外伝9話 地域覇権の結実
既に包囲されて3ヶ月程度経過したポルトガル領マラッカは籠城戦を継続していた。
とはいえ、これくらいの期間の包囲戦は多分予想されて然るべきであろう。例えば秀吉の三木城攻め、いわゆる三木の干殺しでは包囲は2年弱続いている。三木城のケースは長めではあろうとも、半年とか1年くらい耐え得るくらいにはポルトガル側も準備しているはずだ。
ただし、ポルトガル側には援軍の見込みは無い。
本当に強いて言えばというレベルでしかない友好国を挙げるとすれば、2国。いずれも今まで私達があまり関わってこなかったインドシナ半島側の東南アジアの大陸側勢力である。
1つはマラッカから馬で1週間程度の距離にあるジョホール王国。この国もイスラーム王朝ではあるのだが、実はアチェ王国軍のマラッカ侵攻の別動隊によって同時侵攻を受けている。だからこそポルトガル・ジョホールの両国は一時的に休戦協定を結んでいる。だからこそ、ジョホール側がもしアチェ王国軍を退かせることに成功すれば、彼等が救援に来るかもしれない。
だが『休戦』という言葉が示す通り、元々はジョホールとも不仲だったのがポルトガルだ。今回、利害の一致により一時的に停戦しただけの呉越同舟の間柄であることは明らかである。だからジョホール王国がアチェ王国を仮に撤退に追い込んだとしても、ポルトガルの援軍に来るどころか、漁夫の利狙いの第三勢力と化す可能性のが圧倒的に高い。
そして根本的にジョホールがアチェ王国にどこまで抵抗できるのかというのも微妙なところである。だってアチェ王国は地域覇権国家なのに対して、ジョホールは都市国家なのだから。普通に考えれば降伏してアチェと一緒に攻めてくる方が普通なくらいだ。
ではもう1つの国はと言えば、タイのアユタヤ王朝。
もっともアユタヤは仏教国なのだが、一応1516年の時点で通商許可を得ている長年の交易相手ではある。正直、援軍を送れるだけの海軍力は無いのだが、それでも米の生産能力に優れ、兵糧の支援という意味合いでは助太刀を出来なくもない立ち位置にある国だ。勢力圏ではないものの陸路でマラッカに行くこともできる。
でも、一点こちらの国には根本的に大問題がある。現在、独立戦争中なんだよね、ここ。
その相手は、ミャンマーの統一王朝であるタウングー王朝。ここも仏教国であるのだがミャンマー統一後タイ北部の山岳地帯の独立勢力を平定した後に、5年程前にアユタヤ攻めを行い、アユタヤの属国化に成功していた。しかし、直近になってアユタヤは独立に向けて反旗を翻してこのタウングー王朝に抵抗しているといった有様で、とてもポルトガルの手助けをする余裕は無いのである。
ちなみに、このアユタヤを平定したときの両軍の戦力は、それぞれおおよそ6万から7万程度と言われており、首都まで肉薄し陥落させたときにはアユタヤの記録ではタウングーの敵軍が12万を超えていたとまで言われていたり。そんな報告をどこまで信用して良いのか分からないが、その他にタウングー王朝は決戦戦力として数千の騎馬隊、そして数百の象を基幹とする象兵部隊を保有している。言うまでもなくこちらは現在の東南アジアにおける陸の覇権国家なのだ。そりゃ、ポルトガルもビルマ周辺への植民を避けてマラッカを拠点にするわな。
つまりタイの方では、どんなに少なく見積もっても数万の兵力同士のぶつかり合いのアユタヤ独立に向けた戦いが起こっていて、そのインドシナ半島南部のマラッカからジョホールにかけてはアチェ王国を基幹とする2万の軍勢に攻め立てられているという状況が、今の東南アジアの大きな情勢となる。
……これ、戦の趨勢に関係なく以後しばらくは飢饉になるのでは?
しかし現状においては、国内の穀物需要を満たすだけでいっぱいいっぱいなフィリピンでは食糧援助など出来るはずもない。
日本から食糧を輸入すれば良い? ははは、大友と毛利が九州北部を巡って大戦をしていて、私の知る歴史においては翌年発生する多々良浜の戦いで両軍合わせて7万5000余の軍勢が動くのだけれども、それでも輸入できるだろうか。いや、史実よりも幕府が寄木ではあれど一応強固なので、上手く講和が成されれば交易品に食糧を入れてくれるかもしれないが、あまり自分に都合よく考えない方が良いだろう。
なので基本的には、文字通り南シナ海を隔てた対岸の火事として眺めることしか出来ないのだ。
とはいえ、こちらも絶賛倭寇によって炎上中ではあるのだけれども。
倭寇対策は長期化の様相を見せ始めており、そちらには監督責任者としてイディアケスが、軍事の補佐としてウルダネータが充てられている。更に倭寇内部に確認できた日本人海賊対策として、室町幕府より派遣された安宅神太郎もまとめて我がフィリピン伯領の同盟国であるルソン王国に派兵している。
という、我が領含めて東アジアから東南アジア一帯で、ほぼ確実に食糧不足が見込まれる中、セブの政庁舎において私に求められた役割は――内政問題に関する方針決定であった。
*
「――ということで周辺情勢を加味すると、本年度以降近隣から食糧を仕入れることが厳しくなりますので、改めて食糧の自給体制を皆様と共有いたしましょう……」
こう話すのは、フランシスコ・デ・サンデ・ピコン。セブの政庁舎職員よりテルナテ王国への交渉時に代官として推挙された人物だ。私が帰ってきた後でも、政庁舎の取り纏め役として動いていて、その手腕はイディアケス補佐官も認める程らしい。
その発言を耳にした他の行政官の1人がフランシスコ・デ・サンデに質問をした。
「幸い我が国には太平洋を隔てて、ヌエバ・エスパーニャ副王領とペルー副王領がありますので、有事の折には両副王から食糧を援助して頂ければ良いのではないでしょうか?」
これに対してフランシスコ・デ・サンデは明瞭に回答する。
「無論、最悪の場合にはそうした緊急輸入も必要かと考えております。ですが、最短でも此方から食糧不足の支援要請を出したとして、実際に届くのには船の都合上半年はかかります。ですので最低限度であっても我等は半年は耐え得る体制を整えなければならないのです。
それに付け加えますと我がフィリピン伯領では、食糧以外にも未だ新大陸からの援助を必要としています。特に銀貨についてはフィリピン伯様より本領においては生産能力を持たないという裁定が既に下されておりますので、少なくとも今後銀貨の輸入は必須事項となりますので、食糧輸入を増やすとなりますとそのリソース分、他の輸入品を削ることになってしまいますので……」
私達がアジアの諸国家より恵まれている点は、スペインの臣下であるということで本国や新大陸の副王領からの援助が望めることにある。そしてまだ立ち上げから5年そこそこしか経っていない為に、その援助を求める行為そのものも正当であると判断されている。だからこそ、今現在食糧危機に瀕するであろうと推定されている地域よりかは遥かに対応しやすいのは事実だ。
ただし反面、その支援は太平洋を横断して行われることになるので、どうしても時間的なラグは大きい。単純に片道3ヶ月程度かかる海路と、季節風の影響でガレオン船を送り出せる時期が限定されるという部分で、助けを求めようと思った時には既に手遅れだった、という事態にもなりかねない。
そして銀貨。これについては先の質問者を始めとして数名の行政官から不満の顔が伺えたので私の方から説明を行う。
「銀貨を完全に新大陸に依存している件についてですが。基本的には技術流出対策です。現在、このアジア地域に我が国の銀貨の生産拠点はありません。ですので、他の国家や部族がこの銀貨の有効性に気付き、これを偽造しようとしたとしても、少なくとも鋳造所の職員として働き技術を盗み取るということは不可能でしょう。無論、それで偽造が根絶されるとは思っていませんが、心持ち程度の抑制にはなるかと。
……何より、フィリピン伯領内では現状銀の採掘は行っておりませんし」
まあ上から俯瞰する立場でしかも死後は爵位を王家へと返そうとしている私と、実務をこなす担当官との立場では、意見が異なるのは仕方のないことだとは思っている。そりゃあ基本、自領で生産出来るなら何でも生産したいと思う方が普通で私の判断の方がおかしいわけだし。
だから納得したわけではないだろうが、けれども今日の本題ではないという感じで意図的に見逃されたようであった。
フランシスコ・デ・サンデが切り出す。
「現状セブ島で開発を進めている地域は、この政庁舎やサン・ペドロ要塞のある東海岸の平野部に限定されております。
フィリピン伯様やイディアケス様の施政の結果、この地域において人口を拡大させつつ農地の拡大も並行して行っておりましたが、近頃宅地造成の為に中心地付近にあった農地を潰すケースが散見されております。
利便性や収益性を鑑みれば、中心街に近い地域を農地とするよりも貸住宅にでもして賃料を取る方が楽に収入を得られることもあり、そして住宅の増加自体は不利になるわけではありませんが……」
彼は言葉を濁したが、このフィリピンという土地において、私達が統治を行い指導者として君臨出来ている根源的な背景は『食糧生産』を握っているからに他ならない。だからこそ農地を削って人口が増えるというのは、結構悪い傾向なのである。
とはいえ、それくらいのことは行政のプロフェッショナルである彼等は理解しているし、理解しているからこそ私にもこうやって分かるように説明がなされている訳で。
その辺りを踏まえて私はこう告げる。
「……私は専門家ではありませんので、詳しいことは何とも言えませんが良くない傾向であるというのは理解できます。
つきましては、どのような対応するのか、その素案のようなもの……は用意していらっしゃいますか?」
「ええ、2つほど腹案は御座いますが……。ですが前提に関して皆様に理解を深めていただく為に、専門のアドバイザーの方から少しお話を伺ってもよろしいですか?」
「勿論。……それで専門家とは?」
「――フィリピン伯様のご家臣であらせられます、アーノルド・メルカトル様です」
おっと、ここでアーノルドの名前が出るか。確かに都市造成アドバイザーとしても使えることは私も考えていたけれども、まさか先んじて部下に配下を使われるとは思わなかった。というかアーノルドは、これ以外に日本とテルナテ王国の測量データをまとめる作業もあるから地味に仕事量が多い。
そしてアーノルドが呼ばれて説明を行う。
「マルガレータ様の臣下のアーノルドです。セブ近郊の地勢の調査は概ね終わっておりますので、そちらを基に簡単に掻い摘んで話したいと思います。
まず大前提ですが。この地に住まう先住民族は、セブ島を『穀倉地帯』と称しますが、実際のところ平地面積といたしましてはそこまで極端に広いわけでもありません。……こちらの窓の外の景色から見て分かるかと思いますが、内地には山脈がありますので」
私は頷きながら窓の外を見ると確かにそれなりの標高の高さの山々が連なっている。セブ島は南北方向に縦長の島だが、その南北方向に分断する形で山脈が形成されている。まあ造山運動で陸地が出来たからこそ島になったとも言えるのだけれども。
基本的にセブに限らずフィリピン諸島全域で火山も噴火すれば地震も起こる。その上で台風も発生すると言えばどこかで馴染みのある島々を思い出すかもしれないが、これにスコールと熱帯地域特有の農業にそもそも不向きな全く肥沃でない土壌という悪条件が重なる訳で、そもそもの環境的な部分はあまり良い条件ではない。
アーノルドが話を続ける。
「ただ山脈が一概に悪いわけではないですよ。測量と並行して地質調査も行いましたが、大理石を含む良い石材がそれなりに豊富に採れるようです。鉱物資源であれば銅が産出していました」
うーん……山の開発か。あって困るものでもないけれども、そこまでリソースを割くのもなあ、とはいえ放置して勝手に採掘されるというのもまた微妙だ。これは一旦保留で。
そう告げれば、アーノルドはセブ島全体の説明へと戻る。
「それでもセブが『穀倉地帯』と呼ばれた所以は2つ考えられます。
1つは、すぐ近くにマクタン島があり、現在拠点を築き上げているこの政庁舎付近が天然の良港で貿易港として機能していたからですね。
つまりセブの平地で生産された農作物を速やかに輸出できる環境が整っていたからこそ、周辺の島々の住民から『穀倉地帯』として認識されていたのでは、と推察されます。
……もっとも良港とはいえ、マクタン島南部の一部海域には礁原がありますから、その周辺は水深は深くないので気を付ける必要がありますが」
単純な生産能力以上に、交易のしやすさも勘案しての『穀倉地帯』か。でも平地で港があって交易しやすいとなれば、うん。
穀倉地帯というよりも、それって都市向きの立地なのでは……?
※16世紀頃の東南アジア主要国解説
タウングー王朝(ミャンマー)
仏教国。バインナウンの治世期、即ち現在が最盛期。ミャンマーを本拠として東は現在のラオス・タイのほぼ全域、西はインパール地方までを直轄ないしは臣従地域として抑え、雲南方面では攻勢に出て、明とも戦っている。(それとセイロン島にも影響力があったり。)
その偉業はミャンマーにおいて当然空前でありおそらく絶後。バインナウンの築き上げた国は『東南アジア史上最大の帝国』とも称され、タイにおいては『10の方向の征服者』という異名を持ち、ポルトガルからは『明を除けばアジアで最も強力な君主制国家』と呼ばれていた。
山岳地域での戦争を優位に進める他方で、平地のアユタヤ攻めの際には援軍含めた7万の軍勢でアユタヤを1年間包囲して兵糧攻めで陥落させている。これは力攻めで損害を被って落とせなかったという理由もあるが、それでも数万の軍勢を1年間養い続けることができるくらいには軍機構が整っている。
そしてこのタウングーは、ポルトガルから銃火器の輸入を行っており、16世紀後半には動員兵の2~3割が銃を装備する。一方で最盛期の現在においては5000頭を超える馬と、500頭を超える象で構成された象兵部隊を一戦線に投入(全く同時期に別方面で100頭の象は確認)している意味が分からない国家。
そんな軍備を実現している背景には本拠地であるビルマの中央平原地帯が比較的乾燥しており畑作と稲作の混合型農業で、乾燥故に灌漑農業が発達しているバリバリの農耕民族の性質と、乾燥地だからこそ家畜の飼育に向いていて水牛や黄牛とともに馬を育てている牧畜民の性質を同時に共存していたためである。なお本拠周辺の山岳地域には鉱物資源も豊富。
史実国家の癖してなろうファンタジー時空の主人公国家みたいな性能しないでください。
アチェ王国(スマトラ島)
イスラーム王朝。最盛期は17世紀初頭で、この時期はスルタンの権限が富裕層や貴族によって制限されていて政情不安定。なので史実1568年のマラッカ包囲戦では1万5000程度の軍しか出せないが、最盛期のポルトガルへの侵攻作戦時(1629年)には6万の兵を擁していた。で、この国のヤバいところは海洋覇権国家なので、この兵員は同時に水兵でもある。
オスマン帝国と密接な外交関係にあり、17世紀初頭には1200門の青銅砲と、フランキ砲含む艦砲系統800門を有することになる。なお、真鍮製の砲の製造技術は自国で出来るようになっており地味に技術力も侮れない上に文化的にも極めた優れた文明国である。ただし外征はあんまり成功しない。
テルナテ王国(香料諸島)
イスラーム王朝。史実の最盛期は既に本編中で登場しているバーブラ王子が国王に即位した後。即位したバーブラは後世にて『72の島の支配者』と呼ばれる。
インドネシア諸島の東部では最大勢力を築き上げていた。一説には当時2000隻を超える大型の手漕ぎ船(コラ=コラ)を保持し、支配地域全域の総兵力は13万を超えるとも言われている。(ただし、この13万という数値はあくまでスペイン側資料からの総兵力の推定値に過ぎない。)
手漕ぎ船の兵員の武装は、剣・槍・弓・吹き矢が主体であるが、同時期に7門の火砲を積載したものも確認されている。
史実においてバーブラは即位と同時にポルトガルとの全面戦争を開始。1575年には1つの砦を除いて領内全てのポルトガル入植地の駆逐と親カトリック系領主の追放を成し遂げ、ポルトガル側から降伏を引き出した。16世紀中にポルトガルへ『侵攻』したアジア諸国は数あれど、実際にポルトガルを降伏まで追い込んだのは私が調べきれた範囲ではテルナテ王国くらい。
まあ秀吉の九州征伐(1586-1587)や小田原戦役(1590)の豊臣軍や、大坂冬の陣(1614)の徳川軍とかは20万くらい出ているのですが……。