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外伝23話 時の御仕合せ


 安宅神太郎がルソン王国において林鳳配下の日本人倭寇の引き抜きを行っていたのは半年間程度で、当地を去ったのも2年は昔のことになる。

 私が彼に手取り足取り何かを教えていたというわけではない。それでも幕府は安宅神太郎が私の子飼になることを恐れて帰還命令を出して明石城主という栄典でもって切り離した。


 そんな彼が幕府の中では真っ先に日本全国規模での兵糧不足の危険性に思い至ったというのは、私としても自分自身のことではないが少々鼻が高い。やっぱり関係者が活躍するのは嬉しいものだ。

 また彼の城主任命は私以外にも三好義継からの切り離しを企図していたと思うが、幕臣が介する場所で発言権を有していたという事実は、先の六角義治の討死によって次の第三極を三好家に担わせる派閥バランス取りの一環であろう。

 つまり三好義継に安宅神太郎を接近させることを足利義昭は容認したとも言える。節操がないようにも思えるが、この舵取りの妙こそが将軍には必須スキルなのだ。ミスると暗殺されるし。


 ともかく室町幕府が何故食糧を欲しているか、その理由は分かった。


 けれども。まだ分からないことはある。



「……それでどうして貴殿、一色義棟殿が私共の使者に選ばれたのでしょうか。

 私と面識のある方も幕臣には数名居りますし、何なら現在此方へ来ております池永修理殿に指示を送るのでも構わなかったかと存じますが……」


 何故、斎藤龍興を使者に指定したのか。これが見えてこない。その疑問に対して彼はあっさりと語る。


「ああ、それは。某が自ら志願した為ですね」


「……何ゆえに?」


「あいや、単純な話で御座います。このまま座して幕臣として過ごしていても美濃へ帰還することは叶わない――」


 斎藤龍興の最終的な目標は美濃国主の地位への返り咲きである。

 それは朝倉に身を寄せ、後に幕臣となっているこの世界でも変わらなかった。


 ただしその為には織田家を打倒しなければいけないが、副将軍に就いている織田信長は室町幕府にとって現状味方である。如何に丹後一色家経由で朝倉家の命脈が尽きつつあることを指摘されたからといって、普通は仇敵と協力関係にある勢力の臣下に収まることはないはず。

 にも関わらず斎藤龍興は現在、幕臣なのだ。それには理由がある。


 龍興は続けてこう話す。


「――だからこそ某は、早期の美濃奪還を諦め申した。

 それよりも、あの副将軍や憎き竹中めが随分と目にかけていた貴殿、白雪様に一度お目通りした方が……と愚考したまでです。

 何せ今の両名に、それは叶わぬことですからな」


 聞けば、墨俣一夜城をやられた当時の龍興は私の存在など知らなかったという。私のことを認知したのは、外交交渉で日本へと赴き朝廷工作を行っていた折。信長と半兵衛の動向には注視していたからこそ、朝倉領内に居ながらにして私のことが強く印象に残ったのだと付け加えてくれた。


 多分、彼を幕臣へと招いた誰もが予想だにしない申し出であっただろう。普通に考えれば美濃帰還を狙って幕府内で策謀すると思うはず。そういった意味では、美濃で織田信長相手に本拠を失陥しても尚、抗戦し続けた斎藤龍興の胆力と力量が垣間見える。


 既に、斎藤龍興は非凡の域に入っている。


 そして彼のフィリピン行きの申し出は誰にとっても予想外であったが、その一方で足利一門の一色家という家格は使者には充分であったし、幕臣らも斎藤龍興の身柄の確保はあくまでも信長に若狭攻めを是認させるための策でしかなく龍興自身を登用後にどうこうしようと考えておらず処遇が宙に浮いていた点もプラスに作用した。



 そこまで述べれば、龍興は自身の首にかけていたアクセサリーを私に見えるように取り出す。


 それは、十字架クロスであった。


「一色義棟殿。もしやカトリックへ改宗しているのでしょうか……?」


「ええ、京の南蛮寺にて宣教師の方々から洗礼を授かりました」


 私の知る歴史では斎藤龍興は改宗はしていなかった。とはいえ、カトリックに興味・関心を抱いていてフロイスやガスパル・ヴィレラらと面識があったのは事実だ。

 これが果たして龍興自身の歩んでいた道筋が変わったことにより起きた内的な変化なのか、あるいは一条兼定改め鷹司兼義を名乗るキリシタン公卿が朝廷内部に居ることなどによるキリスト教参入への障壁の低下という外的要因なのかは分からない。


 とはいえ、今回の食糧供給で更に現地に居るオルガンティノ、ヴァリニャーノを含むイエズス会には追い風にはなるだろう。活用してカトリックの布教は更に推し進められるかもしれない。

 布教については私はノータッチなのでそれはそれで構わないか。むしろスペイン政局的には政治的得点となるものだし。



 また食糧供給の成功は、今目の前に居る斎藤龍興にとっても政治的得点となる。彼が今後幕府内においてどういった動きをするのかは分からないが、果たして織田信長の対抗馬という立ち位置まで上り詰めることは出来るだろうか。

 その辺りも踏まえて、1つだけ彼に質問を投げかけることとした。


「……此度の『若狭武田攻め』から始まる一連の話ですが。

 最も利益を得たのは何処の勢力となるでしょうか?」


 戦の勝利によって名声を挙げた若狭武田か。それとも漁夫の利的に存在感を強めた織田か。第三極としての役割を期待された三好義継勢か。それとも結果的に奉書のばら撒きによってその権威を再確認できた足利義昭か。

 あるいは和睦を結び上洛の目途と進撃路の明確化を行った上杉謙信、武田信玄か。いやもしかしたら龍興は自分自身の名を挙げるかもしれない。


 私は大方そのような答えが出るかな、と予想していたものの、斎藤龍興は此処で才覚を見せつけてきたのである。



「……それは毛利に他ならないでしょう」




 *


 ……これも、再び毛利元就の謀略なのか。

 龍興に続きを促す。


「そも、兵糧購入の対価を何処から得ているか考えれば実に明瞭だと思いますが」


 それは石見銀。そして石見銀山を現在掌握しているのは毛利家である。

 だからこそ、兵糧の緊急輸入ということで支払代金として石見銀の貿易決済量が増えることとなる。


 体裁的にはブール王国と室町幕府の朝貢交易であるが、その日本サイドの実務は博多鴻臚館で行われる。そこには毛利の影響力の強い博多の豪商の神屋や、赤間関の代官・堀立直正が参画している以上、交易品を提供している毛利家の意志はどうしても強く反映されてしまう。



「兵糧提供が幕府における毛利家の影響力増大に繋がるわけですか……」


 それだけではない。

 銀山の銀生産高そのものが大きく向上はしていないだろう。生産性を上げるような試みはしていないはずだし。だからこそ石見銀の安定供給には毛利家の安定化が必要不可欠となる。末端はともかくとしても大名家レベルで言えば、今の毛利家は大友との和睦に連動させる形で周辺勢力全てから手出しが出来ないように謀略を巡らせていた。

 で、その和睦を主導したのが誰かと言えば、幕府となる訳で。


 だからこそ室町幕府が権威を見せつけるために東日本にまで食糧を行き渡らせようとするのであれば、毛利家安定に寄与する必要がある。


 うーん、これって毛利輝元への家督継承を踏まえているよねやっぱり。毛利元就の死去は私が知る限りでは来年に迫っている。

 彼の御仁――毛利元就は自身の死期すら謀略に組み込むのか。しかも全ては円滑な家督継承の為に、フィリピンの私達まで動かす前提の策略である。


 しかし、大友和睦の折には『尼子再興軍』を封殺するために、浦上家を宇喜多直家に乗っ取らせたのだから、それくらいはするか。



 ……いや。『尼子再興軍』……?


 若狭侵攻作戦に彼等も従軍していたはずだ。もし、六角家が若狭を取れば海路で出雲に尼子勢を送り込めることに毛利元就が気が付いていない訳が無い。


 六角家による若狭掌握は毛利の安定化にとっては極めて都合が悪い。だとすれば毛利元就は何らかの手を打つはずだ。例えば当初は織田家が反対していたのだから、そこを助長すれば良い。織田家が是認へと傾いたのは目の前の斎藤龍興の朝倉出奔がキーとなっているので、それを妨害するだけでも若狭への侵攻は大いに遅延しただろう。しかし、そういった謀略の姿は見えてこない。


 家督継承の為だけにフィリピンまで動かす老人が、まさか若狭には手を入れていない? 結果的に六角義治は狙撃して討死したからこそ侵攻は頓挫したものの、その偶然が無ければ、順当に推移すれば若狭は六角家の領国になっていただろ……う……?



 ――待て。


 六角義治の討死は本当に偶然・・なのか。



「一色義棟殿! 六角義治殿を狙撃した人物は分かっているのですか!?」


 私の突拍子の無い質問に彼は一時驚きつつも、平静を取り戻した後にこう告げた。


「……私が知る限りでは伝え聞いておりませぬな。軍勢が壊乱してしまったために大方探し切れなかったのでしょう」


 つまりは下手人は見つかっていない、と。

 この手の狙撃手が、只の賞金稼ぎであったり使い捨ての鉄砲玉であれば、恐らく見つかっていただろう。六角義治を殺したのであれば、それは紛れもなく自身の腕の証明なのだから、それを持って安全圏から名を挙げるなり、あるいは裏で仕事を受け続けるためにその素性が何処からか漏れるはずだ。


 しかし斎藤龍興は『伝え聞かない』と言った。即ち、目星すら付いていない可能性が高い。となれば、可能性としては個人や一度限りの契約関係ではない、雇われの狙撃手があり得る。

 問題は誰の紐付きなのか、ということだが、これについては敢えてこういった言い回しをしようか。


 六角義治は若狭を攻め落とそうとした理由の1つに、若狭からならば海路で出雲へと『尼子再興軍』を送り込めるということを考えていた。

 ……ならば、その逆。

 出雲から若狭も当然だが海路で繋がっているのである。



 となれば、この六角義治の段階で毛利元就は大方策を組み終えていると思われる。

 なれば残された問題はこの策略がどのタイミングで組まれたものであるか、だ。


 若狭に浸透していたことを踏まえれば、若狭侵攻軍が編成されるよりも前から準備は重ねていただろう。

 では、斎藤龍興の朝倉出奔の頃合いはどうか? しかし、これにはどうも毛利の仕掛けが見えてこない。

 もっと前。即ち御前沙汰において六角と織田の意見が割れたタイミング?



 そうして、1つ1つ斎藤龍興の話を振り返っていくと、行きつく先があった。



 足利義昭に陳情を行った一色昭辰。彼は私が知る歴史でも確かに幕府奉公衆であった。


 ――それと、同時に一色家中における毛利家との交渉窓口であった。



 ということは。

 私は悪寒を感じつつも、それを認めなければならなかった。

 これら一連の幕府の若狭を巡る騒動は、毛利元就によって最初から引き起こされている。


 多分、最初からフィリピン伯領と結び付けることは考えていなかったとは思う。しかし、策の軌道修正を重ねるうちに今の形に落ち着いたのではなかろうか。

 全ては家督継承の為。だからこそ、前の大友との講和劇からの一条兼定朝廷出仕の時と同じく、私に対しての敵対意図は無い。


 しかし、ここまでやってのけるのか……。

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― 新着の感想 ―
[一言] うーん、なんなのこの安定の謀神ぶり… 元就さん怖すぎる。 いろんなとこに糸を張り巡らしておいて、 状況がこう動いたからこの糸とこの糸を引っ張ればいいかなみたいな感じでしょうか。
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