外伝20話 1570年危機
フェリペ2世とは稀代の天才である。
国内政局の動向を掌握しつつ、しかもそれを国際政治の場に転化する天才だ。
フェリペ2世は、織田信長のように対外勢力への対処の優先順位を間違えない。だからこそモリスコの反乱という自分の領内がイスラームに燃えている最中であっても、南部ネーデルラントでの反乱を背後に居たポルトガル関係者の断罪を棚上げにせず同時並行で行う手腕をみせている。
フェリペ2世は、老年の徳川家康のように『待ち』の選択が出来る指導者だ。国王就任以前からカトリックによる欧州統合を掲げていながらも、利があると見れば私のネーデルラント政策の献策を承認したし、モリスコの反乱についても彼等と交わした『40年』という融和策約定は先王からの引継ぎであったとしても、明確に主敵とすることを決定していたのにも関わらず履行している。
フェリペ2世は、豊臣秀吉のように人たらしである。彼がそれらの器量を発揮するために、徹底的に抑えているのは命令の伝達ルート。作戦立案プロセスと実務遂行に関しては、然りと部下を頼っている。命令権限と報告義務に『秘書局』を使い、その秘書局から上がってくる情報を精査する部門を設けなかったこと、何よりそれだけの大量の情報を事務決済出来る能力こそがフェリペ2世を黄金期の主君たらしめた。
だからこそフェリペ2世は間違えない。
我等スペインの王の国内統治術の神髄は勢力均衡にこそある。1人の人物や特定の部局に権力が集中することはあってはならない。そこだけを切り取れば大大名の台頭を許さない足利将軍家に近しいものがあるが、しかしフェリペ2世は『太陽の沈まない国』の運営には必要不可欠かつ唯一無二の存在であった。
三好政権が三好長慶亡くして成り立たなかったように。
としたときに、ルイ・ゴメス・デ・シルバ侍従長の働きを振り返る。
元々彼は侍従長という宮廷の寵臣でありながら大貴族の権勢に対抗するために、そして今まで機能していなかった財政諮問会議の是正のため、財務長官職に就いていた。これにネーデルラント政策の実務者という側面が付加されるが、アントウェルペンの商人から矢銭徴収するという財政対策でもあった上に、そもそも侍従長とエグモント伯は個人的な友人関係でもあったことでこの時点では大してルイ・ゴメスの権勢は強まっていなかった。
ただし、私がエグモント伯を動かしてネーデルラントの統治機構を室町幕府したことで、エグモント伯はフランドルの代官という立場からネーデルラントの新統治政策の実務者に変質していた。そしてその宮中ネットワークとして連絡役を担っていたのがルイ・ゴメスという訳である。
この状況下において侍従長とセイノス長官との繋がりを私は作った。それはポルトガル併合に向けた一手ではあったものの、しかしポルトガル貴族に浸透しコネクション作るのみならず、新大陸との窓口を侍従長は手に入れた。
そして、私自身の宮廷奏請ルート。イエズス会士のミケーレ・ルッジェーリや、イディアケス補佐官といった別口の経路もある訳だが、私が素直にカスティリーヤ宮廷に向けて送る情報の大多数は、セイノス長官の手に渡る訳で、更に大西洋を横断する過程で重要なものは担当官の他にルイ・ゴメスも知ることになる。
去年の連絡船の段階ではルイ・ゴメスの進退に関する情報は無く、今年になって解任が発覚したということは、1568年の春以降から1569年の春までの間にヨーロッパで発生した出来事、ないしは届いた報告が重要となる。
私が日本とブール王国との朝貢関係を結んだのが1567年2月でこの情報はおそらく同年の秋には本国に届いている。だから、ここではない。
私がテルナテ王国との交渉に赴く旨を伝えたのが1567年9月、季節外れの船を無理やり送り出したが、本国に届くのは1568年の初頭だ。だからテルナテ王国に行くことそのものが問題であったわけでは無さそうである。
となると、実際にテルナテ王国と不可侵条約と貿易協定を結んだ1568年2月――ここだ。同時期に何が起こったのかと言えばアチェ王国とテルナテ共同のマラッカ侵攻だ。
この情報がもたらされるのが1568年の秋、既にカルロス王太子は戦死し『フランドル=ワロニア王国』が滅亡しており、王妃のエリザベート・ド・ヴァロワが死の瀬戸際にあり、モリスコが反乱を起こす前。
タイミングとしておそらくその時にルイ・ゴメス侍従長の一部公職剥奪となったのであろう。
即ち、フェリペ2世の判断としてはマラッカ侵攻の成否を問わずしてもテルナテ王国の香辛料交易がスペイン側に決定的なまでに傾くことを理解して、現在石見銀を基幹とするフィリピン伯領を中心とした国際経済ネットワークの樹立を予期していた。
だからこそ、ルイ・ゴメス―セイノス長官―私で接続されていた宮廷影響力ルートを寸断することに決めたのであろう。侍従長への権力集中が看過できなくなったということだ。
その判断を傅役であるとともに幼馴染でもある侍従長相手にも行えるのだから、その政治的なバランス感覚はとんでもない。そして身分剥奪とはいえ侍従長と貴族爵位は残している以上、今までの政治的影響力は取り払う一方で身の回りの世話役としての立場は解任しておらず、ある意味では本来の『侍従』という立ち位置に戻ったとも言える。
……けれども、うん。妻であるアナの立場からすれば、友人でもあった王妃の死去と先行き不安が重なった結果、手紙の中では悲観的な言葉を多少は漏らしていた。まあ、無理もない。大貴族の縁戚とはいえ、立て続けに不幸なことが重なれば心配にもなる。
去年も元気づけるような手紙を送ったと記憶しているが、今年もそれと似たような内容になりそうだ。……あ、内容の差別化のために冗談めかしくいざとなったらフィリピンまで来ればいいと書いておこう。
*
結局、軍事指揮官については本国からの返答は無かったので解決は来年以降となるのが確定した。
イディアケス補佐官による暫定的措置がもう1年は継続することとなる。ということは、ルソン島北部の倭寇鎮圧も恐らく先延ばしになるだろう。
乾季も佳境に入ってきた4月になったが、外交的には取り立てて大きな動きは無かった。
一方で内務を掌る政庁舎の面々の上意下達は年を経るごとに洗練されてきている。であればシビリアンコントロールよろしく文官に軍務をコントロールしてもらえば良いと言えばそれはそうだが、既に強大な統治権限を有する政庁舎に軍権を渡してしまうのは権力集中が過ぎるわけで。イディアケス補佐官が暫定指揮官として君臨できているのは政庁舎の業務の代行も出来得る人材ではあるものの、根本的に『宮廷』の人間であるというのが総意であり、政庁舎の面々が補佐官を同輩であると認識していない点に尽きる。
というか既に宮廷へ新たな人材を要請している現状で、無理やりに軍制を整えて「やっぱり指揮官要りません」みたいな対応をしてしまえば心証は大きく悪化するだろう。
状況に即した相互のやり取りが困難という意味では遠隔地統治のペナルティは当然ながら大きい。その遠さによってネーデルラントの反乱やモリスコの反乱などのとばっちりでの連座からは辛うじて免れているけれども。
ちなみに、政庁舎に委任していたセブ島北部への農地拡大と港湾新造については順調に進んでおり、港は既に機能し農地も逐次拡大しつつある。それとセブ島中心部にほど近いマクタン島の宅地開発も進んでおり、簡易の教会やら修道会が保有する病院などの社会インフラも同地に既に進出済みだ。
農地拡大は流石に一朝一夕とはいかない。墾田永年私財法よろしく開墾地は私有地にして良いってするのが一番手っ取り早いし信頼と実績の手法なのだけれども、それってつまりエンコメンデーロになるから伯爵領という体裁の公地公民制を崩す訳にはいかないのである。まあ修道院領という名の荘園の存在はスルーなのですが。
ついでに言えば政庁舎周りがある程度整ってきたとはいえ、税制に関しての脆弱性を抱えているがために、賦役などの運用も実は難しかったり。語弊を承知で例えれば、初期の統治機構が一向一揆レベルの刹那的なものでまともに税すら取れなかったのが政庁舎の成熟によってようやく海賊衆レベルの水準にまで押しあがったと思ってもらえれば幾分分かりやすいだろうか。即ち、武士ですらない。
まあ、この地に根付いてからまだ7年なのだからよくやっている方だと思うし、曲がりなりにも新大陸からの援助に対して香辛料や明の絹製品という支払いが出来ているのだからかなり頑張っているとは思う。新大陸じゃ半世紀もまともに人頭税取れてないって話だったし。
7年ではどうにもならないこともあるのだ。
「フィリピン伯様! 先程セブの港湾に新たな外交使節が到着したとの一報が入りました。先方はサン・ペドロ要塞の見学を申し出て現在要塞にて待機しておりますが、どうなさいますか?」
――うん。今、分かった。統治が上手く行かない理由。
次から次へと予測不可能な事態が起こり過ぎなんだよね、この領地。
*
新たな外交使節とは言っても、それは幕府からの使者だった。
堺の商人・池永修理がまだこちらに常駐してはいるのにも関わらず新しい使者が私に面会を要求というのは少々不気味なものを感じざるを得ない。会う前に家紋チェックを配下にさせたら、そのあやふやな説明から何とか『丸に二つ引』であることは分かった。
……いや、足利氏一門じゃ該当者が多すぎる。というかもしかしたらただ幕府の使者だから足利家の家紋を身に付けている可能性すら出てきた。
まるで役に立たない家紋のことは頭の片隅において、結局ぶっつけ本番で会うしかない。まあいつも通りだ。
というわけで、サン・ペドロ要塞へと向かい、既に応接室で待っていた幕府の使者とやらに会う。するとこちらから何も言わなくても向こうから名乗りだした。
「某、幕臣の一色義棟と申しまする」
……一色義棟? ああ、こちらの名の方が通りは良いだろう。
――斎藤龍興。
えっ、なんで幕臣に居るの彼。
この時期だと本来は三好三人衆方だっけ……って!
墨俣一夜城利害関係者じゃん、龍興。竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り――それを奪還したまさにその日に墨俣一夜城は秀吉の手によって建てられた。
その芸術的なタイミングに墨俣へ兵を出したのは良いものの斎藤勢は敗退。そして、その打たれ弱さに着目した織田信長によって追撃が敢行され落としたばかりの稲葉山城は今度は織田方に奪われるという顛末を喰らった張本人である。
織田信長に一夜城というアイデアを授けたのが私ということになってしまっているから、絶対に口に出せないが客観視したら滅茶苦茶可哀想なことになってる。
「……一色義棟殿ですね。色々とお伺いしたい話もありますが、まずは用件から先にお聞きしましょう。募る話はまた後日ということで」
「ええ、承知いたしました白雪様。某も是非貴殿と語らいたいと思うておりました。
それで幕府からの要望なのですが。
……実は。食糧を支援して頂きたく。無論銀でお支払いする故に融通頂ければ、と」
「……そ、そういうことでしたか。であれば、幾ばくかごゆるりとお待ちください。担当者と早速協議を行いますので、数日中には結果が出るかと思います」
何とかこれだけの言葉を紡ぎ退席出来たのは、我ながらよくやったと思う。
そしてその足で直ちに政庁舎へと向かい何事かと此方を見やる職員たちに向かって私はこう命令した。
「すぐにイディアケス補佐官に帰投命令を出しなさい! それに、イエズス会とフランシスコ修道会の面々にも協力を要請してください! 予測していた極めて重篤な事態が起ころうとしております」
「……フィリピン伯様? 確か本日の御公務は、外交使節との面会でしたよね? 一体何をお聞きしたのでしょうか」
誰ともつかぬその声に対して私は一呼吸おいてからこう返した。
「……日本からの食糧支援要請でした。使者の家格はそうですね……王から統治を委託された代理人、副王の傍流の分家にあたる者を出してきていますから、恐らく相応には本気です。言うまでもなく今までの此方を尋ねてきた使者では最高位です」
「それは、つまり――」
「はい。恐らく日本はかなりの確率で飢饉が発生中、ないしはこれから発生します。そして似通った時期に大規模な戦役を行っていた東南アジア諸国も同様に飢餓に瀕する可能性があります」
――この斎藤龍興の使者のすぐ後に、マカオからも食糧の支援要請が届き。
次いで、今まで碌に国交すら無かったアチェ王国、ジョホール王国、タイのアユタヤ王朝、ミャンマーのタウングー王朝などからも同様の使者が続々とやってきたのである。
恐れていた事態。
東アジア・東南アジア地域での食糧同時不足が勃発した瞬間であった。