里の暮らし
力が解放された事を知るには、何も身体を動かさずとも判る。念入りに筋を伸ばし身体を目覚めさせれば、深く息を吐いていた。間もなく大沢の呼吸法で身体が出来れば、あの時の感覚が一気に蘇ったのである。
それは昨日までの技と素早さを遥かに上回る超人的なものと確信できた。
(夢にあって夢に非ずか……おきぬ感謝する)
隠し里では忍びの体術を使う事は禁じられている。故に身体を鍛錬する為には半時(一時間)程歩いた山中へと行かなければならなかった。小平太をはじめ忍びの全員が薬湯を飲んで身体を整えれば背負子を背に山へと向かった。
薪拾いに成りすまし山まで来れば、完全に人の目は無いし忍びの気配も無い。其々が身体を動かし始め準備が整えば、小平太の指導の下鍛錬が始まる。先ずは解り易くする為、忍びの体術で以て身体の軸や可動を示す。
次いで幻の体術で以て正確さと圧倒的な素早さを見せれば、皆は真剣に小平太の動きを目に追ったが、間もなく幻さへも越えた技と力、それに残像しか捉える事の出来ない素早さに、全員が絶句した。
「……こ、小平太様……それは一体……」
「これが封印されていた能力だ、やはり幻想などでは無かった」
「今の動き、幻を遥かに……しかし、どうやって封印を?」
「実はな、昨夜夢枕におきぬが立ってな、封印を解いてくれたんだ」
「きぬが……」
「あぁ」
きぬは仙吉の妹でもある。
昼に郷へと戻れば、すずは里の子たちと蜻蛉を捕まえて遊んでいたところである。
「だ、帰って来ただ」
「夢にあって夢に非ず、本当だったよ。凄まじい能力が目覚めた」
「凄いだな……だ……したら美しい人さ現れんのもほんとだか?」
「どうだろうな」
「だ、誰だ」
周囲を見回していたが、程なくして諦めれば里の子たちと共に走りだし、間もなく地に転がった。
「いでぇ」
「おすずちゃんがまた転んだぞ」
「笑い過ぎだで!」
「相変わらずだな」
「しかし本当によく転ぶな……」
「足元が意気地ねえと自分でも言っていたよ」
忍び達が鍛錬に励む中、程なくして大根が収穫期を迎えれば、忍び達もその日は総出で手伝う事となった。世話になっているのだから当然と言えよう。
「おりゃぁぁ! だっ! ……いでぇ」
「あっははは、大丈夫かよおすずちゃん」
山人と干し場を組んでいれば、大根を引き抜いた勢いでそのまま後ろに転がるすずの姿があった。
「相変わらずだな」
「しかし、早くも里の人気者に」
「性格が全身から滲み出ているからな、国訛りも手伝って人を和ます力がある。人徳だ」
「そのようで」
皆に笑われながら立ち上がれば、笑い過ぎだと怒っているようだが、それがまた滑稽なものだから余計に笑いを誘うのである。
収穫された大根は荷車で湯屋へと運ばれれば、女衆によって刻まれ大きな平笊に並べ干される。切干大根や一本漬けはこの時期に一斉につくられるのだ。
やがて昼になれば大きな握り飯を両手に持ちすずは笑顔である。やはり仕事に汗を流せば飯も格別に旨いのだろう。
「旨んめえだな」
「そうだな、感謝を忘れてはならんぞ」
「んだ」
「ところで、大きな大根を抜くには力がいる。干場に変えたらどうだ?」
「おら、足元さ意気地ねえもの、皆が折角きれいに並べた大根さ転んで台無しにしちまうだよ、かえって迷惑かけちまうだ」
十分にあり得る話なので小平太もそれ以上は何も言わなかった。
「それよりおら、今夜から縫物さ習う事にしただよ。お滝さんが誘ってくれただで、夜が待ち遠しいだ」
「そうか、良い事だ、そのうち俺の着物も頼もう」
「任せておくだよ!」
陽が落ちる頃には湯屋へと戻り、夕餉を済ませるとすずは意気揚々と縫物を習いに作業小屋へと向かった。しかし、一時(二時間)程経てば憔悴しきった様子で帰って来たところであった。
「おら、縫物の素質さ無さすぎだで……自分の事ながらしんじられねえ……とんでもねえだよ」
「最初から上手くいく者はそうはいない、焦ることもあるまい」
「そうだよおすずちゃん、焦らず頑張りな」
「そうだでか……これ見て欲しいだよ……一時も習ってこれだで……」
そう言って懐から取り出した布には酷い有様の縫い目が十数本あった。運針の練習をしたのだろうが、とても人が縫ったとは思えない様である。
「なっ!」
「……思い切り肩の力を抜いたほうが良さそうだな」
「お滝さんや皆にも同じこと言われただ」
「まぁ、根気よく習えば必ず出来る、忍びの鍛錬と同じだ。それより気持ちを切り替えて、飲み忘れている薬湯を飲むと良いぞ、冷めた分飲み難さが増していると思うが」
「だぁぁぁ! 忘れてた!」
縫い目がきれいに揃いだしたのは、それよりも七日も後の事であったが、本人は大層満足がいったらしく、何度も引っ張り出しては縫い目を眺めうっとりしていた。
「縫い目さ綺麗だな……はぁぁ……苦労しただけの事はあるだな……ふぅぅ」
「偉いぞ」
「明日からやっとみんなの役に立てるだよ。先ずは腰巻から縫うんだ、おら頑張るだで」
忍びの郷と同様に、この里も其々が得意分野を生かす事で生活が成り立っている。作業小屋では女衆が機織りりや縫物などを行い、男衆は籠や笊を編み縄や蓆を拵えるなどやることは多い。
たくさん作れば鉄などと交換できるのだから郷を豊かにする為にも重要な事なのだ。
また湯屋の大台所では、里の女衆の中から料理上手で世話好きな者が集まり、忍び達の食事をつくるのだが、すずはこのところ毎回顔を出しているらしい、どうやら料理にも興味がある様だ。
「料理さ楽しいだよ、毎日三回違う物作るだで、楽しくって仕方ねえだ、だからおら、料理役に混ぜて貰っただで」
地域にもよるが、この辺りの食事回数は日に二回が普通となるが、大沢の忍びは体力を必要とするため三度の食事としている。すずは里の子たちと遊ぶ時を削り、料理も習い始めた所であった。
鳥獣や魚類の全ては猟師の武夫達が下処理をした状態で台所へと運ぶから扱いも良い。その日台所には猪肉が積まれていった。
「猪鍋だか、今日は風がちっと冷たかっただで、皆喜ぶだな」
「そうだね」
猪鍋の香りが立ち込めれば、間もなく湯屋の戸が開き、外の冷たい風と共に三助が姿を見せた所である。
「ただいま戻りました」
「三助ご苦労、夕餉は猪鍋だ温まってくれ」
「それは有難い」
「……あんな遠いところまで行って、もう戻って来ただか……」
すずの驚いた表情に笑顔を見せれば、籠の中より見覚えのある包みを取り出し、すずへと渡したのである。
「これは……まさか……」
「おすずちゃんの喜ぶ顔が目の前に見えると、藤十郎様もお琴様も満面の笑みであったよ」
「ま、饅頭だ……」
「これは良かったな」
「おら、嬉しいなんてものでねえ……三助さんあんがとした」
「これはどうも」




