外伝25話 無原罪の御宿り
斎藤龍興を見届けた後に、フィリピン・日本準管区長のオルガンティノよりお叱りの手紙が届いた。曰く、使節団派遣のような重大事を勝手に決めないで欲しい、といった趣旨の内容であった。
というのも、欧州を見聞させるということは布教政策にも影響を及ぼすことであるから、送るのであれば純粋にカトリックを信奉する者や、かねてより日本でカトリック布教に尽力してきた者から選抜したかったという訳である。
斎藤龍興自身も洗礼は受けていたものの、彼が熱心なカトリックと言えるかどうかは微妙だし、むしろ幕命の存在ありきで改宗しているようにも見える。だからこそ、彼が欧州で感じ考えたことが必ずしも日本の布教にプラスになるわけでもない。
私が元プロテスタントの転向者である以上、史実のようにイエズス会がプロテスタント勃興の事実をひた隠しにするのは難しいので、布教にはむしろそうした転向者でもカトリックの教えに目覚めた者が高位の地位に就いていることを強調する形で何とかしているようだが、それでも『モリスコの反乱』という内情が日本側に自動的に明かされることになったことについては賛否があるようだ。
特段フィリピン伯領として『モリスコの反乱』を隠している訳では無いが、積極的に周知してはいない。不用意にイスラームへの反感が高まったところで、南部にイスラーム勢力が集中しているフィリピンではデメリットしか無いし。しかもそのイスラーム王朝とは、最寄りだけでもブール王国のダトゥ・シカツナが『絶対戦いたくない』とまで公言しているミンダナオ島南部のマギンダナオ王国と、スールー海にて有力な海上戦力を有するスールー・スルタン国である。
マギンダナオ王国は首都を渓谷に定めて拡張志向は無いが山岳・熱帯雨林戦闘に長けるという相手にしたくないという気持ちも十二分に分かる難敵だ。イスラームを潰すとなると真っ先に槍玉に上がるのがおそらくこの2国でどちらも現状のフィリピン伯領――それどころか軍事組織が盤石となった場合でも勝ち切るのは相当に難しいであろうと思われる精兵揃いの現地住民勢力である。基本的にうちの軍隊は、火砲と鉄砲の火力で誤魔化しているだけの三線級の弱兵だし。
そしてそれ以上に問題であったのが、斎藤龍興の渡航の事実が明るみに出た際に、大友家や肥前の松浦・大村・有馬・波多・宇久家など南蛮交易で利益を上げていて領主や家臣の中にキリシタンが多く存在する家中から幕府やイエズス会に対して不満の陳情があったらしい。
曰く幕府の名代として派遣するのであれば、我等の方が古参のキリシタンなのだから適任であったのではないか、と。
大友も肥前領主らも博多鴻臚館の恩恵は大なり小なり受けている。直接的に参画しているのは商人らが主体であるものの、その商人に有形無形の圧力や影響力をかけることは武士でも出来るからだ。だからこそ、自身らが朝貢交易を取り仕切っているという自負があった。
……いや、その言い方は正確ではないか。領主や家老などの上の立場の人間であれば、博多鴻臚館やブール王国との朝貢の仕組みを正しく理解している。けれども、戦場では足軽大将として現場を差配するような下級武士、国人衆の一部といった面々は良くも悪くも地元に根付いている。
だからこそ大局的な視野に少々欠けるところがあり、それらの交易の仕組みなど理解せずにただ自らの知るロジックに当てはめる形で、勘合貿易の復活やら大内家の隆盛の再来やらと結び付けているわけで。
そしてその思い込みのまま此度の斎藤龍興の派遣を目すれば、九州のキリシタンによって盛り立てられているはずの交易にどうして美濃を追われた馬鹿殿が口を挟んでくるのか……という突き上げに転化するのである。
そんな愚かに見える彼等は優秀ではあるのだ。
だって斎藤龍興――名乗りは一色義棟の名前だけで『元美濃国主』という情報を一緒に仕入れては居るのだから。
ただ其処に、織田信長・竹中半兵衛という将がどういった者なのかという情報は欠落しており、ただ『領地を失った領主』という結果だけで語られる。
加えて彼等足軽大将らは自身の領地を失っていない。だから自分よりも格下――即ち無能。こういう論理でもって、しかもその無能が自身の利益を掠め取ろうしているのだから不満として析出するのである。その声が大きくなると最早上級家臣や大名でもそれを無視することが出来なくなるという訳で、形式上であっても不満の表明が出されるということである。
そして私はこれと似た問題を既に経験していた。
――エンコメンデーロである。
彼等エンコメンデーロも個々人としては、新天地で功績を挙げて現地住民を差配する権限を得たのだから極めて優秀であることには違いない。ただ凡百の者では歴史に名が残らないだけで一般人として見るのであればエリート層と言って差し支えない。
だが彼等エンコメンデーロの課した強制労働によって現地住民は塗炭の苦しみに遭い、新大陸の副王やアウディエンシア長官といった統治者が如何に統制を行うか苦心し、フェリペ2世ですら対処法に頭を悩まし、国内では知識人が彼等の課する過度な労役を交えて激しい論争になっていた。
そして、エンコメンデーロに寄り添っていたオアハカ侯爵も、彼等のことを考え世襲化というロジックでもって対処しようとしたものの、結局は現地エンコメンデーロの暴発による不完全な武装蜂起の詰め腹を切らされる形で新大陸追放処分という有様。
だったらエンコメンデーロなんか、はたまた侍大将にも成れぬ足軽大将など不要――と考え切り捨てる考えが出来るだろうし、私の立ち位置は事実その立場である。
しかし、私はそのエンコメンデーロの権勢と存在を全面的に否定したことで、フィリピンの統治においてエンコミエンダ制を導入することが不可能となった。
エンコミエンダ制は領地を分割せずにそこに住む領民の差配のみを委任する制度であり、エンコメンデーロの任命・罷免も領主とは異なり流動的に実行することが出来る。即ち統治においては小回りや応用性の高い利便性ある制度であり、しかも有事の際には彼等エンコメンデーロが現場指揮官として応急処置的に即応可能という軍組織としての側面も有していた。
そのいずれの機能も使えない私は、だからこそこのフィリピンの統治において、行政リソースの不足に悩まされたり、軍の確立に頭を悩ませているのである。
そして九州の地場国人の嘆願は大名すらも動かし、イエズス会をも悩ませ、私のところまで注意と叱責という形で現れるのだから、そうした地場エリート層というのは決して侮れるものではないのである。
*
雨季も終わりの11月。
セブとブール王国にて建設されていた2つの教会が当時に完成することとなった。
前者はサン・ペドロ要塞のすぐ傍に建てられた聖アウグスチノ修道会管轄のサント・ニーニョ教会。
後者はブール王国の二重首都の小島ではない方・タグビラランにて、ボホール海海戦後に提供された救護施設を改装したイエズス会所属の教会。こちらは『バクラヨン教会』と名付けられることとなった。
予想に反して、ルソン島のパンガシナンを占拠する林鳳率いる倭寇の軍団が南下してくることは無かった。
だが、その代わりと言っては何だがブール王国にて動きがあった。
現首脳部であるダトゥ・パグブアヤとダトゥ・ダイリサンの兄弟が退位を表明し、ダトゥ・シカツナが次期国王に就くことが正式に決定。その戴冠式が教会落成式とほぼ同じタイミングで行うことが明かされた。
……ついに、シカツナも国王か。私達との関わりはラジャ・トゥパスに送って拒絶されセブ攻略作戦が発動したときの交渉人としての立ち位置が最初であった。以後は客将としてセブ攻略に日本にテルナテ王国にと縦横無尽の活躍をみせてくれた。
元々ブール王国の後継者候補ではあったが、それでも功績が認められた形となる。王座に座るにあたっては、宰相位は返上し宰相は空位とするそうで。まあ、この枠は後継者育成用にでもすればと私が適当に設置したやつで、箔付け以上の意味合いは無いからね。
一応、私の立場としては臣従先の主となるので戴冠式には国賓として参加することとなる。ついでに、朝貢交易の名目上両属相手である日本からも名代は必要だが、それは此方に留まっている池永修理に依頼された。
戴冠式で私がしたことと言えば一言挨拶したのと、後は例の血の盟約――酒を注ぐ杯に血を数滴入れて飲み交わす儀式をシカツナとも行った。
既にブール王国とは血の盟約は交わされているものの『ダトゥ・シカツナとは特例措置』として私も認めた。もうしばらくはこの儀式もやっていなかった。セブ攻略作戦後に臣従してきた勢力とは血の盟約を結ばないことで差別化していたし。
それで戴冠式が一通り終わって、別室でシカツナと面会することとなった。表向きでは話せないことは色々とある。
どうしても一言言っておきたいことが戴冠式を通じて生じていたからである。
「……シカツナ。
貴方……結婚していたのですね」
「おや、フィリピン伯様。言っておりませんでしたか」
ダトゥ・シカツナにはアルバシーという名の妻が居た。というか既婚者だったのに、客将としてあれだけ自由に私達に付いてきていたのか。家族持ちの癖してフットワーク軽すぎでしょ。
ダトゥ・シカツナは続ける。
「妻はスペイン語を習得中ですので、公的な定型句を発するだけならともかく私的な相談事が出来る程には自由に扱うことが難しいです。
まあ、それはともかくとして。フィリピン伯様の御耳に入れておかねばならぬことが」
そのような言葉から切り出された密談の内容は、先王の1人であるダトゥ・パグブアヤの息子についてであった。
「パグブアヤ様の実子、ペドロ・マヌーク様は私の王位継承に伴い出身地域の領主の座は引き継がれますが、王位からは外れることとなります」
「へえ……いや、待ってくださいシカツナ。『ペドロ』と、そう名乗っているのかしら?」
「はい。お察しの通り、ペドロ・マヌーク様は既に洗礼を受けております」
フィリピンには姓という概念が希薄だ。『ダトゥ』やら『ラジャ』というのは領主等の身分称号の趣きが強い。強引に例えれば源氏とか平家とかそういうものであるわけだが、一方でフィリピンには家名という概念が薄い。
だからペドロ・マヌークと名乗る彼の『ペドロ』も『マヌーク』もおそらくどちらも名前であり姓ではない。ああ、『ペドロ』は洗礼名である可能性もあるか。
しかし先王の血縁者が改宗済みと来たか。それを私に伝える意味を考える。
「シカツナはまだ改宗していなかったですよね?」
「ええ、フィリピン伯様を宗主と仰ぎ見ることは認めても王位に就く私の改宗には、消極的な手合いも我が宮殿内部には多いです。今しばらく刻が必要となる旨はイエズス会士の方々にも相談しておりますが……」
「……カトリックの先王血縁者が居れば、私達の常識で言えば相続はそちらが既定路線に見えますね。その辺りの文化的差異を考慮して私がフィリピン伯領内部の『ペドロ・マヌーク』相続の声を抑えろってことですね」
そう告げれば無言で頷くシカツナ。
フィリピンにおける相続に血縁は必要不可欠な要素ではない。あるいは、倒したセブの領主であるラジャ・トゥパスのように先代の娘を娶ることで体制を強化することも稀では無いが、この例であってもラジャ・トゥパス自身には先代からの血縁関係はない。
しかし、それはフィリピンの理屈であり、スペイン人のロジックとは異なる。スペイン人というかヨーロッパ視点で見れば実子が居れば余程のことが無い限り相続が基本だ。
直系が不在なら傍系。姻族が相続するケースもあるにはあるが、シカツナのように庶子ですらなく無血縁者の相続というのはヨーロッパでは中々無い。精々元の家系よりも余程高位の血が流れるものが地位を降下させて収まるくらいだ。
それにスペインにおいて貴族は皆カトリックである。仮に北部ネーデルラントでは隠れプロテスタントの領主が潜んでいるとしても、建前はそうなのだから、臣従国の王にも同様の体制を求めるのが普通である。
だから、何もしなければ『ペドロ・マヌーク』相続の声は確実に挙がる。政庁舎レベルまで行けば私とダトゥ・シカツナの関係性を把握しているからこそ、その声は個々人の脳内で留まるが、私とシカツナが主と客将という間柄で主従関係にあったことを知らなければ反発する者も出てくるだろう。
なぜならフィリピン伯領は、定住する領民が少なく新大陸との交易で人口が増減しているのだから。新参者はそうした背後関係まで知らない。だからこそブール王国の中で『ペドロ・マヌーク』擁立の動きがあれば、それに何故同調しないのかと声を挙げ政庁舎に陳情する領民も出てくると見込まれる。
シカツナはその碌でもない未来予想図に溜め息を吐きつつこう述べる。
「ペドロ・マヌーク様自身は優秀な武人であり、しかもカトリックの教えに敬虔です。
……だからこそ、尚更その声は高まりやすいと言えるでしょう」
シカツナ自身が客将という立場を経て王位に就いただけに、ペドロ・マヌークの軍才を見込んで私の下に客将に送り込んでしまえば、彼の王位待望論が高まってしまうことを理解していた。
しかし、何処も家督相続に頭を悩ませており。――それは、フィリピンにあっても例外ではなかったということである。