外伝11話 後任人事
聖アウグスチノ修道会の司祭であり、かつては世界一周を成し遂げたこともある航海士にてフィリピン伯領内では実質的に軍事を統括していたアンドレス・デ・ウルダネータの死は、この地に住まう全てのスペイン人に動揺を……与えなかった。
まあ、それはそうである。体面だけ見ればフィリピン伯領の全てを統括するのはフィリピン伯であるこの私であり、私が健在である以上はその内部組織まで末端はそこまで気にしない。
だからこそ、セブ島に住まうスペイン人はウルダネータの死を単なる司祭の死、ないしは遠きルソン王国の方面軍指揮官の死程度にしか捉えていない。
しかし。この報を聞いた行政官は例外なく顔を青ざめることとなる。勿論、私も含めて。
それは、フィリピン遠征艦隊の設立当初からの初期メンバーを失った悲観によるもの……であれば、どれ程良かったであろう。
フランシスコ・デ・サンデは、声を荒げるようにして私に詰め寄った内容が、この場に居る全員の総意でもあった。
「フィリピン伯様! ウルダネータ様の後任は、次の軍務の代官の総指揮は、誰にお任せするのですか!」
――そう。
ウルダネータの後任が居ないのである。確かに彼は老人ではあった。しかしその修道士然とした見た目から年齢を感じさせない若々しさがあり、何より並の航海士では太刀打ちできない程の知見を有する人物で、とても現役から外せる人物では無かった。
内政に関しての代官は問題が無い。イディアケス補佐官も居るし、彼すらも不在であった場合には、目の前のフランシスコ・デ・サンデが更に代替で取り纏めることが出来ている。しかも丁寧にテルナテ王国訪問というデモンストレーションも行っていた。
しかし信頼できる軍官は少ない。練度と信用度で言うならばグレイスが申し分ないけれども、彼女を無理やり抜擢すればスペイン出身者からは猛反発を受けるので実質的には不可能な手立てとなる。
「……まず政庁舎としては出来ることを行いましょう。ウルダネータ司祭の葬儀の手配と、聖アウグスチノ修道会に対して見舞金の用意を。その指揮はサンデ殿にお願いいたします。
そしてウルダネータ司祭の後任ですが……。一度イディアケス殿の居るルソン王国に渡り、相談をしてから決めるつもりですが。
……一応、私といたしましては、ギド・デ・ラベサレス殿を見込んでおります」
ギド・デ・ラベサレス。
初期艦隊メンバーの中で、ウルダネータ以外のもう1人の世界周航達成者。フィリピン伯領内において要職を与えていたというわけではないのだが、それでもサマール島上陸後の別動隊指揮や、セブ攻略作戦時には私の副官のような立場で影はやや薄めながらも小回りの利く立場であった人物である。
ただ問題は曲がりなりにもウルダネータは尉官止まりとはいえ正規軍での指揮経験があった一方で、ギド・デ・ラベサレスは何度か探検ないしは遠征艦隊に同行経験はあるものの会計役という財務の役回りを主に担っていたとのことで、船乗りではあれど正規の軍人というわけではない。
それでも『世界周航』の有する肩書きは重く、探検家やコンキスタドールとしての名声として考えれば、今のフィリピン伯領で輩出しているスタッフの中では随一なのである。
「……そうですね。イディアケス様とご相談するのは必要な措置でしょう。となると、フィリピン伯様がルソン王国まで御渡りになる……ということで?」
「ええ、そうなります。セブにおける政務はお任せしてもよろしいでしょうか?」
指揮官が病没したことによる指揮統制上の動揺を手っ取り早く回復させる手段はより上位の人間が出向くということにある。後任を決定する必要はあるものの、おいそれと決められる場合ではない現状においては特に。
ということでグレイスと護衛を引き連れる形で、私はルソン王国入りすることになった。
*
今までにルソン王国に立ち寄ったことは何度かある。
統治最初期の同盟交渉の際は使者によるやり取りが主であったが、日本へ赴く際には挨拶も兼ねて顔出しはしている。
ルソン王国の都はトンドに置かれている……いや、この言い方はあまり正確ではない。ルソン王国という国家は実は厳密な意味では存在せず、多くの集落・都市の緩やかな連合体のようなものだと解釈して欲しい。その中で沿岸部にあるから外交の側面として表に出てくることが多かったのが、トンドの都市国家とマニラの都市国家なのである。
この両都市国家の地理を再確認すれば、ルソン島のマニラ湾のすぐ東にはバエ湖という大きな湖が存在する。湖とは言っても海に隣接しているので乾季になると海水が流入するそんな場所だ。その湖とマニラ湾を繋ぐパシッグ川という河川があり、この河川を境にして河口付近で北にあるのがトンド、南にあるのがマニラというわけになる。なお『ルソン王国』と呼称する連合体の範囲としてはこのマニラ湾とバエ湖周辺地域に限られており、決してルソン島全土の部族が連合していたわけではない。本質的には王国ですらない。
だからこそ外交において出てくる機会が多いと言うだけで、トンドもマニラも実はどちらが優位かなんて話はあまり無かったりするのだが、それでも私がトンドを『首都』であると呼称していた理由は、明の海禁除外指定を受けているのは明示的に『トンド』であり、明の文書では『東都』と字が割り振られているためである。
つまり、明との交易の盛んな『呂宋』とは、厳密な定義に立ち返ればこの『東都』との国際貿易関係である。勿論、ルソン島にやってくる明商人がトンドとマニラの区別をしていることはなく、ルソン湾あるいはルソン島という大きな括りでここは国外通商合法地域だと認識しているし、今更『トンド』だけに限定されるなんて話を蒸し返したところで明の商人・役人もルソン王国サイドも、そしてその交易関係を利用している私達フィリピン伯領ですら誰も得をしないのでルソン王国の首都・トンドという実情とは離れた形の外交的配慮を重ねた書面的事実を皆が押し通しているわけである。『ルソン王国』という呼称に意味が無い訳ではないのだ。
としたときに、かつて語った『ルソン王国とは3人の有力者によって統治されている』という書面的事実は、実のところトンドの都市国家の代表1人とマニラの都市国家の代表2人という、このルソン湾周辺の同盟ネットワークの中で渉外交渉によく登場する領主を指す。
このルソン王国を『盟主の存在しない緩やかな連合』という政体の『国家』として理解しようとすると難しいところも多々あるが、国際的に認知されているにせよ『個々の家の独立意識が高い国人領主の集合体』と認識すると幾分分かりやすくはなるとは思う。即ち、出羽の由利十二頭だったり、越後北部の揚北衆だったり、北伊勢の北勢四十八家のような立ち位置のまま外交上の都合で国として扱わないといけなくなった存在で、戦国日本的に言えば『ルソン湾衆』のようなものがルソン王国なのかもしれない。
……最も国人領主で都市国家で集落連合体でしかないはずのこのルソン王国なのだが、それでも砲を独自製造する技術力はあったりするのだから東南アジアは侮れない。
そのような『ルソン王国』だけれども、私の戦国知識では『呂宋』としての情報のみ。辛うじて現代フィリピンの首都がマニラということは朧気ながら把握していたが、それはスペインだかアメリカだかは分からないが、首都機能をトンドではなくマニラに置いたということだろう。
史実のスペインは明との交易に力点を置かなかったのだろうか、と疑問に思いつつも、マニラ湾に到着したときに漠然とその理由については推察していた。
「……まあ、これを見たら誰しもがマニラの方が重要拠点だと思うよね……」
実はマニラ側にはそこそこな規模の要塞がある。かつて私がヌエバ・エスパーニャの港湾都市・ベラクルスで見たような西洋式の要塞ではないものの、都市国家という規模感には合わないレベルのものである。
もし私が見ているものと同じ光景が前世のスペイン入植者の前にも広がっていたのだとしたら、そりゃマニラを攻め落とす判断をするわけで。彼の国と同盟が出来たからこそ『ルソン王国』という連合政体の性質について詳しく知る時間があったけれど、そうでなければマニラが要衝だと思ってしまうのも分かる。
というか、先の倭寇の侵攻でマニラもトンドも全焼したって報告を聞いていたけれども、もうその戦火を様子を窺い知れるものは無い程に復興している。半年以上は経っているし当然なのかもしれないが。
そんなことを考えていたらグレイスから声を掛けられた。
「……マルガレータ様。どうやら我々の軍勢はあのマニラの要塞に滞留しているようです。船をそちらへ付けますがよろしいでしょうか」
「報が入っているのでしたら手っ取り早いです。早速マニラに向かいましょうか」
どうやら派遣した兵力はその要塞の中らしいとのことであった。いや、そりゃトップが亡くなって統制が不安定な軍勢の離散や逃亡を防ぐために、心理的安心感のある防衛施設に押し込めるというのは、悪くないだろうけれども。
この極限状況でそれだけの軍事判断を行える人物が、果たして派兵した部隊の中に居ただろうか……?
*
「ギド・デ・ラベサレス殿ですか……。確か、先任のウルダネータ司祭よりも年上でしたよね。……正直、補佐官という立場からでは反対と言わざるを得ません」
面会したイディアケス補佐官とは挨拶もそこそこに、後任人事について私の考えを伝える。するとあまり芳しくない反応がかえってきた。
「それは高齢だからという理由ですか……?」
「それもありますが。
あまり、コンキスタドールに軍事の指揮系統を握らせることが好ましくないと判断しています。先任のウルダネータ司祭は、聖アウグスチノ修道会の影響もありましたし、そもそも陛下もフィリピン遠征において信任していた方なので委細問題無しとしておりましたが、ギド・デ・ラベサレス殿ですとカスティーリャの宮廷から少し離れている点を危惧しております」
その言葉の節々には、今まで私が軍備増強や騎士団人員の招聘を渋っていたことに対する批判も暗に込められていたが、スルーする。
今ある手立てで軍権を宮廷に近しい人物に差配させるのは不可能だ。こちらの状況が切羽詰まってしまった以上、多少の本国の軍事リソースの分割を覚悟で宮廷に人員の融通を願い出る必要がある。
幸い今はフィリピンから新大陸へ船の派遣が可能な風が吹くシーズンなので、連絡はすぐに出せるが、どんなに最速で手続きが出来たとしても後任の人物が来るのは1年は先のことになる。しかしこの理論上の最速は、宮廷内でノータイムで人員が決定しすぐに船に乗せてこっちへ戻ってくる前提なので実質的には不可能だ。だから普通に考えれば2年、ないしは3年は見ておく必要があるだろう。
「……で、あればイディアケス補佐官。貴殿が後継者が決まるまでは兼任してください。ギド・デ・ラベサレス殿を決定権限の無い相談役として使えば暫定措置としては、まあ……問題しかありませんが、せめて下策程度にはなるでしょう」
「……どの道、正式な後任の選定はすぐには出来ませんか。
それが悪手であれど、私にとっては最悪ではない以上、それを引き受けざるを得ませんか……」
ということで、船乗りのプロであれど軍事面では目立った功績の無いギド・デ・ラベサレスを、決定権限は無いが実質的には総指揮官に準ずる助言をせねばならない軍事相談役としてイディアケスの下に設置することが確定。改めて言うのも憚られる程には酷い軍制である。
こうなった以上は、倭寇に対してのルソン島での対陣は長期戦を覚悟した方が良い。まともな指揮が期待できない体制が数年続く見込みである以上は、まだ多少まともになってきている行政リソースをバックアップとして期待できる相手にも兵糧の浪費を強いる戦い方のがましだろう。
まさかこんな消極的な理由で防勢的な長期戦を行うことになるとは思わなかった。
けれどもそう考えると、要塞に兵を入れてくれたのは本当に不幸中の幸いである。
「……そう言えば、この要塞に兵を入れる判断を下したのはイディアケス補佐官で? ウルダネータ司祭の死去から、ここまで見据えて打った手だとするならば、かなり精微な手ですし、もし進言した方が居れば取り立てるのも良いかもしれませんね」
「ああ、そのことなのですが。
ウルダネータ司祭が病没した際に、直ちに軍を退き、城のような場所に兵を詰めよ……と仰ってくれたのは。
――フィリピン伯様がお借りしてきた客将のアタギ殿ですよ」
アタギ殿……? 安宅神太郎か!
そう言えば倭寇勢力の中に日本人が確認できたから切り崩しのためにここに送っていた。勿論、意志疎通のための通訳も置いているわけで。
彼は、久米田の戦いで総指揮官であった三好実休の狙撃による討死による総崩れを岸和田城という眼前で目撃しているし、何より安宅神太郎本人が安宅冬康誅殺後に事態を収拾して淡路水軍を引き継ぐという経験もしている。あまり当人としては嬉しくないだろうが、トップの人間が死んだときにどうするかのノウハウが自分自身の経験と三好家の斜陽の中でおびただしい程に積み上げられた人材なのだ。そりゃ、判断も優れるわけで。
しかし、全然想定とは違う形で安宅神太郎が役に立ったな。私の名義で感状を書き、幕府に論功行賞を行ってもらうことが必須となったが、室町幕府的にはこの活躍は想定外だろう。……どうしようか。