外伝15話 地上の悲しみ、心の戦い
竹中半兵衛・宇喜多直家両名の謀略に、ロレンソ了斎の行動。
そしてそれら全てを策に織り込んだ――毛利元就。
何が怖いって、その全てが私に対立しているものではないのにも関わらず、あまりにも想像の埒外からの一手過ぎるという点。
もし敵対したら絶対防げない。
でも結果的にはカトリックの日本布教が一歩前進して、私は博多経由で石見銀を仕入れることが出来るようになった。私の立場で悪いことは無いんだよね、この一連の策略って。
恐らく『私には利益を、自分にはもっと多くの利益を』という方針で組まれているものだからメリットしかない。それでも恐怖心を与えるのには充分すぎる。
「ま、まあ……。博多近傍に平和が訪れたことは理解いたしました。
ですので、準備が完了次第すぐにジャンク船を送り出しましょう」
「準備にはどの程度かかりますか?」
「ジャンク船の納入自体には2ヶ月あれば。後は日本人倭寇の恭順の時期次第になりますね」
私がそう告げれば、池永修理は一礼してその場を辞去する。
……どっと、疲れた。
そして応接室の椅子の背もたれに寄りかかり思慮に耽る。
これだけ大規模な策略だ。安宅神太郎を返してからのたった5ヶ月で組めるものとは思えない。……となると、私が日本に居たときから仕込みは始まっていたものなのだろう。返す返すも末恐ろしい。
結果としては、翌年の1569年より博多とブール王国間の通商は開きその道中にあるルソン島やセブも以後この朝貢関係の恩恵にあずかることになるが、それが機能するよりも前に、いくつかの出来事が発生する。
そのうちの1つは、新大陸からの5回目の太平洋横断交易艦隊が返ってきたことで、ヨーロッパ情勢を始めとする新しい情報が入ってきたことである。
*
影響が軽微なところから見て行こう。
となると、最初は内政事項からである。まずはネーデルラント問題で粛清されないように宮廷に媚を売る目的で呼び寄せた王室財務管理官が着任した。交代人員と育成人員を含めて4人。代表者はアンドレス・デ・ミランダオラと名乗っている。
これで本年度よりフィリピン伯領内に立ち寄るジャンク船から関税が徴収されることとなり、それは王家の財源を潤すこととなる。そういえばカスティリーヤ宮廷の財政破綻寸前の国庫の状況は改善したのだろうか、と疑問に思いつつも口には出さずに王室財務管理官代表・ミランダオラに質問をする。
「……でも、大丈夫ですか? 明からの商船が押し寄せるシーズンは3月から6月で、我が領の同盟国の立ち位置のルソン王国のトンドには昨年はシーズン中に12隻のジャンク船が来航していて、今年は倍以上と伺っておりますが。
その全部が全部フィリピン伯領内に来るわけではないですけど」
「つまり年間最大20隻くらいということですね、それなら……」
「オフシーズンであっても中国商人の船は少数ですがやってきますけど……。
ああ……あとそれと、本年から宮廷にもお伝えしていたかと思いますが、日本との交易路も開拓されますのでよろしくお願いいたします」
私がそう話せば絶望的な顔を見せていたが、まあ4人居れば何とかなるでしょう。この税金は全部王家行きなので、彼等の失態はカスティリーヤ宮廷サイドで裁かれることになるから後は放置。犯罪さえしなければ好きにやってくれ。
そして次の報告。ヌエバ・エスパーニャの太平洋側に通商院の設置が行われ、フィリピンから新大陸への輸出船には本年より関税がかかることとなる。とはいえ、通商院もまだ体制が整っていないらしく、当面はメキシコシティのアウディエンシアがアカプルコに出張所を設置して代理徴収する形となるようで。目論見通りセイノス長官の権限が増えた。
ここまでが内政事項。当たり前だけど後任の軍事総指揮はまだ無回答、多分丁度今頃やっと本国に届いたかどうかって感じだし。
で、外の話。まずオスマン帝国の宰相が変わっているかもしれないという話は、神聖ローマ帝国とオスマン帝国が和議を結んだという報告の中で明確に『セリム』という名が出てきたことで本国も認知していたことが確定した。
ただしその和議自体が多少問題で、神聖ローマ帝国側が敗北という形の和平である。……ハンガリーで要塞落とされていたし仕方ないのだけれども、これによってモルドバとワラキアを正式にオスマン帝国に編入されることに。ただ両地域は元々オスマンの保護国のような立ち位置であったようなので、数十年越しの事実追認以上の意味は無いが、書面を交わしての正式な失陥となったのである。神聖ローマ帝国としては戦争をして奪い返せばいい話ではあるものの、正式なオスマン編入に同意した以上は少なくとも公的には返還要求を声高に主張することは多少難しくなったのである。
事実上オスマン領という意味合いではハンガリー中南部もそうだったりするし、東ハンガリーなども神聖ローマの軛からとうの昔に外れて独自路線を歩んでいるが、この辺は今回の講和内容ではノータッチ。
その他に『貢納』という形で神聖ローマ帝国が賠償金も支払う形で、8年間の休戦期間が設けられた。うーん、ぼろ負けだな神聖ローマ帝国。
そして次に出てきたのが、ルイ・ゴメス侍従長の妻である隻眼の令嬢ことアナ・デ・メンドサの手紙。
フランス王家の出身でフェリペ2世の正妃であるエリザベート・ド・ヴァロワの様態急変が書かれていた。アナの手紙の中には『3度目の妊娠なのに、今までに無いくらい体調を崩す』と心配している様子がありありと分かる内容が書かれていた。
因みにフェリペ2世の妻としては3人目に当たるエリザベート・ド・ヴァロワだが、既に2人の女児を産んでおり、長女の方はまだ2歳であるけれども現在の神聖ローマ皇帝の息子で16歳のルドルフという青年と婚約を結んでいる。このルドルフ皇子、神聖ローマ帝国関係者だがずっとカスティリーヤ宮廷内で養育されており、しかもイエズス会との関係も強かったりと、意外な繋がりが。
なお、スペイン側では王太子が絶賛叛乱中なので、未だ婚約相手の居ない1歳の次女が直系かつ婚姻関係が無い王族となる。
手紙自体は続きを読めば『出産は10月頃予定なので、この手紙が届くころには、きっと元気な子が生まれている』と締められていた。アナ自身も心配によって心労がたまっているのが文章だけでもひしひしと伝わってきたので、なるべく元気づけるような返信になるように手紙を返すことにしよう。こちらから手紙を送れるのは最速で2ヶ月後だからゆっくり内容は考えよう。
そして、最後の報。
私はこれを見た瞬間に、とんでもないことになったことが素人目にも確信できた。
そこには政庁舎の人間にもすぐには明かせないほどの重大な報告が書かれていた。
ネーデルラント南部にて叛乱を起こし『フランドル=ワロニア王国』として独立したカルロス王太子。フェリペ2世の唯一の直系男子である彼が。
――ネーデルラント北部軍との交戦中に、戦死。
*
「……イディアケス補佐官はルソンでしたか? それで代わりに私にこの報を見せたと」
「ええ、その通りです。王太子殿下の戦死が、以後カスティリーヤの宮廷にどれだけの影響を与えるだろうか、その予測をルッジェーリ殿に伺いたくてですね。
無論、この報はしばらくは口外しないでくれると助かります」
元々宮廷で働いていた紐付きのイエズス会修道士であるミケーレ・ルッジェーリ。フィリピン・日本準管区における補佐役ではあるが、準管区長のオルガンティノと補佐役筆頭のヴァリニャーノが揃いも揃って日本滞在中の現状においては、ジョゼ・デ・アンシエタに次ぐフィリピン伯領内におけるイエズス会の代表者と言っても過言ではない。しかもジョゼ・デ・アンシエタの方が年次的には上ではあるものの、彼は病院などの医療インフラの整備に注力しているがために、イエズス会全体を俯瞰するのはほとんどルッジェーリの役割である。
もう1人の副官格のクリストファー・クラヴィウスなども、数学知識を活用して現在ブール王国で行われている教会建築の実務責任者を担っているし。
そして在フィリピン伯領のイエズス会が現在注力している事業は、そのブール王国の教会建設なので、必然ルッジェーリもブール王国側に居た。
なので私は彼に会うための名目として教会建設の視察を掲げて急遽ブール王国までやってきたのである。イディアケス補佐官の居るルソンよりかは遥かに近いけれども、再びセブの政庁舎を開けることになってしまった。
うちの領の規模と創業時期的には致し方ないけれども、貴族領主ってもっと自領の屋敷にどん、と鎮座するものじゃなかったかなあとも思ってしまう。
と、ここまで考えて気付く。そもそも私にはまともな屋敷すら無かったわ。殆どセブに居ないし、セブに居る時も政庁舎かサン・ペドロ要塞のどちらかに入り浸って、家には寝るための用途でしか使っていない――しかも政庁舎も要塞も私室に睡眠スペースを用意しているので家に帰る必要性すら薄い――から、豪奢な作りとはいえ実は貸家に住んでいる。
そんなことを考えながら名目上の教会建設地の視察を終えた後、ルッジェーリと秘密裏に会談を行っている。
「カルロス王太子の死は間違いなく陛下の次の後継者選定に影響は及ぼしましょうが……。ですが、姫君とはいえ御子は居りますし、不満があれば神聖ローマ帝国の親族からでも後継者を選ぶことは出来ますので、大きな問題とはならないでしょう。
……ただ、1つ気にかかる点が」
「と、言いますと?」
「いや、今の正妃であらせられますエリザベート・ド・ヴァロワ様は、元々は陛下ではなくカルロス王太子の婚約者でしたので。
スペインとフランスが戦争状態であったときに、イングランドのメアリー女王陛下が崩御して陛下の正妃の座が空位となったので、スライドしたと言いますか……」
スペインとフランスの戦争は、私がラス・カサスさんの進言でエンコメンデーロの問題とネーデルラント政策に首を突っ込んだときに行われていたものだ。そしてイングランドが一時カトリックへ復古しようとしていたのがメアリー女王の治世。
まさか、この辺りがフェリペ2世の歳の差結婚に関わっていたとは。元々は王太子の婚約者であったエリザベート・ド・ヴァロワを情勢の急変で父であるフェリペ2世が掠め取ったようにも見えてしまう。これはカルロス王太子にとっては心中穏やかではない出来事であったかもしれない。それだけで反乱を起こし独立を企図した、というわけではないだろうが、それでもこの父子の間の関係性をぎくしゃくさせる要因の1つではあったのだろう。
「……もしかすると、エリザベート様の体調悪化は、妊娠に元婚約者の死という形の精神的ショックが重なった結果、なのかもしれないですね」
婚約破棄が政治的な都合で、元婚約者の父に嫁ぐことになり。しかもフェリペ2世と結婚したのが14歳のときで、今は9年が経過して23歳。
ようやくその精神的な傷も癒えてきたという矢先で元婚約者は現在の夫に反乱を起こすという親子喧嘩では済まされない戦を引き起こし、挙句戦死となれば、メンタルも壊れる。
「それは十二分に考えられることかと思いますが。とはいえ王太子が死去した以上は、ネーデルラント南部の反乱は次第に鎮静化することでしょう。
この結果は誰しもが望んだ形では無かったでしょうが、それでもスペインとしては窮地を脱した、と言って差し支えないかと」
エリザベート・ド・ヴァロワは勿論のこと、フェリペ2世ですらもカルロス王太子の死までは望んでいなかっただろうと思う。仮に望んでいたとしても、戦死というあやふやな形でなく、然りと罪状を決めた後に処刑するとか、冷却期間を置いてからの病死発表だとか、色々やり口があったであろう。政治的失点という側面だけで考えても戦死というのは致し方ないことではあれど拙い。
ましてや彼にとってたった1人の男児を失った痛手は大きいのだから。
だからといって、スペインに敵対姿勢を見せつつあるポルトガルやイングランドにとっても、ここでの戦死による脱落は想定外であったはずだ。直ちに『フランドル=ワロニア王国』という新興国が滅亡するわけではないものの、カルロス王太子の死によって彼の国は正統性を失った格好だ。少なくともポルトガルが援助する理由が乏しくなった。
北部ネーデルラントやアントウェルペン、あるいは軟禁されているエグモント伯などからすれば、旗頭を失った『フランドル=ワロニア王国』が弱体化に伴って統制を失い暴走するリスクが顕在化したことで動静がかえって読みにくくなったわけで。
ルッジェーリのネーデルラント問題の鎮静化予想こそ違えていないだろうが、まだまもう一幕あるかもしれない……と、思いつつ、セブの政庁舎に帰投したら。
――その火種はまさかのこちら側、東南アジアからもたらされることとなる。
「報告いたします! 昨年より攻囲され続けておりましたポルトガル領の『マラッカ』が、アチェ王国の軍勢によって陥落した模様――」