外伝8話 デズデモーナの黄昏
テルナテ王国側からアチェ王国によるマラッカ侵攻の予定が明かされた。
マラッカがイスラームの手に落ちればポルトガルは打撃を受け、私は本国のネーデルラント問題を間接的に支援することができる。それは間違いない。
しかし一方で、この一撃がポルトガルに打撃どころか致命傷を負わせることになってしまえば、インド洋制海権の喪失まで引き起こしかねない。するとアチェ王国とオスマン帝国との連絡路の安全が確立され、更なるオスマン帝国の伸張に繋がる可能性がある。
マラッカ侵攻というカードが眼前に出されたことで、貿易交渉であったはずの今回のやり取りが、ポルトガルにどこまで打撃を与えることを黙認するかという問題に転化してしまった。そして、基本的にはポルトガルの影響力が減退することについては私も賛成の立場ではあるが、その与える打撃度合いのギリギリのラインを見極めることが困難である。
確かに、私は歴史上の出来事としてポルトガルが後々スペインに併合されることは知っている。セイノス長官の謀略の中で明かされた王位継承者の枯渇、これが重要なのだろうと目星は付けているが、実際いつ頃のタイミングにポルトガルが無くなるのかまでは知らない。しかし、一方で戦国側の知識でポルトガルの影響力を減退させる要素は戦国期を通して見られない。秀吉の伴天連追放令や江戸幕府の禁教令のように日本側からの働きかけでカトリック側の動きが制限されるということはあったものの、そもそもポルトガルそのものがどうなったかという部分については見えてこないのである。多分、江戸時代に入る前にはポルトガルは併合されていたと思うのだけれども、日本においてポルトガルの影響力は保持され続けていた。
だとすれば史実のスペインはポルトガル併合後も、少なくともポルトガルのアジアにおける活動においての地位保全はしていたということになり、となればそこまでアジア側でポルトガルが弱体化していたわけではない……とは思う。
そして他にも問題がある。私達に選択権が委ねられているように見えるが、実際問題として現在、ルソン王国を侵している倭寇対策の方が優先事項である。つまり大規模な軍事派兵など不可能に近い。
だからこそ、ここでテルナテ王国の動きを否認したところで軍事的恫喝や派兵に即座に移ることは出来ない。勿論、口八丁手八丁で圧力をかけることは出来るだろうが所詮はブラフだ。こちらの現状を見透かされた瞬間に水泡に帰す。
あるいは相互不可侵を認めたところで即座に私達を信用して全軍を援軍として編成することは無いだろう。かといって不可侵を蹴ったところで私達が二正面の軍事行動を取れないことを看破してテルナテ王国軍を動かしアチェ王国への援兵を編成する可能性はある。
となれば、受け入れても受け入れなくても、大勢に影響は無いのでは? と勘繰ってしまう。無論、問題をマラッカ侵攻に限定しなければ恐らく様々な部分に波及するだろうが、畢竟テルナテ王国の心証というポイントにかかっているとも言えなくもない。
そこまで考えて私も思い出す。テルナテ王国側と極秘で交渉したい事柄――ヴェネツィア共和国からの密書の件があったことに。
「不可侵の是非を答える前に。一度、こちらの手紙を見て頂いてもよろしいでしょうか」
そう、私が告げた言葉をダトゥ・シカツナが訳し、テルナテ国王、カイルン・ジャミルは穏やかに頷く。
「……シカツナ殿。今から話す内容を訳してくれませんか? ……そして、この手紙については決して他言無用ということで」
「それは別に構いせんが。その書状には一体何が書かれているので……」
そのシカツナの言葉を遮るように、私は書かれている内容を読み上げる。
即ち。
『――友邦・テルナテ王国の情勢不安について我が国も憂いており、第三国による攻撃には辟易させられている。そこで貴国とのかつての友好を復するために、第三国に対して適切な対応が行われれば、我が国としても貴国との貿易協定を再度締結することも叶うだろう。
無論、テルナテ王国に対しての正当な交易であれば、我が国としても内政干渉にあたるので関知することではない』
と、代名詞によって濁されているものである。そして私は、これをそのまま代名詞は代名詞のままで訳するようにシカツナに伝える。
内容を咀嚼した後のカイルン・ジャミルの言葉は早かった。
そして、シカツナを経由して、そのテルナテ国王の言葉が繰り返される。
「『第三国が貴国であり、我が国というのは……ヴェネツィアのことでしょうか?』……とおっしゃっていますが」
驚いた。何も情報を与えずに、ヴェネツィアからであると特定したのである。
「何故、ヴェネツィアからであると分かったので?」
この疑問に対するカイルン・ジャミルの返答は長く、そして同時にこの東南アジア地域について如何にヨーロッパ勢力が無知であるかを知らしめる内容であった。
曰く、この香料諸島においてはテルナテ王国の成立よりも遥かに昔から香辛料をインドや中国に対して輸出を行っていた。
ではテルナテ王国の建国はいつか?
――その答えは13世紀。300年以上昔なのである。そして、その当時からインド方面への香辛料輸出はテルナテ王国に限らず周辺諸国とともに活発であり、そこからイスラム商人の手に渡り、地中海東岸都市でヴェネツィア商人に渡ることでヨーロッパにおける香辛料交易の旗振り役を担った、というのが真相である。
そう、間接的ではあるが300年を超える付き合いがあるのだ。しかも、その交易の経由地にはアチェ王国――即ちオスマン帝国と外交関係を樹立している国家がある。だからこそ、ヨーロッパの状況はある程度オスマンとアチェ経由で流れている。間接的とはいえども、300年来の貿易パートナーともなれば情報くらいは入っているのだろう。
テルナテ王国からすれば、同じ宗教であるオスマン帝国よりヨーロッパの簡単な説明は受けられる。対して大航海時代以前のヨーロッパが東南アジア情勢について、もし知ろうとすれば同じくオスマン帝国頼りになる。となれば必然情報量のイニシアティブはオスマン帝国に握られることとなるわけで。敵国として軍事衝突したこともあるヨーロッパ勢よりかは、遠国の友好国の東南アジア諸国に親身になるのはオスマン帝国視点で見れば当然の話だろう。
つまり、私はテルナテ王国について知らないけれども、テルナテ王国側もヨーロッパのことを同程度に知らない……と考えてしまうと痛い目を見るということだ。
改めて気を引き締め私はこう告げる。
「あくまでヴェネツィア共和国の申し出は10年前に頂いた非公式の申し出です。
……ですが昨年付けで新たに当該国との連絡係が変わりまして、同時に先の申し出は今なお有効であるという追認を頂いております」
翻訳のワンテンポを待つ。
「『私共としては貴国が交易品を何処に売り渡そうが関係の無いことですから、どうぞご随意のままに。
――しかし、それはポルトガルではなくヴェネツィアと貴国を欧州諸国は新たな香辛料の交易パートナーとして提示している……という解釈でよろしいのですかな?』と、そう申されています」
やっぱり、結局争点になるのはポルトガルの取扱いである。
私は溜め息を吐きつつも、こう答えたのであった。
「……これから良き商売相手となる貴国に対して、よもや軍事行動などという野蛮なことを行う訳が無いではないですか。
喜んで、不可侵の約定を結ばせて頂きましょう」
これは私が選択したのではなく。選択させられた。
どうしてもそう考えてしまう程には、袋小路の交渉であった。
*
極秘の対談は終わり、席を外していた人物も戻ってきた。
細かい交易品の品目やレートについては実務者に丸投げする。どうせ実際に機能するのは日本との通商が正式に開いてからだ。それまでは今までブール王国経由でやり取りしていたのに毛が生えたレベルの取引量にしかならないと思う。
なお、貿易交渉や不可侵締結の契りとしてフィリピンで求められたような血の杯を飲むことは行われなかった。あれって、やっぱりフィリピン独自の文化だったのね……。
「……というわけで。このテルナテ王国の外交交渉役として誰か残さないといけないのだけれども。通訳と一緒に残りたい希望者はおりますか?」
なお、この通訳とはダトゥ・シカツナではない。シカツナはブール王国の後継者だから此処に残すわけにはいかないし。
「では、私が」
テルナテ派遣人員の中の若手の行政官の1人が立候補したので名を聞いてみれば、彼はゴンサロ・ロンキージョと言うそうな。
「……因みに、フィリピン伯領に来るまでは何処で仕事を?」
「ペルー副王領で裁判官として副王に仕えておりました。その後一度本国に戻ろうかと思いましたが、メキシコシティに辞令があったので其方に向かいまして。
其処でも司法に携わっておりましたが、数ヶ月で太平洋派遣艦隊に同行することとなり、以後はフィリピン伯様のご領地にて貿易管理の任に付いておりました」
司法のプロフェッショナルで、フィリピンでは貿易関係の仕事。まあ、行政官として今回のテルナテ派遣に同行するのには最適な人材とも言える。
「ええと、じゃあゴンサロ・ロンキージョ殿。貴殿に渉外折衝は一任いたします。大枠は決まっていますし、我等の方から出す対価は銀となるので、基本的には交換レートを詰めるお仕事になるかと思います。よろしいですね?」
「はい、承りました。それで、テルナテ王国からはやはり香辛料を中心に……ですか?」
「そのような感じですね。でも、それ以外でヨーロッパ向けの輸出品目として適する品々があれば見繕って構わないですよ。
……あ、そうだ。日本輸出向けに『香木』の取扱いも伺っておいてください。昨年、日本に赴いた際に高額で彼方では売れることは掴んでおりますので、少量で構いませんので仕入れてくれると助かります」
ゴンサロ・ロンキージョは頭上に疑問符を浮かべていたものの、ジョゼ・デ・アンシエタが香木に関する資料はまとめていたらしく、それを彼に渡すことで決着した。言われてみれば確かにアンシエタも組香の席に見学として同席していたな。
しっかりと資料としてまとめているのにはびっくり。
こうしてゴンサロ・ロンキージョを大使? 外交官? のような立ち位置で任命し、彼をテルナテ王国に残して私達は帰路につくのであった。
そして――。
帰国後すぐに急報にて、アチェ王国のガレー船主力艦隊を含むおよそ400隻の艦隊、2万余りの軍勢がポルトガル領マラッカに築かれた要塞へと渡海侵攻を開始した。
そこにはアチェ王国海軍以外に、黄色に白丸の旗――テルナテ王国の援兵艦隊と。
そして、緑色に黄色の三日月を掲げる海軍旗。
そう。
オスマン帝国の所属を示す砲兵部隊の姿が確認されたとのことであった。