外伝31話 名誉ある和平
結局、副官暗殺と集団食中毒事件、そして私の暗殺計画を練っていた罪などで逮捕された人員は全員処刑ということになった。またその者らが領主を務めていたレイテ島の領地は親類縁者への継承は認めず直轄化という形で、ある意味では連座のような余波も生じた。処刑された領主5人のいずれも単独の村落を押さえていたのみなので、直轄化された領地自体は然程大きくは無い。またそれまでも継承の不備や統治責任の放棄、あるいは自主返納などで直轄地自体はモザイク状に分布しているために、外から見ればそこまで影響があった事件とは取られていない。本件も治めていた村落から逐電している点だけみれば、広義では『統治責任の放棄』ではあるからね。
ただし、フィリピン伯領の上層部としては一気に身を引き締める出来事であった。
今まで明確に私や指導者層に対して悪意でもって直接的行動に移った事例――それも上手く噛み合えれば成功していたかもしれない事件というのが無かったのである。
統治の不備で所領を失った領主は居た。けれども不備した時点では我々に悪意があったわけではないし、その後の暴発については警戒を重ねていたために事件まで発展していなかった。
あるいは、内心では我々に快い感情を抱いていない現地住民も間違いなく居るはず。しかしブール王国救援というかつての大義名分と、セブ攻略時の完勝。これが組織的な反乱活動を抑圧していた。
暴発するにしてもまさか高等教育機関の樹立がトリガーになるなど、誰にとっても想定外であった。とはいえここで対策を打ち出すのも難しい。というのも、カトリックへ改宗した領主を優遇すること自体は私達の施政方針として必要不可欠なことであり、不利益があったからといって非カトリック領主に補填を行おうとすれば、それは逆に異教徒への便宜付与へととられかねない。
そもそも自領内の異教徒領主という存在そのものを認めていること自体がスペイン貴族としては異例なのだ。実態が伴っていなくとも改宗させる方が筋であり、その意味合いで言えば政庁舎内部からも『全ての領主にカトリックへの改宗を義務付けた方が良いのでは』という声も挙がった。
だが逆に言えば今までの施政方針で宮廷からあれこれどうこうと不満を言われてはいない以上、従来の異教徒放任統治スタイルが許容はされている。それもこれもイエズス会の面々がフィリピン伯領の外で布教攻勢を強めていて、内部では聖アウグスチノ修道会が改宗に尽力して成果自体は上がっているからこそ、不用意に突っ込んで今の流れが壊れるくらいなら放置していた方がマシということなのだろうけれども。
だからこそ私が下した判断はアナの掌る軍事側で警備強化や、警察能力の強化という対症療法は行うものの、ここで抜本的な制度改革は行わないこととした。
また、1572年の新年。このタイミングで1つの転機が訪れた。ルソン王国の保護国化である。
今までフィリピン伯領の同盟国格として遇してきたルソン王国――実態は複数都市国家の連合体なのだが、そんな国家を名分上対等としていたのはひとえに明の海禁の除外指定をトンドが受けていたためである。
しかし昨年着任したアナによって3年間放置していた倭寇の問題がたった1ヶ月で急転降下する形で解決。そんな明らかに軍事面で強化された我がフィリピン伯領のことを、最も眼前で見ていたのがこのルソン王国であった。
既にその時点から一部の領主は私達との関係を強化する方向で動いていた。イエズス会が設立した『コレジオ・デ・サン・イルデフォンソ』に後の後継者と思しき子息を送り込んでいた都市国家らが居たのもその一環であるとのこと。
ただし目端は効いても、彼等は国人衆の連合体である。それぞれの領主の意見を調整し1つの方向にまとめるというのは容易ではない。それ故に、誰しもがフィリピン伯領との新たな関係を模索することを必要だと考えていながらも『保護国化』という結論を出すのに1年かかった。
まあ、ぶっちゃければ私の立場からすればその1年で何が変わるということでもないのだが、少なくとも我が領の軍務も内務も再編された後での地位改定という点は多少イディアケス補佐官辺りにはマイナス評価になるだろう。
またかつてブール王国が行った『臣従国』と、今回の『保護国』の違いは正直定義的な意味合いでの境界線は曖昧であるものの、両国間の取扱いについては明確に差異がある。
ブール王国は私の臣下でもある国家だ。だからこそ滅多に行使することはないにせよ内政に口を出したりもするし、外交はフィリピン伯領の一意の元に決定される。
一方でルソン王国が受け入れた保護国化とは、協定によって一部の権限が私達によって縛られることで庇護を受ける国家である。だからこそ外交権限は締結した協定の内容如何によって『制限』されるし、内政への口出しも『協定の遵守内で』行える。
かつてブール王国が臣従した際には、豊臣秀吉が毛利家や徳川家の従属を認めたのと同じようなものと言った。これに比してルソン王国が認めた保護国化とは、島津家が琉球王国へ掟十五条の遵守を求めて支配体制下に置こうとしたことに近い。
端的に言えば、ルソン王国はブール王国程には私達の行動に縛られない。協定によって縛られるということは逆に言えば協定外の内容は今まで通り独立国としての権限が保障されている。だからこそ、私達も臣従勢力程気を遣って彼等を防衛する義務は無いが、既に対等な同盟国であった段階で援軍出して主導権はこっちが完全に握っているためにその辺は今更な話でもある。
この辺りの細やかな差異が周辺諸国には分からずとも、少なくともルソン王国を以前より強く自国の影響下に置いたという部分は理解されるだろうし、もしかすれば『冊封』と解釈されているかもしれない。でも、これでようやく私達はフィリピンの中部だけではなく北部にも直接的に影響力を行使できるようになった。
なおアナが陥落させたルソン島のパンガシナンについては、住民自体はルソン王国の各領主が保護していたものの、肝心の元領主は死亡していて後継に揉めているということだったので、ルソン王国内部で泥沼の国人衆の言い争いの末に私達の直轄地として献上することが決定したらしい。代わりにルソン湾周辺を国際貿易港として地位保全することを対価として要求されたが、これくらいの寝技は愛嬌というものだろう。
*
新年ということで、例年通り新大陸からの交易船団も来ている。東南アジアの食糧危機は峠は越えたものの、予断を許さない状況が続いている。相も変わらず周辺諸国は鉱物資源を垂れ流して食糧を買い集めているわけで。
今年の船団は去年の緊急穀物輸入の折よりも、もっと多くの食糧を積んできてくれた。また銀貨も去年と同じくらい積まれていて、交易船団は拡大の一途を辿っている。
毎度毎度のことではあるが往路、復路と入れ替わるたびに隻数が増えていくのだから、私達もヌエバ・エスパーニャ領も太平洋でどれだけ造船しているのかという話である。
そして従来の情勢に関する報告も入ってきているので、私はアナとイディアケス補佐官とともに、それを開封する。まず、最初。
「……エグモント伯の宮廷出仕が決まりましたか」
ネーデルラント南部の反乱の際に、フランドル伯領知事を務めていたエグモント伯は、スペイン側であることを表明していたために反乱勢力によって拘束されていた。しかし2年前の時点で独立した『フランドル=ワロニア王国』は滅亡。
完全にアナに関するゴタゴタのせいで抜けていたが、助命嘆願をうちからも出していたエグモント伯の命は救われていたのか。
そして、如何に彼が悪くないとはいえ、彼の治世下においてフランドル伯領は反乱加担を行ってしまった。むしろそれを押し留めようとして拘束された立場なので充分に温情酌量の余地はあるものの、それでも失態は失態である。だからこそエグモント伯が知事から転任になることまでは想定していたが、まさか宮廷入りするとは思わなかった。
これについては、エグモント伯の解放時には本国に居たはずのアナが補足する。
「わたくしがマドリードに居る時から、エグモント伯の宮廷出仕に関する噂は囁かれておりましたわ。おそらくバランサーとしての手腕が期待されてのことでしょうね」
エグモント伯の功罪は私と似通っている。結局はネーデルラントの統治問題へと帰結するのだ。
彼の地域を室町幕府化して、総督と宰相の二元体制にしたからこそ、カルロス王太子の総督就任が悪手となった。しかし一方で北部ネーデルラントが団結し、なおかつプロテスタントでありながらスペイン支持を表明したのも宰相にネーデルラント重鎮のオラニエ公を据えたからである。その意味では功績もあるのだ。
彼を懲罰的にネーデルラントから切り離すのは必須。しかし、それはそれとしてどこかで功に報いる必要もある。まずそうした功罪の帳尻合わせの意味合いが1点。
また一方で、アナの亡くなった夫であるルイ・ゴメス侍従長の失脚もおそらくこの時点で確定していただろう。それは大貴族らに対する対抗馬として形成されていた寵臣グループの弱体化に繋がるために、新たな補填としてエグモント伯を入れたというフェリペ2世の目論見もあるだろう。
何せ、私が初期の初期――人質としてブリュッセルの屋敷に留め置かれていた頃合い、即ちフェリペ2世が国王では王子であった時代から、エグモント伯とフェリペ2世は面識があり、しかも結婚相手を探させるまで信頼していた人物である。エグモント伯のことをフェリペ2世はファーストネームで呼んでいることからも信任が厚いことは間違いない。
そしてエグモント伯自身は、亡きルイ・ゴメス侍従長と関わりがあったためにスライドさせる人員としては適任であったのだろう。とはいえ『侍従長』という役職そのものは欠番となる上に、エグモント伯自身は寵臣の一員ではないためにフェリペ2世は新体制の構築を狙っているともとれる。あるいは一挙両得を狙った意味での『バランサー』なのかもしれない。
しかしこれで分かったことは、私と宮廷の繋がりは今度はエグモント伯を通じることで維持されるということだ。どこまで私達に重きを置いているのか知る由も無いが、その辺りのことまで考えての宮廷出仕だとしたらやはりフェリペ2世、只者ではない。
そして更に話し込むうちに、アナから現在の宮廷の勢力図が説明される。
今、最も宮廷でフェリペ2世に頼りにされているのは、マテオ・バスケスやアントニオ・ペレスといった秘書官出身者とのこと。それまで頼りにされていた寵臣グループとの関係は良好であるものの別派閥であり、権勢が依然強く残る大貴族らとも異なる。
なお、マテオ・バスケスは今目の前に居るイディアケス補佐官の元・直属の上司であったりする。本来宮廷中枢に居てもおかしくない人材なんだよなこの補佐官。
その他に、私がパドヴァ大学で学位を授与されるときにフェリペ2世の名代で参加した柴田勝家タイプの中堅貴族・アルバ公だったり、アイルランド遠征時に同行してくれた聖職者でヨーロッパ随一の外交官であるアラス司教とかも有力者ではある。
しかし前者は軍指揮官として後者は外交官としての立場から、宮廷はおろかカスティリーヤ領内に留まることが少なく、相対的に宮中での影響力を伸ばし切ることが出来ていない。何というか絶妙なバランスだ。
そして、そんな稀代のバランス感覚を有する統治者であっても反乱が起きるのだから如何に治世というのが困難なものなのかを知らしめてくれる。
……あ、そうだ。反乱。
「そういえば、モリスコの反乱についてはどうなりましたか?」
斎藤龍興改め一色義棟を援軍として送り込んだ、グラナダ地域での元ムスリムの反乱。これには別の書類をまとめていたイディアケス補佐官が答える。
「はい、フィリピン伯様。報告に書かれた期日によれば昨年3月に、反乱軍の残党狩りも終了し勝利宣言が出されております。山間部に逃げ込んだ敗残兵との戦闘において我が領から送り込んだ『イッシキ殿』も、功を挙げたとのことです」
「……実際に軍功があるか否かについては怪しいところではありますわ。援軍ですから役に立たなかったとしても、立てておかないといけませんもの」
アナの辛辣な意見はひとまずスルーするとして、ついにスペインを襲い続けた立て続けの反乱劇はようやく終わったか。というか終わったからこそ、新大陸でウチに回せる食糧が増えたのかもしれない。そこは連動していそう。
「それで、一色義棟殿については……」
送り出した手前、彼の活躍が気になる。
「既に援軍としての挨拶と論功行賞で二度、フェリペ陛下と謁見は叶っております。また教皇猊下との謁見の場も計画なされているようで、報告のタイムラグを考慮致しますと、恐らく既にそれも執り行われた後かと」
取り敢えずは当初の想定通りだ。ここからどのように外交官として飛躍するのかは斎藤龍興の手腕にかかっている。まあ激励の手紙くらいは送ったとして罰は当たらないだろう。
「しかし、モリスコの反乱はよく鎮圧出来ましたね。あちらはどうもイスラームの諸外国の義勇軍が紛れ込んでいるという話でしたが、この敵方すれば絶好機に良く本隊が送り込まれる前によくぞ雌雄を決したと思います」
政治的パフォーマンスも兼ねて本国の用兵能力の高さを褒め称える。しかし、それに対して返ってきたイディアケスの答えは全く予想だにしないものであった。
「ああ、そのことなのですが……。
――ヴェネツィア共和国とオスマン帝国の間にて『名誉ある和平』が成立して、その和平条約の中にて『西地中海におけるスペインの主導的地位』をオスマンへ認めさせたとのことです。
それがあって、オスマンは急遽モリスコ救援の為の艦隊派兵を中止したとか――」
……はい!? 何それ聞いてない!