外伝10話 半世紀をかけて
フィリピンの外の東南アジアの情勢の緊迫化により、私達は来たるべき食糧不足に備える必要が生じた。そのためフランシスコ・デ・サンデが取りま纏めるセブの政庁舎の面々と今後の統治に関しての指針をまとめることとなった。
そしてその説明の場にフランシスコ・デ・サンデは、私の臣下であるアーノルド・メルカトルをセブ島の地勢説明の為に呼び出していた。
そんなアーノルドが語るセブ島が穀倉地帯だと言われた理由。
そのうちの1つは生産能力によるもの以上に地形が貿易港に向いていて、平野部で生産された農作物を速やかに交易に回せた点であった。
「……1つ目ということは、2つ目もあるのでしょう?」
「はい。2つ目はセブ島は諸島の中央部に位置しており、フィリピンの中では比較的台風の影響が軽微な地域です。例えば単純な平地面積としましてはルソン王国のマニラ、トンド近郊の方が隔絶していますが、あちらは災害も多いので定期的に首都が瓦礫の山になっているようです」
本来のフィリピンの首都ってマニラなんだよね、私はセブに拠点を構えたけど。だからこそ平地が広いってのも納得だし、倭寇対策の計画立案時にイディアケス補佐官がルソン王国を併呑を考慮していたのも、向こうのが発展性があることを見込んでいたとは思うが。しかし災害が多いのか。
そう考えると、相対的にでも災害の少ないこの地域を拠点に選んだのは案外良かったのかもしれない。
と、そこまでアーノルドが話していたが、再びフランシスコ・デ・サンデに引き継がれる。
「ということで私の提言は2点です。まずすぐ東に隣接するマクタン島に市街地を造成し、そちらの住宅地化を推し進める、というのが1つ。
そして、2つ目にこの南北に広いセブ島の北部にある平野部はまだ手付かずですので、そちらの農地開発を進めるというのが2つ目。
以上の2案を政庁舎からは提案いたします」
マクタン島の都市化。言い換えれば大きな島に隣接する小島を発展させるということ。
これ自体については私は1つ思い至る。それはブール王国とテルナテ王国の都市構造に酷似しているということだ。
より近いのは、ブール王国の二重首都であるパングラオ島とその対岸のタグビラランだろう。
つまり今のセブ島市街地とマクタン島と二重首都というか同じ都市圏として結合させる構想だ。在地の勢力や、インドネシアで一大勢力を築いている彼等の手法の踏襲でもあるのだから悪くない気がする。
窓の外――先程山脈を見た方とは逆の窓をちらりと見やる。
そこには、私が一夜城として欺瞞して名を売ったサン・ペドロ要塞と、狭い海峡を隔ててセブ島攻略時に最初に上陸したマクタン島の姿があった。
「ひとまず、マクタン島に住宅地を作ることは賛成です。……というかこれだけ島と島の間が近いのであれば、人口増加を見越して橋をかけても良いくらいですね」
私がそう言えば、再び思いもよらないところから意見が出た。同席していたイエズス会士、クリストファー・クラヴィウスである。
「修道会として橋の建造を担うこともありますので、一応意見として告げておきますが。石材はセブ島で切り出せるとして。
この長さですと、概算7年から8年程度は見積もって頂かないと厳しいでしょう。木造橋なら多少短くはなりますが、その場合は災害による破損は覚悟して頂かないと……」
うん、大事業だ。ちょっと却下かなあ。木造だと台風が襲う度に補修の必要があり、石造りにすると石材を山地から切り出すところからのスタートだ。いや、セブ島は台風は比較的少ないという話はアーノルドからあったけれども、多分普通に船を増産する方が色々と応用も聞くしペイ出来そう。
この際だから、ついでにフランシスコ・デ・サンデの提案の2つ目であるセブ島北部の開拓についても聞く。
「橋を作るのに7、8年って話があったからついでにお聞きしたいのですが、セブ島の北部で穀物を生産するとして、それを運ぶ手段はどうします? 陸路で行ける距離なのでしょうか?」
「フィリピン伯様のご懸念の通り、現在北部とは道が接続されておらず、現地住民の足でも1週間程度はかかる道のりです。無論、街道を整備し馬やロバなどを仕入れることで、往復にかかる日数は3日から4日程度に短縮出来るかと考えておりますが……。その道路整備を真面目にやるのであれば10年程度は見据えて頂かねば何とも……」
うーん世知辛い。近くの島に橋をかけるだけで8年、セブ島の北部まで道路を敷設するだけで10年計画か。
「……ちなみにセブの北部に港を設けて、帆船で穀物を輸送するとしたら片道どれくらいかかりますか?」
「それなら気象条件が良ければ2日程度かと」
じゃあ、道路要らなくないかな、これ……。港の造成に絶対10年もかからないし、コストパフォーマンスも最終的に得られる移動時間の短縮も、船便の方が陸路よりも断然良い。
「……というか、道路にせよ橋にせよこんなに建設にかかるのでしょうか?」
「それはまあ……フィリピン伯領内におけるスペイン人の人口がまだまだ発展途上だからとしか……」
あっ、そっか。ここで先住民族を考慮していないってことは、件の冒険者ギルド以下の仕事斡旋の仕組みを使って労働者を募集しようと考えていること、そして言語が通じない相手に対して仕事を割り振ることに対して見積もりの時点では考えていないこと、更に現地住民に対して賦役のような強制労働を見越していないってことね。
ある程度、私の施政方針である『在地領主は臣従させたら極力ノータッチで刺激しない』と『仕事は兼業であることを無理に崩さない』ことを前提としているのか。
それだと、確かに工期が伸びに伸びるのは仕方がない。
そこに納得したとともに、別の部分が気になった。
「……因みに、今のフィリピン伯領ってどれくらいの人口なのかしら?」
「セブ島に限定すれば、スペイン人や新大陸出身者はおおよそ500人から4000人くらいの間だろうかと推定しています。ここにセブ島の在地の先住民族や、周辺の島々から移動してきた部族なども入りますので、そちらは推定不可能ですね」
「いや、そもそもスペイン人だけでも振れ幅あり過ぎじゃないかしら、それ。
もっと正確に分からないものなのでしょうか?」
思わず突っ込んでしまったが、概算値の最低と最大で8倍も異なるのは流石に心許なさすぎる数値である。
しかし、これに対する返答は私が完全に見落としていたものであった。
「……新大陸との交易も含めて出入りが激しいですからね。本領に永住する者など限られておりますので、殆どが商売のためであったり、一山当てるためだったり、そんな連中ばかりです。家だって殆どが貸家だったり中長期契約の宿ですから。
まともに数えようと思っても、1年したら住民そっくり入れ替わっていたなんて日常茶飯事なこの島で人口なんてまともに測れるわけがありませんよ」
うわあ、何その詰み具合。定住者が少なすぎて人口が把握できない。まさかこんなことが起こるとは。一応仕事の斡旋の際に登録とかはさせているが、既に新大陸へ出国した者をリストから除籍とかはしていないし、そもそも兼業だから普通に重複だってする。そこから人口を割り出すことは出来ない。
1年を通してやってきた船と出て行った船。これは分かるから、そこからおそらく数値を見積もっているのだろう。ただそこまで意識して人口を把握しようと努力をしていたわけでも無いので、初期の頃のデータは怪しいかもしれない。
それに明商人との交易を見据えれば、ルソン王国にも拠点を構えている商人は多いだろうし、今後はテルナテや日本との結びつきも強くなる。より人口は流動的に拡散することになるのだから、今の状況でスペイン人の人口把握は至難の業となるだろう。
「……先住民族の人口が推定不可能なのは何故ですか? 一応、税は取っているはずでしょう?」
「フィリピン伯様。租税台帳の作成は、徴税官による調査ではなく各部族の自主申告制です。これはヌエバ・エスパーニャ副王領でも同一ですので。
そしてその部族らも元々は海上交易で栄えた者らばかりですから、人口の流入・流出はそれなりに激しく、虚偽の申告をする・しない以前の問題として、彼等も実数を把握していない可能性が高いですので……」
「……ということは。
先住民族に対する税制ってもしかして、人頭税ではない……?」
「ええ。というか、他ならぬフィリピン伯様が最初期に行ったではありませんか。
――臣従の対価として、食糧の貢納を。
以後、我等は税の徴収を貢納を主体として実施しております。……不満がお有りのようですが、ヌエバ・エスパーニャでもエンコメンデーロを始めとする先住民族を抑える地域での徴税方法は同じ貢納が主体なのですよ」
……人頭税ですらなく……貢納……?
しかも、ヌエバ・エスパーニャの先住民税制の踏襲である。その言葉がもし無ければ、私は彼等を『怠慢』だと糾弾してしまっていただろう。いくら何でも、税制が貢納というのは、流石に中世以前のレベルの問題だ。
しかしヌエバ・エスパーニャですらこれなのである。
アステカが滅んだのが1521年、47年前。初代の副王が任命されたのが1535年――33年前。
支配して最早半世紀、統治から数えても30年を超えているヌエバ・エスパーニャですら、まだ先住民に対して人頭税の導入すら出来ていない。
しかも、その理由は単純明快だ。新大陸のヌエバ・エスパーニャでは、貢納品の交換価値が未知であったことと、そして当地において貨幣経済がまるで浸透していなかったということ。それらが画一的な税制の導入を遅らせた。どの村がどれだけの物を貢納したのかは分かっても、それがどれだけの価値を有するのか、あるいは異なる生産物を有する村落のうち、どこが生産性で優れているのかが比較衡量出来なかったからである。
その意味合いで言えば、我々はまだ幾分と恵まれている。少なくとも東は日本の東北地方から、西はアフリカ東岸までをも流通地域に収めている国際基軸通貨――宋銭の存在を少なくともフィリピン在地の勢力は認知しており、貢納される物資にしても共通概念として『食糧が大事』だという少なくとも在地の勢力の間においては統一された経済観念を有しているのだから。
彼等――ヌエバ・エスパーニャやフィリピン伯領の行政スタッフが愚かであったのではない。
――それだけ、文化すらも違う異民族を統治するというのは、この時代においては難しいことなのである。
*
大方、今後の方針について詰め合わせが終わった頃合い。
参加した行政官を始めとする面々の顔に疲労の色が露骨に見え始め、お開きにしようかと思ったその瞬間のことであった。
ノックも無く勢いよく扉が開かれるや否や息を切らした職員が室内へと入ってくる。そして私達に向かって、焦燥を隠せない表情で次のように告げた。
「フィリピン伯様! イディアケス様より急報で御座います!」
「……聞きましょう」
こういうときって嫌なことしか聞かない。だからこそ、良からぬことを出されることは覚悟していた。
――けれども、流石にこれは想定外であった。
「――ルソン王国派遣部隊軍事補佐でありますアンドレス・デ・ウルダネータ司祭が、陣中にて病没いたしましたっ!
現状はイディアケス様が事態の収拾に努めておりますが、同時に派遣部隊内部の動揺が激しく一旦態勢を立て直す必要があると言伝を頂いております!」
ウルダネータの死――それは、フィリピン伯領の軍事の中核が失われた瞬間であった。