表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/104

外伝35話 眠りの王


 いつものように、フィリピン伯領最高幹部にあたるアナとイディアケスとともに最新の情勢についての報告を読む。


 ハフス朝チュニジア。この国の説明を端的に示す一言をイディアケス補佐官が告げたが、それは却って混乱を招くものであった。


「……ハフス朝とは、スペイン保護国下にあるイスラーム王朝ですね」


「……はい?」


 まあ今更、キリスト教VSイスラームみたいな単純な二項対立の図式で世界を表すことができないことに疑問を抱くことはない。テルナテ王国とポルトガルの協同もあった。ヴェネツィアもオスマンと和平をして貿易協定を結んだ。


 なれば、スペインであったとしても緊密な関係を築き上げるイスラーム王国が存在したとしておかしくはない。確かにフェリペ2世はかつて『異端者に君臨するくらいなら命を100度失うほうがよい』と言い放ったほどには、敬虔なカトリック信徒でありそれらを統べる王であることには変わりない。

 けれども、それはそれとして異端や異教相手でも約束や合意をフェリペ2世側から破るということが私が記憶にある限りだと無い。アイルランドのカトリック支援は、公的にはイングランドのエリザベス女王が有する『アイルランド王』という爵位をカトリック側では自称であると否認しているし、イングランド側も完全に支配体系に組み込むことは出来ていなかった。……そもそも、それ自体も先代女王でありフェリペ2世の妻であったメアリー女王時代に組んでいた婚姻同盟が破棄されて関係が悪化したという側面もあり、婚姻同盟時代にはアイルランドへの介入はほとんど行われていなかったと思う。その頃はイングランド自体がカトリックであったから介入する必要が薄いということでもあるのだけれども。

 またモリスコの反乱も発生こそしているが、名義だけの改宗が許されていた40年の延長履行期間についてはフェリペ2世も律儀に守っている。それはあくまで瑕疵を相手方に押し付けるための方便であり、自陣営を身綺麗にすることで相手が反発したという大義名分を得るための策略であり、実態として異端審問による取締りはあったにせよ。熱心なカトリック信徒であると同時に、異教だからすぐ攻め滅ぼすという判断に直結しない。その二律背反のような事実を同居させる手腕があるのだ。

 また、同様に私や亡きルイ・ゴメス侍従長が財政策方面からネーデルラントについてプロテスタント黙認策を提示すれば、一度受け入れればそれを翻すことはしなかった。



 というところで北アフリカに話を戻す。物凄い概略で言えば、北アフリカは西からモロッコ→アルジェリア→チュニジア→リビア→エジプトとなっているが、このうちリビアとエジプトは実質的にはオスマン帝国の統制下に入っていると言って差し支えない。そしてチュニジアはスペインとオスマンの係争地であるがゆえに、スペインに味方する勢力も居れば、オスマンに味方する勢力も居たとのこと。16世紀のハフス朝チュニジアとは、そうした外憂による国家分断の中で王族ですらもスペイン・オスマンの双方に割れるくらいには末期的な体制下にあった。

 ただここがオスマンの手中に落ちてしまうと、マルタ騎士団の本領がオスマンの目と鼻の先となり、ひいてはイタリアすらも危うくなる。だからこそチュニジアを落とすわけにはいかないのだが、問題はその後背地にあたるはずのアルジェリア自体はスペインの支配下になく、海賊団や私掠船団が跋扈する危険海域で、一部はオスマンに通じている有様であった。だからこそ、オスマンはこの海賊領を通してモリスコに援軍を送ろうと企んでいたわけだが、聞けば聞くほどにスペインってやっぱり黄金期感が全然無いのである。

 なお、モロッコはサアド朝というこちらもイスラーム王朝が支配しており、ポルトガルと関係は強いものの、北アフリカに明確なカトリック勢力というのは大規模には存在しえないのである。


 ……うん、スペインもポルトガルも大航海時代とかやってる場合じゃないよね、これ。周辺諸国が強力だからこそ遠隔地に起死回生を求めたのであろうことは理解できるし、実際スペインは銀鉱山、ポルトガルは香辛料交易や砂糖生産という強力なカードを手に入れていたからこれまで取ってきた政策自体は結果的には功を奏してはいるものの、目と鼻の先に脅威がある事実は全く変わっていないのである。これは、ヴェネツィアも和平を結んで地中海の勢力圏を固定化させたくなるのも分かるね。



 ただ。そのハフス朝チュニジアにオスマンが派兵を行った。

 ということは……。


「……オスマンとしては先のヴェネツィアとの和平を軽視している、ということでしょうか?」


 私が口に出した言葉はイディアケス補佐官によってこう返される。


「その可能性を本国も考えたようで、複数ルートを辿ってオスマンの真意について探りを入れたようです。……皇帝セリムと大宰相ソコルル・メフメト・パシャ連名の親書が我が国とヴェネツィアの双方に届けられ、和平協定履行の意思――『西地中海におけるスペインの主導的地位の承認』を尊重することを表明しております」


「――つまるところはですね、マルガレータさん。オスマンとしては『東地中海とはチュニジアまで』と吹っ掛けてきている――ということなのですわ」


 地中海を東西に分割して東はオスマン勢力圏、西はスペイン勢力圏として認める。そこに見え隠れする妥協の精神と理念こそ崇高ではあったが、実質的にどこを東西の線引きのラインとするかの条件闘争をオスマン帝国は仕掛けてきているのだ。

 オスマンとしてはチュニジアは『東地中海』と――コルス島・サルデーニャ島ラインで境界線を引こうと考えているのである。これは随分と舐められた境界分線だ。


「……これは本国としては認められないでしょうね」


「ええ、もちろん。ですのでフェリペ陛下は地中海艦隊に出動を命じて、ハフス朝チュニジアの救援作戦を実施しました――」


「――もっとも。オスマン帝国も頭に蜘蛛の巣が張っているわけではないですわ。だからこそ、その援軍艦隊を阻むために出航したオスマン帝国の別働隊と交戦することになったようですわね」



「……結果は。海戦の是非はどうなりましたか?」


 チュニジア沖でのスペイン・オスマン艦隊の衝突。それは状況的には引き起こされて必然の出来事であったものの、これに勝ったか負けたかで全く異なる変化を齎すであろう。

 船自体は数ヶ月で新造できるけれども、人的被害であったり艦隊再建にかかる財政負担という方が心配である。


「――敵味方ともにガレー船20隻程度の損害とのことで、痛み分け……引き分けと言って差し支えない状態だそうです。両軍ともに戦闘に参加いた艦艇のうち1割程度の喪失といったところだと報告には記載されております」


 被害としては大きい……が、両国大国であることを鑑みれば立ち直れるレベルだ。戦闘後に撤退したことで引き分け。そしてお互いの地中海艦隊は保全された状態で地中海のパワーバランスを激変させることなく海戦は終わったとのこと。


 ……そう。海戦は終わったのだ。



「元々スペイン軍の目的としてはハフス朝チュニジアの救援であったのではないでしょうか。それが撤退して終結、ということは――」


「……フィリピン伯様のお考えの通りかと」


 すなわち、ハフス朝チュニジアは崩壊し、オスマンに併合されたのだ。戦略的にはスペインの敗北と言って良い。しかしチュニジアを征したオスマンはそこで進軍を停止し『東地中海の平定』を宣言したとのこと。結果的にオスマンが和平協定そのものは履行する意志があったことが、皮肉にも彼等の勝利後の行動によって証明されることとなったのである。



 そんな感じで北アフリカ情勢は、スペインが影響力をチュニジアにおいてほぼ喪失したことで終息へと向かって……いかなかったのである。

 アナは報告書の続きを読みながらこう告げる。


「――それで、このチュニジア失陥の影響で、ポルトガルが独自に『十字軍』を掲げ、国王セバスティアン自らサアド朝モロッコへ親征と相成ったようですわね。

 ルーコス川流域のクサール・アルケビールにてサアド朝軍と衝突してこちらは陸戦で会戦に及んだようです」


 ほとんど玉突き事故のようなものだが、スペインがモロッコという防波堤を失ったことで、オスマンはアルジェリアの海賊勢力と地続きとなった。こうなるとモロッコの情勢も連動して怪しくなるとポルトガルは判断したのだろう。アルジェリアにオスマンがこれ以上浸透してくる前に、先んじてモロッコを自国領土として組み込むために予防占領しようと考えた、ということか。

 しかし国王自らか。確かセイノス長官より若年と伺っていたが、あれから年月も経っているから計算しなおすと……21歳か。十字軍を自称したポルトガル軍親征は大義としては予防占領にあるが、しかし今のポルトガルを取り巻く環境を見るに、これは。


「……これ、砂糖増産のための領地を求めた、という理解で良いのですかね?」


 マラッカ陥落による香辛料交易の途絶から砂糖生産のための奴隷交易に注力しているポルトガル。その砂糖の植民地生産のシステムは、ポルトガル領アフリカから奴隷をブラジルまで送ってそこで強制労働させることにあった。なぜ現地住民の使役ではなくアフリカからわざわざ奴隷を送るのかと言えば、アフリカ西海岸島嶼部を中核として、ポルトガルには砂糖農園の経営ノウハウがあったことが最大の要因で、現地住民に砂糖栽培のノウハウを1から教えるくらいなら、アフリカから融通する方が楽だと考えた点にある。

 すなわちブラジル現地住民の奴隷育成コストよりもアフリカからの輸送を重視したことに他ならない。


 この状況下で、ポルトガル経済の片翼であった香辛料が途絶して、経済の砂糖依存度が高まった。若き国王とその側近らがより安く砂糖を生産して王家に利益を還元しようと考えるのは必然である状況は整っている。

 であれば、誰であっても考えることがある。


 わざわざブラジルまで奴隷を運び、そこで生産された砂糖を本国まで輸送するなら。北アフリカにブラジルと同程度の大規模な砂糖農場を作れば、より安価に砂糖を作れるのでは? ――と。


 そうした場合にポルトガルから最も手近な場所であるモロッコが選定されるのは当然の成り行きと言って良いだろう。しかし、これは明確な侵攻だ。現地政府が反発するのは当たり前であり、だからこそ戦となった。


「クサール・アルケビールにおける会戦の勝敗はどうなりましたか?」


「ポルトガル軍は、傭兵戦力や調略した現地勢力も含めておおよそ2万の軍勢を率い、片やサアド朝は5万程度であったと記載されておりますわね。ですけれど流石に銃火器を用いた火力戦でならば、戦力に劣るポルトガルが優勢だったようでサアド朝の軍勢は敗走したとのことですわ」


 かつて、ポルトガル併合を企図していたときに陸戦においてならばポルトガルは脅威にならず海軍のみが恐れるべきと規定していたが、これはあくまでスペイン目線に立ったときの話である。現有環境下であればポルトガルはヨーロッパにおける列強に数えて差し支えない勢力であることは間違いない。欧州最強のスペインや、オスマン帝国を相手にしなければ、地域覇権国を圧倒するだけの火力投射能力と練度、それを実行可能とする指揮能力を有するわけで、国王親征軍ともなれば殊更だ。


 ……え? マラッカでアチェ王国軍に敗北したって?

 兵力差が10倍以上あって、アチェにはオスマン帝国砲兵部隊の援軍もあり、しかもポルトガル側は植民地派遣軍という二線級以下の部隊でありながら1年は籠城してみせたのだからむしろよくやった方でしょ、それは。


 だからこそポルトガル軍が劣勢であっても野戦に勝利するのは順当な結果であると言えなくもない。


「……となると、サアド朝モロッコもハフス朝よろしく滅亡となり、ポルトガル領に組み込まれたのでしょうか?」


 これに対するアナの返答は歯切れが悪かった。



「……その。ポルトガル軍は撃破した敵軍へ苛烈な追撃を敢行し――サアド朝騎兵部隊による伏撃を受けて全軍が混乱に陥ったそうですわ。

 その奇襲攻撃の影響で本陣が壊乱……国王セバスティアンは現地にて戦死し総崩れになった、と……」


「……嘘でしょう」


 そんな桶狭間の戦いみたいなことがそうポンポンと起きても困るのだけれど。カルロス王太子戦死や、六角義治の狙撃よろしく総大将の討死がそんなに何度も発生して良いのか。

 しかもアナは私のことを訝しむように見てくる。



 ……あっ、そうか、これって!


「若年であったポルトガル国王の戦死ということは、ポルトガル王家の次期後継者はどうなるのですか!? セバスティアン国王に嫡子は居りますか!」


「……いえ、子は成しておりませんな」



 私は思わず生唾を飲み込む。

 全くもって意図しない状況であったが、ポルトガル王家の次期後継者が不在なのならば。


 ――であれば、ポルトガルを併合することが出来るかもしれない。



 もっともこちらの切り札であったポルトガル王家から嫁いできた妻の子であったカルロス王太子は既に失われているが。実はフェリペ2世自身も母方の祖父まで辿れば2代前のポルトガル国王に繋がる系譜であったりする。……いや、血が近いな。


 だからこそフェリペ2世によるポルトガル王兼任というルートも、後継者が居ないのであれば理論上可能なのである。



「――ポルトガル国王位には、枢機卿であったエンリケ様が甥の子である国王の跡継ぎとして即位いたしました」



 ……あれ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 まさに『今そこにある危機』 目と鼻の先にある北アフリカに食指を巡らすオスマン帝国・・・・ 勇躍ポルトガル王が一旦は撃破も、好事魔多し、まさかの戦死(TT) ポルトガル併…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ