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外伝7話 モロク・キエ・ラハ


 テルナテ王国は単一の王朝ではなく、いわば連合王国である。この国の歴史は13世紀、イスラームが伝来する以前より始まるが、少なくともその初期は小島の領主程度の存在でしかなかった。それが東インドネシアを代表し、ヨーロッパまで名が届く勢力になるまで成長した要因はやはりモルッカ諸島、別名『香料諸島』の名が示す通りの香料――香辛料なのである。


 香辛料の海上交易によって財を成したテルナテ王国は、勢力の拡大にあたり他の香料諸島にあった国家と衝突することとなり、テルナテ包囲網のような様相すら示した。そうした戦いは1世紀に亘って続いたが、時のテルナテ国王が名誉ある和平を執り行おうと声を挙げ、ついには成し遂げられた。

 『モロク・キエ・ラハ』。テルナテ語においてモルッカ諸島は『モロク』と言い、『キエ』は4を意味し、『ラハ』は山を意味する。

 だからこそ直訳すれば『モルッカ諸島の4つの山』。これが同盟の正体であり、同時にテルナテ王国は他3王朝との連合の下に飛躍した国家でもある。


 連合王国という意味では他ならぬスペインも似ていると言えば似ている。そもそもフェリペ2世はスペインの国王であるが、その王位は、カスティリーヤ、アラゴン、ナバラの3つの王を兼ねているものである。だからこそ『スペイン』という国家の構成要素はその3王国を基盤にしている。まあ、あくまでメインはカスティリーヤだけどね。


 ただし、スペインのように各王国の国王を全て同一人物が統べる『同君連合』という形ではなく、あくまでテルナテ王国が各国家の実質的代表格となっていてそれぞれの王国にはそれぞれのスルタンが存在するみたい。でも只の『同盟国』といっただけの希薄な連帯感ではない。

 あまり適当な例が浮かばないが、強いて言えば織田家と徳川家のような関係性といったところだろうか。従属国だったとか実質的に家臣として扱われていたなどという説もある徳川家だが、一応名分の上では織田の同盟国である。

 でも甲相駿三国同盟だとか越相同盟だとか甲越同盟だとか、他の大名家とは異なり徳川は一貫して織田の下に付いていた。もっともそれが従属なのでは? と言われる所以ではあるものの、利害関係や情勢の変化で流動的にパートナーが変移する一介の『同盟国』とは異なる。

 『モロク・キエ・ラハ』の連帯を無理に戦国時代に落とし込むとしたら、そうした関係性なのだろうなと私は思う。


 そして織田・徳川連合軍が同盟関係を固持した背景に武田家の姿があったように、テルナテ王国が他3つの王国と組み続けていられるのには、必然理由がある。

 それはポルトガルによる軍事的脅威。そして、ポルトガルとの外交関係ということで私にも繋がってくる話になるのだ。


「フィリピン伯様! ハルマヘラ島が見えてきましたので、テルナテはもう目と鼻の先でございます。

 2、3日の間には到着するかと」


 その船員の言葉があった丁度3日後に私はテルナテ島へと上陸することとなる。




 *


 上陸した私達は、盛大に歓待された。元より小島に建てられた国であるが故に、宮殿は海沿いにあるので大した距離ではないのにも関わらず、護衛の兵と軍楽隊のようなものが混成した先導部隊によって私達は宮殿まで連れられた。

 その兵の数を正確に数えようとしたが、歩きながらだと沢山いるなあってくらいしか分からない。けれども護衛兵は皆、銃を装備していた。


「ねえ、グレイス。ざっと兵数分かります?」


「目分量ですが百はおそらく超えております。二百には届かないかと。

 半数がアルケビューズ銃兵でもう半数がマスケット銃兵です……我等欧州勢の兵制までよく研究なされていますね」


 グレイスの見立てでは百から二百。しかも、異なる銃の混成部隊である。テルシオの兵制では、独自裁量が高めなので一概には言えないが、基本的には小口径のアルケビューズ銃兵の方を多く配備する傾向にある。とはいえ銃兵だけにはせず槍兵との混成にはするのだけれども。

 しかし、ここはヨーロッパのように平原が多い地域ではなく群島がひしめくインドネシアである。しかもテルナテ王国の本拠は小島で海上機動前提であることを考えれば近接部隊よりも遠隔投射部隊を重視するというのは理に適っていると思う。


 どこまで考えての軍備かは分からない。私達はボホール海においてテルナテ王国との交戦経験はあるものの、あれの実態は海上部隊はポルトガルに名義貸しをしていた趣きが強く、陸上部隊とスペイン勢はまともに戦っていない。だからこそ、テルナテ王国の強さは未知数である。

 だが、そこにはウチの三線級・四線級の軍で太刀打ちしたら苦戦必至であろう規律と軍事技術は垣間見えた。


「……『ボホール海海戦でブール王国を攻めた陸上部隊は案外、ポルトガルではなく、テルナテ王国本軍だったかもしれない』みたいな考えが顔に出ていますよ、フィリピン伯様」


 グレイスとの話に混ざってきたのは、ダトゥ・シカツナであった。彼もスペイン語が本当に達者になったものだ。そしてその発言は私の図星を付いている。


「……実際、どうだったかブール王国側で結論って出ています?」


「陸戦兵力はテルナテ王国軍が主体でしたし、我々が脅威に思ったのも事実です。

 ……ですが。多分、今私達を先導しているのはおそらく近衛ですので、この練度の兵がありふれているわけではないとお考え下さい」


 つまり、今私達が見ているこの部隊こそがテルナテ王国における最高練度の兵力ってことである。

 そして、そんな話をしたダトゥ・シカツナ本人は、その近衛兵の中でも指揮官っぽい人を目敏く見つけてテルナテ語で話しかけていた。


 あれ? 一応、テルナテ語話者の通訳は連れてきたけど、シカツナがいつの間にかテルナテ語を覚えているならば、通訳って要らなかったのかな?




 *


 謁見に際して私からは1つだけ条件を付けた。

 それは、イスラームの礼拝所であるモスクでの対談は避けること。宮殿の建築様式が明らかにフィリピンでもヨーロッパでも身に覚えのなかったので、一応の警戒のつもりで発した言葉であったが、どうやら宮殿は本当にモスク併設であったらしく私の提案は受け入れられた。向こうもポルトガルとの交渉を何度もしているから、そういうことはやらないとは思ってはいたけれども、万が一のリスクというやつだ。


 そして通された一室は、謁見の間みたいな場所ではなく、来客用の部屋とでも言えば良いのだろうか、ともかく豪奢な部屋へと案内されたのである。

 そこには、私より年上の男性が1人と、私と概ね同世代の男性が1人。他にも護衛やら通訳やらが数名居たけれども、明らかに服装が違うと感じるのは、この2名であった。


 彼等が話した言葉を通訳が訳そうとするのを制してシカツナが話す。


「年を取っている方が、この国の国王であるカイルン・ジャミル殿です。

 そして若い方が、その実子のカイシリ・バーブラ殿でございます」


 あれ? 親子なのに苗字違うじゃん、と思ったが、『カイシリ』とは王子のことを意味するようでバーブラ王子と呼んでいることに等しいようだ。

 じゃあ『カイルン』ってのは国王を表すのかと思ったが、そちらはどうも違うらしい。うーん、姓名の判断がよく分からない。


 そしてこの親子、表情が対照的だ。

 カイルン・ジャミルの方はにこやかに穏やかな笑みを絶やさない好人物である一方、バーブラ王子の方は不快感を隠そうともしない。しかし、父王の手前、ありありと浮かべる不機嫌そうな表情だけで、そこには殺気も籠っていなければ、武具の類を持っている様子もない。


 一応、儀礼的な挨拶を一通り済ませた後に、早速本題に入る。事前交渉をしていたからその辺りはスムーズだ。別の部分ではお互い通訳が必要な状態だからこそ、少しでも円滑にテンポを乱さずに進めたいという意志の表れでもあろう。


 ダトゥ・シカツナが彼等の言葉を訳す。


「『昨年にアンボンの地にて、ポルトガル派遣艦隊を我が遠征部隊が撃破しており、ポルトガルは我等に和平を求め、今現在は講和しております。

 その講和条約にて、従来認めておりましたポルトガル商人に対しての香辛料交易特権条項は既に削除されていますので、我等は誰に憚れるわけもなく、自由に香辛料を売買することが可能となりました。

 ……そんな最中、皆様――スペインの方々が接触してきたのです』……とカイルン・ジャミル殿は語っていますね」


 訳してもらうまで、言葉が分からないので相対する2人の表情を伺っていたが、バーブラ王子はカイルン・ジャミルが話している間だけは誇らしそうな表情を浮かべていた。……大体分かってきた。この王子が反ヨーロッパというか強硬派を取り纏めているのであろう。で、国王本人は穏健派。実にバランスの取れた宮廷である。


 しかし訳された内容も中々に驚いた。まさかポルトガル艦隊に勝利したとは。一応裏取りをするか。


「失礼ながら和平を請うた相手の名をお伺いしても?」


 そしてこの質問に対する回答はワンテンポ遅れて訳される。それはより詳細な情報を伴っていた。


「『ゴア副王アントニア・デ・ノローニャの命にて派遣されたアンリケ・デ・サの艦隊を撃破した後にモルッカのポルトガル人を取り纏めていた、ロペス・デ・メスキータから和平の要請があり、我々はその平和を求める声に応えたまでです』とのことです」


「ルッジェーリ殿、どうでしょうか?」


「……副王の名は正しいですね。他の者の名は、一度戻ってからでないと確証は持てませんが……概ね真実であると捉えて良いと思います」


 ポルトガル領インドの副王の名を把握している以上、ポルトガル側についてもしっかりと知識があることは明らかだし、艦隊責任者と現地統治者を分離して捉えていることからも真実味が強い。

 ということは、テルナテ王国。ポルトガルに勝利を収めているのか。ポルトガル側がガレオン船を持ち出してきたかは分からないが、艦隊と言っている以上は少なくとも単艦であることはない。


 そこにジョゼ・デ・アンシエタが話を挟む。


「……『アンボン』という地名には聞き及びがあります。そこにはイエズス会より宣教師が派遣されていたはずです。ですが昨年を境に追い出されたなどという話は伺っておりませんが……」


 そのアンシエタの言葉を伝達するようにシカツナにゴーサインを出したら次のように返ってきた。


「『アンボンにはカトリックの民が多くおりますので、彼等の信仰はテルナテ王国の名の下で保障しております。信仰のためのモスク(・・・)の建設も認めておりますよ』……だそうですが」


 あれ? 滅茶苦茶柔軟だし寛容だ……。


「……ですが、これって……」


 私が言葉を濁せば、苦笑しつつもルッジェーリが私の想像していたことを代弁し同意する。


「……おそらく、フィリピン伯様のお考えの通りかと。

 ポルトガルは十中八九、時間稼ぎ程度にしか考えていないと思われます」


「ルッジェーリさんの言葉に1つ付け加えるのであれば。

 教会建設の名目で砦なども作っているかもしれないですね」


「アンシエタ様……もしかして似たようなことがブラジルでも……」


 ジョゼ・デ・アンシエタは黙って微笑んだために、私はそれ以上追及できなかった。他ならぬブラジルのポルトガル人勢力によって現地から追放されているから、ポルトガルに対する心象は最悪でしかないのだろう。


「……ですが、これってテルナテ側に伝えてしまって良いのですか。……その。現地の宣教師ってイエズス会の所属なのですよね、もし勘気に触れたらそれこそイエズス会ごと追放されかねませんが……」


 ここは正直難しい判断だと思う。現状、イエズス会のアジア布教地域はインド管区管轄のポルトガル側とフィリピン・日本準管区管轄のスペイン側に分かれている。そしてテルナテ王国は管轄としてはインド管区であるため本来はポルトガル側の宣教師に委任するのが道理である。

 けれども、他ならぬ本国サイドでネーデルラント問題に起因してスペイン・ポルトガル間の外交関係が急速に悪化している手前、その両方に根を張るイエズス会内部の意見すらも割れかねない状態となってしまっているのだ。


 ジョゼ・デ・アンシエタが先に語った。


「……どうせポルトガルの企みは、戦争準備が出来ればいずれバレることです。

 それに、再びポルトガルが負けてしまえば、今度こそイエズス会諸共追放されてしまいます。話して良いと思いますが、ルッジェーリさんはどうですか?」


「……そうですね……。ポルトガルは一度負けているということを考慮すると、次に勝利してこのテルナテ王国を完膚なきまでに叩き潰す確証が無い以上は、イエズス会を守る選択肢はありなのですよね……。カスティリーヤ宮廷のオーダーも考えればテルナテ王国に伝えてしまって良いかもしれません」



 正直。ポルトガルの手によって追放された宣教師と、カスティリーヤ宮廷の紐付きのコンビだと、こういう結論になることは正直予想していながらも話を振ったところはある。……これで、バラした責任はイエズス会にあることになる。


 そしてシカツナ経由で、その懸念はテルナテ王国に伝えられた。

 興味深いのは、私達の懸念を伝えられても尚、カイルン・ジャミルは表情が全く崩れなかった点だ。反面息子であるバーブラは怒号を上げながら自身の父親を詰問していた。流石にこれは訳されなくても分かる。国王の軟弱な姿勢を批判し、ポルトガルに対して憤りを感じているといった様相だ。


「『キリスト教徒など全員放逐してしまえば良い』……そのようなことを王子は言っておりますね」


 こういう反応になるのも、ある意味では致し方の無いところだろう。しかし、そうした息子の激昂ですらもカイルン・ジャミルは動揺しなかった。

 静かに語りだしたカイルン・ジャミルの言葉に、息子は最初言葉を止めただけであったが次第に驚愕の表情に包まれ、そして呆然と力なく座る。


 そしてそのテルナテ語を聞き取れる人物はシカツナは勿論のこと、テルナテ王国側の人間ですらバーブラと同様に驚き畏怖の表情を浮かべていた。


 シカツナは次のように訳した。


「……その。『存じ上げておりませんでしたが、そういう気質が相手方にあることは理解しておりました』と。

 そして、『だからこそ、貴殿らスペインとの貿易協定を締結し、過去のボホール海での行き違いを清算したいと思ったのです。後顧の憂いを断つために。

 マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿。1つ提案がございます。聞けば戻れぬ提案ですが、お聞きになりますか?』……そう彼は告げております」



 この時、交渉の主導権は完全に奪われてしまったことを悟った。そして訳された内容には、皆が驚愕したことが含まれていない、私はそう感じた。

 元々彼等が踏み込んで交渉を行うつもりだったかどうかは分からない。しかし、『聞かない』という選択肢すらも用意する程の大きな提案を私に提示してきた。


 そして私が質問に対する答えを出す前に、ルッジェーリが静かに一言呟く。


「……私達は席を外しましょうか?」


 まさか明らかに危険球が出てくる場面で、カスティリーヤ宮廷の意向もイエズス会の意向も汲まねばならないルッジェーリから席を外すなどという言葉が出るとは思わなかった。それは、彼自身が自分が聞いてはならないことを目の前の国王が放言しようと判断したに他ならない。

 ということは、おそらくイエズス会の彼等とともに聞けば私の判断はより難しくなる、そういう類の話なのであろう。


「……ええ。

 では、シカツナ殿。こう返してください。

 提案を聞く用意はありますが、通訳とカイルン・ジャミル陛下のみで伺いましょう……と」


 その言葉が訳された瞬間。テルナテ王国側は王子も含めて立ち上がり席を外す。そして宣教師2人もまた別室へと案内され、こちらの通訳と認識されているシカツナ以外、本来お互いが用意していた通訳ですらも外されて、部屋の中には僅かに3人だけとなった。


 そして、カイルン・ジャミルは何も語っていないのにも関わらず、シカツナが述べる。おそらく、先のテルナテ国王の言葉には覚悟を問うてから訳すようにという意味も入っていたのだろう。


「……フィリピン伯様。

 アチェ王国がオスマン帝国からの軍事援助を受けて、丁度……本年ですね。

 ポルトガルのマラッカを攻める予定だそうです。フィリピン伯様に求められているのは、その侵攻の黙認と並びにテルナテ王国との相互不可侵の確約です。

 それが確認できれば、テルナテ王国はマラッカ侵攻軍へ援兵を送る、と。……そうおっしゃっておりました」


 マラッカとはポルトガル・アジア植民地の本拠であるインドと東アジアの結節点であり、此処を攻め落とせばポルトガルの勢力圏は分断される要衝だ。そこをイスラーム勢力であるアチェ王国とテルナテ王国が共同で攻め込む。

 成功すれば、マカオは孤立し、東南アジアの商圏を維持することすら厳しくなり、ポルトガルは香辛料の入手が今まで通りとはいかなくなる。しかも倭寇に同乗して日本に乗り込んでいたポルトガル商人の数も激減することとなり、東アジアにおけるポルトガルの策略を完膚なきまでに破綻させかねない。

 そして香辛料交易の勢力図の激変は、直ちに世界経済へと波及するであろう。それは明確に歴史を変える一手である。



 そう。

 ――歴史の転換点が、私の眼前に用意されていた。

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