アスカ 前編 ククウィックの森 1
目的地『終わりの森』と呼ばれる場所は、『ディアナの農場』と『ソレイユの国』。この二つの『国』の間にある。
誰の領域でもなく、誰のものでもない。
“霧の神”が何もしなくても森には、いつも濃い霧が立ち込め。
“豊穣の神”が願っていないのに、大きな同じ形の木々が鬱蒼と何処までも広がり。
其処に立ち入ろうとすれば誰もが迷い込み、永遠に出てくることは敵わない。所謂迷いの森と呼ばれている。
幾度と“神”も人も奥を知ろうと、森の中に入ったが成功した者は一人としていない。
それは何故か、“死”が呪いをかけたからである。誰も入らないように、誰も足を踏み込まないように。僅かでも足を踏み込めば、死に至る様に。だからか、何時の頃か人は絶対に森の奥へは入らなくなったのだ。
――…それは半分あたりだ。“シアーナ”は確かに森に呪いをかけた。
人間がこの森に足を踏みこまないように、でも足を踏み入れたとしても数日もあれば出て来られるほどの簡単な物だ。それで死んだと言うのなら、その人物の『運命』が唯そこで潰えただけである。
その『終わりの森』の中、そのシアーナは唯無言のままに先頭を歩いていた。
彼女が考えるのは、森に入る前に分かれたケニアスの言葉だ。
流石に一つの場所に留まっていられないと、名残惜しそうに。その彼女が伝えてくれた事が忘れられない。
――…“冬”と“雪”。この2人を、悪として追放したなんて。
それも、元より人が滅多に訪れない。あの、寂しい山に。
人を殺してしまうかもしれないから、それは悪だからと。あの、山に。
変わらない。
“死”が姿を消して150年。
彼らは、憎悪の対象を“死”から『死をもたらすモノ』に変えただけ。
ただ、自分が安心したいために。くだらないと心から軽蔑する。
「シアーナちゃん!」
「みゃ…!」
考えながら歩いていると、突然頬に硬い感触。
アスカが頬に指をさしたのだが、シアーナは驚いて頬を押さえたままアスカに視線を移す。
「な、なんですか!」
「いやー、ぼーとしていたから。どうしたの?ケニアスちゃんとの別れ、寂しかった?」
「い、いえ。違います…」
「じゃあ、もしかして迷子になっちゃったとか?」
「違います…!此処で迷子になったら洒落になりませんよ?」
呑気に、ころころ表情を変えるアスカにシアーナは我に返った。
ここで人間達について考えても意味がない。馬鹿らしいだけだ。今はこの森の攻略に集中しなくては。
何せここは迷いの森だ。迷えば一週間は森から出られなくなるし、普通の森と違って気性の荒い獣も多い。目的地の場所を知っているのは、自分だけなのだから。そう大きく頷いて、視線を前へと戻した。
「…心配しなくてもククウィック族の村へはもうすぐ着きます…」
「そうは言っても、さっきから同じところをぐるぐる回っていないか?」
後を付いてくるエイデが言う。
ディランは無言のままだ。むかし、むかーしのうわさで彼がこの森で迷子になって一ヶ月行方知れずなんて噂を一度だけ聞いたが、まさかな。
シアーナは一度後ろの二人に視線を向けてから、また正面を向く。
「…安心してください。ここには、そう…えと…ま、魔法が掛かっているんです」
悩んだ末、嘘を付いた。ある意味嘘ではないけど、なんて説明すればいいか。分からないから。
「魔法?」
隣でアスカが楽しそうに問いただしてくる。シアーナは少しだけ無言。
アスカにそっと手を差し出した。
手を握ってくださいと言う前に、アスカは察したのだろ。笑顔のままシアーナの手を取る。
「お、おお!」
手を取った瞬間に、アスカは声を上げた。
当たり前だ、目の前に突然、霧が嘘のように晴れ、一本の道が露わになったのだから。
シアーナの手を離せば、道は消えてしまう。霧も立ち込める。まるで今歩く道を木々が自分から歩いて隠しているよう。
「確かに魔法だ!」
「……」
本当は、勿論魔法じゃないが、シアーナは笑みを浮かべておく。
この力の事は、何と表せえばよいのか分からないから。合わせておく。
「…ちょっと、俺も見せてくれよ」
「お、オレも…」
見守っていた後ろの二人も気が付いたようだ。
伸びてきた手を見て、シアーナは嫌な顔を一つ。ディランは思い止まってくれた。エイデはべつであるが。
一瞬呆れた顔をして、迷いもなく手を取ってくるのだから、シアーナからすれば最近更になれなれしくなったから「恐ろしい」の一言である。
「ああ、本当だな。どうなってんだこれ…」
「だから、私が作りました…。人避けの結界です」
ぺしっとエイデの手を振り払って、シアーナはぴしゃりと言い切る。
エイデは、僅かに無言。そうかと頷いた。
ただ、気になる事があるのか、眉を寄せる。
「この森に入った時は無かったよな。この結界」
彼が思い出したのは『ディアナの農場』から、この森に入った時の事だ。
元から『ククウィック族の村』とやらに行く、行かないは別問題として、この森は『ソレイユの国』に向かうのは足を踏み入れるのは必然の場所であった。森に足を踏み入れた時、鬱蒼としてはいたが普通の森だったのは確か。薄暗い、明かりも無い森であったが、人が作ったとしか思えない「道」が一つ。遠くまで続いていたのだ。
霧が立ちこんで、現在地も分からなくなったのは、「道」から外れ、本格的に森に入った時。シアーナが言う。
「簡単です。人が探求心から勝手に森に入って迷い、帰って来なくなった結果。火をつけて燃やしてしまおうとかふざけた提案を出されまして…」
「まさかと思うが、その『魔法』とやらをさらに強めた…とかか?」
「――いえ、ケニアスに頼んで洪水をちょっとばかし…」
想像の斜めだが、それはそれで怖い。
ただ、此方は事実である。ケニアスに頼んで火を持った人間が少しでも近づけば立つこともままならない雨を降らして貰った。
それでも森に入ろうとする人間たちは減らずに、仕方が無く一部分だけ力を解いたのだ。
ガイルスという“存在”に頼んで、彼の力と言う事にしてもらって。
後は簡単、人間が迷わない場所に道を作った、それだけ。
「ま…それも、もう数万年前もの話ですか…。まだ続いていてよかったです」
「――なんて?」
――今、何やら可笑しな言葉が聞こえた気がするのだが。
エイデの事は気にすることも無く、シアーナは急に立ち止まった。
「着きました」
そういわれて、いつの間にか拓けている場所に出ている事に気が付く。
濃い霧が嘘のように消え、あの不気味なほどに同じ形の木々は跡形もない。木々の隙間から太陽の光が程よく降り注ぎ。小川と表せる小さな水辺迄存在する。
奥では茅葺屋根の小屋のような家々が連なり、小さな水車が周り、側には水車小屋迄存在。
そして、小川の側、広がるのは――…畑。
そう、畑である。いや違う。
畑には植物が植えてあるが、耕された形跡が一切ない。むしろ耕されているどころか、水没していると言い表した方が分かりやすい。
その水の中で、穀物はゆらゆら揺らめき、太陽の光を浴びて張り巡らされた水はキラキラ光る。
――これは、水田だ。稲穂が揺れている。
水田の近くには、別に畑もあって、沢山の野菜が実っている。
いま、目の前に広がっている、この光景。その場に立ち入る事になった、シアーナを除く三人は唖然とするしかない。それは“神”であるディランも同じ。
コレは何処からどう見ても人が住んで居る。村だ。
「ここが、ククウィック族…の村…?」
ポツリ、呟きながらエイデが当たりを見渡す。
此処はどう見ても村だ。しかし、ぱっと見、人の姿は見えない。
当たりを見渡す。ああいや。よくよく見れば、畑の中で何か大きな影が、のそりと動いた。
大きな、まるい、いがぐり…?
違う、その毬栗はゆらゆら揺れている。目をこすって、よく見る。
視線に気が付いたのか、毬栗はピタリと動きを止めた。
そして、ゆっくりと、のそりと、立ち上がったのである。
アレが生き物なのは確からしい、確からしいが、アレは…。
「あ、見てください。ククウィック族第一村人ですよ!」
シアーナが笑う。それこそ、心底楽しそうに。
周りは押し黙る。黙って見つめてしまう。
目に入る生き物、ソレは――。
ちょこんと出た長い鼻。
まん丸つぶらな瞳。
ふわっふわなお腹。
嫌でも目立つのは背中のイガイガ。
其処に立っているのは、何処からどう見ても――「ハリネズミ」
うん、いやちょっと違う。
足先は熊みたいにでかいし、手先は、アレはアライグマだ。
――…そんな、大よそ3mはある、ハリネズミが、此方を見つめているのである。
◇
その場にいた誰もが無言で、そのハリネズミを見ていた。
正確に言えば、アスカとエイデだが。
頭が付いて来ない。だって、アレはどう見てもハリネズミだ。
無駄に大きいけど。そして今更に気が付いたが、手には鎌が器用に握られている。いや、ハリネズミだけど。
呆然とする2人を他所に、シアーナは満面の笑み。
今まで見たことのない笑顔を浮かべて、その生き物に走り寄っていくのである。
「お久しぶりです」
シアーナが問いかければ、ハリネズミ。否、ククウィック族は小さい口を「ニマ」と持ち上げた。
「ククウィック!」
ひと鳴き。
手に持つ鎌を地面に差すと、何やら身振り手振り。どうやらシアーナと話している様子であった。
その様子にエイデが僅かに我に返る。我に返った様子であたりを見渡す。
よく見れば、このククウィック族、村のあちらこちらにいた。
「ククウィック」と声を漏らして家から顔を出すモノ。鍬を持っているモノ。釣竿を持っているモノ。簡単に見ても20匹。こんなに、いたなんて。ククウィック族の全員が興味津々に此方を見つめている。
大小さまざまだが、みんなハリネズミ。足と手は違うけど。
どうするべきかなんて考え始めた時の事だ。進展があった。シアーナだ。
本当に唐突であるが、シアーナ。
彼女が目の前のククウィック族のお腹にダイブしたのだ。それはもう、幸せそうに。
心底幸せそうに、ククウィック族のモフモフのお腹に顔を埋めている。
顔を埋められているククウィック族は何も言わない。ただ、無表情のまま。
顔をクイっと、此方を見上げて来た。
――これは、これは大丈夫なのか?
やっと完全に我に返ったのは、やはりエイデである。そう思っても仕方が無い。警戒ぐらいする。
エイデの気持ちなど露知らず、シアーナがようやく振り返った。
「この子達がククウィック族です」
「…」
改めてと言わんばかりに、紹介を一つ。
いや、分かっているけれど。――まじか。
そんなエイデの気持ちなんて気付く気も無く。シアーナにっこにこ。
「ベースになったのはハリネズミです!」
「――…」
「でも、ハリネズミがおおよそのモデルですが、二足歩行を何とか可能にする為、下半身の骨格はペンギンをモデルにして、外見的に足が大きくなっつぃまいました。体重を支えるために必要で…」
「…」
「上半身もアレンジしてあるんですよ?手先はアライグマをイメージしたんです。この見た目で猿だと不似合いですので、手先が器用でありながら、この子達に似合う可愛らしい手を。筋肉量も増やしたので、手先が器用で畑を耕せるほどの力をもっています」
「…」
「知能は簡単に言えばイルカ以上です。――争いごとを嫌って、誰に対しても友好的です。…ですので一方的に人間たちに襲われてしまって、やり返す事も決してないので、絶滅の危機に瀕しています…」
「………」
「あ、でも自分の知らない知識には結構貪欲でして、負けず嫌いな面も強い傾向があります。味噌と醤油を作ってくれたのもこの子達です」
「…………」
「大人しくって、可愛くって、でも知性があって、可愛いですよね?」
「……………」
「あ、背中のイガイガでしたら安心してください。見せかけです。知能や力を考え、更にこの大きさになると背中の棘は危険でしかありませんので、見せかけだけの柔らかい物へとなっています」
ここで、シアーナ。背中の棘に手を伸ばす。
小さな手が棘の先っぽに触れた瞬間に鋭かった棘は、ふにゃりと折れ曲がってしまった。ククウィック族が小さく抗議するように鳴く。
謝るシアーナ。手入れがどうのこうのと言っている。
可愛い。可愛いのだろう。熱心に語ってくれたし、熱意は良く伝わったが。
体長三メートルもあって、大きな鍬や鎌を振り回す生物のどこが危険でないと?針を無くしたぐらいで何だと言うのだ。
人間に迫害されてきた種族だぞ。そんな『人間』が村に入ってきたら、どんな事態が起きるか、想像していなかったと言うのか。争い事が嫌い?関係ないだろう、そんなの。
――と、まあ、エイデはあたり前の事を考えていた。
そんな折、目の前のククウィック族がエイデとアスカの二人と目がった。
エイデと同じことを考えていたのだろうか、アスカも生唾を呑み、緊張した面持ちとなる。
――二人を前に、ククウィック族がひと鳴き。
続けるように、周りも「ククウィック」「ククウィック」連鎖する。
そして、ククウィック族たちは、唐突に、突然に、皆して。
「ククウィック!!!」
ひと鳴きしてから、大きく両手を「ぱあ」と広げたのである。
まるで、
ウェルカム!!!!
――そう言わんばかりに。
あれ、多分周りにお花が咲いている。
シアーナが言う。
「この子らは人が怯えている様子を感じますと、こうして手を広げてウェルカムしてくれるんです。『僕たちはないもしないよー。だいじょうぶだよー』…って」
えへへとシアーナ。
――うん、確かに可愛い。可愛くて、分かる事は一つ。
シアーナ、創造下手すぎないか?
ソレで食物連鎖と言う名の険しい山を勝ち残っていけると思っているのだな?――違う。
ククウィック族は確かに、脅威ではないと言う事だ。…多分。
エイデが、着いて行くのが困難になり、頭を抱えるのは当然である。思わずディランを見れば、ディランも何とも言えない表情で首を振るばかり。
「お、オレもしらねぇよ…初めて見るんだから、き、危険はないぞ?」
それは、分かっているよ。
――と、側で「ボフリ」と音が一つ。
エイデが何事かと顔を上げれば、目の前のククウィック族。そのお腹に、シアーナの隣でアスカが顔を埋めているのが見えた。
「お、おいアスカ?」
「凄いよ、エイデさん…もっふもふだよ!!」
幸せそうに、アスカの一言目がこれである。
どうやら彼女は受け入れる事に決めたようだ。柔軟が過ぎる。
もう少し、こう、危機感を持て、言いたい。
でも少女2人があまりに幸せそうだから、何も言えなくなる。だからこそ、エイデは頭を抱えるしか無い訳で。
そんなエイデの気持ちも知らず、ククウィック族達は楽しそうに、嬉しそうに、久しぶりのお客様に歓迎の「ククウィック」を鳴らすのである。
次回は未定です




