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外伝34話 ナイルの魔女


 『プロテスタントのクレオパトラ』。


 最早懐かしみすら感じるその蔑称は、私がフェリペ2世との個人的関係を背景にしてネーデルラントの施政に介入し、プロテスタント宥和策と取れるような政策を実施したように周囲から見られたことに起因している。あくまで、実際にそのシステムを作り上げたのはラス・カサスさんだったりルイ・ゴメス侍従長であったはずなのに。

 ローマ発の悪口であったが、当時の教皇領は反スペインの風潮が強く今ではむしろスペインは盟友に近いからこそ、多分その悪口を敢えて取り沙汰するのは少数派であるとは思う。

 しかしアナはそれを即座に想起したように、記憶には残ってしまっているだろう。


 オスマン帝国の大宰相に、この異名を利用してこちらをかき乱す意図があるのかは正直分からない。

 異名そのものについてはヴェネツィア経由で知っていてもおかしくない。が、離間策として使うのには、スエズ運河建設はスケールが大きすぎる訳で。副次的な効果を狙った後付けの可能性はあれど、意識的にやっているかどうかすら微妙である。


 ただし、アナがその繫がりを指摘したということは、逆説的に言えばオスマンが策として意識していないとしても、スペインや教皇領は同様に考える保障は無いということ。私のことを快く思わない者であれば讒言として利用してくることは考えねばならない。


 ……でも。そうだとしても、やっぱり現状で本国に介入出来ることってほとんど無いよね。釈明を送ってもいいけど、その事実こそが更に陰謀を加速させる危険もある以上は、本件に関する行動は慎重にならざるを得ない。ぶっちゃけ難癖であるからこそ、対応次第では過剰反応として捉えられるかもしれないためだ。



 ――そして。

 次のオスマン帝国の目立った動きの報告が入ってくるのは3年後の――1575年の年初のことである。




 *


 オスマン帝国の次なる一手の前に、3年間の間に発生した出来事について振り返ろうと思う。

 まず1572年の半ばに、明の皇帝が崩御し万暦帝という幼帝が即位した。若年の皇帝の即位は権力が側近にスライドすることを意味しており、以降短い期間で一気に明は急激な変化が訪れた。


 まず、税制の銀納一本化の流れは以前より華中・華南沿岸地域を中心に行われていたが、これが遂に全国的な統一税制度の機運へと高まっていく。税制の簡便化も同時に図られて銀の需要は青天井へとなっていったことで、暴騰していて食糧価格に明国内での銀の需要のオーバーフローが追い付いた。

 これだと明の食糧以外の交易品を銀ならほぼ買い放題という状況になるので、暴騰した銀価格に合わせる形でトンドにおける取引の価格改定が幾度となく実務者同士で執り行われ、最終的には食糧価格だけが鎮静化する形で従来に近い価格で取引が継続されることになった。

 そしてこの食糧価格の鎮静化や、オスマンやポルトガル方面、更には新大陸からも食糧を個々の勢力がバラバラに東南アジアに注入したことで1570年の飢饉危機は概ね終息したと言って差し支えない状態となる。


 また、その食糧交易について明にて更なる一幕が。モンゴル方面からも保存食を無理やり仕入れて東南アジア向けに輸出するということまでしていたが、これにツングース系部族も食糧輸出が利益となることを把握して利権に絡んでいたとのこと。既に朝貢を行っていた部族は特に機敏に反応し先んじてひと財産を築き上げていることもあるようで、部族間格差が肥大化して中国東北部の一部の地域においては大規模な住民衝突が発生しているらしい。それに比して明の直接統治下にある遼東の地位が向上し、治安悪化と引き換えに同地の軍事安定化に繋がっていると報告があった。

 うーん、判断に悩むけれどもこれは明の強化なのだろうか、それとも似たようなことは史実においても発生しているのか。とはいえ明と交易で緊密な関係を築いている以上は、下手に崩壊されると連鎖的に私達も困るかもしれないから、明が大国として君臨し続けることは歓迎すべきことなのかもしれない。……幼帝なのが気になるけど、うん。



 そして1573年の太平洋横断連絡船から入った情報。

 最大のものは。1571年の12月にフェリペ2世が、新たにオーストリア・ハプスブルク家から迎えた妻との間に男児が誕生していたという慶事である。


 これでようやく男児の嫡子不在という状況をスペイン王家は脱することが出来た。ある意味でネーデルラントにまつわる一連の騒動の結実としてカルロス王太子の戦死からカスティリーヤ王家の相続問題が浮上していたが、これで一応解決の目途は立ったことになる。とは言っても女子直系は存在していたし、最悪の場合はオーストリア・ハプスブルク家からスライドさせても構わないけれども、直系男児が相続できるのであればそれに越したことはない。

 因みに、この嫡子の誕生に伴いフィリピン伯領に対しても恩赦を行うように命令が下されている。ああ、そう言えばこの時代ってそんな制度ありましたね。

 でもうちの領だと捕まえている罪人って、誰が見てもクロ(・・)という人たちばかりなんだよね。どういう基準で恩赦をすればいいのか私には分からないので、こういうのはイディアケス補佐官に丸投げすることとする。


 また領内統治についても、ほとんどの事項は私の手から既に離れている。軍事のトップがアナ、内務のトップがイディアケスという区分がなされているものの、その2人であっても細やかなことはもう把握しておらず上から指示を出すのが仕事となっているはずだ。ある意味では縦割り行政の形が強化され、各々の業務が分断されることで秘匿性は増している。

 何かアイデアを産み出し提案する作業は最早私がすることはほぼ無く、業務決済の認可を押すか、疑問に思えば担当者を呼び出して話を聞くことが基本の業務だ。それに加えて外交的な立ち回りは私の権力源泉として握ったこともあり、外交事項の裁可については私の判断に委ねられるところもあるが、それも外交パートナーの増加に伴い、政庁舎へと移管されつつある。


 だからこそ政庁舎も不必要なことは私の所までわざわざ報告を上げてくることは無い。また逆に、私やイディアケスやアナとの間で合意がなされたことが末端まで伝わっているわけでもなく、秘匿されていることは当然存在する。


 その例の1つとして、ポルトガル併合にまつわる話がある。これはアナとの間でしか共有なされておらずアナも別段他に漏らしているわけではないみたい。だからこそ、アナの伝手でポルトガルの動向については独自で探っているらしい。

 そんなアナとの密談の中に、


「……マルガレータさん。どうやら砂糖の栽培について更に拡大する奨励策をポルトガル王家は決定したようですわ」


 という話があった。


 砂糖と言えば、新大陸時代にジョゼ・デ・アンシエタがポルトガル領ブラジルから亡命してきた際にひと悶着あったものである。私のレモネードの開発……というか私の悪名を利用してヴェネツィアとアントウェルペンで共謀してマーケティング戦略に応用したことによって砂糖を利用した飲料の開発が促進され、ヨーロッパ内で砂糖の需要が急増し、その結果ブラジル砂糖農場の拡大並びに大西洋奴隷交易の促進が図られるという出来事があった。

 意図してやったことではないことにしろ、私がその流れにあることを把握したイエズス会は『布教の言語政策』という実務的問題によって事態の収拾に対するアイデアを求められて、その対策が『ポルトガル併合』という判断であった。その最終目標こそイエズス会側には伝えていないものの、メキシコシティのアウディエンシアのセイノス長官と渡りをつけて何らかの行動をしようとしていることはイエズス会の面々も把握していたために、その後は特に砂糖に関することをイエズス会側から相談されたことはない。


 しかし、此処にきてポルトガルは更なる砂糖交易の拡大を目指してきた。とはいえその理由は明白である。


「……香辛料交易の途絶の影響ですよね。砂糖の生産拡大で穴埋めする、と……」


 マラッカの陥落によってポルトガル領インド以東と航路が分断されてしまっている。従来香辛料を仕入れていた香料諸島のテルナテ王国は貿易相手を我々に変えてしまった。だからこそ、代替策が求められその解決策が砂糖であったのだろう。


 よくよく考えなおしてみれば、そう言えばヴェネツィアとオスマンの和平時の貿易協定の中にもヴェネツィアから供出する物資に『砂糖』が紛れていた。オスマン帝国にまで砂糖の販路が拡大しているし、ヴェネツィアとしてはこれでポルトガルにとっての利益も確保しているという算段なのだろう。

 レモネードの時よりも、より直接的に『私のせい』と言えるかもしれない。が、前回のようにイエズス会は私の下にポルトガルの奴隷交易を押し留めるように陳情は来ていない。……まあ、私の立場や影響力が変わったというのはあるかもしれないが、何らかの変化が伴っていると判断した方が良いだろう。



 ――そして、1575年。

 そこでのオスマン帝国の動向の初報とは。


 ハフス朝チュニジアへのオスマン帝国軍派兵であった。



 いや……北アフリカは流石にノータッチなんだけど! そこの知識はマジで全然無いってば!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 1572年から75年といえば史実では信長と義昭の関係が破綻して幕府滅亡、信長包囲網の崩壊、武田の衰退なんかが立て続けに起きたなかなか濃い時期ですが、こっちの歴史ではどうなってるのか気になり…
[気になる点] クレオパトラってイスラム圏でも蔑称なんだろうか。 [一言] 完成しても無風でガレオン船じゃ利用しづらい上にイスラム圏通過なスエズ運河より、この時代ならクリッパー船の開発に資金をぶち込ん…
[一言] 2話前からのオスマン外交転回に、これレパント海戦も起きないだろうしオスマンのフリーハンドっぷりすごくなるな…内政に力入れつつもやろうと思えばロシアでもペルシャでも中東欧でもどこでも攻め得ると…
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