外伝12話 内政による束縛
既に8ヶ月以上軍事作戦を行っているルソン島の倭寇対策。幾度の小競り合いや大物見、そして調略を重ね重ね行っているものの具体的な成果は乏しく、未だにこのマニラの北、リンガエン湾のパンガシナンに倭寇は跋扈している。
マニラとパンガシナンの間は平野が続き、移動に支障となるものは河川を除けばそれほど多くないが距離的にはそこそこ離れており、普通に歩いて行けば1週間程度はかかる。軍事行動として行軍させた軍を向かわせるとなれば2週間以上といったところか。
だからこそ、マニラの要塞まで一時下がったということは、陣を引き払い撤退したことと同義である。
とはいえこの8ヶ月ずっと攻囲していたわけでもなく、散発的に軍を編成して周辺部族を束ねて攻撃を重ねていただけなので、パンガシナンという集落ごとずっと包囲していたわけではない。……長期的な攻城戦を可能とする後方組織が、フィリピン伯領には無いからね。そもそもスペイン人人口が500~4000人とか意味不明な状況だし仕方ない。
その辺りも含めて、イディアケス補佐官の提言にあった軍拡を否認した私の失態……ということではあるけれども、かといって日本から帰国したあのタイミングで何らかの手を打っていても倭寇の林鳳襲来には間に合わなかっただろうし、今回のウルダネータの死にも間に合わなかったはず。私としてはその段階で対策をするつもりが無かった以上、今更そこを言われても結果論なのである。
でもとりあえず、その辺りはギド・デ・ラベサレスを相談役に置いて決定権限をイディアケスに持たせる泥縄的対処で対応することは決まった。
別に生じた問題として、一連の撤収作業に安宅神太郎の尽力があったからこそ私は客将扱いとなる彼への謝礼と、幕府への折衷を行う必要が生まれた。確かに助かってはいるから無碍にするつもりは無いのだけれども、じゃあすぐに会おうとは出来ないくらいには多忙になった。
私は安宅神太郎と再びの面会をする前に、まずマニラの領主らに現状のフィリピン伯領の内情の説明を行い、トンドなどの他の領主を交えて今後の倭寇対応策の協議。それが終われば、ウルダネータの遺体とともにセブへ一度とんぼ返りして、彼の葬儀を聖アウグスチノ修道会の主導で行う。
加えて霊廟機能を有する教会の建設を聖アウグスチノ修道会側は具申してきたのでこれを許認可した。なおその教会の場所は、例の一夜城として名前が売れてしまったサン・ペドロ要塞から目と鼻の先。
その場所はおそらくマゼラン艦隊が持ち込んだであろう若いイエス――サント・ニーニョの像が発掘された場所だ。それにちなんでウルダネータの霊廟のあるこの教会はサント・ニーニョ教会と名付けられる予定だ。数年かかる予定であり、期せずしてセブ島の山脈側で発見された大理石を含む石材の利用用途が生まれた瞬間であった。当面は教会建設用資材として細々と採掘を開始することとなる。
となると、聖アウグスチノ修道会だけに教会建設を認めるのは、イエズス会の信徒団体であるコングレガティオ・マリアナに所属する私の立場的におかしな話となってしまうので、以前ボホール海海戦の際にブール王国の傷病者手当のために彼等が提供してくれた救護施設を、正式に荘厳な教会へと改装することとなった。
ほぼ領都扱いのセブに教会を建設できる聖アウグスチノ修道会と比較すると格落ちの処遇なのでは、という声も政庁舎メンバーからは出たが両修道会の間でこの辺りは既に利害調整は行われていたらしい。聖アウグスチノ修道会がセブを基幹とした領内布教と信仰の維持を担当し、イエズス会がフィリピン内外の諸勢力――当然、日本も含む――向けの、言わば外へ向けての布教政策を担うように役割が調整されていたみたい。……まあ、イエズス会は現状アジア地域において実績があるため、聖アウグスチノ修道会に対する譲歩の姿勢なんだろうな、これ。
とはいっても、聖アウグスチノ修道会は布教しないのか、と言えば別にそういうわけでもない。セブ島に居住ないしは一時的に訪れるフィリピンの現地勢力出身者も居るわけで、彼等に対する布教はイエズス会と協力して行うことに決まったらしい。
ちなみに教会の設置において、双方の修道会も私に特に許諾を取る必要すら無かったりするのだが、この辺りはまあ用地確保とかブール王国との交渉とかそういう諸々の責任をこちらに投げつける方便的側面もあるのだろう。既に木造の簡易な教会は存在するしね。
布教政策に関しては多分触れると大火傷するのでフィリピン伯領としては致命的な問題を引き起こすまではノータッチの方向で。
で、ここまでの調整を行ってもう一度、ルソン島へと渡ったときには、既にウルダネータの死から1ヶ月以上が経過していた。
*
「安宅神太郎殿。此度の戦に関しては撤退の進言をして頂き助かりました」
「いえ、白雪様。総指揮官の病没という事態に、部外者である某の意見を採用できるだけ、良く掌握なされていたかと」
安宅神太郎の語る言葉は、ある種私やイディアケス、あるいはセブの政庁舎の面々とは異なる目線であった。ウルダネータの死は本来、総崩れになってもおかしくない。それを防いだ功績が安宅神太郎にあると私は考えていたものの、彼からすれば『総大将を失った軍で意思決定手段が残っていた』ことを評価しているのである。
余裕の無い状態では部外者の意見を聞くことなんて不可能だし、意思決定すらできない場合もある。その中で安宅神太郎の意見をイディアケスは採用し、実際にマニラまで退却が出来たことは、つまり最悪は免れているのである。
……私はこれまでずっとフィリピン伯領の軍制を散々低評価してきたし、スペインの本国軍から見れば、三線級、四線級としてきた。が、それでも弱兵ではあっても、軍は軍であったことに恥ずかしながら安宅神太郎の言葉で初めて気付かされたのである。
「是非、忌憚なき意見を聞かせてくれると助かるわ。
……このまま倭寇が占拠しているパンガシナンを落とすことはできるかしら?」
「まあ、無理でしょうな。敵は三千は超えぬでしょうが、それでも千から二千で、賊とは思えぬ程に統制が取れておりますれば。水軍衆を相手取るようなものですし……」
今、マニラの要塞に詰めているスペイン人兵の総数は300から500といったところか。曖昧なのは、私達の兵力は短期ないしは中期の雇用契約のアルバイターなので定期的に期限が来ればローテーションで交代しているからである。雇用継続するパターンも居るが、一旦セブへと帰る者も新たに軍に参加する者もそれなりに多い。
絶対是正した方が良いんだけども、問題はこの兵力って先の人口問題でもあった通り、全部がフィリピン伯領の領民ではない。次の太平洋横断船で新大陸へ帰ろうとしている出向水兵が、お小遣い稼ぎで参加していて、その人員が結構バカにできないくらい大きいのだ。というか、むしろそっちのが主力って感じ。
ただし総兵力としては、これにまずルソン王国の都市国家同盟体から自衛のために出動する兵力が総計すれば最大2000くらい居て、更にフィリピン伯領の臣従化にある現地勢力の援兵が自己申告を信用すれば大体500から1500くらい居るため、総兵力としては倭寇よりは多い数は確保している。臣従勢力の兵力が曖昧なのは、こちらも私達と同じく定期的に人員のローテーションを行っているためだ。
「問題は兵数ですかね? それとも指揮系統の混乱でしょうか?」
私は半ば後者だろうな、と確信してその問いかけを投げかけたが、けれども安宅神太郎の回答は異なるものであった。
「……恐れながら。進言させていただけるのであれば、兵の質の不均衡さが最大の要因であるかと。種子島と砲にて戦をするのであれば、白雪様麾下の本軍だけで拮抗しうるのにも関わらず、陣借りの国人衆の援兵を留めているがために、一当てされれば崩れかねない危うさがあります。何せ、彼等はこの呂宋に領を有する訳でも無いので、戦に対する気概が異なります。
其処を賊は突き、裏崩れを狙ってくるでしょうね」
決戦を挑むなら連鎖的な士気崩壊を防ぐために練度の低い兵を外せ、ということか。それは完全に想定外だった。
質の不均衡とは私が完全に見逃していた問題であり、同時に阿波の本領に畿内の直轄領を有して数多の畿内国人衆を束ねていた『三好家』の人間らしい進言だと感じた。
また鉄砲火力の有効性を理解している、というか久米田の戦いで狙撃で三好実休を失っているがために理解させられている部分にしろ――。
金言である。そしてそうであるが故に、恐らく次の私の言葉も想定済みであったとは思う。
「……勝手働きの国人衆の援兵を断るのは、難しいでしょうに」
「あ。やはり異国の地、南蛮の軍でもそれは同じなのですね……」
まず、基本的に援軍は呼んでいないのに勝手に来ているということだ。体裁としては援軍である以上、これを断ってしまえば『お前らのことなんて必要ない』と宣言していることに他ならず、軍功を挙げてキャリアアップする場を奪うことになってしまう。仮に本当に純軍事的に必要無いのだとしても、それを面と向かって事実を突きつけるということは、即座に暴挙に出る可能性すらも考慮しなければならないのだ。
とはいえ、来なければ来ないでそれはそれで怖い。少なからずの戦闘要員を本拠であるセブから離している現状で、一兵も損なわずにこちらを虎視眈々と狙い、裏切る機会を待ち続けているようにも映るからだ。
特に、万が一ルソンにて敗戦の報が入ったと同時に挙兵されてしまえば大変なことになってしまう。そうした潜在的な寝返りの芽を摘む、という意味でも兵力を供出してもらうというのは大事なことなのだ。
もっとも、軍拡して片手間で諸勢力を潰せるようにしてしまえ、というイディアケス補佐官の進言ではあったのだが、その諸勢力と新任指揮官が結び付いてクーデターというパターンもあり得るから、それは容易ではない。
無論、私が死ねばカスティーリャ宮廷はクーデター勢力への継承は決して認めないだろうし鎮圧の兵を送ることになるとは思うが、それをネーデルラントで絶賛王太子の叛乱発生中の本国に頼むというのも本末転倒な話だし、そもそもその時私は死んでいるからもう何もかも意味がない。
だからこそ暫定的な軍権掌握をイディアケスに任せた。暫定措置が終わり新任の軍事指揮官が派遣されたときに、その者の信用が担保されるまでは徐々に権限をスライドさせることである程度逐次的な対応が可能なのだから。
ともかく、臣従勢力の兵力を『君達裏崩れの原因になるから帰って』とは言えない。軍事的な観点からは邪魔であっても、政務的にはここに存在する意義があるのだから。
「……それで話は打って変わりますが。
最初に幕府へも要請した、倭寇勢力の内応の件はどうなっておりますか?」
「ああ、それであれば。向こうも長い目で見れば先が無いことは分かっているようで、帰順を示すものもちらほらとおるようですね。少なくとも百、多くて数百程度でしょうか」
最大3000の倭寇から、それだけ削れれば大したものである。しかし安宅神太郎は続けた。
「――ですが、彼等日ノ本の倭寇を恭順させるとして、何処へ送るのですか? 白雪様の本拠まで移送して宜しいので?」
「そうですね、それでお願いし……あっ」
待って待って!
セブ島の人口増加で農地を潰す動きが末端で出てるって話だったよね!?
この状況下で、最大数百の日本人元倭寇の流入は許容出来るのか……?
現状主人公の下に情報が入ってきている戦争・内乱一覧
・大友家 VS 毛利家 《九州北部域・1567年春~現在》
・スペイン VS フランドル=ワロニア王国(ネーデルラント南部)[ポルトガル・イングランドが後援]《1566年4月~?》
・神聖ローマ帝国 VS オスマン帝国 《スィゲトヴァール包囲戦・1566年9月~?》
・倭寇林鳳 VS ルソン王国&フィリピン伯領[室町幕府が支援]《ルソン島・1567年10月~現在》
・ポルトガル領マラッカ VS アチェ王国&テルナテ王国[オスマン帝国が支援]《マラッカ包囲戦・1568年2月~現在》
・タウングー王朝(ミャンマー) VS アユタヤ王国 《第三次緬泰戦争・1568年~現在》