外伝18話 アレバロの青年
ポルトガル領マカオとの暫定的な和解は、フィリピン伯領に新たな情報網を拡充することとなる。
考えてみれば当然のことだが、そもそもフィリピンをスペイン領とすることは植民地分界の明確な協定違反であるため、私の有する『フィリピン伯』という称号そのものがポルトガル側から好意的な感触を得るというのは不可能だ。
これに加えて、イエズス会の管区区分を割り『フィリピン・日本準管区』という新たな布教区域を割り当てそこにオルガンティノを任命した一件や、ポルトガル領ブラジルから追放されたジョゼ・デ・アンシエタを重用している事実、更には聖アウグスチノ修道会ですらウルダネータというかつて香料諸島まで足を踏み入れた不法侵入者を旗頭として私に同行してきていたのだから印象が良い訳が無い。
だからこそ、マカオというかポルトガル植民地サイドからは情報を絞られていた。しかしマカオにポルトガル人が来航してからなら半世紀は優に超え、明より居留権を得てからでも10年以上この東アジア・東南アジアにおいて根を張っている勢力なのだから、情報量というのは流石に隔絶している。
たとえばマカオとの通商解禁により、入ってきた情報の1つにビルマのタウングー王朝から独立を画策していたタイのアユタヤの蜂起が鎮圧された、という報があった。首都・アユタヤの包囲中に20年間王国を治めていた チャクラパット王が没して、彼の息子がその後を継いでいたがタウングー王朝への降伏後にビルマ移送中に死去し王家は断絶。
タウングー王朝サイドはアユタヤの宮廷内部で支持者の多かった外戚衆の1人でチャクラパット王の戴冠に多大な功のあった官吏を新国王へと任命し『サンペット』の称号を与えている。一応、元官吏とはいえ配偶者は前王家の人物ではあるから、そういう継承もありなのかな。
このような形で恩恵を受けることとなるマカオのやり取りだが、その中でも最大の情報とも呼ぶべきものは、メルヒオール・カルネイロとの書簡交換の間で発覚した次の一件だろう。
――どうやら、明の税の徴収方法が変わるらしい。
従来の明の税制というのは、大きく分ければ資産額から算出される戸税・商人への税と耕地面積から算出される地税、そして労役である徭役がメインだ。しかし納税方法がバラバラで銭で納めることもあれば銀納のことも生産物を現物徴収することもあった。その中で、商品作物の栽培の発展により徴税項目が多様化したことと経済の発展に応じて新税の制定でカバーしてきたことで納税プロセスが極めて煩雑化してきていたのである。徭役についても一定額納めれば労働免除、という方策がとられていたが、その納める物品も多種多様であるという有様。
端的に言えば事務方が崩壊しかかっている状態であった。だからこそ、納める物品を一元化しようという動きがかなり昔から出ていたらしく、長江流域の沿岸部においては既に試験的に導入されていた政策があった。
それが、税の銀納一元化政策である。
雑多な税を簡略化した上で、銀で納めさせるというやり方はそれなりに上手くいったらしく、マカオ周辺部である広州においても華中を習って導入の機運が高まっているらしい。そして当たり前ではあるが、今まで様々な手法で徴収されていた税を銀にて一元化する、ということは銀の需要が急増するということだ。
そう。これこそが。
明の商人や倭寇が日本で石見銀を買い漁り、我が領からは新大陸製の銀貨を大量に仕入れている理由なのだ。莫大な需要がある故に価格も上振れる。石見銀をヨーロッパまで輸送するまでもなく明で売りさばいた方が儲かる程に。
マカオに拠点を構えていたポルトガル商人は、それを重々承知していた。だからこそポルトガルの手で今まで日本の銀が購入されてもヨーロッパまでそれが行き渡ることが無かったのである。『ソーマ銀』という名は欧州においても充分通用したのにも関わらずその肝心の現物が見当たらなかったのは、その殆どが明への通商において売買されていたからだ。
そして、ポルトガル商人が日本を行き来していた頃合いではまだ長江流域でしか導入していない政策で、現状においても広州で導入するのか否かを盛んに議論している段階。ということは、以後更に明における銀の需要は高止まりを続けるであろう。全国的な施行ともなれば、それは青天井となりかねない。
となると、以前フェリペ2世の面前で語った『石見銀流入による銀価格の大暴落』というシナリオは実質的にはほぼありえないことになるが……まあこれは宮廷サイドには黙っておこう。いや、イエズス会案件だからルッジェーリ経由でいずれバレるだろうが、あの時それをカスティリーヤ宮廷内で指摘できる人間が居なかったのだから別に仕方ないじゃんとは思う。
*
日本―ブール王国間の朝貢交易名目の貿易取引が開始され、経済システムが機能し始めたことで、フィリピン伯領へ急増した陳情がある。
それは、今なおルソン王国の北、リンガエン湾のパンガシナンを占拠する倭寇・林鳳の軍勢に関することだ。
いや、軍勢とは最早言えない。既に最初のマニラ・トンド襲撃から2年が経過している。パンガシナンに土着しつつある。土着とは言っても元の住人を追い出して拠点化した都合、混血まではしていないが。
こちらから軍を動かせない一方で、向こうも人員が増大する見込みがないので小競り合いはあっても、大規模な会戦はしばらく行われていない。侵攻作戦が取れない烏合の衆であっても、要塞に籠っての拠点防衛に関しては何とかなるし、兵力差は隔絶しているためだ。しかも日本人倭寇の軍勢の切り崩し工作を行い、今は件のブール王国と日本の朝貢交易に利用されているジャンク船の上乗として彼等、元倭寇は雇用されている。
当たり前であるが、林鳳率いる倭寇の集団はこの相互の貿易システムに組み込まれていない。そりゃ敵だし。
そして彼等と関わった商人は、取引の停止とフィリピン伯領・ルソン王国領への立ち入りの禁止は通達している。そして周辺諸国においても違反商人の周知を行っている。まあそれでもパンガシナンに物資を高値で売り付けに行く違法商人は居るけれど、陸路においては警戒線兼関所のようなものがルソン王国主導で設置されているし、海上からでは余程上手くやらないと目立ってしまう。周辺海域には私達の船が跋扈しているのだから。
そして懸念点であった林鳳以外の倭寇、とりわけ東シナ海を拠点とする者らが博多連絡船を襲うというシナリオだったが、それは想定よりかは発生していない。恭順させた上乗の日本人倭寇が思ったよりも顔が広く、海域に対して抑止力として働いている。まあ襲われるケースは皆無ではないのだけれども、それなりに自衛戦力も整っている。
日本との交易に用いられるジャンク船は貸出品なので兵員も一定比率フィリピン伯領やルソン王国から出している。短期・中期のアルバイターとしての戦力だが、報奨金に多少色を付けているのでそれなりに人気の職種である。当初は我が領出身者だけにしようと思っていたが、ルソン王国サイドからも食いつきが良かったので調整して両国の人員を受け入れる形とした。
それが予想外の効果を生んだ。というのも、このルソン王国、火砲の製造技術を有しているために、日本交易船の安全性の確保のために火砲のレンタル業もスタートしたのである。私はこれを喜んで追認。ジャンク船の生存率が高まれば、レンタル費用と保険金の回収効率も高まるからね、逃す手は無い。
私達の戦力から供出するまでもなく、武装強化のなされた交易用ジャンク船は倭寇相手でも脆弱な者であれば追い払えるくらいまでになった。……まあ、1つ問題を挙げるとすれば、ルソン王国の火砲って別に私達が技術指導して生まれたものではないので規格が全然違うって点だね。じゃあどこから入ってきたのかと言えば、今では衰退しているがこの地域はブルネイ帝国の影響力が強く、そしてブルネイがイスラーム王朝であることを鑑みれば自明であろう――オスマン帝国由来の火砲技術なのである。
だからこそ、パンガシナンの林鳳勢力は他の倭寇を頼りにすることは難しい。だが、座して待っていても物資は消費する一方だし、食べ物は土地で生産できたとしても武器の類は生産することは叶わない。となれば、彼等に残された手段は脆弱な艦を見極めて略奪する……という従来の海賊スタイルに回帰するしかない。
だからこそ、林鳳の軍勢の襲撃が私の下に陳情に挙がるのである。襲われなかったとしても、誰しも危険なものがあるのは嫌がるのだから『早く何とかしてくれ』、『とっとと鎮圧して欲しい』という声があがるのは当然と言えば当然な話だ。
現状包囲戦こそ仕掛けてはいないものの、戦略的には囲んで放置している状態だし、海上戦力の優位性も確定している。だから相手は略奪を行うとはいえ、基本的には艦隊保全を掲げて『乾坤一擲の大博打を仕掛けてくるかもしれない』と思わせることでこちら側のリソースを割く戦略しか相手は取れない。
そしてこちらも積極的な攻勢は仕掛けることができないので、必然持久戦となる。これを変えるのには、やはり本国からの新たな軍事指揮官の到着を待つしかない。
*
私の邸宅が落成した頃合いには既に乾季を迎えていた。まあ乾季とは言ってもスコールの頻度が下がる程度でずっと晴れているというわけでも無いのだけれども、逆に夏場の雨季であってもスコールでとんでもない量の雨が一気に降るのであって梅雨みたいに連日一日中雨が続くというわけでもない。
だから雨季と乾季の降水量の違いというのは、スコールという突発イベントの多寡によるものが大きく、全体的な体感としてはスコールさえ除いてしまえばあまり大きく違いはない。
とはいえ、それはあくまでヨーロッパや日本を基準にしたときの話であって、実際に住んでみると結構差があると言えばあるようには感じる。
そして私の邸宅の完成に伴い余裕のできた石材の採掘は停止されずに、そのまま政庁舎とサン・ペドロ要塞の石造り改装へと着手することとなった。要塞の方はまずは木柵を石壁へ変えるところから始まるが、政庁舎の方は用地を確保して別の場所へ新築することとなっている。そうしないと今の政庁舎でやっている業務が止まっちゃうし。
ちょっとだけ完成した家をかいつまんで説明すると、重厚な造りの割に風通しも良く、思ったよりもひんやりとしている。護衛や給仕用のスペースもさることながら特徴的なのは、徹底的に熱が籠らないようにしているということ。火を使う調理スペースなどは殆ど屋外と言って差し支えない場所に設けられていたりする。
なら、お風呂も外なのか? いや、水浴なんだなこれが。熱帯地域だから水で充分と思いきや、慣れてくると夜に水を浴びた後は普通に寒さすら感じたりする。
あ、ついでに言えばグレイスが護衛のトップという名目で、私の邸宅に一室借りて住み始めている。まあ、いいけどね。給仕も住み込みだし。
一応グレイスもタダで豪華な家に住んでいるだけではなくて、政治的に軍の一部から親衛隊やら貴族兵といった立場への移行を図っているようである。今までの立ち位置があやふやな状態から母衣衆的な色彩を強めたという感じだ。
そんなグレイスから私はこう告げられる。
「マルガレータ様。先ほど使役の方がいらして『本国の近況を報告がまとまったので政庁舎まで来て欲しい』と言伝を頂いております」
ああ、もうそんな時期か。食事を取り着替えた後に、登庁すれば会議室に主たる面々は集まっていた。
そこには既に本国からの情報が1枚の紙にまとめられていて参加者に配布されていた。段々とこの辺りの段取りも洗練化されてきている。印刷機自体は2年目から導入していたのと、そもそも本国のカスティリーヤ宮廷が文書によるやり取りをフェリペ2世の下で極めて重視しているので、政庁舎の基盤を作ったイディアケス補佐官の影響を受けてウチも文書による決済が進んでいた。
そのイディアケス補佐官自体はルソンにおいての指揮を執っているために、今は不在にしている。
彼の業績を象徴するかのような『報告書』を見ていると、『王妃であるエリザベート・ド・ヴァロワの死去』であったり、『フランドル=ワロニア王国の滅亡とそれに伴うポルトガル関係者の弾劾』などの文字が目に入ってきた。
どちらも重大事ではある。が、正直これらは前年度から把握していることであり、予想通りとまでは言わないが、いずれそういった帰結になるだろう、という物事であった。
しかし、その中で私の知らない議題が1つだけ紛れていた。
その中身とは。
「この……『アルプハラース』での『モリスコの反乱』とは、一体どのようなもので……?」
記載された書類の中での反乱の決起日には1567年の12月24日と記載されており、終了日が書かれていない以上、この反乱は継続中だ。
そして私の疑問に答えたのは、ブール王国での教会建設中にも関わらず招集されたミケーレ・ルッジェーリであった。
「アルプハラースとは、本国南東部にてカスティリーヤの連合を組んでおりますグラナダ領内にある渓谷の名です。
そしてモリスコは、レコンキスタ終結後にカトリックへと改宗した元イスラームの転向者を指します」
レコンキスタの完了、即ちナスル朝グラナダ王国の滅亡は1492年であり既に70年以上経過している。だからこそ長年の統治の中でカトリックへと『改宗』済みなのだろうが、こうして反乱が発生したということはその改宗が建前だけのものであったことを如実に訴えている。
しかしネーデルラント南部の反乱が鎮圧できたと思ったら、今度は本国での反乱か。前回が王子による誘爆で、今回は元イスラームのモリスコらによるもの。
やはりヨーロッパ情勢は、私の知る歴史通りなのか否かが分からない。
それでも、イベリア半島というスペインの本丸にてイスラーム寄りの勢力が決起したという事実は、今までとは違うフェーズに本国情勢が変化したと思わざるを得ないものであった。