外伝27話 賜物【ギフト】
隻眼の麗人、アナ・デ・メンドサがやってきた。
そうしたら1ヶ月で倭寇のルソン王国北方占拠問題が解決した。
もう何が何やら……と混乱に苛まれていると、アナから少しゆっくり出来そうなので時間を取ってお話したいという申し出がルソンから戻ってきた直後にあった。これは渡りに船と、それを受けて私の家にて腰を落ち着けてアナとの対談へと向かうこととする。
「アナさんはどうしてこのフィリピンに……? というか宮廷で何があったのでしょうか……。いや、それよりも一体ルソンで何をして倭寇を撃退したのですか……」
なおアナの帰還にグレイスは付いてきておらず、残党狩りはグレイスに任せているようだ。それで戦後処理についてはイディアケス補佐官に放り投げたために、戦の後にも関わらずお互い話し合う時間を作りだせている。
アナは苦笑いしつつこう返す。
「……そんなに一気に聞かれても、答えられませんわ。1つずつ切り分けてくださいな。
そうですね、では賊の退治から先にお話ししましょうか――」
彼女が倭寇討伐に率いたのはガレオン船2隻の人員と、グレイス麾下の即応兵170。ガレオン船1隻の人員はかなり多く見積もっても100名程度。だから彼女が率いた兵の総数は400はまず超えない。対して倭寇残存戦力はグレイスの言に従えば最大800、倍近い兵力差があったにも関わらずこれを撃破して村落攻略戦まで行い追撃すらも敢行している。
「……実はあの2隻のガレオン船は、わたくしの私物となったものです。ですので乗組員は選抜しておりました。……あ、とは言っても領民や兵士の類ではなくて、一般公募で募った水兵ですわ。兵質としては並以下ですわね」
「だったら、どうして……」
「――ただし『本国においては』と但し書きが付きますわ。それに10名程度ですが『カラトラーバ騎士団』より下級騎士の融通は受けておりますので」
あー……、そういうことか。本国において二流、三流レベルの規律であったとしても、それはあくまで本国での話。本国で食いはぐれて新大陸で心機一転を企んだ連中がそこでも除け者となったような輩がフィリピン伯領内のスペイン人領民である。
本国の水兵募集に飛びつく者よりも遥かに質が悪いのだ。
そして200名程度の部隊には下士官がしっかりと付いていた。『カラトラーバ騎士団』は確かルイ・ゴメス侍従長が管長を務めていたはず。ウチの軍隊でやっていた足軽大将クラスが副業アルバイトの兵士募集でやってくる者の中でも目ぼしい人を叩き上げで抜擢しているだけなのに対して、アナの下士官は騎士団で正規の軍事教育を受けた人員だ。あらかじめ部隊の指揮統率に関して学んでいる面々なのだから、そりゃ兵士と下士官の区別すらも何となくで抜擢している我々とは文字通り格が違うのである。
内情としては、私がアイルランドへの救援作戦へ赴いた際のグレイスの住んでいた城に入れた軍勢と似通った陣容なのである。
そしてどのような手立てを用いたのか、アナは報告をするように淡々と告げる。
「実際わたくしがやったことと言えば、平原で防御陣形を固めるのを命じたことくらいですわよ。
とはいえ、それだけでは兵力に勝る賊らも打って出てこなかったようなので、再度今度は砲撃の届く距離まで接近して陣を張り直し、集落に対して砲を撃つことで野戦となりましたが」
そして反撃してきた倭寇の軍勢と銃で撃ち合いをした後に、士気崩壊の根競べに負けた倭寇サイドは敗走する。とはいえ既に後背地であった集落の眼前で戦闘を行っていたために、そこからの敗走とはフィリピンからの逃亡を意味していた。
その戦い方は、紛れもなく以前にこのアナから聞いた教本通りのテルシオの戦闘方法である。勿論本場のテルシオと比較してしまえばアナの率いた兵も下士官として付いている騎士団員も数段劣る。
けれども、アナはフィリピンにおいて防御陣形との戦訓が存在しないことを見抜いていた。ヨーロッパではごくごく一般的な堅陣同士の撃ち合いは、精々私がセブ攻略戦の際に行った野戦築城と一方的な銃での蹂躙が似ても似つかない類似品という有様である。
しかし改めて考えてみれば林鳳率いる倭寇軍勢も随分と消極的であった。陣を張った兵力の劣る相手に攻勢を仕掛けることはなく、集落を襲われる段階に至って初めて反撃を試みるとはかなりの慎重派の将だ。
ああ、だからこそ。私達が3年間こちらから攻めなかったのにも関わらず、向こうも小競り合いで終始していたのか。
返す返すも、安宅神太郎も鉄砲と砲のみでやり合えば戦力は拮抗していると言っていたことが正しかったことが分かる。当時、それを実現不可能と断じたが、アナを安宅神太郎の進言と同じことを倭寇にとって未知の戦術と質の高い軍隊で行うことにより勝利を確実なものとした。
林鳳の数少ない勝機らしい勝機は、アナが一度平原で組んだ防御陣形を解き、パンガシナンへ移動中であった間隙での奇襲。マニラからパンガシナンまでは平野であれど距離がある。だから渡河の場面も数度あったはずなので、そこを狙えばということは後付けでは言えるものの、そもそも隠れる場所の少ない平野部が広がっているために奇襲は困難であろうし、未知の戦術を使ってくる相手にそこまでの判断を初見で出来る者は中々居ない。
「……あれ? ですが、防御陣形を取り砲を持ってきていたということは機動力に劣りますよね。水上に逃亡した倭寇をよく追撃出来ましたね?」
これも以前アナに聞いたことであった。堅陣と銃火器のセットは否応なしに機動力を損なう。陣を引き払うのだってすぐさま出来ることではないのだ。以前、アナはこれに対して輸送に水運を使う解決法を言っていたが、しかしこれは陸上にある戦場から船で逃げる相手に対しての追撃戦においては適用されない。
だからこそアナの率いた軍勢は敵の逃亡を追えないはずなのだ、本来は。
「あら、マルガレータさん早急ですわよ? 折角あなたからお借りしたグレイス・オマリー殿がまだ登場していないではないじゃないですか。
ええ、追撃はグレイス・オマリー殿にお任せいたしました。海上の別動隊を率いて頂いたのです……手漕ぎ船のね」
グレイスは陸戦でも海戦でも政争でも割と何でもできる。しかし、彼女は元はと言えばアイルランドの海賊のような領主家の出自。そしてそこで使われていた船はガレー船。
ボホール海海戦では本来の適正ではないガレオン船を使って、全く慣れぬ海域において移乗攻撃で敵船鹵獲の戦果挙げた彼女が、自身の本領を発揮できる手漕ぎ船を使ったらどうなるのか。
しかも、周辺海域はアルバイト水兵の熟練度向上のために幾度となく海域調査を行っており、その情報は地図作製の専門家たるアーノルドによって正確にまとめられている。
倭寇も海上戦闘のエキスパートだが、グレイスも五分以上。しかも保持している条件はグレイス優位で、しかも相手は敗走中ときたわけだ。
しかも敵が精強であればある程に、陸上戦の鉄砲撃ち合いによる泥沼の消耗戦を士気崩壊まで耐え抜くわけで、敗走時の兵力は減っているという有様。
そりゃ捕捉も出来るし、殲滅もするわけである。
勿論鉄砲の性能差や、火砲の射程といった技術的要素も見るべきではある。けれども、これは明らかに用兵による勝利であった。
「アナさんは、ここまでの指揮能力を一体どこで……?」
アナ・デ・メンドサが如何に大貴族に連なる出自であろうと、宮廷で丁々発止のやり取りをしていた夫を補佐していた優秀な補佐官の側面があろうと、軍備に詳しく武芸を嗜んでいるとしても、それと将器は別物である。
むしろ、侍従長という究極の事務職、文官職の妻であるからこそ彼女が戦場に出る機会があったのかが考えられない。
戦場指揮は水物であり、不測の事態が無数に起こり得るものだということは、私も数少ない経験の中でも嫌と思うほどには実感している。
「……あら? マルガレータさん、どうやら勘違いしているようですわね。
わたくしはマニラの要塞を司令部として、グレイス・オマリー殿から護衛戦力をお借りして連れて行った給仕とともに引き籠っていただけですよ」
「……へ?」
「わたくしが死亡したら賊討伐は失敗どころか、フィリピン伯領の軍事顧問の呼び出しからやり直しではなくて? それだけの立場を持ちながら最前線に立つわけないじゃないですか」
……確かに。
つまり最前線における精微な指揮についてはカラトラーバ騎士団員に丸投げだったのだ。水軍運用についても大局は示しつつも、実働はグレイスに放任。
やっていること自体は、開戦判断しかしない私とそう大差ないのである。
――ただ指示が的確なだけで。
「……私とアナさんの違いは、何なのでしょうか……」
それは自責というか答えを求めない独白に過ぎなかった。
しかしその言葉にアナは回答をする。
「武器の違いですわね。マルガレータさんの本領は交渉にあり、盤面ごと翻して時間を稼ぐのが得意な御方だとわたくしは見ております……ああ、勿論褒めておりますのよ?
ヨーロッパに住み続けていれば今頃その身体は土の下にあったはずであろうに、まさか10年前の段階で『フィリピン伯』という爵位を得て、そこまで逃げることで全てを有耶無耶にしているのですから。そんなの誰も予測できませんわ。
ですが交渉人という本分が、自身の配下に現地部族に友好国に……いずれともバランスを取ることに意識が向きすぎて……いえ、それらの折衝をマルガレータさんは交渉だけで成し遂げる才覚が確かにあったからこそ見えなかっただけですね。
わたくしであったら、今のように敵を殴って実力で黙らせ従わせれば良い、と考えてしまいますもの。これは適正が違うというだけのことですわ」
確かに私は武力に訴えて解決する手段をそれ程多く用いてこなかった。セブ攻略とボホール海海戦くらいだし、それらですら殆どなし崩し的であった。
そして確かに林鳳率いる倭寇を無力化することは出来なかったが、こうしてアナが来るまでルソン王国は一部族たりとも反目していないし、現地住民も政情不安に同調して反乱を起こしていない。更には部下も抜け駆けして独断専行で無断侵攻や無断撤退などはしていなかった。
アナの言葉は慰めに過ぎないだろう。けれども、私がしてきたことが必ずしも無意味ではないことを示唆してもいた。
そして『慰め』の言葉を貰ったことで1つ気付く。
「あれ? ……そういえばアナさんが此方に来たのって私の手紙の中身を見たからですよね? 手紙でやり取りしていたときよりも随分元気になっているようですが、この1年間……いえ頂いた手紙の内容的には1年半前ですか。
一体何があったのです?」
その質問をした瞬間、アナはフィリピンに来てから初めて表情を曇らせた。
「……そうですね、色々とありましたよ。本国から逃げ出したいと思うほどにはですわ。我が夫のルイ・ゴメスの公職追放まではお話していたかと思います。
――あの後、夫は亡くなりました」