外伝36話 アグラファの開闢
若年の国王に対して王位継承者はほぼ枯渇しているという話であったのにも関わらず、エンリケという名の枢機卿が新たなポルトガル国王として収まった。
どうも可笑しいなと思ったが、私は気が付く。あのセイノス長官と一緒にポルトガル併合を共謀していた際は『カルロス王太子』を利用する前提であった。フェリペ2世もポルトガルの王家と血縁的には関わりがあるとはいえ、カルロス王太子ほどには継承の上位に上がる立ち位置ではない。
だからこそ、フェリペ2世よりも血統が近しい者が居てもおかしくなかった。
そんな私の動揺を察したのか、アナは溜め息交じりでこう話す。
「――エンリケ元枢機卿は今年で63歳になる上に、元々枢機卿でいらしたのだから当然……未婚ですわよ」
想像以上に年齢が高い。でも、先代国王が若年であったとはいえこの元枢機卿から見れば甥の子なのだから、年齢が離れているのも無理はない。
ルイ・ゴメス侍従長が50代で亡くなっていることを思えば、結構ギリギリの継承とも言える。しかもその上で元聖職者だということが、世継ぎの不在としてのしかかる。
「付け加えますと、当代の教皇であらせられますグレゴリウス猊下は、エンリケ様が世俗へと身をやつし結婚相手を求めることに反対なさっております」
うーん、これは八方塞がりだ。何としてでも世継ぎが必要な状況なのにも関わらず、教皇領の意向はそれを認めていない。
すなわち、ポルトガル王家の後継者問題は先延ばしになっただけで本質的には解決していない。
ただし。状況を把握して分かったことがある。
それは以前のようにイエズス会がポルトガルの砂糖交易拡大に懸念を示さなかったのは、私の立場が変わったからではなく、ポルトガルの内情を恐らく私達よりも深く知っており――彼等もまた気付いたからであろう。
ポルトガル王統の不安定さに。そしてそう遠くない未来にフェリペ2世によるイベリア統合の可能性に。
*
私達はモロッコでのポルトガル国王討死の報を、マカオへと流す判断を下した。彼等がポルトガル領インドから情報を仕入れているかは未知数だ。マラッカがアチェ王国の支配下にあるとはいえ、食糧交易船を始めとして抜け道自体は色々あるから知っていてもおかしくはないとは思っていたが、マカオのイエズス会を取り纏めるメルヒオール・カルネイロ、並びにマラッカ教区の長であったサンタ・ルジア司教は我々からの情報に感謝の意を述べつつ、更なるフィリピン伯領との緊密化を強調してきた。
国王討死ということは桶狭間の戦いの今川家レベルの総崩れが発生したことは想像に難くなく、その桶狭間ですら江尻親氏・岡部長定・藤枝氏秋・朝比奈秀詮などといった重臣や侍大将クラスの将がごっそり抜け落ちていることを踏まえれば、モロッコの地において相当数の国王に近侍していた側近・貴族らが死亡ないしは捕らえられている可能性が高い。
だとすれば、ポルトガルにとっての最優先事項は、そうした統治の中核が抜け落ちたことに対する本国のテコ入れであり、マラッカ奪還どころではない。それどころかマカオに対する支援すらも怪しくなるほどの出来事であり、その視点を有していれば私達との関係を強める判断へと繋がるのは理解できる。
というか、本格的にポルトガルがアジアにおけるカトリック勢力の主導的地位から転落し始めている。今までスペインの反乱を指して本当に全盛期か? という疑問を常に抱いていたが、現在のポルトガルの苦境はスペインの比ではない。……まあ、その原因の一端に私の存在はあるのだけれども。
そうしたマカオとの関係緊密化も含んだ話にはなるが、着々と政庁舎がやるべき仕事の量は増え続けている。だからこそ人員の拡大は急務であったが、その解決の目途は既に立っていた。イエズス会管轄の大学相当の高等教育機関である神学校――『コレジオ・デ・サン・イルデフォンソ』の卒業生を官吏や士官として登用が正式に開始され、そしてコレジオの生徒数も拡大の一途を辿っている。
そしてこのコレジオは、スペイン語で実施される入学試験に合格さえすれば、スペイン人に限らず学位を取得することが可能である。しかもパドヴァ大学で学位を既に得ていて一応学士でもある私の存在があることから、女性入学者も設立後数年の議論ののちに認められていた。絶対数で見ればコレジオに通う女性の数は微々たるものだけど。
また学長であるとともに数学・天文学講師であるクリストファー・クラヴィウス、彼もまた私がパドヴァ大学に居た頃からの長い付き合いではあるけれども、そんな彼の意向で布教政策のためにやや言語学に偏重していたカリキュラム構成の一部見直しが図られており、理数系の拡充がなされている。とは言っても『科学』という概念が未発達な現段階では神学の延長線上にある学際分野だけどね。
クラヴィウス君の専門の1つである数学の応用分野として建築に関する講義なども新設されているが、うちの領独自の内情もそれに反映したうえでその建築から更に分派発展した造船に関する知識を修める選択授業も誕生した。
言わば『造船学』ともいうべき学問であるが、流石にガレオン船の建造技術に関しては、基礎的な部分に終始するように指示は出している。まあ既にフィリピン伯領内において建造を行っている以上、技術漏洩の心配などは今更ではあるけれども、とはいえ系統立ててまとめた資料をコレジオという分かりやすい場所に置くのは、アナもイディアケス補佐官も含めて難色を示したし、こればかりは私も同意であった。
だからこそ、具体的な建造の知見は手漕ぎ船やジャンク船系統となり、それらの船であればコレジオ独自で保有し運用している。今のところ、グレイス率いる独立水軍という体裁の常設警備部隊も含めて、うちの軍勢は陸軍と海軍を明確に区別しておらず水軍指揮官は同時に陸戦指揮官であり、水兵もまた陸上戦力として計上している。手漕ぎ船に限定して漕ぎ手と乗り込んでいる兵士を区分けはしているものの、それだって漕ぎ手の欠員が船速に直結するからの措置でしかなく、専業化のためではない。
正直、船の数は増える一方ではあるために、独自に管理部門を設けた方が良いとは思うが、けれども船員の専業化に着手することは難しいことから組織として海軍が独立することは当面の間は無いだろう。その意味では、操練所として初手から分派した室町幕府――というか信長の未知のやり方は案外我々よりも先進的なのかもしれない。それを日本勢にバラすつもりは無いが。
ともかく造船学を学んだコレジオ在学生は、素直に造船所方面の管理職を目指しても良いし、政庁舎職員や軍指揮官に進む場合でも場合によっては重宝されるので、そこそこ人気が出ているらしい。コレジオの授業について私も興味自体があるが、今の身代では視察か監査みたいな形にどうしてもなってしまうから、授業自体を見学したことは一度もない。
こればかりはどうしても領内統治が安定化してくると、単なる貴族子息であった時代や立ち上げ期の不安定な時期のような行動は許されなくなってくる。貴族といえども……というか貴族だからこそ、基本の仕事は陳情の受付と決裁へとシフトしていくのである。世知辛い。
まあ、とは言っても貴族が全部が全部文字が読めるというわけではないので、祐筆みたいな事務官を雇用するケースは多い。私の場合、一応高等教育を修了している関係上、識字に関する問題は殆どない。ヨーロッパ諸国とのやり取りなら全部ラテン語で寄越せと言えるのが大きいね。
ただ元々の立場が、ヴァルデック伯爵家の婚姻外交の駒、というかそれ以前の人質交換用の置物でしか無かった。貴族教育は一通り受けてはいるものの、事実上アジアのスペイン外交を一手に担う辺境伯レベルの権限を渡されている今の水準に見合った代物ではない。そのあたりの私の不備をサポートするための意味合いでも政庁舎はあるのだ。物凄く端的に言ってしまえば教養の積み上げが足らないのである。それも、貴族としての。
それらは学識とはまた切り離されたものである。関係していないわけではないが。漢詩を読むことが出来ても、ただそれだけで連歌会に参加出来るわけではないということと似ているだろうか。戦国時代に武家を含めて恐ろしく広範囲で普及していた連歌だが、その難易度は極めて高い。
前の人が読んだ五・七・五の発句に対して、七・七の脇句を返す遊び……と言うと一見単純だが、これを前の人の句の内容を踏まえて即座に返すだけでも良いのが、それだけではない。多かれ少なかれ、そこで発せられる作品は過去の歌のオマージュや改変であることが多く、その前提知識の下でその元ネタの和歌を詠みあげた人物にまつわる話か、あるいは更に他の人物の歴史的に有名なオマージュ作品を想起させるなどのカウンターを決める必要がある。――と、ここまでの説明は残念ながら『返歌』という文化の説明であり、連歌とはそれを何度も参加者の中で繰り返すのである。基本は百回繰り返してようやく一作品でそれを1回の連歌会でいくつも作るのだ。正気の沙汰とは思えない教養バトルなので、後に36句で1作品とする『歌仙』という形態が現れたりして幾分ナーフされている。
元々は神聖ローマ帝国とスペインは同一の冠を頂いていたわけだけれども、流石にそうした地域が異なるためにそうした貴族文化まで同一ではない部分もある。そういうスペイン独自の文化であったり伯爵家のバックアップでしかなかった私が知り得ない高等テクニックをさらりと社交の文面に混ぜられると私では対応できない。政庁舎にはそれ専任の職員も居るくらいだ。
そんな政庁舎職員としてコレジオ卒業生という制限付きだが現地出身者が雇用され始めている。そして、その流れは最早私が絡むことなく生み出されている。
初年度入学者の中に居たブール王国の先王の嫡子ペドロ・マヌークはブール王国側との調整の上で、軍部に籍を置いており、ゆくゆくは現地民兵を再編した第二軍で要職を務めることもあるだろう。
ルソン王国の有力領主子息であるマガット・サラマト、アウグスティンの両名も行政官として政庁舎で働き始めている。
在地領主の反乱の気配も無く、周辺諸国とは交易による関係が形成されている。
室町幕府も寄木細工であった割には『武家の棟梁』として遠隔地大名の和睦仲介などで権勢を見せつけ、不安定ながらも盤石さが見えている。
東南アジアを襲った1570年の食糧危機も最早乗り切ったと判断して良いだろう。
その食糧供出にて多大な貢献をした明は、食糧価格の暴騰と銀需要の拡大を上手く釣り合いを取らせることで価格改定を重ねることで両者の動きを危機以前のものに鎮静化させている。
確かに、スペインは2度の反乱を叩き潰したが、チュニジアを失陥した。
確かに、ポルトガルはモロッコの地で先代国王が戦死し、アジアに振り向けるリソースは更に減った。
そして、それらはオスマン帝国の伸長へと転化される上に、彼等は既にカスピ海から紅海までを運河で繋ぎ『自らの水辺』とする遠大な計画を立てている。
オスマンの計画は脅威である。それは間違いない。
だが、それに注力するために少なくない経済リソースを運河建造に割かれる上に、恐らくその運河は私が生きている間には完成しない。
……乗り切ったのだ。
ネーデルラント政策を起点として始まった、ネーデルラント南部の反乱という顛末は既に鎮圧されている。またその余波で生じたカルロス王太子の戦死も、フェリペ2世が新たな妻との間に男児を成したことで解決の目途は立った。
レモネードから始まった、ポルトガルの砂糖生産の拡大による大西洋奴隷交易の促進。これを問題視したイエズス会の陳情も、結果的に私が狙ったポルトガル併合策の目論見は失敗したが、それでもイエズス会に近しい枢機卿の国王就任によってかの修道会そのものが国政により直接的に参画できるようになったことで、問題解決を私に求められることは無くなった。
フィリピン伯領内の統治もついに軌道に乗り始めている。周辺諸国との関係も悪くない。そして東アジアと東南アジアの経済網の中核としての立場を確固たるものとした。
まだまだ脆い体制かもしれない。けれども、小休止を付ける程にはなったのである。
立ち上げ期の不安定さ。そして、過去の私の行動が成したツケの清算。
私は、それらについに打ち勝ったのである。
*
1574年11月30日。
その日、遥か遠くヨーロッパより報告された1枚の書類には、その期日と簡便な文面が記されていた。私は自身の邸宅の居室にて開く。
その日付は、後世の人物にとって全く重要でも何でもない日であっただろう。しかし、私には永遠に忘れられない日付となった。
「……お父様。……最早会えないことは分かっていたけれど……」
――手紙は、父であるフィリップ・フォン・ヴァルデックの訃報であった。
お父様は12月4日にマリエンタール修道院の礼拝堂に埋葬されたと記されている。それは今まで私の下にもたらされていた報告の中では、最も情報としては価値に値しないものであっただろう。
けれども。私はその意味を正しく理解することができた。
マリエンタール修道院は、過去のヴァルデック伯自らの手によって設立された由緒正しい修道会であり、お父様が眠る礼拝堂は過去のヴァルデック伯爵家の者らも共にする場所なのだ。
それだけ歴史ある修道院なのだから、信仰は――カトリックなのである。
マルティン・ルターに感化されプロテスタントに改宗したお父様は、混迷とした神聖ローマ帝国の中で、時には継母の信仰で両派のバランスを取り、また私のカトリック転向においては伯爵家自体はプロテスタントに傾斜を強めることで身動きを取っていた。それらの行為は風見鶏、日和見、何とでも言えるだろう。
しかし、お父様はそうした中にありながら、このマリエンタール修道院とは和解を成し遂げている。お父様が『カトリック』のマリエンタール修道院に眠ること自体が、1つの成果であり。同時にある種の偉業でもあり。
――何より。お父様は確かに『勝者』となったのだ。
そして、今の私は。そんなお父様を弔い嘆くだけの余裕が出来ていた。それはどうあがいても肉親の死に目に会えない私にとって唯一の慰めである。
『カトリック』と『プロテスタント』の狭間で巧妙に渡り歩き、そしてその中を生き抜いたお父様の戦いは、勝者として終わりを告げたのだ。娘として、それは誇りこそすれ、悲しむべきことではないだろう。
……でも。
「――グレイス、居りますよね?」
「……はい。マルガレータ様」
「……今日、だけは。……今日だけでもお休みを頂くように、政庁舎へ、お伝えお願いできますか――」
グレイスはただ無言で深く一礼して部屋を辞去していった。
フィリップ・フォン・ヴァルデック、享年80歳。
――彼の61年に及ぶ治世は、12世紀から始まったヴァルデック伯爵家の全ヴァルデック伯の中でも最長であった。
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◇ ◇ ◇
――王子は遂に砦からやってきて、10人程度の高官が彼に同行し、金の装飾のなされた非常に豪華な日傘の影で、矛先を下に向けた槍を持つ12人の兵士に囲まれていた。
私はこの王子にとって同胞であるモロの通詞を伴って立ち上がり王子に話しかけた。王子は通詞にとても親切に挨拶をして、短い話をした。
王子の声は、王族としての態度とムーア人としての優雅さを備えた低音で柔らかな口調であった。
王子――バーブラ王子の服装は、テルナテ王国の住民のスタイルと非常に似通っていたが、しかし地位と存在を証明するかのように遥かに豪奢であった。
腰から地面まで届く華美な金色の差し布を身に纏い、大胆にも足は露出していたものの、足元は赤い革の靴に覆われていた。頭飾りには金の宝石がいくつもあしらわれていたために王冠のように美しく雄大に見えた。純金の首飾りを身に付け、左手にはダイヤモンド、エメラルド、ルビー、ターコイズの4種類の指輪を嵌めており、右手には左手のものよりも更に大きく美しいターコイズの指輪と、小さなダイヤモンドが複数あしらわれた指輪の2つを身に付けていた。
バーブラ王子は『俺』から見ても、背が高く、体も太く鍛えられ強く――そして友好的で貴族的な笑みを浮かべていた。
王子は、通詞によって訳された俺の言葉の反芻するかのようなことを確認してきた。通詞は訳す。
「……『それで、貴国はポルトガルに代わる新たな友邦として、香辛料を融通して欲しいということですか』とおっしゃっておりますが」
「既に我が国も、マラッカがポルトガルの手に無いことは理解している。武器の提供を行う用意もあれば、貴国に残留しているポルトガル残党をイエズス会諸共追い払うことだって出来るんだぜ? ……おっと、王子サマに訳すときは、きちんと敬語にしてくれよな」
翻訳のタイムラグがもどかしいが、これで我が国が、この辺境についての情報も仕入れられることは分かっただろう。
王子は通詞の言葉を一通りゆっくりと聞いたのちに、悩む素振りを見せながらもその柔らかな低音の声で緩やかに語った。
それを通詞が訳す。
「『我が国の防衛については、我が国にも考えがありますので貴国のお手を煩わせるまでもありません。それよりも遠路遥々やってきたのです、貴国との永遠の友情と貴殿との邂逅を祝するために、貴殿の船員も交えて盛大な宴を開きましょう。……その際に多少の香辛料なら友好の証として進呈いたしましょう、なに、量はそれほど揃えられませんが品質については保証できますよ』……とのことで」
随分と奮発する物分かりの良い王子だ。兵器や軍事提供こそ断ってきたが、これだけの厚遇、よほどポルトガルの所業を腹立たしく思っていたに見える。
俺が何かを言うまでもなく、俺の表情から好感触であることを察してきた王子は『握手』をするために王子の方から手を差し伸べてきたために、俺はそれに応える。
王子は俺の手を握りながら、柔和な表情を浮かべつつ何事かを話す。それを通詞に促せば、こう返ってきた。
「『……それで、我がテルナテ王国の後は、どちらへ赴く予定ですかね? 我が国と関係ある相手であれば、紹介状を書かせていただきましょう。
その場合は、貴殿――フランシス・ドレーク殿の名を書けば良いでしょうか? それとも、イングランドの親愛なる女王陛下の名を記載すればよろしいでしょうかね?』と申されています」
その言葉を俺は内心で一蹴する。
「いや、それには及ばないと伝えてくれ。
何せ、こちとら仲良しこよしの親善大使だけでなく『通商妨害』の任も帯びているからな……次に行くスペイン植民地のフィリピンは襲撃任務だ。親書なんて必要ないさ。
……おっと、これも敬語で頼む」
父の戦いが終わっていたとしても。
――マルガレータ・フォン・ヴァルデックの戦いはまだ終わってはいない。