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鏡の守り人  作者: 雨替流
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出立

 あれから二日の後、この日の昼にも藤十郎の姿は無かった。

「今日も藤十郎様来ねえだかな」

「どうだろうな」

「仕方ねえ、今日も諦めるだか……」

「ん? 何を諦めるのだ?」

「だ……何でもねえだ、ほんとだで……」


 天気も回復し泥濘(ぬかるみ)も乾き始めたから去り時と言えよう。洗い干しておいた小袖や脚絆等は概ね乾き、心地良い秋風に揺れていた。


 使った分の薪を割り補充を済ませれば、鶏を追いかけ遊ぶすずの背景に、見慣れた男が馬に乗りやって来たところである。


「おすず、後ろを見て見ろ」

「ん? だっ! 藤十郎様だ! あっ! いでっ」

「しかしよく転ぶな」

「おら、なんだか足元さ意気地ねえだよ、なんだでな」


 馬から降りて笑顔を見せれば、懐より包み紙を取り出していた。


「転んでいたが怪我はないのか?」

「大丈夫だで、おら転び慣れてるだよ」

「それは良かった、ほら饅頭だ」

「藤十郎様あんがとした!」

「昨日より首を長くして待って居たようだぞ」

「ん? それは儂をか? 饅頭をか?」

「だっ! そ、そうでねえ饅頭さ、さっぱり気にしてねえだ、藤十郎様が昼に来ねえから気にしてただけだで」


 昼は未だだと言う藤十郎を雑炊でもてなせば、余程に腹が空いていたのだろう、多めに作ったそれを全て食べつくし、すずを驚かせていた。


「おかげで大事に至らずに済んだ、改めて礼を言う」


 当然ながら仔細は語らないし、小平太も聞かない。生け捕りにした山賊の大将に煙を嗅がせた時も、小平太は聞かぬ様にその場を離れたのだ。他国の内部情報とはそれ程に危険があるのだ。


「我が殿、岡本彦左衛門様からも、礼の言葉を預かって来ておる」

「確かに受け取った」

「うむ。で、そろそろ発つのか?」

「あぁ、藤十郎殿の顔も見れたし明日には発とう」


 藤十郎の名を初めて呼んだのは別れを意味したものなのか、その場の空気が悲しい色に染まっていた。


「では、明日の朝、馬をもう一頭連れて参る、東山道まで送ろう」

「有り難いが、俺たちは此処より東へと向かい、上郷と言う地へ行かねばならん」

「何?」

「ん?」

「上郷は儂の里だ……一体何用があると言うのだ?」

「ほう、偶然にしては面白い」

「藤十郎様の里だったで、偶然だな」


 美濃の地で弥平と言う忍びから、不思議な光を放つ勾玉を預かった話を聞かせ、それを籠から取り出し見せれば、藤十郎は驚きつつ勾玉とすずを交互に見ていた。


「光がおすずちゃんを追っているぞ」

「未だ、おらの事指してるだ……なんだでこれ」

「さてな……それにしても用とは、鏡の社であったのか……」

「ん?」


 鏡の社は古来より、関わる者以外何人たりとも近づいてはならない決まりがあると言う、故に社は岡本の兵により厳重に守られているようだ。


「それは困ったな」

「此処は殿に掛け合ってみよう、何とかなるかも知れん」

「頼む」


 翌朝、藤十郎は馬を一頭引き連れて現れた。宿所は綺麗に掃除を済ませ、荷物も全て籠へと収めた所である。


「殿がお墨付きを下さる、小平太殿にも直に礼を申したいとの意向ゆえ、屋敷へ招かれたが良いか?」

「なら参ろう」

「おっと、そうだおすずちゃん、我が家で饅頭がおすずちゃんを待って居るぞ」

「だ! 嬉しいだな急いで行くだよ」

「饅頭は逃げないのではなかったのか?」

「だ……」


 長老に礼を言うと己の前にすずを座らせ、馬を歩かせていた。間もなくして景色が開けてくれば、これよりは岡本の与かる領地へ入ったと知らされた。鈴川の地とは一変し、雄大な山々を遠くに見渡す事が出来る平坦な地で、田畑や雑木の森などを眺めつつ行けば、やがて大きな集落が見えてきた。


「あれが藤十郎様の里だか?」

「あぁ、そうだ。上郷の大集落と言う」


 岡本の屋敷は山裾の少し高い場所に位置し、仕える武家たちの家々は下に配置されている。農や猟に励む集落の家々はその外側に位置していた。見れば子供も含めて大勢の人々が、収穫やら脱穀に追われているようだ。雨が止んだのだから忙しいに違いない。


「お琴、着いたぞ」


 馬を降り間もなくすれば、藤十郎の妻お琴が姿を見せた所である。


「うわぁ! きれいな人だで」

「まぁ」

「これ、先ずは挨拶だ」


 小平太とすずが頭を下げれば、琴は藤十郎が散々世話になったと感謝を述べていた。また、藤十郎には二人の男の子が居る事も分かったところである。今は剣術を習いに屋敷に行っているらしい。


「お琴様、お饅頭あんがとした。おら饅頭さ初めて食べたでびっくりしただよ、あんな旨えもの食った事無かっただ。ほんとにあんがとした」

「今日はたくさん作ったから、道中に食べてね」

「おら、嬉しいだよ。あんがとした」

「お話には聞いてましたが、本当に可愛い子ね」

「そうだろう。そうだ、折角だ屋敷に上がる前に一休みして行こう」

「すまぬな」


 琴はいったん奥へと消えると、饅頭を包んだ布をすずへと渡していた、それを両手にすずは目を見開いている。


「こ、こんなに沢山良いだか? それに温けえ……大変だ……これ出来立てだで」

「良かったな」

「お琴様、藤十郎様、ほんとにあんがとした」


 間もなく松葉湯でもてなされるも、すずは落ち着かない様子であった。それは温かな饅頭が気になって仕方ないのだが、包みを開ける訳にはいかない事情が原因の様だ。


「折角だ我慢などせず、温かい饅頭を馳走になったらどうだ。松葉湯との相性も良いと思うぞ」


 心を読まれ驚いて小平太を見るも、余計な事を言うなとばかりに行儀良く座ったまま動かなかった。


「ん? どうした?」

「小平太様声がでけえだよ、道中に食うようにって貰ったんだ、おら子供でねえから我慢するだ」


 無論小声であった。道中に食べる様に言われたものだから、その言葉通りに食べないと失礼に当たると考えているらしい。


「まぁ、私の言葉がいけなかったのですね。おすずちゃん、温かいお饅頭も美味しいのですよ、道中と言わずに召し上がってくださいね」

「だっ!」


 聞こえていた事に驚いたすずは首を竦めて困っていたが、やがて背を正すと大事に抱えていた饅頭の包みを見据えていた。余程食べたいのは唾液を飲み込む音で計り知れる。その様子に藤十郎が吹き出すも、すずの集中は途切れなかった。


「藤十郎様、失礼ですよ」

「おすずよ、饅頭は逃げないが、温かさは逃げるぞ」

「だ……頂きますだ」







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