを忘れないぞ、と。それは毅然とした意思表示であり、明白な脅しだ。

 もしかしたらウルフは、ずっと、赤いコートと一緒に復讐を纏って生きていくのかもしれない。それはたぶん、どうしても切り捨てられない部分なんだろう。暗くて冷たくて最悪な、イギリスの一月と二月みたいに。

 しゃべりすぎたと思ったのか、それきり彼は口を開かなくなった。

 僕らの寮にコンパスの針を立てて、鉛筆の先をグランダッドに置き、ぐるっと西に向かって三十度くらい、って位置。グランマの家は小雨の中にしんと建っていた。生け垣に囲まれた、ごく普通の一軒家。こぢんまりとしていて住みやすそうだ。今は寒々しい姿をさらしている花壇も、暖かい時季には花々で彩られていたことだろう。そんな想像が簡単にできるくらいに、その家はまだぬくもりを残していた。けれどそれが冷めていく途中であることを知っていると、どうにも胸に迫るものがある。

 許可を貰っているからだろうけれど、ウルフは慣れた様子で小さな門を開け、堂々と敷地内へ踏み入った。

 家の周りをぐるりと一周する。玄関と勝手口の扉の隅に、CPSのシールが貼られていた。

「占うの?」

「そのつもりで情報を集めに来たのですが……」

 彼はゆったりと首を傾げた。

「何か気になることが?」

「チューインガムがあるなと思って」

と、勝手口の横の花壇を指す。見れば確かに、陰に隠れるようにしてチューインガムが散らばっている。それも大量に。一箱の半分くらいかな。ガムだと分かる程度に原形をとどめてはいるが、何日も前から置き去りにされているのは確実だ。

「うっかり落としたんじゃない?」

「一粒二粒ならまだしも、こんなに大量に落としたなら掃除をするのでは?」

 それもそうだ。グランマはもちろん、ブレッドさんだってこういうものを放置するようには思えない。それもグランマの家に。

「放置されている以上、何者かが家の人間に気づかれないように置いたと考えるほうが筋が通っています」

「盗みに入った人が?」

「誰かのいたずらでなければ」

「けど、チューインガムなんて何のために」

「窃盗グループはこういう目印を残すことで仲間に標的を知らせる、と聞いたことがありますが……それならセキュリティが働かないのはおかしいですし、ブレッドさんも盗みに入られたことを確信できるはずです」

「そうだね」

 ウルフは小首を傾げたまま、軽く握った手で口元を隠すようにした。ああ、これは長考が始まる兆候だ、こんな寒い場所で困ったな――と思った次の瞬間、大きなくしゃみ。

「とりあえず、寮に戻りましょうか」

「賢明な判断だと思うよ」

 かんだせいで真っ赤になった鼻をこすり、彼はまた堂々と門を出た。

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