アスカ 前編 ディアナの農場 4
それは、村に着いて、というべきなのか、着く前と言うべきなのか、分からない。
アスカ達が、村の前にたどり着いた時のことであった。
古い、木で出来た入口。
その前に、アスカ達が辿り着く前に一人の女が立っていた。
ふくよかな胸に、流れるような長い金髪。
美しい顔立ちに、長いまつげと青い垂れた瞳の女だ。
真っ白なローブにも似たドレスに身を包み、頭に草花の冠を被った彼女は優し気な笑みを浮かべて佇んでいた。
気づけば、彼女だけじゃない。
彼女の後ろには3人。其々10代前半ぐらいの少女達が身を寄せ合って、此方を睨んでいる。
「ようこそ、いらっしゃい」
だれ?そう、此方が問いかける前に女が口を開く。
美しく微笑みながら、女はアスカ達の元へ。ケニアスがふわりとエイデの肩から降りる。
愛らしいオッドアイの瞳を呆れつくしたような色に染めて、小さな唇から溜息を繰り出す。
「…ディアナ…久しぶりだお」
「「――…!!」」
アスカとエイデが驚いたのは当然の事だろう。
微笑む女に思わずと、視線を飛ばす。
2人の視線を前に、女――ディアナは美しく頬笑みを浮かべた。
まさかと思っていたが、彼女こそが、“豊穣の女神”だとは。
視線を向ければ、慈愛深い笑みが此方へと向けられている。
ディアナは微笑みながら、ゆっくりとアスカ達の元へ。歩み寄る。
「…こんにちは。旅人の皆さん。――ディランは…いないのかしら?」
当たりを見渡す彼女の最初の一言に、エイデは息を呑んだ。
情報が流れている。危惧していた通りの結果になったと察しが付くには十分だ。
「――…発明から、世界中に伝達が来たのよ?…その、“海の神”が問題を抱えているって。一緒に居るのは、燃えるような赤い髪の少女と、黒い髪で紫眼の青年だって」
柔らかい口調で、ディアナがアスカとエイデに視線を向ける。
不味いと一瞬思えた時、誰より先に口を開いたのはケニアスだった。
「…たしかに、彼らはある理由からディランと行動しているお。…アプロの所まで旅をしているの」
「まあ、そうなのね。インヴェが言っていたことは…本当なのね?」
「――…それはアレだお?“海”と“化け物”が一緒にいるって噂だったりする?」
ケニアスの問い。少しして、ディアナは小さく頷いた。
その様子を見て、ケニアスが愛らしい顔を僅かに歪ませて、嘲り笑ったのは次の瞬間だ。
「――…それ、嘘だお?だって、“発明”が勝手に言っているだけでしょ?その“発明”はちゃんと姿を見たの?」
――少しの間、静かに俯いたディアナは静かに首を横に振った。
「いいえ。伝達は『ディランがタナトスと一緒に行動している』…コレだけだった。証拠は提示されなかったわ。どうして、そう言い切れるのかも謎。インヴェは言い張るばかりで根拠と言うものは提示しなかった」
彼女の発言に、エイデは息を呑む。僅かに浮かびそうな笑みを押し殺す。
なにせ、どうやらディランの推察は当たっているようなのだから。むしろ、此処まで当たっているとは。
普通は、そんな風に忌み嫌っている存在が出没していると知れば、プライドなんてモノを捨てて世界中に警告するようなものだが。――“発明”のプライドはかなり高い物であると、理解出来た瞬間だった。
それにね、とディアナが続ける。
「――…カルトがね、知らないって言うのよ。『ディランは確かに町に来たけど、“化け物”は居なかった』って。…カルトだけじゃないわね。『ロォ』…貴女もよね…?」
エイデとアスカが思わず驚き、ケニアスを見る中、当の本人は頬を膨らまして不機嫌なまま、小さく頷いた。
「言った通りだお。“発明”の言いがかり、思い違い、腹いせじゃないって?僕は世界中を旅しているからね。ディラン達の事も知っていたお。だから断言する。彼らの側に…タナトスは居なかったって」
ハッキリと言い切る。
不機嫌でありながら、真っすぐと見つめるケニアスに、ディアナは慈愛に満ちた表情を一切変えずに、頬に手を添えた。
「そう、ね。正直、根拠も無いし、“発明”はディランを怖がっていたから、言いがかりでしかないって。他の“神”達もそう判断した。むしろ皆呆れかえっていた」
優しい口調で、困った様子で。この言葉にエイデは僅かながらに安堵する。
どうやら、一番危惧していたことは避けられたらしい。これまたディランの推測通りだが。
少なくとも、他の“神様”は“発明”の言葉を信じていない。それが決定されたのだから。コレからは気を張らなければいけないのは確かであるが、今回みたいに気を張り過ぎるような事はしなくても良いのだと。
ディアナは微笑みながら、更に近づく。
「だからね――」
優しく、正に女神の様に微笑んで、険しい顔を浮かべたアスカの手を握りしめる。
「だから、この村には入らないで欲しいの――!」
必死に作った慈愛深い笑みで、媚びるような笑みで、視線で、ディアナは震える声で言い切った。
――一瞬、理解できずに、その場が静まる。
なぜ?…そう問いかける前に、エイデは気が付いた。
ディアナの瞳に。慈愛深いその瞳の奥底に、恐怖で塗りつぶされたその眼差しに。
いや、ディアナだけじゃない。後ろにいた3人の少女達も同じだ。寄り添いあって、小さく身を震わしながら、まるで汚物を見るような視線を此方に向けている。
そして、それは村の住民も同じ。いつも間にか、家からそれぞれ顔を出して、みんな全員が恐怖に染まった表情で此方を見ていたのだ。
「あ、あのね!あの!私もね!!信じている訳じゃないのよ!!」
呆然としていると裏返った声でディアナが縋るように言う。
震え切った声で、懇願するように、まるで自分達が全面的な被害者だと言わんばかりに。
「でも、でもね!!みんなで決めた事なの!村の皆の頼みなの!」
「…たのみ…?」
アスカの小さな問いに、ディアナは大きく頷く。
「そう!言っておくけど、私の判断じゃないのよ!!でも、やっぱり僅かな可能性でも、怖いから!!!そんな可能性が僅かにでもあるのなら、む、村の為に我慢してもらおうって!!みんなで決めたの!!!」
恐怖におびえる声で、聴きとるのがやっとの程な早口で。
怯え、恐怖し、何処までも被害者の表情で。媚に媚びるような表情で。
ケニアスが表情を変えていく。
「――…何が怖いの…?」
重い口でアスカがディアナに問う。
「なにって、――あ、貴方達が…ば、“化け物”がね!!みんな怖くてたまらないのよ!」
その問いに、まさに当たり前だと答える様に。
アスカは思わず、口を開く。口を開いて、何も発する事無く静かに閉じる。
その様子にディアナは更に縋り寄った。
「あ、“化け物”が悪い訳じゃないのよ!私は悪いなんて微塵も思ってないから!!でも」
――人間からすれば何より怖い存在なのよ!
――私は村を守る使命があるの!分かって頂戴!
――みんなね、もしもを考えたら、
――みんなで決めたのよ!みんな納得した!
――貴方達が来たら、帰ってもらおうって!!ね、お願い!!
其処からは更に一方的だ。此方が弁明する暇なんてない。
ただ、ディアナは皆で決めた事だから、怖いから、貴方達が悪くない事は分かっている、でもみんなで決めた事だから、私が代表者としてお願いしに来たの。――帰って頂戴。お願いします。
それだけを永遠に繰り返す。
どこまでも恐怖を瞳に染め上げて。村の為にと懇願を続ける。
「…私たちは…」
「ひっ」
暫くして、アスカがディアナの手を握り返して口を開いた。ディアナの口からは恐怖の小さな悲鳴が上がる。
――同時だった、アスカに向けて、何かが飛んで来たのは。
がんっと、アスカの額に硬い物がぶつかる。
思わず、ディアナの手を離し、アスカは額に手を当てる。手を見れば、血が流れていた。足元を見れば、小石が一つ。これが投げられたのだと嫌でも直ぐに察した。
「アスカ。平気か?」
その様子に、いち早くエイデがアスカの顔を覗き込んだ。
同時に、守ろうとしてくれているのか、その身体を盾にするように彼女の前に立ちふさがっている。
「大丈夫」アスカは額の血をふき取りながら笑う。
ホッとしたのも、つかの間。エイデがチラリと振り返れば、投げて来た犯人は直ぐに分かった。
「出て行けって言ってるでしょ!!」
「ディアナに触れるな!!みんな怖いんだよ出ていけ!!」
「近づくな!!」
小石を手に、其々声を高らかに張り上げる。少女3人。此方から随分離れているが、石を投げたのは彼女達で間違いない。目に涙を沢山ためて、必死に抵抗しているのだ。
少しだけ、推測する。きっと、あの少女たちは“四季”だ。なぜそう思えたか?
3人の中に1人、エイデが元の世界で知っている顔があったから。一瞬、見間違いかとも思ったが。嗚呼、間違いない。その彼女とは――家族だ。
でも、今の様子を見るに、どう見ても相手はエイデの事を知らず、それどころか敵意を向けてくる。だから、きっと高い確率であの少女たちが“四季”。
だとすれば、彼女達は“豊穣”が危険にさらされたと思い攻撃してきたのだろう。だが――。近づきたくも無いと思っているのか、随分と遠くから吠えまくり、当たり前に手にする石を此方に投げ飛ばす。
村の者達はソレを誰一人として止めようとしない。ただ、見ているだけ。
「や、止めなさい。みんな」
彼女達を止めたのはディアナだ。聖母の様に優しく微笑みながら、手で制する。
次にディアナは再び、此方を見つめる。恐怖に染まり切った表情を浮かべて。
「ご、ごめんなさいね。許してちょうだい。悪気は無いの。この子達は私の為にしたことだから。でも、お願い。貴方達の為でもあるの、今回は諦めて」
「そ、そうだ出で行け!!ディアナを困らせるな!」
「優しいディアナが態々出てきてやったんだぞ!!諦めて帰れよ!」
「最低!!最悪!!悪者はさっさと帰れ!!」
――。まるで自分達が正義で何処までも被害者と言う様に。
こちらの言い分なんて、全くコレっぽっちも聞きやしない。
これで、気分を害さない人間は居るのだろうか?
エイデが僅かに眉を顰めた。それはアスカも同じだ。きつく拳を作り、握りしめる。
「――…わかったわ」
それでも、誰よりも先に声を上げたのは、アスカ自身。
満面の笑顔を浮かべて、ディアナたちに顔を向ける。
その様子にすら、ディアナ達は肩を震わせ恐怖に染まった視線を向けるばかり。
「…安心して、直ぐにでも出ていきます。――でも、出来れば、食料を貰えないかしら。次の街…うんん、少しだけで良い。お金ならあるから――」
「煩い出ていけ!!いい加減にしろ!!」
ほんの少しの願い。ソレをも跳ね返したのは、誰か。
顔を上げれば、街の入口に男が一人立っている。手に鍬を持って。恐怖と、謎の使命感を備え付けるように、アスカを睨んでいる。
「さっさと出て行けって言っているだろう!!こっちは本当は直ぐにでも追い返しても良かったんだぞ!」
「そうだ、そうだ!」
男に続くように、家の中から住人たちが武器を手に声を振り上げていく。
「ディアナさまが言うから此処まで入る事を許してやったのに!」
「なんて我儘で身勝手な連中なのかしら!!」
「恐ろしい…!本当にあの化け物の信者なんじゃないの?」
「気味が悪い…!」
口々に、好き勝手に、“神”の後ろで罵倒をする。
誰も止めるものは居ない。性別も、老人も子供も関係ない。心の底から嫌悪に染まり切った顔で罵倒する。手に掴むトマトやら、リンゴやら、コップや足元に転がる石を手当たり次第に投げてくる。それが、足元に、最悪の場合は身体に当たるのだ。
そして、それは“四季”と呼ばれる三人も同じだ。
彼女らは、何かを投げて攻撃を仕掛けてくるようなことはしない。
ただ、こそこそと何か耳打ちをする。
「ああ、本当に気持ち悪い」
「異世界人って噂だっけ?気味が悪い」
「顔も醜いし、性格もなんて身勝手なのかしら」
「不気味、図々しい、さっさと帰れって言うのに」
「みてよ、あの赤い髪。気持ち悪い。腐ったトマトみたいね」
「汚い。みすぼらしい。男の方も醜いよね」
そう、くすくす。嘲り笑う。聞こえる声で、聞こえない声で、陰口を楽しむ。
その中で、漸くディアナだけが慌てたように動いた。
「だめよ、みんな止めなさい」
相変わらず、慈愛深い笑みを作って。
しかし人に媚びるような笑みと、恐怖に染まった人の好い笑顔を隠し切れないままに。その笑みを、アスカ達にまで向けて、形ばかりの謝罪を向けるのだから。質が悪い…。
――理解した。
ディアナは誰にでも優しい女神。
彼女は、誰にでも良い顔をするだけだ。
誰にでも分け隔てなく、優しく接して、嫌われないように必死になって笑顔を振り向いているだけ。
アスカは握りしめる拳に、更に力を籠める。
エイデがソレに気が付き、止めようとした時。
少女はオレンジの瞳に彼らを映すと、にこやかな笑みを浮かべるのだ。
「そう。だったら、仕方が無いわね!――無理を言って、ごめんなさい」
――と、ただ、素直に。
怒ることも無く、呆れる様子も見せず、嫌悪感すら一つも見せることなく。
流石と言うべきなのか、その場が静まり返った。
罵倒する声も、陰口も、諫める声も全部止める。
ただ、それも一瞬。
誰の物か、舌打ちが一つ。
「キモイ女」そう、口にしたのは誰だったのか。
それでもだ。アスカは微笑むだけだった。
深々と頭を下げて、彼女は当たり前に村に背を向ける。
エイデは何も言わなかった。ただ、小さくため息を付いて、同じように軽く頭を下げるとアスカの後を追っていく。
その姿は、彼らにはどう、映っただろうか。
――どうせだ。後で村中嫌味と陰口が広まるのだろうが。どうして、彼らはそんなバカげたことをするのか、きっとこの村では、その感じたどうしようもない苛立ちは最後まで気が付かないだろう。
「――…まって!…僕からも、聞きたいことがあるんだお!」
ふと、立ち去る前に、ケニアスが慌てたように声を上げる。
思わずと、アスカもエイデも立ち止まる。
首を傾げたのは、声を掛けられたディアナだ。
「何かしら?どうしたの?」
厄介ごとが消えて、安堵を見せていた彼女は聖母のような笑みをケニアスに向ける。
ケニアスはその様子に思い切り眉を顰めていたが、唇を噛みしめて、感情を押し殺したように問う。
「――…“冬”…。シタ―はどうして此処にいないの?どうして“雪”と一緒に居るの?」
――それは、どうしても気になっていた、シアーナから頼まれた『謎』
ディアナに直接聞いてくるようにと頼まれ事であった。
その問いに、そういえば、とエイデも疑問に思う。
ディアナの後ろ、固まって嫌悪感を露わにしたまま睨む“四季”達だ。
四季は四人いて、それぞれが春夏秋冬を司っている…そのような旨を伝えられていたが、どうだ。今ここには3人しかいない。1人、足りないのだ。
それが“冬”である事は、今の言葉で気が付いた。
今の時期が冬だから?仕事をしている?違う、一ヶ月暮らしていたが、今の時期はどう考えて冬じゃない。それに“冬”の仕事は季節の移り目を伝える事だ。何日も村を開けるような仕事とは到底思えない。
そもそも、“四季”はいつも4人一緒で暮らしているとケニアスが言っていたではないか。なら、今“冬の神”は一体どこに行ったと言うのか。
その問いに、ディアナが当たり前の様に、微笑んで。
「ああ、あの子はね。『悪』だったから、追放されたのよ」
あまりに当たり前に、言い切ったのだ。




