1節 ブレイル・ホワイトスター2
「こんにちは。魔王を討伐した勇者君。」
あの日、あの夜。魔王を討伐し英雄となったブレイルの前に現れた男はにこやかに笑みを浮かべ、まばゆい光を纏わせながら此方を見下ろしていた。
少しの間、ブレイルの隣から小さく息を呑む音が聞こえる。隣を見れば、ともに旅をし、魔王を打倒した仲間である、王女がただ茫然と浮かぶ男を見上げていた。驚きを隠せないというような表情を浮かべただ茫然と。
それはブレイルも同じであった。パルが胸に抱く聖剣に手を伸ばす暇もなく、やっと我に返った時には、にこやかに笑う男は初めましてと言わんばかりに此方に手を差し伸べ口を開く。
「僕は君たちの世界とは全く違う世界からやって来た全知全能の神エルシュー。…どうか、どうか僕を助けて欲しい。僕の世界を強大な悪から助けて欲しい。」
全知全能の神と名乗った男はにこやかな顔を困り果てた表情に変えてブレイルに助けを求めてきたのだ。
神と聞いて少しだけ驚いた。
ブレイルにとって神様なんてモノは初めて見る存在だったからだ。
それは隣にいた彼女も同じであっただろう。
長い旅路、その中でさえ神なんてモノと対面したことは無い。だってブレイルの世界では神様はとっくの昔に天の世界に帰ってしまったと伝えられていたから。
だからと言ってブレイルが神を信じていないわけではなかった。いや、本当に正直言えばあまり信じていなかったりするのだが。
しかし隣にいる彼女、パルは違う。誰よりも神様を信じて祈りをささげていた純粋な少女だ。
なにせ彼女の国の秘宝でもあったブレイルが持つ聖剣は神が造った物とされていたから。彼女が生まれながらに与えられていた癒しの力は神が与えたものであると伝えられていたから、だからパルは神様を心から信じている。そんな彼女の信仰をブレイルも理解し、受け入れている。
そんな神様が助けを求めて来たとしたら。
――嗚呼、いや、違う。
目の前にいる男が神様だ。神様じゃない。とかどうでもいい事だ。
神様を信じている。信じていないなんて、もはや今は関係ない。
困り果てた様子で此方を見下ろす男を見て、ブレイルは大きく息をつく。もう一度隣を見れば、さっきまで男を見上げていたパルもまた何か決意した様子で此方を見つめていた。
二人が大きく頷きあうのは、きっと当然のこと。
決意に満ちた目で神を見上げて二人は笑みを浮かべる。
「俺達に任せろ!」
「私達に任せて!」
自信に満ちた様子で彼と彼女は助けを求める神様の手を取ったのだ。
だって、彼らは世界を救った英雄なのだから、沢山の助けを求める人々を助けて来た存在なのだから。
異世界だろうが、神だろうが関係ない。
助けを求められれば助ける。
――嗚呼、だって
それが勇者だ!
……はい。こうしてブレイルは騙されました。
「ぷっ!!あはははは!何それすっごいお人よし!!」
「う、うるせー!笑うな!人が困っていたら助けるのが当たり前だろ!」
温かな太陽の光が降り注ぐ美しい街の中心、リリーはブレイルから事のあらましを聞いて大きな声でお腹を抱え笑っていた。
ケラケラ笑う彼女を横目で見ながらブレイルが「ぐぬぬ」と声を漏らす。
当然だ。リリーはエルシューの言葉を否定した。「この世界は困っていない。」「魔王とかいない」見事にバッサリと。彼女の話が本当であるならブレイル、そしてあの場に一緒にいたパルは自称神とやらに騙されたことになるのだから仕方がない。
だが、リリーはリリーで笑い過ぎだ、とも思ってしまう訳である。
「…で。それよりなんで俺を街なんかに連れて来たんだよ。」
ケラケラ未だに笑い転げるリリーに眉を顰めながらブレイルは話題を変える様に不機嫌そうに声を漏らした。
続けて不機嫌そうなまま、あたりを見渡す。そこは何処からどう見ても街。それも商店街と呼べる場所であった。町並みは当たり前だが初めて見る。白いレンガで作られた建物がずらりと並び建物の前に様々な色をしたテントが張られ果物やら野菜、魚が陳列する露店が並んでいる。美しい街並みだ。
ここに連れて来たのは勿論リリーだ。
「話の続きは歩きながら聞くから着いてきなさい」
そう言って彼女はブレイルをこの場所へ連れて来たのだ。
ブレイルからすれば異世界の街なので興味が無いと言えば噓になるが、どうして突然リリーがここに連れて来たのかが理解できなかった。
そんなブレイルにリリーは笑い過ぎて出た涙を指で払いながら「ふふん」と笑った。
「いいから。着いてきなさいよ。この先の酒場に用があるの。まぁ、もしかしたら。なんて思っていただけだけど。さっきの話を聞いたら正解だったんだなって思っちゃった」
「は?」
リリーの言葉は理解できなかった。何が正解なのだろうか。全く謎である。
「あ、ほら。あそこよ!」
不思議そうなブレイルをよそにリリーが声を上げ、ある建物を指す。
ブレイルからすれば読めない文字で書かれた看板が掲げられた。この文字はこの世界のモノなのだろう。看板の内容は分からないが、これが彼女の目指していた酒場だと言う事は理解が出来た。
「さ、入るわよ。」
有無を許さずリリーがブレイルの腕をつかむ。そのまま彼女は酒場の扉を開ける。
「お、おい!本当にここに何の用が…」
「ブレイル!!」
ブレイルの声を可憐な少女の声が遮ったのは酒場に入って直後の事であった。
ブレイルは顔を上げる。
当たり前だ。誰より心配していた彼女の声が聞こえたのだから。
ぱっとあたりを見渡せば、酒場のカウンターに彼女は座っていた。
綺麗に切りそろえられた薄いピンクの髪、今にも泣きそうな青い大きな瞳がブレイルを映す。
間違いない。この世界に一緒にきて離れ離れになった、パルだ。
「パル!」
ブレイルはその少女の姿を見て同じように安堵にも似た声を上げた。
嬉しそうな表情を浮かべたパルが髪を揺らめかしながらブレイルに走り寄ってきたのは同時の事。彼女はブレイルの前に立つ。ブレイルをまじまじと見上げて、そして安心したように大きく胸をなで下ろす。
「ブレイル。良かった。私、気が付いたら病院のベッドにいて…。ここの酒場のおじさんが見つけてくれたらしいの。でも貴方の姿が何処にも無かったから心配したんだから!」
「俺もだよ!俺はそこのリリーに助けてもらったらしいんだけど…けど、無事でよかったな!パル!」
ブレイルとパルは互いに安心したように笑いあう。
どうやらパルもブレイルと同じであったらしい。ちゃんと同じ世界に飛ばされ、別々の場所で倒れていただけの様だ。
そんな二人の様子にリリーは「あはは」と声を出して笑った。
「やっぱり、あんたの知り合いだったのね。今朝ここのおじさんが店の前で女の子が倒れてるって騒いでいてね。私も一回様子を見に来たのよ。そしたらあんたと同じようにその子は異世界から来ましたなんて馬鹿正直に話していたの。だからもしかしてって思ったわけ。良かったわね。」
明るく笑うリリーにブレイルとパルは笑顔を向けた。
ブレイルに至っては彼女が自分をココに連れて来た理由がようやく理解出来た所だ。ちょっとむかつく女だと思っていたが間違いだったようだ。
「サンキュー、リリー。意外といいやつだな!」
「意外は余計よ!あんたを助けている時点で私は良い人でしょ!」
リリーはブレイルの言葉に少しだけ眉を顰めて、顰めながら自慢気に笑顔を浮かべる。
そんな彼女みて、ブレイルは隣のパルと交互に見つめながら、ついやっぱりと思う。
『やっぱり二人は似ているな』なんて。
最初にリリーを見た時から思っていたことだ、彼女ら二人は顔立ちが良く似ているのだ。髪の色と瞳の色が同じだからかもしれない。だが、リリーの吊り上がった目がもう少し下がっていたのなら瓜二つ。同じ顔と言ってもよいぐらいだ。性格と雰囲気は結構違うが。
だからか、初対面でありながらブレイルは彼女に親しみを覚えたのだろう。彼女は信用に値する人物だと感じ、勇者だと名乗れたのだろう。それは正解だと心から思う。
ブレイルは改めてリリーと言う少女は、口は悪いが、面倒見が良い信頼できる人物だと確信したのだった。
「………すみません。」
そんな和やかな雰囲気に似合わない静かな声が響いたのはその時だった。
あまりの唐突なことにブレイルはびくりと肩を震わす。
声がしたのは後ろからで、勢いよく振り向く。
そこに立っていたのは、全身黒衣服で身を包みフードを被った少女が一人。
正確に言えば“おそらく少女”。
どうしてそう曖昧なのか。理由は簡単だ。
顔が隠れて見えなかったのだ。ちらちら確認できるのはフードの隙間から除く白い肌と黒い髪の毛だけ。
背丈は男のブレイルよりほんの少し大きい。ダボっとした服装のせいで体格ははっきりとしないが、どう見ても女の体型ではない、正直女性には見えない。全てにおいて、この少女にしては少々大きすぎる。
――ただ、
そう。声。
凛とし静かな、しかしどこか幼いその声色は少女の物で違いない。
だから、その何とも言えない人物の姿を見てブレイルは思わず息を呑んだ。
「わ、わるい。邪魔だったな。」
それでも無理やり笑みを浮かべて、体を端に寄せる。ブレイルの様子を見て、慌てたようにパルも道を開けた。
この“人物”が、いつ店に入り、自分たちの後ろに立っていたか分からないが、声を掛けられた以上。恐らく退いてほしいから声を掛けて来た。そう結論付けたのだ。ブレイル達は店の入り口を占領していたから。
しかし“少女”は動こうとはしなかった。ただ無言のまま。ブレイルとパルを交互に見渡す。そして少しの間、“少女”は無言のまま静かに、しかし唐突に手に持つ何かをブレイルに押し付けて来たのである。
それは白銀のさやに納まった一本の剣。
紛れもない、ブレイルの、勇者の聖剣だ。
「俺の!」
おもわず大きな声が漏れた、奪い取るように“少女”の手から剣を取りまじまじと見つめる。鞘から刀身を少しだけ抜けば、美しい模様が刻まれた銀色の刃に顔がうつる。やはり間違いない。聖剣だ。
目が覚めた時手にしてなかった大事な聖剣だ。正確に言えば、この世界に来る前に事情でパルに預けていたから手にしていなかった。パルが持っていてくれていると信じていたものだ。
ようやく戻ってきた自身の相棒を胸にブレイルは声を出し再会を喜んだ。
隣ではパルは驚き、口元に手を当てる。
「それ…私が目が覚めた時、何処にも無くてずっと探していた…」
その聖剣はパルがこの世界に飛ばされて今までずっと探していたものだった。
実はこの世界に飛ばされた時、確かにパルは持っていたものの、目が覚めたら何処にも無く、青ざめた。出来ればブレイルの元に会ってくれと願いながら町中を歩き回り、つい先程この店に戻ってきた所、ブレイルと再会したのだ。呆然としていたパルは慌てたようにブレイルに頭を下げた。
「ご、ごめんなさいブレイル!実は私ここに飛ばされた時、大切な貴方の剣無くしていたんです!それでずっと探していて…!」
今にも泣きそうな顔をするパルにブレイルは笑みを浮かべ、気にするなと言わんばかりにその頭をなでる。何があったにせよ聖剣はブレイルの手に戻ってきたのだ。パルも無事であった。それで十分だ。
そんな笑顔を浮かべたままブレイルは次に目の前の人物を見つめた。
「サンキュー!!お前が見つけてくれたのか!」
「…………」
ブレイルの心からの感謝の言葉と明るい声に“少女”は少しだけ俯いた。
まるで顔を隠す様に頭から被るフードを下げると、その“少女”は次にチラリとパルに視線を向ける。
「……貴女にはこれ。」
また静かな少女の声が響く。その声と共に“少女”がパルに差し出したのは大きな青いリボン。
それは何時もパルが胸元に身に着けていたモノだ。
旅に出る時に父王に渡されたもので、お守りとして旅の間いつも身に着けていた。彼女にとって大切な物。王家の紋章が描かれた黄色い宝石がリボンの中心に埋め込まれているので間違いない。リボンを手渡されてパルは花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「ああ!有難う!病院に忘れたものだわ!」
パルはリボンを受け取ると何時ものように胸元にリボンを結んだ。
そんな様子にブレイルは思わず吹き出してしまう。
「うっかりし過ぎだぞ?パル。」
「だ、だって、聖剣の事で頭がいっぱいだったんだもの。」
ブレイルの言葉にパルは思わず頬を赤く染めた。彼女が大切なお守りを忘れる程懸命に聖剣を探していたのは容易に想像できる。
なんにせよだ。二人の大事なものが手元に戻ってきた、それを見つけてくれたのは、このローブの人物。それは変わりない事実である
「本当にありがとな!」
「うん!ありがとう!」
だからこそ、2人は改めて目の前のこれらを届けに来てくれた人物に礼を言う。
「………。」
2人の感謝の言葉に“少女”は無言のまま。更に深くフードを被って、それ以上何も言うことなく背を向ける。もうこれ以上ここには用は無いらしい。
ただ、最後に何故か一瞬、その視線を酒場の奥にチラリと向けて。
「…こら父さん!いつまで飲んでるの!」
突然店内にリリーの声が響き渡る。
驚き、気を取られ一瞬リリーに視線を向ければ、彼女が酒場のカウンターの一番奥に座る酔いつぶれ眠っている男を揺さぶっているのが見えた。
慌ててブレイルはもう一度黒い“少女”に視線を向ける。しかしもうそこには誰もいない。
思わず酒場の外に出て彼女を探すが、その黒いマント姿は何処にも無く、ただ街の人々が歩く様子だけが目に映るだけ。
そんなブレイルの様子にパルは首をかしげる。
「どうしたの?ブレイル。」
「ん、あ、いや。あの子よく聖剣の持ち主が俺って分かったよな。」
「あー。それはあれよ。私、いろんな人に聞いていたから。」
「そうか?でもそれなら普通俺じゃなくて…。ま、いいやつだよな。”こいつ”持てたぐらいだし!」
ブレイルは聖剣を抱えてもう一度にっと笑う。
先ほどの人物は少々気になったが、悪いやつではない。むしろ“善良な人物”であるのは確かだからだ。
何せこの聖剣を、ああも軽々と持っていたのだから。
実はこの神が造ったと言われる聖剣は自我があるとされ、自身が認めた“勇者”しか扱うことが出来ない。
そして、真に“純粋な者”しか触れることもできない。そういう代物であったからだ。伝説によれば、昔、まだ神がいた頃は神しか扱うことも触れることも出来ないと言われていた逸品。現にブレイルの世界では聖剣に触れられるのはブレイルとパル、そして幼い子供達ぐらいだ。
その聖剣を先ほどの“少女”は触れ、持ち上げていた。
ブレイルからすればかなり特別なことであるのは確か。
つまり、先ほどの“少女”は真に純粋な者であると言う事になる。
ついでに言えば、聖剣の真の持ち主であるブレイルには触れるだけで聖剣が本物か分かる。
断言する。この聖剣は本物だ。
だから、先ほどの“少女”は悪ではない。むしろ聖剣が触れることを認めた人物である。
この世界にもパルの様な純粋な人物がいる。それが知れてブレイルは満足したのである。それもこんな短時間に特別な存在と出会えるとは。
それに加え、ここまで連れてきてくれたリリーにパルを助けてくれた酒場の店主。
助けを求められてやって来た異世界は会う人会う人みんなが親切だ。
神に助けを求められる世界なのでどれほど荒れ果てた世界かと心配していたが要らぬ心配であったらしい。この世界も自身の世界と変わりなく、温かみ溢れた世界。
それが知れて、なんだか嬉しくて、ブレイルは笑みを浮かべたのであった。
………。
…………。
「父さんの事ありがとう。助かったわ。」
「いいんだよ。俺は助けられた上、これからは暫く世話になるんだからな!」
あれから数刻。
ブレイルはパルと共にリリーの家まで戻って来ていた。背負っている酔いつぶれた彼女の父親を寝室のベッドに寝かせて、ブレイルはパルたちが座る机へと向かう。
結局だ。アレからブレイルとパルは暫くの間はリリーの家に居候することになった。
「泊まる場所がないなら家に泊まれば?」
リリーは軽く提案してくれた。その好意に甘えることにしたのだ。
何せここは“異世界”。元の世界に直ぐに帰れるとは到底思えない。そうなればしばらく滞在するしかない。
それに自分たちに頼ってきた“自称神”の真意も居場所さえも分かっていない。この世界の危機であるのなら救いたいと言う気持ちは変わっていないから、もし本当に何か危機的なことがこの世界に起ころうとしているのであれば助けたいと二人の考えは一致したのだ。
ただ、問題はお金関係なもので、自身の世界とこちらの世界の通貨は当たり前であるが全く別なのもであったのである。
だからリリーの提案は、ありがたい、の何物でもなかった。
「けど大変ね。あんた達も。エルシュー神の口車に乗せられるなんて」
ブレイルが空いている席に座るとリリーがお茶を出しながら呟いた。その声色には呆れと同情がしみじみと伝わってくる。
彼女の中で自分たちは神エルシューに騙されたと完全に認識されたらしい。いや、ブレイル自身もやはりあの神に騙されたのではないかと思い始めていたところだが。
何も知らないパルだけは首をかしげていた。
「エルシュー?確か私たちに助けを求めに来た神様の名前だよね?口車に乗せられたってどういう事?」
「何でもない!」
純粋に問いかけてくるパルの言葉をブレイルは遮った。
優しい彼女に実は“神様”に騙されていましたなんて言えるはずもない。「もしかしたら騙されたかも」なんて言葉もパルには言っていない。
そもそも。まだ騙されていたと決まった訳でもないのだから、彼女に余計な心配とショックは与えたくは無かった。
「くそ。自称神め。何のために俺たちを此処に呼んだんだよ…。説明ぐらいしに来いっての。」
ただ、騙されたとは決定してないにしても、あの自称神エルシュー。
彼が何故自分たちをこの世界に呼んだか。それぐらい説明しに来て欲しいものだ。勿論、無理だと分かっているが。
この世界は、神様は確かにいるようだが、そんな簡単に神様と会えるなんて訳はないのだから。
「会いたいなら明日にでも会いに行けば?」
――そんな考えをリリーがあっさりと覆した。
ブレイルは思わずリリーを見る。パルも同じだ。
「会えるのか!?」
「会えるわよ。当たり前じゃない。」
リリーはブレイルの問いを、これまたあっさりと返す。
これにはブレイルも困惑するしかなかった。だって相手は神と自称する存在だ。いや、この世界の住人であるリリーが神と認めたのだ。正真正銘“神様”と呼べるべき存在なのだろう。
そんな存在と、そんな簡単に会えると言うのか、信じがたい事でしかなかった。
「相手は神様なんだよな!」
「?ええ、神様よ。」
「か、神様とそんな簡単に会えるのですか?」
ブレイルとパルの慌てた様子にリリーは不思議そうに首をかしげた。
「いや、だから当たり前じゃない。え?当たり前じゃないの?」
いや、そんな当たり前に当たり前だと言われても、ブレイルとパルは顔を見合わせる。
そんな二人の様子にリリーは少し考えてから口を開いた。
「ねぇ。もしかしてだけど、貴方たち神に合ったことないの?」
「「ない!」」
「初めて会ったのはエルシュー神?」
「「そう!/はい!」」
二つの質問に2人の声は同時で、更に行きぴったりにうなずく。
二人の様子を見て何かに納得したようにリリーは頷く。彼女は椅子から立ち上がるとゆっくりと窓際に近寄り、締め切られた窓を開け、そして「あそこ見て」と上空を指した。
彼女に言われるがままブレイルとパルは窓辺に近づいて外を見た。リリーが指を向けるのは上空。大きく美しく輝く太陽であった。あまりの眩しさにブレイルは目を細める。
それでも目を凝らし、そして見つけることになる。
眩しく目もまともに開くのが難しい太陽の中心、その光の中、ポツンと存在する確かな黒い人の影を―。
「あれ、太陽神ソレイユ様。」
ここからじゃ輪郭が何とか見えるぐらいだけど、もっと近くに行けば姿が見えるわ。
…なんて、リリーは当たり前に。神の名を口にし、神の存在を指示した。
「貴方たちの世界は知らないけど、この街…この世界では“神様”はそこら中に暮らしているの。私達の友人としてね。特にエルシュー神なんて人間大好きだから会いたい放題よ。」
驚愕の事実と言うものがあれば、まさにこの事であろう。
この世界には神がいる。
エルシューと名乗った神以外に、それも沢山の神が。
しかもそれが会いたい放題だとか、
「ええええ!!」
勿論だが、パルは驚愕した。
驚愕したのち、おもわずもう一度、太陽を見上げる。
「“神様”は皆、いい方たちばかりよ。基本的には。私たちの事をよく考えてくれるし、たまに面倒ごとを引き起こすんだけど。…ほら、例えば。大昔に太陽神ソレイユ様と月神リュンヌ様が喧嘩してそれ以降、夜が訪れなくなったとかさ…」
そしてリリーは続いて、とんでもない事実を告げて来た。ブレイルも思わず太陽を見上げる。
輝かしい太陽の中にはやはり確かに人影があった。
――アレが神。姿ははっきりしないが、あれが太陽の神。
まさか他にも神様がいようとは、しかも太陽の神様は月の神様と喧嘩中。全然日が落ちないなとは気付いていたが、どうやらそれが原因らしい。
まさかとは思うが、自分たちにやってもらいたいと言うのはその太陽と月の仲裁じゃないだろうな。なんて思ってしまった。
「だから、真意はエルシュー神本人に聞いてみなさいよ。」
そんなブレイルの心中を察するようにリリーが言った。
確かに、確かにそのとおりだ。
あの太陽の中にいる人物が神であり、存在しているのなら、エルシュー神も実態して存在しているのは確かであろう。リリーもすぐ会えると言っていたし、彼女の言う通り、この世界では神に合うなんて簡単なことなのだろう。すこし不安と思うところもあるが。会えるのなら会って彼が自分たちに何を望んでいるか確かめればいい。
「…わかった。本当にエルシューに合えるんだな。」
「会えるってば!あの人、人間超大好きだし、それにね。色々言っちゃったけど私の家、エルシュー神を信仰しているの。それも結構の信者!“神様”ってやつは信者が中でも大好きだから、会いたいって言えば一番に会ってくれるわよ。」
「えええ!その、つまりリリーさんエルシューさんと頻繁に会っている事ですか!?」
「そうよ。週一で会ってるわね。…エルシューはやっていることはアレだけど、す、素敵な神様だと思っているわ!」
これもまた初耳である。それであるなら最初に知らせて欲しい気分でもあるが、リリーの言葉が本当であるなら彼女ほど頼もしい人物はいないという訳だ。
「よし!じゃあリリー頼む!エルシューに会わせてくれ!」
ブレイルはにっと笑うとリリーの手を握りしめた。唐突なことで彼女の頬がリンゴの様に赤くなる。
「いままで信じてなかったのに急に何よ!」
「私からもお願いします!」
横からパルもリリーの手を握りしめる。
二人分のキラキラした視線にリリーは顔を赤くしたまま目を泳がし、少しして恥ずかしそうに仕方が無さそうにそっぽ背いた。
「さ、最初から合わせるつもりだったわよ!し、仕方がないわね!でも今日はこれでももう遅いから明日にしなさい!私だって忙しいんだから!」
そう言ってのける。完全に照れ隠しだ。なにせ忙しいなんて言いながら彼女は慌てたように「お茶が冷めちゃったわ」なんて言いながら、いそいそとキッチンに向かうのだから。
ブレイルとパルは顔を見合わせる。
自称神様に唐突に異世界に飛ばされたが、一番最初に出会った彼女はやはり信頼できる人物だと心から思え、安心したからだ。
二人は思う。大丈夫、この世界でも頑張っていけると。なにせ二人は魔王を倒した英雄なのだ。信頼できる仲間がいるのなら、どんな困難が待ち受けようとも乗り越えることが出来ると知っているのだから。
「ほら、二人ともいつまで外を見ているの!お茶入れ直してあげたわよ!」
少しして、リリーが再び二人に声を掛ける。
彼女に呼ばれるまま、二人はもう一度椅子へと座った。
目の前にヨモギ色の液体が注がれたカップが置かれる。ついでにさっきは無かったクッキーまで。
ああ、ツンデレだな。なんて、リリーに対し苦笑いを浮かべながら、ブレイルは彼女の好意である、そのお茶に手を伸ばすのだった。
お茶を一口。どこか独特な香りが一瞬鼻を抜ける。飲んだことのも無い初めて感じる苦みと味だ。
「う。なんだこれ?まずいぞ…」
「ちょ、ブレイル!」
思わず素直な感想を口走るブレイルとそんなブレイルの口を押さえるパル。そんな二人にリリーは小さく笑った。
「いいのよ。はい。コレお砂糖。あんまりおいしくないでしょ。父さんが作ったお茶だからね。」
「父さん?」
リリーは頷く。彼女の父と言えば先ほどブレイルがベッドに寝かせた男性の事だ。
「私の父さん医者で科学者なの。で、これはそんな父さんが品種改良した茶葉からブレンドしたお茶。…父さんね、長寿の研究をしているの。健康には良いのよ。」
リリーは自分の事でもないのに胸を張って楽しそうに答える。
どうやら、先ほどの男性は研究者だった様だ。
通りでとブレイルは思う。この家は最初から妙に薬品瓶やら薬草やら並んでいたからだ。納得できる職業だ。
そんな父親にリリーは心から信頼しているのであろう。それは彼女の言葉の節々から伝わってきた。
だから、と言うべきか、ブレイルは少しだけ意地悪っぽく笑みを浮かべた。
彼女が自信満々に自慢する父親だが、ブレイルは酔っぱらったところしか見ていない。
「さっきの飲んだくれがかぁ?」
すこし小馬鹿にするようにブレイルは笑う。
勿論だが、わざとだ。ちょっとした意地悪だ。
しかしリリーには効果覿面の様だ。
「うっさいわね!今日はたまたまよ。た・ま・た・ま!最近実験で失敗しまくって自身が無くなっちゃっているだけ!本当は凄い人なんだから!街のみんなだって尊敬しているのよ!街には父さんの研究所だってあるんだから!」
リリーは眉を吊り上げ頬を膨らまし、パンパンと机をたたく。
パルも同じだ、ブレイルの失礼な言葉に愛らしい顔に怒りの表情を浮かべ、その頭をぽかんと殴った。
「こら!ブレイル失礼よ!」
「なんだよ。だって父さんは凄いって言っときながらリリーはその特性ブレンド茶飲んでないじゃねぇか。」
ブレイルが指摘する。
仕方がない。アレだけ自信満々に父親の特性ブレンド茶だと自慢しておきながらリリーのカップにはミルクが並々と入っていたのだから。
指摘された彼女は顔を赤くさせた。
「仕方がないじゃない!」
「あ」と思わず口に手を当てたのは直ぐである。自身の口に合わないのは完全に認めるらしい。
そんなリリーにブレイルはニヤニヤと笑う。ニヤけ面の勇者ほど腹立たしい物は無いだろう。
真っ赤な顔で立ち上がり「今に見てなさい」とリリーは指を指す。
「父さんは今後もっと美味しくて凄いお茶を作るんだから!!」
…なんて。
パルは失礼だと何度もぽかぽかとブレイルの頭を叩いて、ブレイルは相変わらず意地悪そうな笑みをニヤニヤと浮かべる。
…ぷ。と一番に吹き出したのは誰だったか。
三人は声を出して笑った。
笑えるほど何が楽しかったのかと問われれば分からないとしか言えないが、ただ、その雰囲気があまりに温かで、和やかで、ついつい笑ってしまったのだ。
そんな三人の明るい笑い声を響かせて、明るい夜はゆっくりと更けていくのであった。
『勇者が知らねぇ、“神”がいる世界』