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1節 ブレイル・ホワイトスター5




 診療所があった路地を抜け、ブレイルは大通りへと飛び出した。

 先程と違い逃げ回る人々が駆け巡る。

 その中で彼は叫びがあげた人物を探した。


 「――!」

 見つけたのは直ぐだった。

 小さな露店の側。ツインテールのピンクの少女が地面に座り込み小さく震えている。

 たが、それだけじゃなかった。


 彼女の足元、すぐそばに黄色い液体を垂れ流す緑の物体が倒れているのが分かる。

 緑の異形な手でリリーの細い足を掴み、リリーはそんな化け物の前で手にナイフを持ったまま震えているのだ。


 ブレイルはリリーに駆け寄った。

 「リリー!」


 名前を呼ぶと、怯え切った瞳がブレイルに向けられる。

 ブレイルは直ぐに聖剣でリリーの足を掴む化け物の腕を切り離した。ちぎれるような嫌な感触が聖剣から手まで伝わる。

 しかし腕は簡単に切り落とされたと言うのにリリーを掴む手は離そうとしない。


 仕方がなく、ブレイルは気色の悪い手に自身の手を伸ばした。

 「――っ」

 ぶよぶよした気持ち悪い感触。少し力を入れるだけで化け物の指の一本が潰れ、黄色い液体がリリーの足に掛かる。


 「ひ――」

 「わるい我慢してくれ!」

 気持ち悪いのは分かる。しかしどうすることも出来ない。

 ブレイルは残りの指も引きちぎり、リリーの足から化け物の手を剥す。

 リリーの足は黄色い液体で汚れたが、それだけでかすり傷1つ付いていなかった。その事には胸を撫で下ろす。

 しかしだ、リリーはそうもいかない。

 取り乱したようにスカートのすそで汚れた足を必死に拭い、化け物を見下ろしながらカタカタと震える。


 「――リリー。リリー、大丈夫だから、何があった?」

 そんな彼女を気遣いながらブレイルはリリーに問いただした。

 縋るようにリリーはブレイルに抱き着き、口を開く。


 「わ、私、パルから話聞いて…!あ、あんたを探してたら!!こ、こいつらが急に、こいつらに襲われて!襲い掛かって来て!それでナイフで!!!なんで、どうして!?」

 「…わかった。分かったから、もう大丈夫。こいつはもう動かない。お前を襲う奴はもういない」

 怯えるリリーを宥めながら、ブレイルはあたりを見渡す。

 逃げ惑う人々の中にあの化け物の姿は無かった。少なくとも動いている化け物は――。

 綺麗な白い街が彼方此方に黄色と緑の物体で汚れている。

 どうして突然。こんな化け物が現れたのか。何処から現れたのか。ブレイルには分からなかった。


 そんな中リリーが震える手で、ある大通りを指差した。


 「あ、あっち!あそこから出て来た!!ゲレル様の…と、父さんの、び、病院がある!!と、父さんがまだっ!ぱ、パルも一緒に…!」

 「!!」

 その説明だけでブレイルには充分だった。

 それ以上に、パルがあの先に、化け物が出て来た場所にいる。

 早く助けに行かなくてはいけない。


 「――リリーは待ってろ!!」

 頭より体が先に動いたのはコレで何度目か。縋りつくリリーの手を離し、ブレイルは大きな通りに身体を向けていた。

 人ごみの中をすり抜け、人が逃げてくる大きな角を曲がる。


 「――っ!」

 角を曲がった瞬間。見えたのは、あの化け物だった。

 意味の分からない叫び声を上げながら、鎧を着た腰が抜け震えている男に手を伸ばしている。


 先ほどと同じだ。もう恐怖も驚きも無い。

 ブレイルは聖剣を握りしめ飛び掛かる。

 男にのびる腕を切り落として、次は首。

 化け物は相変わらずもろく一瞬で崩れ落ちる。


 「うわぁぁぁ!」

 「!」

 次にまた誰かの叫び声が上がった。

 前を見れば、化け物に鎧を着た別の男が襲われている。

 あれでは聖剣で切りかかる事は難しい。

 仕方がない。ブレイルは数少ない“魔法”に頼る。


 「――‴百歩穿楊(ターゲット)‴――オン――」

 一つは目に、“どんな攻撃も必ず狙った相手に当たる”魔眼制作。

 指先を化け物へと向ける。


 「‴一箭双雕(プファイル・アロー)‴!!」

 二つ目は、その指先から一本の鋭い光輝く弓矢を飛ばす魔法――。

 

 絶対命中の加護に着けた光の矢は一直線に化け物へと向かう。

 化け物は逃れられるはずもなく、矢先は化け物の頭に突き刺さり破裂と共に貫通した。

 ――それだけでは終わらない。

 輝く矢は消えることなく、そのまま飛び続ける。

 真っすぐに曲線をえがき、

 その矢尻は迷うことなく、その先に蠢いていた別の化け物の頭に見事に命中した――。

 

 化け物が倒れると、ようやく矢は消え去る。

 これが数少ないブレイルの魔法の一つ。

 一本の矢で、複数の敵を一気に仕留めることが出来る魔矢であった。


 矢の最大補足は三人と少ないが、“目”の効力は30分。

 それだけあれば十分である。

 何せ後はブレイルが地面を蹴り、聖剣を振り上げるだけで標的に当たるのだから。


 ブレイルは次から次へと目に付いた化け物を倒していく。

 20体ほど倒したか。しかし何処にもパルの姿は見つからない。

 魔矢と聖剣を使いながら前へと進んでいく。進むたびに化け物の姿は多くなっていった。



 「――ブレイル!!」

 そして、ようやく探していた人物の声が聞こえた。

 大きな特徴的な屋敷の前、座り込むアーノルドと彼に寄り添うパル。

 2人の周りには化け物が三匹。パルが結界魔法を張ったのだろう。化け物は二人には触れられないが、結界の周りでうぞうぞと蠢いていた。周りを見る限り残りの化け物は、その三匹だけだ。

 しかし今のこの距離からだと魔眼の効力は消えてしまう。聖剣で飛び掛かろうにも距離がある。パルの結界も限界に見えた。

 結界が消えたら近接攻撃は流石に厳しい。二人に当たる可能性が無いとは言い切れない。――だから、ブレイルは化け物に指を向ける。


 「――っ!‴一箭双雕(プファイル・アロー)‴!!!」

 ブレイルは力を振り絞って魔矢を放つ。

 ここに来るまで10発以上は撃って来た。さすがに魔力の消耗が激しい。

 指先から飛び出た輝く矢が化け物達の頭を吹っ飛ばしていく。――1匹。――2匹。そして、


 「――っ」


 魔眼の効力が消えると同時に最後の一匹――。間に合ったようだ。

 パルの結界が消えたのもほとんど同時。

 ブレイルは目元を押さえながら二人の元へと走って行った。


 「お…い!大丈夫か!」

 声を掛ける。

 パルはアーノルドに寄り添いながら何度も頷いた。

 

 「大丈夫私たちにケガはないわ。逃げる時に人に押し飛ばされて、アーノルドさんが少し頭をぶつけただけ」

 「……あ、ああ。僕も大丈夫だよ…ありがとう二人とも…」

 安心させるように笑顔を浮かべるパルと、アーノルドも頭を押さえながら小さく笑みを浮かべる。

 その様子に安堵した。

 しかし油断は出来ない。今は化け物の姿はもう見えないが、いきなり襲われる可能性はある。

 少なくともアーノルドだけでも安全な場所に連れて行かなくてはいけない。


 「アーノルドさん。ここはまだ危険かもしれない。どこか近くに安全な場所とかないか?」

 「え…ええと…ダチュラなら…」

 「?ダチュラ…?」

 「あ、いや、私の研究室の事だよ…あ、いや、まって…」

 アーノルドは頭を打った影響か朦朧としているようだった。

 ブレイルはパルを見る。しかし、パルは小さく首を振った。


 「頭を打った時、血が出ていたから直ぐに回復魔法ならかけたわ。だからコレは頭を打った影響の物だと思う」

 「そうか」

 それなら尚更、安全な場所に連れて行かなくてはいけない。

 ブレイルはあたりを見渡す。――匂いが酷い。化け物のだろう腐った肉の匂いだ。

 せめて、この匂いが届かないような場所は無いだろうか。

 嫌でも目に付くのは目の前の、この大きなお屋敷だが。

 ふと気づく。屋敷を囲む障壁に屋敷の主であろう名前が彫られている事に。そう、「ゲレル」と――。


 つまりだ。このお屋敷は元から目指していたゲレル様のお屋敷という訳だ。


 「そこはだめ。鍵がかかっているの。その、お留守みたい」

 しかしブレイルが提案する前にパルが首を横に振った。

 この非常時に留守とは。町の警吏をしているらしいが――役に立たない。

 それでも確認の為、ブレイルは屋敷の敷地に入る。

 敷地に入った途端思わず驚く。鼻が曲がると思う程漂っていた匂いが消えたのだ。

 どうやら。ここもやはり一応、神の御屋敷らしい。

 ここなら休むのに適しているのには違いないだろう。


 だから期待を込めて扉の前に立った。朝顔だろうか。扉の上に花の紋章が一つ。いや、朝顔だけじゃない。水仙やリコリス、スズランの紋章が美しく彫られている。

 ただ今はあまり気にしている暇はない。

 思い切って扉をたたく。しかし、案の定か。物音ひとつしない。

 一応扉を引っ張ってみる。ビクともしない。


 「あー…ゲレル様は…今日は居ないよ…明日まで戻らない…」

 極めつけにアーノルドの一言である。


 流石にブレイルも顔をしかめた。

 こんな騒ぎが起こっていると言うのに。今日一日いないどころか、神様は戻ってくる気配がないと言う事実。エルシューにアクスレオス。今日で二人の神とやらにあったが、神様とやらは何処か問題を抱えているのではないかと思えてしまった。


 「父さん!!」

 そこに声がもう一つ。屋敷の敷地を一度出て見てみれば大通りがあった場所からリリーが走って近づいてきているのが分かった。

 待っていろと言われたが、我慢できずに追って来たのだろう。

 リリーは父であるアーノルドを見たとたんに泣きそうな表情をして抱き着いていった。


 「よかった…!良かった父さん!わたし…」

 「…大丈夫、大丈夫だよ、リリー。ブレイル君とパルさんが助けてくれたから、ね」

 抱き着いて来た愛娘を宥めるようにアーノルドが優しい口調で語りかける。

 リリーはアーノルドの話を聞いて、ブレイル達に今にも泣きそうな顔を向けた。


 「あ、ありがとう二人とも…!」

 「――いや、いいんだよ!これぐらい当然だ、いっただろ?リリーたちは心配しなくていいって!」

 反対にブレイルは満面の笑みだ。

 彼女を更に安心させるために心から笑顔を浮かべる。

 そんなブレイルの言葉にリリーは僅かに微笑んだ。

 何時もの気の強い眼差しじゃなくて、どこか期待した眼差し。初めて彼女にそんな視線を向けられた、そんな気さえした。

 今まで黙って見ていたパルも小さく微笑む。

 雰囲気は何処か和やかになった、それでもだ、今は此処から離れなくてはいけない。

 パルはリリーを見た。


 「あの、リリーちゃん。アーノルドさん、先ほど少し頭を打ってしまったみたいで、治療はしたのですがどこかで休ませてあげないと…この近くでどこか休めそうなところはありませんか?」

 「――!そ、そうね…ゲレル様、今日いらっしゃらないんだもんね…。……………分かった。少し離れたところに広場があるの、そこへ行きましょう」


 少しの間。リリーが少し離れた路地を指差した。

 勿論危険が無いとは限らない。ブレイルは聖剣を手にしたまま、リリーの指差した方向を見た。


 「分かった。じゃあ、俺が先行するから付いてきてくれ」

 今、魔力は殆ど使ったために魔法の類は使えない。しかし剣術ならまだ十分にいける。

 ブレイルの言葉に三人は小さく頷いた。

 

 こうしてブレイルを先頭に4人は路地へと入っていく。

 まだあの化け物が居ないか気を張っていたが、見る限りこの先に化け物は居ないようだ。

 それからも少しだけ歩く。暫くして広場に出た。

 騒ぎの影響か誰もいない。しかし小さな噴水とベンチが置かれた小さな広場。

 ここがリリーの言っていた広場であるのは間違いなかった。


 リリーとパルは肩を貸していたアーノルドをベンチに横にさせる。

 ここまではあの酷い匂いはしない。あたりに危険も無い。

 少しだけ安心して、ブレイルは噴水の側に腰かけるリリーに声を掛けた。

 無駄な気はするが一応聞いておかなくてはいけない。


 「リリー、さっきの化け物、なんだか分かるか?」

 ブレイルの言葉にリリーは少しして首を横に振った。


 「初めて見た。この神の街であんな存在いるなんて思ってもしなかったわ…」

 まぁ、それはそうだろうなと思う。

 あの化け物の正体はブレイルもさっぱりだ。

 今まで数多くのモンスターと戦ってきたが、あんな怪物は初めて見た。――いや、似ている存在は知っているが、アレとブレイルが知る存在とでは形状が違うとか、そんなレベルじゃない。

 ――あれは、いったい誰が用意したのか…。


 また少しして、ブレイルは「じゃあ」と口を開く。

 「――お前たちの言っていた“邪神”の仕業…とかじゃないよな?」――と。


 ――リリーは黙った。

 無い話ではないからだ。リリーたちもエルシューも恐れる“邪神”と呼ばれる存在。

 存在は分からないが、そんな存在なら()()()があるかもしれない。

 そして、その()()()はリリーにも思い立ってしまったらしい。

 だから彼女は何も言わないのだろう。

 

 とりあえず、あの化け物は今の所すべて倒したが。

 多分高い確率でアレを作ったのは“邪神”。

 化け物の戦闘能力は皆無に等しい。対峙したから分かる。不気味で恐ろしい容姿で、ただ人間を。特に鎧を着ていた人間に襲い掛かっていただけ。

 しかしこの先が心配だ“邪神”と呼ばれる存在がさらに強い化け物を生みだすのなら、パルと二人で対峙していけるか。

 ふと頭にアドニスと名乗ったあの男が浮かぶが直ぐに首を振る。正体不明の危険な奴には借りを作りたくない。むしろあいつは最初から協力しないと拒絶していたし。

 いや、こんな状況だ。話せば協力してくれるかもしれない。――どこにいるかも分からないが。

 あの黒フードの“少女”を伝手に探してみるのもありだが、“彼女”、今度はすぐに見つけることが出来るだろうか…。

 だからこそブレイルは大きくため息を付くしか無いのだ――。

 

 「…これからどうするかな…。こんな事件が起きるなら早く“邪神”を見つけないと…そもそも邪神、邪神って名前も知らねぇし、リリーその邪神様の名前って何なんだよ」

 「――。それは…」




 「――――――。

  ――へぇ。今回は隠すことにしたんだ…。はい、納得しました」


 ――静かな“少女”の声が聞こえたのはその瞬間。

 カツンっと静かな靴の音があたりに響き、生暖かい風がゾワリと吹き抜ける。

 唐突な声に、ブレイルも、その場にいた全員が驚き、声がした方に顔を向けた。

 

 ただ驚いたのは一瞬だけ。

 ブレイルは変わらず、また引き攣った笑みを浮かべる。

 驚かされたのは4回目。

 相変わらず、“彼女”はいつ現れたかさえ、気づきもしない。


 黒い、黒い。頭からつま先まで真っ黒に染め上がった。フードの“少女”――。

 「今度は」、なんて言ったが、()()()直ぐに見つけることが出来たらしい。

 ――いや、今回は、付いて来てしまったらしい、と言うべきか。

 

 なんにせよ、そこにいたのは一人の“少女”だった。

 唐突に表れた“少女”に、同様にパルもリリーもアーノルドも驚く。しかし正体を知って直ぐにホッとしたような笑みを浮かべた。


 特にアーノルドは人の良い小さな笑みを浮かべる。

 ベンチからゆるりと立ち上がって、背の高い、しかしまだ幼い声をする“少女”へと近づいていった。


 「えー、お嬢ちゃん。君も逃げて来たのかな?迷子?」

 優しい、気遣うようなアーノルドの声。

 大きな手が“少女”の頭に触れる。

 そんなアーノルドをフードの奥で、黒い瞳が見つめている。

 ただ真っすぐに、じっくりと。何かを待っている様に。


 そして――。

 その時がやってくる。



 “少女”はアーノルドの顔にゆっくり手を伸ばして、頬に触れて、囁くように、呟くように伝えた――。



 「アーノルド・ヴァリー。…後5分です――。」


 

 静かで、しかして、その声は妙にはっきりと。

 アーノルドは自分の時間が止まったような感覚に陥った。

 周りの音が無くなり、自身の呼吸音と心臓の音だけが響く。

 目の視点が会わない。

 目の前がぼやけて見える。ただ、そう、目の前の青白い“少女”以外は――。


 がくりといつの間にか尻餅を付いた。足が震えて上手く立てそうにない。

 後ろから声がするのに上手く聞き取れない。目の前の少女から目が離せない。


 ――もう一度言いましょうか?…ああ、そうですね。コレ、必要ですね。


 聞こえないはずの声が、“彼女”の声だけはっきりと聞こえる。

 黒い冷たい目、黒い髪。ちがう。容姿が違う。金髪じゃない。目の色も違う。背格好も違う。

 だから違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。


 

 ――“少女”の手に、分厚い本が現れる。

    ただ、その瞬間まで、アーノルド・ヴァリーは神エルシューの言葉をただ信じ続けていた。



 「アーノルド・ヴァリー、貴方は5分後に死にます」


 冷たい死が宣告する――。



 「あああああああああああああああああああああ!!!!!」


 アーノルドの口から洩れたのは絶叫の他、何もなかった。

 恐怖に引き攣った表情となり、這い蹲って目の前の存在から逃げ出す。

 その様子にブレイルとパルはただ唖然とするしかなかった。

 だが、もう一人。リリーだけは違う。

 彼女も目に映したからだ。

 その昔からの言い伝え通りの“彼女”の特徴に。


 ああ、ちがう。ブレイルもパルも気付いていたに違いない。

 だが、あまりに聞いていた容姿が違う為に信じたくないだけ。

 特にブレイルは信じたくない。

 だからこそ震える声を絞り出す。“少女”の肩に手を伸ばす。


 「こ、こら!お前、なに言ってんだ!そんなこと人に言ったらだめだ!!」

 幼い子にするように、叱り飛ばす。

 しかしだ、“少女”はブレイルに視線一つ送らない。

 ただ静かに告げる。


「――あと4分」

「――っ」

 思わず手を振り上げる。

 しかし、振り下ろしたブレイルの手は“少女”に掠りもしなかった。

 ――振り下ろされた手を“少女”が受け止めたのだ。


 細い手がブレイルの手を掴み上げる。

 手はビクともしない。――少女の力とは到底思えない。


 「いや!!父さん逃げて!!」

 後ろでリリーがアーノルドを支えながら叫ぶ。

 「っ!ブレイル!ブレイル助けて!!」

 縋りつくような彼女の声が耳に届いた。

 リリーは恐怖に染まりながら叫んだ。ただひたすらに助けを求めるために叫んだ。


 「――そいつが“邪神”よ!この世界で唯一の悪よ!!そいつは――」

 「――あと、3分」


 その声さえも掻き消す様に、静かな声が響き響く――。

 

 ブレイルは自身を掴み上げる手を振り払うと、聖剣を手に取った。

 目の前の存在に刃を向ける。

 それでも切り掛かる事は出来なかった。彼女が、この“少女”が邪神だなんて思いたくなかったのだ。

 相変わらず“少女”の顔は見えない。“彼女”がどんな顔をしているか分からない。

 ああ、いや。そんなものはブレイルの願望だ。ただ一つだけ分かっていることがある。


 “彼女”をアーノルドに一歩でも近づけさせてはいけない。それだけは確か。


 ――嗚呼、それ以前に“彼女”の正体を知っておくべきだった。



 「うあああああああああああ!!!!」

 ブレイルの後ろ。アーノルドが逃げようとした先、誰かの怒号と共に駆けてくる足音が聞こえた。

 アーノルドの目に映ったのは一人の男だ。

 奇声を上げながら男は、側にいたリリーを撥ね飛ばしアーノルドに容赦なくぶつかる。

 血走った目で、片手に金色の何かを握りしめて、狂気に染まった顔で、憎しみに歪み切った顔で、見知らぬ男の感情を一心に受けながらアーノルドは、ただ小さく「え」と声を漏らす。


 ゆっくりと下ろした視線の先、

 アーノルド()の目にはナイフが一本。


 銀色で赤い、赤い色をして、

 ぶっすりと、自分のお腹に深々と突き刺さっていた――。



 「――あと、2分」

 少女の声が木霊する。



 ………。



 鈍い音と共にアーノルドの腹からナイフが抜き出る。

 “栓”が無くなった穴からは真っ赤な液体が溢れ出す。

 アーノルドはただ、理解が追い付けず、その穴を押さえるようにゆらりと屈みこんだ。

 そんな彼の髪の毛を男が鷲掴み、容赦なく床へと叩きつける。


 血走った目、狂気に染まった目、理性も全て無くした目。

 馬乗りになった男はそんな目をしていた。

 そんな恐ろしい目で、ナイフを、振り上げて、


 何度も、

 何度も、

 何度も、

 何度も、

 何度も、


 ――振り下ろし続ける。


 「あああああああああああ!!!しねしねぇぇ!!ああああああああ!!!!」


 気が狂った男の声がひたすらにあたりに響く。

 ただ「死ね」と狂気じみた声だけが辺りに響き渡る。

 あまりの事にその場にいた全員が、動けなくなっていた。

 ただ、その見知らぬ男の狂気を目の当たりにして、だれもが、愕然と、唖然と、呆然と佇むしかなかった。

 ああ、いや。見知らぬ男。違う。

 ブレイルだけはその男を知っている。

 だって、その男は、つい先ほどブレイル自身が“医術”の元に連れて行った。――暴漢の一人だ。


 「――!!!やめろ!!!」

 ようやく身体が動いたのは、その事実に気づいた時。

 ブレイルは“少女”から目を逸らし、ナイフを振り回し続ける男へとぶつかった。

 男が弾き飛ばされる。


 「――う…あ、あ」

 パルとリリーが我に返ったのはアーノルドがわずかに身動きを取った時。

 アーノルドの口から大量の血が吐き出る。


 「いやぁぁぁ!!父さん!!」

 リリーはそんな父に泣き叫ぶように縋りついた。

 パルも慌てて走り寄る。

 アーノルドは酷い状況だった。生きているのが不思議なぐらいに彼の中心はぐちゃぐちゃだった。あたりに液体が広がり続ける。

 ――しかし彼はまだ生きている。

 それならば、パルの魔法で助けられる。

 パルは名一杯自分の中の魔力を身体全身に集中させ、アーノルドに手を掲げた。


 「妙手回春ホーリー・デウス・リカバリー――っ!!」

 それはパルの覚えた限り最上級の回復魔法。

 死んでいなければ、わずかに心臓が動き、息をしていれば、脳がまだ活動しているのなら、全てが嘘のように元通りに治す。聖女される彼女だけが使える神代の魔法。

 ――アーノルドはこれで大丈夫だ。


 ふと気づけば、あの“少女”のカウントダウンが止まっていることに気づいた。

 間に合ったのか、なんて、

 ブレイルは安心する暇もなく、発狂した男に視線を向ける。

 今すぐにあの男を取り押さえなくては不味い。また襲い掛かって来ないとは言い切れない。

 だから、発狂した男を見て、

 「――」

 言葉を失う。


 あの男。結果的にブレイルが助けて、アーノルドを殺しかけた男。

 その男がたった今、アーノルドを突き刺した銀色だった赤いナイフで、

 自身の喉にナイフを突き立てていたのだから。


 赤い鮮血が噴き出る。

 助けようにも、今パルが回復をやめるわけにはいかない。

 そもそも、アレはどうやっても助からない。

 血走り涙にくれた男の目はぐるりと反転した。大きな体が音を立てて倒れる。


 ――その様子を、あの“少女”が彼の目の前で目を逸らさずに見続けていた。


 助けようとするわけでもなく、ただ本を開いて、小さく手を動かして。

 何か小さく呟いている気もするが、聞き取れない。表情だって見えやしない。

 

 ただ、ブレイルはその姿が初めて恐ろしいと心の底から思えたのだ。


 「ブレイル!!」

 後ろでパルが悲痛な叫びをあげる。

 振り向けば、パルが酷く困惑した顔で、何度も何度も魔法をアーノルドに掛けているのが分かった。

 ――それはおかしい。

 だって、彼女の最上級魔法はたった一回で、全てを治す神がかりの魔法だ。

 あんなに何度も掛ける必要はない。それなのにパルはただ必死に何回も幾つもの魔法をアーノルドに掛け続けるのだ。


 「おかしいの!傷はふさがった!なのに顔色が一つも良くならない!手足が冷たい!!毒かと思ったけどそれも違うの!!!このままじゃ死んじゃう!!」

 駆け寄ったブレイルにパルが言ったのは信じられない言葉だった。

 慌ててブレイルはアーノルドの顔をのぞき込む。

 パルの言った通りだ。

 アーノルドの顔は死人のように酷い。息が荒く、震えも絶えず、なのに汗が異常に多い。意識だけはあるようだが、目の視点が合わない。

 目に見えて異常な状態。


 リリーの泣き叫ぶ声が聞こえる。早く助けてくれと声が響く。

 しかしブレイルもパルもただただ意味が分からず困惑するしかなかった。

 だって魔法はしっかり掛けたのだ。生きているのなら治る筈なのだ。


 「――無駄ですよ。回復魔法…?…此処では聞きませんよ」

 ――いつの間にか、側に立ち見下ろしていた“少女”が口を開いた。

 “彼女”が側に立っていたと気づいた瞬間、怯えた様子でリリーが腰を抜かす。

 そんなリリーに興味も無いように、“少女”がアーノルドを見つめ、パルに視線を移す。


 「ここではどんな回復魔法も表面しか治せません…内臓の修復、筋肉や肌…?…の回復。それは可能ですが、無くなった物はどうやら戻せないし増やせない様ですから…」

 あまりに場違いな静かな声。

 意味が分からない。“彼女”の言っている言葉も、彼女の態度も全てが、意味が分からなくて恐ろしい。

 フードの奥で初めて“彼女”の黒い目を確認する。

 光のない、何処までも黒い目。――この目はどこかで見たことがある。


 “少女”はブレイル達の様子に興味が無いように小さく首をかしげた。

 「…ああ、貴方の世界は魔法一つで無限に増殖する世界なんですね…。元に戻すとかじゃなくで、増殖魔法…」

 ――“少女”は静かに喋る。

 「でも、なんて言いますか…ずっと思っていて、普通…無理ですよね…ゼロから生み出すなんて」

 ――あまりにも静かに、当たり前のように。

 「ほら、『血』とか…?…だから、無理だと思います…」


 淡々とあまりに淡々としゃべる。声を出し話しているのに感情が全く感じられない。

 まるで取り敢えずの暇つぶしに独り言をつぶやいているようだ。

 仕方がなく録音された言葉をしゃべり続ける人形の様だ。


 「うううう、ああ、ああああ…」

 今まで、ただ震えていたアーノルドが唐突に声を漏らした。

 気が狂ったように手が宙を舞い、苦しむ用に胸をかきむしり始める。

 それが数十秒。多分そんなぐらい。

 目玉がぐるぐるして、口から泡を吹いて、彼からすれば長かったかもしれない。

 その形相は目にも見られない程恐ろしいままに、アーノルドは動かなくなった――。


 「――あ。死にましたね」

 “少女”の声が無情にも響く――。


 「――――」

 その瞬間、ブレイルは聖剣を振り上げていた。

 ただ、感情のままに身体が動いていた。

 怒り狂う渦の中で、やっと、ただ一つを理解した。


 ――この“少女”は間違いなく殺すべき存在だ、と。



 銀色の切っ先が容赦なく“少女”の頭を狙う。

 首を撥ねる。一点の曇りもなく、ただそれだけを狙ったのだ。


 衝撃で“少女”の頭から被っていたフードがふわりと舞い――。

 赤い血が辺りに飛ぶ。


 「――な…ぁ」


 ブレイルの口から情けない声が漏れる。


 ――結果、“少女”は殺せなかった。


 銀色の刀身は彼女の首には届かなかったのだ。

 避けられた訳じゃない、避けるのを許したわけじゃない。

 むしろ渾身の一撃だ。本気で殺す一振りだった。

 その一撃を、


 ――“少女”は、酷く当たり前のように銀色の刃を掴み止めていたのだ。


 銀色の刃を“少女”の血が伝うのが分かる。

 血は出る。でも血が出るだけだ。聖剣はそれ以上ピクリとも動かない。

 渾身の力で引っ張ろうが、押し込もうが、少しも動かない。

 それほどの力をこの少女が持っていることに、背筋がゾクりとした。


 ああ、それに。それ以上に。もっと恐ろしい物を見た。

 ――それは顔。

 いままで見ることも出来なかった“少女”と呼んでいた人物のその顔。

 ようやく露になった、此方を見下ろす、その顔をただ愕然と見つめる。


 フードの下には金髪の紫の瞳の少女。そんなモノは存在していない。

 むしろ、そこにあった顔は“少女”ですらない。

 初対面の時から感じていた違和感の正体がはっきりした。

 

 ――目の前には“少年”が一人立っていた。

 黒いローブを纏った少年。

 年のころは13程か、しかし少女と見間違うはずもない、年相応の整った顔立ちの少年が一人。

 真っ黒な髪に、何処までも暗い真っ黒な瞳。


 ブレイルはこの存在を知っている。一度だけ、会ったことがある。

 今日、会ったのだ。忘れるはずもない。

 ――だって、その人物は路地裏で“彼女”の側にいたのだから。


 どう見たって年齢は違う、けれど、その面影は間違えるはずもない。

 そこに立っていたのは「アドニス」――そう名乗った男の顔を持った人物(少女)だった――。


 ブレイルは歯を噛みしめる。

 路地裏で“彼女”と再会した時、正直ほっとしていたところがあった。


 この世界に飛ばされて、酒場で聖剣を持ってきてくれた“彼女”。

 勇者を除き聖剣に触れられる者は、真に純粋な存在か、はたまた()と呼ばれる存在のみ。

 この世界には“神様”がいる。そう確信した時、もしかしてと、その不安がかすめたのだ。

 けれど、再会して再確認した“彼女”があまりにもエルシューの言った“邪神”と容姿が違っていたから。

 髪の色や目の色だけじゃない、小柄と言う特徴すら“彼女”は持ち合わせてなかったから。

 だから“彼女”はただ純粋な普通な少女であると、そう信じたのだ。


 ――ああ、全く馬鹿らしいとブレイル自分自身を罵倒する。

 

 会ったことも無い筈なのに、ただの一目で聖剣の真の持ち主を当て、

 名乗っても無いの“にブレイル”という名を当たり前のように呼び。

 目の前に唐突に化け物が現れ、切り裂かれようともあまりに平然としていた。


 そんな“少女”が、普通な訳が無い――。


 毛先が金髪で、十字の模様が入った瞳?

 そんな特徴的な容姿、隠さないわけがない。

 現に、隠せる可能性なら既にブレイルは目にしている。

 ――自分の仲間そのものとか思えない容姿をした“神”を目の前で確認したじゃないか。


 エルシューと言う男の姿は身に覚えがない。

 しかしだ。アクスレオスと目の前の“少女”から推察できる。

 この世界の神様は、人間の前では“他人”の姿で暮らしている――と。


 ――そりゃ、誰にも見つからないわけだ。


 嗚呼、それでもまさか“彼女”が、こんな幼い子供が、“邪神”だなんて、思ってはいなかった。

 


 「…お前、なんだ。“邪神”なんて呼ばれているが、正体は」

 目の前の少女に問う。

 彼女は表情一つ変えず、小さく首をかしげた。


 「…モルス、そう呼んでくれていいと言いましたが?…ああ、それよりもタナトス…そう名乗った方が宜しいですか?」


 その発言にイラっとする。


 「聞きたいのは名前じゃない!!何の神だ!」

 ブレイルの声が血まみれになった広場に響き渡る。

 少女は少しの間、その少年の顔に僅かな笑みを浮かべた。


 「ん、そうか。しらないのか」

 なんて呟きながら、“彼女”は手に掴んでいた聖剣を手放す。

 彼女の切り裂かれていた手が、あっという間に塞がっていくのが見えた。

 再び切り掛かられると思いもしてないのか、どうせ目の前の人間には無駄であると確信しているのか、少女はブレイル達からほんの数歩、後ろへ離れると、ローブの裾を軽く摘み上げて、優雅に頭を下げるのだ。

 

 「これは失礼しました。ブレイル・ホワイトスター、パル・リリア・ミディンガム」


 それは彼女が初めて見せた、あまりに少女らしいしぐさ。

 けれど、彼女の“少年”の顔に口が裂けんばかりな笑みをひとつ浮かべて。

 


 「――――私は、“死”――そのものです」


 ようやく、自分の正体を明かすのだ。

 

 


 『そして、ついに勇者は”彼女”を知る』





9/29登場人物の名前を思い切り間違えていたので直しました

ブリッツでもフリッジでもなく「ゲレル」です。

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