外伝19話 世界で最悪の悪党
――モリスコの反乱。
スペイン本国における元イスラーム勢力の蜂起。
それは即ち『カトリック改宗者』による反乱であった。
つまり、プロテスタントからの『カトリック改宗者』である私に波及する危険性のあるものだ。異端と異教の違いはあれど、その対応策に関しては関連性はあるはず。だからこそ私としてはこの動静に着目せねばならない。
まず、経緯についてミケーレ・ルッジェーリより説明を受ける。
「レコンキスタの完了――即ちナスル朝グラナダ王国の滅亡後の戦後処理過程において、当時のカスティリーヤ宮廷は幾度となく残留イスラーム勢力に改宗の通牒を送っております。まあ、細かいことは色々とありますが肝要なのは1526年の『新キリスト教徒に関する勅令』ですね」
残留イスラームはカトリック一色かと思われたスペインの中で上手く立ち回り、ナバラやアラゴンといったスペイン同君連合の諸国に浸透する形でカスティリーヤの追及を逃れていたものの、この1526年の措置で『改宗か追放か』という厳しい措置を取られることとなる。
「でも、それであれば何故モリスコという立場の者らがスペインに今なお残っているのですか?」
その私の疑問にルッジェーリはこう返す。
「モリスコらは、その1526年の決定を確かに受け入れました。
――8万ドゥカートという多額の献金を宮廷に行いその施行を『40年間』遅らせるという合意の下で、という註釈が付きますが」
法の制定は認める。だが、それをいつ施行するかは交渉の余地があると当時のイスラームは考えたわけだ。
これを政治的寝技と考えるか、それとも切り札を切ったと考えるかは議論が分かれるところだろう。ともかく、これによりスペイン在住イスラーム勢力は公式には『カトリック改宗者』として扱われることとなるが、キリスト教の布教実績に関してはほぼ無に等しく、彼等に教え導くはずの司祭ですらミサに来ないモリスコを罰し、ただ聖書の内容をそらんじるだけに過ぎなかった。
だからこそ隠れキリシタンならぬ『隠れイスラーム』が容易な土壌が整っていたとも言える。宮廷もある程度その存在は認知していたものの1526年措置において是認してしまったこともあり異端審問以上の軍事行動は出来なかった。もっとも、異端審問の時点で相当苛烈な処置はしているが。
また献金以外の理由として宮廷が元イスラームであるモリスコへの対応に消極的だったのは、グラナダからの徴税額が一時はなんとカスティリーヤ全体の歳入の2割という驚異的な数字を叩き出していたからである。
加えて元ナスル朝のイスラームのエリートらは改宗の後にカスティリーヤ王家とモリスコの仲介者となり、廷臣や宮廷顧問、あるいはアラビア語翻訳者や貴族として王家に仕え宮廷内のモリスコ支持者・擁護者としての地位を確立しつつあった。
全てが上手くはいっているとは言えないが、それでもカスティリーヤ宮廷にイスラーム勢力は調和しつつある要素も垣間見えた。あるいは楽観的に考えればこのままいけば何事も丸く収まるのでは、と思わせる程には今まで何とか機能はしていた。
――丁度、1526年の措置の延長期限のタイミングが、よりにもよって我等が『フェリペ2世』の治世下でさえなければ。
「再度の延長交渉をモリスコは打診してきましたが、フェリペ陛下はそれを拒絶。そして40年が経過した1567年の1月1日にアラビア語の使用禁止とイスラム名と伝統衣装の着用を禁止し、すべてのモリスコの子を教会や修道会での就学義務を設けることとなりました。
それに反発したモリスコらが反乱を起こしたというのが此度の顛末です」
カトリックによる欧州統合を王子であった頃から掲げるフェリペ2世の権勢には陰りは見えない。だからこそ、ここで元イスラームのモリスコらに対して妥協という選択肢が無かったのは、今までのフェリペ2世の動きを見ていればむしろ当然とも言える。
しかし失効した即日である1月1日に実行に移すとは中々に性急だ。また今までお金は出していたのだから多少交渉の余地があると考えていたモリスコ側の意見も分からないでもない。というか、スペインの財政基盤が極めて不安定なのは周知の事実なのだから、ここで税収源であるモリスコを切り捨てるという判断は想定外ですらあっただろう。
で、ほぼ2年近く準備期間を設けて1568年12月24日に満を持しての反乱と相成った訳だ。
そこから去年の夏までの動向が私達の下には流れてきている。モリスコは有利な地形である渓谷に籠城して事前準備のため物資も恵沢であったが、1569年1月から2月のスペイン軍による速やかな攻勢にてモリスコは敗走、この時点でモリスコ側に捕らえられていたキリスト教徒の捕虜が大量に解放・奪還に成功している。そして一度モリスコ側有力者から和平の提案が入るがこれは現地指揮官によって黙殺された。
その最大の要因は、現地指揮官とはグラナダのモンデハル侯爵であり即応した軍勢は貴族私兵――即ち農民徴募兵であったことである。急造された徴募兵部隊は何をモチベーションに参加したのかといえば略奪に他ならず、勝利した彼等にとって和平は論外であった。
無論、政治的に既に蜂起したモリスコとの和平は厳しいこともあるが、仮に停戦を命じられたとしてそれで本当にこの軍勢が停止するかは微妙なところだろう。
ただこれらキリスト教農民徴募兵の略奪に、モリスコ側も過剰な反応を見せた。ミサに参加しなかった者に罰を与えていた教会による過去の弾圧の記憶が想起し、教会は組織的な略奪・放火に遭い、生きて捕らえることのできたキリスト教徒は奴隷として北アフリカのイスラーム勢力へと売り渡された。
一方で、それに対してカスティリーヤ宮廷サイドも、同様に捕らえたモリスコを奴隷として売りさばいている。税収の大幅減は見込まれているし財政補填という名目の上で異教徒だから正当化されているのだろう。そこそこ地獄絵図だが。
4月にはフェリペ2世の異母兄が軍事指揮官としてグラナダに着任。そしてロス・ベレス侯爵を王兄の下に付け、ナポリのテルシオ……スペインの最先鋭部隊すら投入されることとなる。それを見て5月にはモリスコ側のトップが自身の命と引き換えに配下の助命嘆願をするという備中高松城の水攻め染みた光景が広がったらしいが、その和平は成立直前に破談となるという急転降下を見せた。
これはどうもモリスコ側の人員拡充があったようで、反乱当初は4000名程度と見込まれた人員が2万まで膨れ上がっていたから反乱勢力が自信を深めたからであると推測なされている。
「……どうして、ここまでモリスコ側も兵力が増えているのでしょう。彼等の戦力は何処から――」
「グラナダの人口は15万人程で、その殆どはモリスコです。反乱が短期で終結しなかったことを見て当初日和見していた民衆の中から反乱軍へ合流した者が居たのでしょう」
ああ、そうか。おそらく南部ネーデルラントで発生し鎮圧された『フランドル=ワロニア王国』の滅亡をモリスコらもリアルタイムで知っている。だから、スペインに反感を抱いていたとしても及び腰になるというのは理解できる。そのように参戦の判断を遅らせた者が後になって合流したということだ。
だが……15万のうち、2万が反乱に回るか。これは随分と根深い問題と対立が根底にあるな。
しかし、先のネーデルラントの反乱と言い、本当にスペインって今が全盛期なのだろうか。入ってくる情報で素直に判断したら完全に亡国寸前なのだけど。
ここでフランシスコ・デ・サンデが私とルッジェーリの話に口をはさむ。
「……ですが2万は多いですね。本当にそんなに敵方につく程にグラナダの治世は荒れていたのですか?」
あ、私と同じ疑問を抱いていたっぽい。正直に言えば荒れてはいただろう。というか、グラナダの人口が殆どモリスコなのにも関わらず、妥協の選択をしなかったフェリペ2世が、単純にヤバいというからしいというか……。
そんなことを考えていたらルッジェーリの口からとんでもないことが出てきた。
「……この報告書には書かれていないようですが、宮廷筋情報からでは千から二千人程度の規模で北アフリカのベルベル人や……トルコ人の存在が敵方に確認されております。
言うまでもなく、これは秘匿情報ですので箝口をフィリピン伯様には敷いていただきたく」
想像以上の凶報に絶句する私を含めた面々。
つまり、この宮廷はモリスコの反乱劇に大なり小なり国外のイスラーム勢力、特にオスマン帝国の関与があると考えて行動しているわけで。
これは、妥協できない。
しかし、ルッジェーリへの私的なやり取りと公的ルートの情報確度に差異があるか。まあ彼は宮廷からの目付としての役割もある上に、公で明かして良い類の情報でもないから致し方ないが、それでもちくりと胸につっかえるものはある。
それでも本件に対して箝口の旨を伝えれば、ルッジェーリは私に尋ねてくる。
「――それでフィリピン伯様。本領といたしましては、この件にどういった対応を取る方針で?」
えっ。
「……この反乱って、まだ未解決なのですよね?」
「半年前の段階では、大規模な軍事衝突はしておりませんね」
未だ続行中と思われるから介入の手はあると暗に仄めかしてくるルッジェーリと、それを察して私に期待の眼差しを向けるフランシスコ・デ・サンデ含む政庁舎の面々。
これってもしかしなくても、フィリピンからこの問題を解決することを求められている?
いや、無理でしょ……と言いたいところだが、今まで私がやってきたことを改めて思い返す。
石見銀がポルトガル商人に渡って万が一ヨーロッパまで大量流入したら銀相場が崩壊する懸念をいち早く表明し、それをフィリピン伯領で丸抱え。
あるいは、ポルトガルがネーデルラントでの反乱勢力の裏側に居ることを感知したときにはテルナテ王国との交易相手の座を奪い取り香辛料交易のシェアを奪い、しかもマラッカ陥落すらも誘導したように見えているかもしれない。
実際のところ、本国の対処能力の方が高かったり、そもそも危機的状況ではなかったりして、私の対策は基本杞憂で終わっているが、実際に私の側近としてあるいは監視役として動いてきた彼等にとっては、今回も何かやってくれるのではという期待が働いている。
うわあ、実に良くない傾向である。ヨーロッパの騒乱を東南アジアから手出しするなんて曲芸でしかないのに。
私は、そこで有効的な対策をパっと思い付くわけもなく、ルッジェーリの言葉を曖昧に濁して、他の議題の検討へ移ることを促すのであった。
そして、それ以外の議題については事実確認を済ませた後に散会することとなる。
*
「あ、マルガレータ様、お戻りになられましたか。実は不在にしている間に手紙が届いておりましたよ」
「あら、ありがとうグレイス……ってちょっとくつろぎ過ぎじゃない?」
何だか家主よりも、この新居に順応している気がしなくもないグレイスが指し示した場所には確かに封蝋がしたためられた手紙があった。ルイ・ゴメス侍従長の妻であるアナ・デ・メンドサからの手紙だ。
それを自室で開ける。年に1度の手紙のやり取りももう3度目。段々と慣れてきたが、アナの手紙の字を見てそれは吹き飛んだ。まず字体そのものが震えている。
そして内容も中々にショッキングだ。最初に書かれているのは、王妃エリザベート・ド・ヴァロワの死去についての話。政庁舎で見た書類でも少し触れられていたが、アナはこの王妃の友人として近侍していただけに精神的ショックが如実に文章に出ている。
フェリペ2世に後妻としてオーストリア・ハプスブルク家からアナ・デ・アウストリアを迎えた。アナと同名だからややこしいが、昨年に挙式を挙げたようでその時後妻の年齢は18歳。今のフェリペ2世が41歳だからまたまた歳の差である。王族の結婚に個人の趣味が反映されるのかは未知数だが、もし反映されてたらあの国王、余程の年下好きだろう。あるいは後継者の王子を失って焦っているのかも。
しかもこの結婚は、叔父と姪同士の結婚にあたるため現教皇は当初反対を表明していたなんて話も。
まあ、ここまでは訃報ではあったもののまだ良かった。
次に書かれていた内容に比べれば。
「――『フランドル=ワロニア王国の瓦解とともに論功行賞が行われましたが、同時にポルトガル関係者の告発・弾劾も並行して行われております』……?
それで、『我が夫のルイ・ゴメス・デ・シルバが財務長官職とカラトラーバ騎士団管長及び当地のエンコメンデーロの権限を剥奪。
公的身分は、エボリ公と侍従長のみに』……えっ、あの侍従長ってフェリペ陛下の傅役であり幼馴染でもあったよね? 嘘でしょう……」
ルイ・ゴメス侍従長の公的身分の剥奪。
それは手紙の主、アナ・デ・メンドサの窮状を示すものでありながら、私個人の伝手で辿れるカスティリーヤ宮廷への伝手が途絶しかかっていることと、ポルトガルへの謀略の破綻、更にはメキシコシティのアウディエンシアのセイノス長官との談合の切れ目を示していた。