外伝30話 ダガミ
新体制となったフィリピン伯領の統治が全て順風満帆にいったわけではない。
少なくとも現地諸勢力から特段大きな騒動がこれまでに無かったのは、基本的に新たな支配者たるフィリピン伯が彼等の権力回りにおいてはほぼ何もせずに入植以前の統治体制をほぼ認めてくれた状態で、セブ島やルソン王国、ブール王国といった彼等にとっての『外の世界』で物事が循環していたためというのは大きい。
在地領主の視点から見れば、『フィリピン伯』という何だかよく分からない王みたいな存在を認めさえすれば、基本的にはこれまでの領主のように村落を治めることができたし、その王っぽいやつに適当に貢納して、その王の戦に適当に従軍していればよかった。そういう仕組みを私は作り上げた。
例外として領内におけるカトリック布教に関する特約を押し付けたものの、これも当時の私は知り得ないことであったが、南部のミンダナオ島や北部のルソン島においては、王の信奉する信仰を統治下に収めた勢力に広めるのは当然の行いであったとのこと。……その王とはスルタンであり、広めた宗教がイスラームな点はご愛嬌である。
しかしフィリピン中部の新たな『王』となった私は、布教の自由を認めるように言っただけで信仰の強制をしなかった。カトリックへ転向すれば様々な優遇措置は設けてはいたが、何も変わらなくてもそれまでと何ら変わらない生活を臣従していれば保障していたし、大多数の領主はセブ島攻略作戦以後の臣従――即ち、現役指導者層の一斉退陣を要求したために、現行の領主は新世代組であったことも寄与した。
新体制で臨んだ領地のうち、上層部の若返りからフレッシュさを取り戻し新しい外来思想を積極的に取り入れるパターンもある。だがその一方で、それまで領主ではない人間が新たに領主の座に就いたということは、特段何かをしなくても以前よりも立場も個人的な収入も増加したことになり、それであれば今の権益を利確しわざわざリスクのある行動を取る必要は無いと判断する者がいてもおかしくはないだろう。ましてやそれらを統治する私は、そうした消極的な支持ですらも評価していたつもりなのだから。
しかし統治開始7年目にして、明らかにこれまでとは異なる方針が打ち出された。軍制改革にて任意という名の兵力の供出協力体制は無くなり、新たに現地民兵で編制された第二軍に再編されることになった。これについて私達は軍権の剥奪という反発を恐れていたが、一方でその危惧された反対運動は小さかった。
そもそも『周辺領主が勝手に兵を出していたからそれに合わせていただけ』というのが大半で、安定を求める領主はこれ以上の栄典を求めていなかった……いや、今の『領主』という立場よりも上、というものを想定すらしていなかったようである。だからこそ軍を出す義務が無くなったことで、より引き籠れると安堵する者も多かったのだ。しかも領内の血気盛んな連中は、その新たに募集された軍機構に参画しようと村を出ていくのだから統治は更に円滑化するという副次効果も生んでいる。こうなれば安定を求める領主は動かない。
逆に、フィリピン伯領内部の動きをつぶさに見つめていた領主――つまり、勝手働きで陣借りを積極的に行って目立とうとしていた彼等は、新しい第二軍構想の士官募集に飛びついた。別に軍に入るからといって領主権限を剥奪されるわけでもないのだから、軍功を稼ぐ場を明確に与えられたという気持ちになったのであろうし、事実アナはそれを狙ってこのシステムを組み上げていた。
という流れで意外にもアナの軍権掌握について、これを在地勢力で問題視した勢力は少なかったのである。いや、正確に言うのであれば、これまで下士官層を担っていた副業アルバイト勢の中の腕っぷしに自信のある者、あるいはこれまで相対的に見れば軍事に知見のあったコンキスタドール末裔や初期入植者といった数少ない定住者という古参といった面々が、アナの連れてきた騎士団と本国水兵によって軒並み陳腐化している。だが、これらの不満勢力はスペイン人勢力であり、アナとしては反旗を翻されたところで彼等の兵力数も練度も劣るので脅威とみなしていなかったし、実際不満勢力側も実力差については理解していたので、不満はあれど軍事蜂起に至らなかったのである。
かくして、平穏は保たれたのである……軍制改革による影響は。
しかし問題は、別のところから生じた。
「……レイテ島にて一部領主が反乱、ですか?」
「ええ、既に軍部は第一軍と独立水軍を率いて現地とセブ島の哨戒にあたっています」
初報を聞くと反乱の規模自体は十数名程度で全く大きくないが、4名ないしは5名の領主とその支持者によって企図されたものだということ。領主の人数に振れ幅があるのは、村落から逃亡して船を奪い海上に姿をくらましたのと、確実に潜伏勢力に合流したのが4名で残りの1人は同じタイミングで行方不明になっているということ。
正直初動の段階で精微な情報が届きすぎているが、これには絡繰りがあって反乱軍は住民の賛同を得られておらず、支持者だけで逃亡したことで住民側と私達が連携出来ている点にある。この時点では、船を使って統治の及ばない地域に逃げたのだろうとアナやイディアケス補佐官ですら考えた。
――それから3日後の未明、セブ島北部の農業地帯にてスペイン人入植者が殺害されるという事件が起きるまでは。
この報告を持ってきたのは憔悴したフランシスコ・デ・サンデであった。
「死亡したのは、ペドロ・デ・アラナ。……私の副官の1人です。
彼が北部の熱帯雨林に程近い入植地を視察しているときに、狙撃されました。死因は毒による中毒死――吹き矢です」
……ここにきて吹き矢のサンピタンか。そして犯人は捕まっていない。何故かと言うと、狙撃された当初現地のスペイン人職員らは追撃をしようとしたが『遮蔽の多い熱帯雨林内部で対策も無しにサンピタンを相手取るのは自殺行為』と現地スタッフに諭され断念したとのこと。アナは直ちに、その熱帯雨林に兵を派遣し現地人士官候補生からアドバイスをもらいながら山狩りをしているが、敵の野営地など潜伏を証明する痕跡はいくつか見つかっているが、人の発見には至っていないとのこと。
ただし、そこから事態はほとんど進展しなかった。念のため逃亡した領主らが元の村落に戻る可能性も考慮して住民と協力して連絡班を設置したものの、これは功を奏せず。事がセブ島内での暗殺事件なので、私はほぼ屋敷と政庁舎から身動きが取れなくなり、護衛兵が常時付く羽目に。
また、ブール王国の国王となったダトゥ・シカツナに対しても対策チームの派遣を要請し、彼等からも対吹き矢戦術について学ぶことになる。
それと並行してセブ島内の大規模な探索も行われ、セブ島内の非直轄地である領主も積極的に協力してくれたが、見つからずにずるずると数ヶ月が経過して年末にまでもつれ込む。
契機となったのは年末で繁忙期を迎えていた酒場において死者3名を出す集団食中毒事件。これの捜査を政庁舎が進めていると、死者の中毒症状がペドロ・デ・アラナの殺害に用いられた毒の症状と一致。
ジョゼ・デ・アンシエタの医療チームが逃亡領主を出した村落の住民と協力する形で毒物の特定は既に行っていて、その毒の判別方法も地元祈祷師の助言で発覚、それを食中毒を出した酒場の食べ物と飲み物に洗いざらい試してみたところ、複数のワインから同じ毒物が検出され、それらが共通していたのは同じワインセラーから搬入したものであると店主が主張したことにより事態は急転する。
結局、そのワインセラーの職員の中に犯行グループの一味が紛れ込んでおり、審問の結果犯行グループの潜伏地が割り出されて一網打尽となり、領主層5名と支持者の大多数は逮捕し事実上壊滅状態に追い込んだことで解決した。
ただのテロ事件とも言える一連の騒動であったが、彼等を指揮していた領主の中でもリーダー格を務めていたダガミという男は、住民反乱の煽動をするために意図的に政庁舎の重臣やフィリピン伯である私を狙おうとしていたことを認める。……確かに、年末の時期にワイン狙い撃ちという着眼点は末恐ろしいものを感じた。
……うん。
毒殺を企図されるのは継母以来ではあったけれども、明確な悪意にはやっぱり慣れない。
捕まったことで心が折れたのか、犯人は犯行の動機まで自供してくれた。私は流石に事情聴取の場まで赴こうとは思わなかったが、それでも報告に目は通した。そして、それは予想外であった。
犯行の動機は、『コレジオ・デ・サン・イルデフォンソ』に関連していたのである。
*
『コレジオ・デ・サン・イルデフォンソ』が我が領唯一の高等教育機関であると同時にイエズス会の神学校である。如何に政庁舎職員や軍事指揮官と、聖職者を目指すコースが分離されているとは言っても、カトリック信徒の為の学校であることは変わらない。
この学校の開設以後、領内の有力者子息が進学を希望するようになったが、基本的にそれをフィリピン伯領として強制はしておらず、あくまで行くか行かないかは自由である。それはこの学校が高等教育機関であり、スペイン語での教育を前提としていることからも明らかな通り、そもそも領主子息全員がその入学要件を満たせないからである。
だから設立当初は全く興味を示さない領主も居た。ダガミという男もそちらであった。別に領主として統治するだけであれば行政官や指揮官としての地位は必要ないし、それを私達も尊重していたためである。
ただ、学校が整備され子息が入学するようになると明確に変わったことが1つあった。親元を離して学校に通わせるという行為は、親が心配するようになったのである。しかも公式には人質でも何でもなく、面会を希望すれば会えるし授業が無い日は外出だってできる。
人質だとしたら家族も割り切っただろうが、いつでも会っていいですよと言われてしまえば、何が起こるのか。
領主層が地元の村落以外にセブに別邸を構えて、一時的に子供の元に顔合わせしにくるようになるのである。海上交易路で繋がっている以上、セブは彼等にとってそこまで遠くない。……統治に支障が出るような遠隔地はそもそも私達は押さえてないから当然なんだけど。
しかも、丁度タイミング良くマクタン島の宅地開発も行われている。その上、セブの住宅地とは基本は賃貸物件で長期滞在を目的としていない。また数ヶ月単位で宿泊できる施設もある。これらは定住者が少ない我が領ならではのことであった。
だから自身の子供の様子を見に行くのに、宿を借りれば事足りるのだ。あるいは家の賃貸契約を行い、村落とセブの家の往復だって出来る。
そういう流れで今までに無かった『領主層のセブ滞在』という事例が生じた。これが同時多発的に発生したのだ。我々が全く予想をしない形で、子がコレジオに通う親同士で情報交換の場ができ、いわば保護者会的な領主のインナーサークルが誕生したのである。しかも、学内にはブール王国やルソン王国の同盟国の存在もある訳で。
かくして、コレジオ制定後からそこに通う領主家族とそうでない者らの間に隔絶的な情報格差が生み出されることになってしまった。なまじ『お上』に縛られないフリーダムな参勤交代制となってしまったが故の弊害であった。
そして、この問題はコレジオがイエズス会の神学校であることで、カトリックと非カトリック領主との待遇格差として顕在化する。今までもカトリック優遇策は取ってきていたものの、草の根の繋がりというのは政策的な優遇とは比べ物にならないくらい不公平さを析出した。
勿論、これまで通り領地を統治出来れば現状維持派の領主はそれで良い。
だが、少なからずのカトリック転向者の領主が徒党を組むように急速に連携を深めている事実を知ったとき、果たして領主らは自身の領土を侵犯されないと思うだろうか。あるいは、これまでの非カトリックに対する放任政策がカトリック転向者らの声によって覆される懸念は無いのだろうか。
――何せ、転向した領主は更なる利益と権力を求めて宗教を変えた者らだ。自身の領土を切り分けることくらい企むであろう……と、そうダガミは考えたらしい。
反乱と呼ぶべき規模では無かったが、面と向かっての蜂起ではなく潜伏して毒殺という手段を用いてくることはアナ率いる軍部にとっても、イディアケス率いる内務にとっても間隙を突かれた事態であった。
そして熱帯雨林を全部伐採などという大規模な公共事業が事実上不可能な以上は、これらの遊撃戦を取られると対処が極めて難しいということが分かる事例となったのである。