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トワイライトと魔法使い  作者: 井ノ下功
第2章 グランダッドの盗難
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4 寒さに凍えつつも

 その昔、ジョージ・オーウェルはこう思ったらしい。

『一月と二月は切り捨てろ。そうすればイギリスの気候に文句はない』

 今日の僕は深く頷いた。一も二もなく賛成だ。

 カーテンは閉め切ったままだから空模様はわからないけれど、昨日も明日も曇りなんだからどうせ今日も曇りだろう。それでも僕にとって一月は「なければいいのに」と願うほど嫌いではなかったのだ――今朝早く、セントラルヒーティングが故障するまでは。おかげ(・・・)で、僕らの部屋はすっかり底冷えしていた。吐いた息が白く曇るくらいに。これじゃあ冷蔵庫を通り越して冷凍庫だ。

 そういうわけで、朝からずっとベッドの中で、貰い物のチューインガムを噛みながら、オーウェルの古いコラムにふんふんと相槌を打っていたのである。だが、それにもいい加減疲れてしまった。何よりも寒い。寒くていられない。ガムはとうに味をなくしたし、お腹もすいてきた。本を閉じる。

 向かいのベッドにはこんもりと盛り上がった塊がひとつ。

「なぁ、ウルフ」

「……なんですか」

 ウルフは亀のようにのっそりと顔を出した。女の子みたいに長い黒髪が顔の半分を覆っているけれど、それを払うために手を出すのも嫌らしい。顔中に貼りつけられた“不機嫌です”のステッカーは、起こされたことではなく寒さに抗議するものである。数十分前に起き上がって寒さに悲鳴を上げ、暖房の故障を知るやいなや甲羅に引きこもったのだ。

「何か温かいものを食べに行かない? でないと僕たち死んじゃうよ」

「……そのためにはベッドを捨てて着替えないといけませんね。凍死するつもりですか」

「パジャマのまま餓死するのとどっちがいい?」

 ウルフは小さな声で「うぅ」とうめくと、だだをこねるみたいに枕へ額をこすりつけた。気持ちはわかる。言い出した僕だってベッドを捨てる勇気はないのだから。

「じゃあ、せーので動こうか」

「……わかりました。いいですよ」

「いくよ。せーの!」

 宣言通り勢いよく飛び出したウルフが、土壇場で怖じ気づいた僕から即座に毛布を剥ぎ取った。冷気が瞬時に全身を覆う。うーわ、マジで寒い! ウルフの視線も加わって余計に冷たい!

「言い出した張本人が動かないのはずるでは?」

「ごめん、意志が弱かった。引っ張り出してくれてありがとう」

「どういたしまして」

 持つべきものは友達だね。有言実行の勇敢な友人は、悠々とした態度で大きなくしゃみをした。

 ロビーに下りていくと、寮母さんが電話を置いて溜め息をついたところだった。

「ああ、あんたたち、よかったわ。ちょうど今凍死してないか見に行こうと思ってたところなのよ」

「ご心配をおかけしました」

「故障は直りそう?」

「それがね、なんだか人手が足りないとかなんとか言ってて、ちょっと遅くなりそうなの。あちこちから修理の依頼が殺到してるんですって」

 わお。僕は落胆を隠しきれない。ウルフも憮然としているのがよくわかる。

「今日中に来てくれるといいんだけど……ちょっとわからないから、もし嫌だったら友達を頼ってちょうだいね。一応、倉庫から毛布を出しておくけど」

「わかりました」

 最悪トムのところに転がり込むしかなさそうだ。彼ならウルフも迎え入れてくれるはずだからね。

 外は案の定曇天だった。でも寒いところが寒い分には言うべき文句などない。

「どこ行く?」

「グランダッドに行きませんか。マチルダのことが気になるので」

 確かに。あれきり音沙汰ないのはよいことなのか悪いことなのか。琥珀の指輪はまだウルフの引き出しの中に眠っている。

「ガム食べる?」

「いただきます。最近みんなこれを食べていますね。流行ってるんですか」

「いや、近所のスーパーで発注ミスしたらしくって、すごい量が全部半額になってたんだってさ。僕も貰った物だし」

「ああ、なるほど」

 どぎついピンク色のガムを口に放り込んで、ウルフは眉を顰めた。そう、このガムものすごく甘いんだ。面白がった寮の奴が大量に買い占めてきたのはいいんだけど、全然消費できないから、僕にも回ってきたってわけ。

 軽く睨まれたのは無視して、ガムの箱を右ポケットに突っ込む。

「セントラルヒーティングさ、魔法で直せたりしないの?」

「出来ないことはありませんが、後のことを考えるとやらない方がいいと思います」

「なんで?」

「私はセントラルヒーティングの仕組みについて詳しくありません。魔法による修理というものは、構造を理解していないと機能しないんです。だから、やったところで一時しのぎにしかなりませんので」

 皆己の仕事(Every man)(to)専念せよ(his trade.)。 彼はそう言って、ガムを道端に吐き捨てた。

 グランダッドは寮の連中でいっぱいだった。熱気がもわっと押し寄せてきて、ウルフが真っ白になった眼鏡を外す。なんだか前に来たよりも騒がしい。ひねくれた見方かもしれないけれど、僕には暗い空気を避けるためにあえてそうしているように思えた。

「いよう、魔法使い!」

 ふざけた調子でウルフと肩を組んだのは、一階にいるお調子者のリトルだった。血飛沫婦人の一件以来、ウルフのことを不気味だなんだと言っていたのはすっかり忘れることにしたらしい。

「なぁ俺たち同じ寮の友人だろ? 魔法で暖房を直してくれよ!」

 リトルの無遠慮なニキビ面に向かって、ウルフは距離感のある微笑みを浮かべた。

「ゲーテの『魔法使いの弟子』ってご存知ですか? アニメの方でもいいのですが」

「もちろん! あれだろ、箒が蜂起するやつ」

「あれ同様に、暖房が乱暴を始めてもいいならやりますけど」

「あれってリアルな話なのか?」

「ご想像にお任せします」

 ウルフはひょいと肩をすくめて、彼を躱した。

 カウンターの向こう側にはブレッドさんが立っていて、僕らに気付くと片手を挙げた。

「よ、真っ赤なお二人さん」

 しおれた笑顔。明るい茶色の瞳はいつもの快活さを失って、寒さに耐えるように縮こまっている。

「こんにちは、ブレッドさん」

「セントラルヒーティングがストを起こしたんだって?」

「そう。誰かがフランスのスト史を語り聞かせたみたいでね」

「それじゃあすぐ直るだろうな。ご注文は?」

 僕はやっぱりチーズオムレツ、ウルフは日替わりパイ――今日は子牛とアプリコットのパイだった――を頼んだ。それからモルド・ワイン。ウルフが代金を渡すと、ブレッドさんは厨房の方に引っ込んでいった。

「ブレッドさん、疲れてるみたいだったね」

 囁くと、ウルフは眉を上げた。

「そうでしたか?」

「見て分からない?」

「私はそういうのが苦手なので」

 ウルフはそれきり興味を失ったように、カウンターに背を預けた。

 空っぽの安楽椅子がかすかに揺れている。グランマはもちろん、マチルダもいない。僕の脳裏には最後に見たグランマの姿がありありと浮かんできた。マチルダを膝に載せたまま、大きな鷲鼻をこちらへ向けて、人差し指をゆっくりと上下させた姿が。そして僕はしばらくの間この場所に来なかったことをすっかり後悔した。ごめん、グランマ、ちゃんとまた来たよ。僕らは何度だって来るよ。あなたが愛した場所を、僕らもまた愛しているのだから。

 ブレッドさんが両手に皿を載せて出てくる。それらを受け渡すときに、彼はふと思い出したように言った。

「そういや、赤コート」

「はい」

「その……駄目元で聞くんだが……魔法で物を探せたりしないかね?」

 僕らはそろって目をぱちくりさせた。

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