外伝6話 ガリラヤを出でて
インドネシアのスマトラ島を中核とするアチェ王国と、香料諸島を基盤とするテルナテ王国の両国がオスマン帝国との外交関係が存在するという事実。
これに、ルソン王国が明の海禁の除外指定を受けていて、我がフィリピン伯領の南西に存在するスールー・スルタン国は明の朝貢国であることを考えると、意外と東南アジア諸国というのは大国との関わりが強い。
何というか戦国時代の日本だけを見つめていたらヨーロッパ勢力一強のパワーバランスであるとばかり思っていた。それにオスマン帝国がまさかここまで影響力を与える存在だとは完全に想定外であった。
そして、ポルトガルに打撃を与えることを目的としながらも、私の想定以上にオスマン帝国のアジア進出が著しいために、必要以上にポルトガルをへこませてもいけない。そんなバランス感覚を必要とする交渉をテルナテ王国と行う必要が生じた。
今回の交渉は日本の朝廷のときと違って、事前やり取りもしているし相手先の感触も悪くなかっただけに、テルナテ王国の国王であるカイルン・ジャミルの実力さえ気を付けていれば失敗することはないだろうと思っていた。それだけに、精密な舵取りを要求されることで急激に難易度が上昇したわけだが、やらない選択肢は存在しない。
というわけで改めて、艦隊人員編成に入る。
とはいえ、まずグレイスは必須。そしてアーノルドも地勢把握のために連れて行く。
で、テルナテ語話者はブール王国から供出されることからブール王国宰相位に就くダトゥ・シカツナもやっぱり同行。
あ、そうそう。日本で体裁のためにでっち上げたブール王国内の宰相位であったが、ここは強権を押し通して臣従国へと政治介入して作り上げた。だが宰相とは銘打っているがその実ただの名誉職のようなものでしかなく、次期後継者候補が待命するのに都合が良いポストとして機能させる予定。最初からお飾りにする予定の職だから、政治介入したといっても案外さっくり通った。
現在はダトゥ・パグブアヤとダトゥ・ダイリサンの兄弟がこのブール王国を治めてはいるものの、いつシカツナにバトンが渡ってくるかは分からない。
そして日本行きのときと同様にイエズス会メンバーも艦隊へ同行させる。ポルトガルとの関係悪化が懸念されるテルナテ王国だが決定的な破綻とまでは至っておらず、それはイスラーム王朝でありながらも最低限度キリスト教に対する容認姿勢があるということに他ならない。
実際、フランシスコ・ザビエルが日本へと来る前に、このテルナテ王国へ寄っていたことはパドヴァ大学の資料で確認済みだ。しかもカイルン・ジャミルが30年にも及ぶ治世を行っているのであれば、そのザビエルが来た時期においても彼は国王であったに違いなく、そのザビエルの受け入れすらもこの国王によってなされているはずなのだ。
更に、テルナテ王国で布教活動をしているのはザビエル以来イエズス会なので『フィリピン・日本準管区』の範囲外ではあれど、同じイエズス会であればテルナテ王国の在地宣教師に対しても何らかの影響力を発揮することができるかもしれない。
その一心で、イエズス会からはジョセ・デ・アンシエタとミケーレ・ルッジェーリの両名を連れて行くこととした。
準管区長であるオルガンティノと筆頭補佐たるヴァリニャーノは、布教難易度の高い日本に残留しているので、他の面々からということにはなるのだが、この2人を選択した理由は、ルッジェーリの方は比較的簡単で既に情報解析の補佐を行ってもらっていたので、そのまま同行してもらった方が楽になるという意味合いが強い。
そしてアンシエタは、勿論その卓越した医学知識を最近は頼りにすることが多かったが、元々はポルトガル領ブラジル植民地での布教責任者でもあり、そうした異民族布教に対しての知識と経験は高い人物である。だからこそテルナテ王国の在地のイエズス会士に話を通すための人選としては必要かなあと思った。
ということで、フィリピン国内のイエズス会はひとまずクリストファー・クラヴィウスが監督の下まとめることとなる。
そんな感じでテルナテ王国への派遣メンバーの大物は決定され、今回は交易も目論んでのことだからガレオン船4隻の艦隊で行くこと自体は決定した。なお交渉成立後の交易の決済には石見銀を使用する予定だが、まだ博多商人と船の売買を行っていないため、今回の船団に積載する銀は新大陸産である。石見銀は精錬技術をフィリピン伯領として確保してからじゃないとテルナテ王国に見せられん。主にインゴット化の見栄えの方面で。
これでようやく出発できる! と思っていたら、完全に想定していなかった部分をグレイスに突っ込まれた。
「いや、マルガレータ様。フィリピン伯領自体の統治は誰がやるのですか」
……あ。
本来、代行させる補佐官たるイディアケスはルソン王国入り。そして次いで行政処理能力の有する人材はミケーレ・ルッジェーリと、今目の前に居るグレイス・オマリーくらいである。グレイスは今なお所属としてはアイルランドなため、流石に統治の代理として使うわけにはいかないけど、能力面だけ見ればの話ね。
じゃあ、どうしようか。ルッジェーリを残すしかないか、などと考えていたが、この問題は全く予想外のところから解決の方策が上がってきたのである。
――それは、私がずっと行政リソース不足として嘆き続けてきたセブの政庁舎のスタッフからであった。
*
「『政庁舎職員一同は、フランシスコ・デ・サンデ・ピコンを推挙いたします』……ねえ。
一応、調書は確認しますけども……」
フランシスコ・デ・サンデ・ピコン。最早当たり前だが、私の知らない人物だ。だが私が知らないということは織り込み済みだったようで、簡単なバックグラウンドを記した書類も渡されたので一緒に読む。
ええと……年齢は28歳。代理を任せるのには多少若いかもとは思うけれど、イディアケス補佐官と同い年でヴァリニャーノ辺りとも近しい世代と考えれば年齢的な問題はあまり気にならない。というか、フィリピン伯領の面々って結構若い組織だなあと改めて実感。
で、出生自体はスペイン本国で、セビリア大学にて法学の学位を取得。そして法律家としてヌエバ・エスパーニャに招聘されたらしく、メキシコシティのアウディエンシアにおいて検察官を務めていた略歴を持つ言わば地方公務員型のエリートだ。
加えて書かれていたのが彼の生家であるサンデ家は貴族であるとともに軍人の家系だ。何と私がヴェネツィアから追放される契機となった、1560年のスペイン・ヴェネツィア・教皇領のカトリック連合軍対オスマン帝国の一大海戦であったジェルバ島の戦い。
あの時のスペインの軍事指揮官であり敗北後に殿を務めた人物がこのフランシスコ・デ・サンデの親戚であったりする。そんな彼の親戚は殿をしている最中にオスマン側に捕縛され、身代金交渉でもって解放されるという何というかカッコいいのかそうでないのかよく分からない遍歴を持っているが。
とはいえ父親のことよりも、私が個人的に気になるのは彼自身の前職が『メキシコシティのアウディエンシア』にあるところだ。
そう。そこを管轄している組織の長はセイノス長官だ。十中八九セイノス長官の息がかかった人物とみて間違いないだろう。
初期のフィリピン遠征艦隊には確か同行していなかったと思うので、以後の太平洋連絡船を利用してやってきた人物であろう。そんなフィリピン伯領の創始メンバーではない彼が今こうして私の代理として推挙されるまでになったのだから、組織に厚みが出てきたなと、ちょっと感無量だったり。
一応、イディアケス補佐官にも書状にてこの人事の意見を求めれば彼も太鼓判を押してくれた。同時に重要事項は『必ず私にも判断を仰がせるように』と釘を刺してもきたのだが。
そしてそれからテルナテ王国への出立までの間は、ヌエバ・エスパーニャからの定期交易船が到着して、その差配をフランシスコ・デ・サンデとともに行うこととなった。
なお、エグモント伯の助命嘆願に、テルナテとの外交交渉報告、関税関連はことごとく『本国照会中』という回答であったけれども、唯一今回の艦隊で回答がしっかりと得られたのが『南蛮吹き』技術者の派遣である。
一応期限付きではあるけれども、ヌエバ・エスパーニャで抱えていた技術者を借り受けることが出来たので、ひとまずはこれを稼働状態へと持っていくことがフランシスコ・デ・サンデの最初の大仕事になるだろう。
*
テルナテ王国への旅路には、地図だけ見ればボホール海を西に抜けてスールー海の島嶼部伝いに行くのが一番ポピュラーな航路ではあるようだ。ただし、この場合スールー・スルタン国の海を侵すことになるので、通行許可を取らねば大変なこととなる。
なので私達は一旦、レイテ島とミンダナオ島の間であるスリガオ海峡を東に抜けて太平洋に出る形でミンダナオ島を横目に見ながら南下していった。テルナテ王国の首都はその名が示す通りモルッカ諸島のテルナテ島である。
モルッカ諸島にはKの形をした大きな島――ハルマヘラ島があるが、テルナテ島はその西の海上にぽつんと浮かぶ小島である。
……何というかブール王国の二重首都であったパングラオ島とその対岸のタグビラランもそうだけど、この辺りの国の首都って大きい島の近くの小島に作りがちなのだろうか。いや、でもルソン王国もかつて倒したセブの領主ラジャ・トゥパスの領地も違ったから偶然なのかもしれない。
まあ、能島村上氏の居城である能島城もあの瀬戸内近辺の中では小島だ。だからこそ丸ごと城砦化できているわけだけども、小島であるせいでまともに水が手に入らないとかいう絶大な不便さがあったのにも関わらず、秀吉のいわゆる『海賊停止令』まで使い続けていたのだから、小島の本拠利用というのは案外、普遍的なことなのかもしれない。
その向かっている最中の船内で私は、ヌエバ・エスパーニャからの定期連絡船に積載されていた本国からの手紙を読んでいた。
「おや、フィリピン伯様。……何をお読みで?」
そう聞いてきたのは、ジョゼ・デ・アンシエタであった。私は特段秘することでも無かったので、こう告げる。
「実は……。私がかつてパドヴァ大学にてお世話になっていた際に色々と御助力を頂いていた、ヴェネツィア共和国の元首であるジローラモ・プリウリ殿の訃報が届いておりまして……」
「それは……心よりお悔やみ申し上げます。
こうして遠き果てまで便りが届くということは、それほどまでに仲が宜しかったのでしょうか」
「いわゆる世間一般で言われるような『仲良し』という関係では無いとは思いますが……それでも、色々と当地では助けてもらいました。
あ、そうそう。今向かっているテルナテ王国とのことだって、ジローラモ殿からのお話あってのものという面もあるのですよ」
そう言えば、微かに驚きの表情を見せるアンシエタ。いかにヨーロッパに名高いヴェネツィアの商人といえども、このような東南アジアにおける外交指針を何年も前から助言出来る程のネットワークを築いていたとなれば、それは驚きもあることだろう。
そしてアンシエタが去っていた後に、もう1枚入っていた手紙を開ける。
「しかし、これでヴェネツィアとの縁も切れてしまうと思ったけど、まさかこんな手紙を寄越されるとはねえ……」
訃報とともに入っているのにはあまりにも不謹慎なその手紙。敢えて名を付けるのであれば『引き継ぎ』であろう。その差出人は、ロレダーナ・マルチェロ。まさかの女性であり私よりも年上であった。
繫がりらしい繫がりは、パドヴァ大学で学んでいたということ。学位を取得したという話があれば話題に上っていただろうから、多分そういうことではないのだろうが、ただしただの箔付けの学習というわけでもなさそうである。
というのも彼女の専門は植物学であり、パドヴァ大学の植物園に関与すらしていたらしい。全然知らなかったけれども。そしてその植物学――これはこの時代においては薬草学、即ち薬学とほぼ等価である――の分野においては、ペストの症状の緩和剤を開発した人物とのことだ。とんでもねえ。
そんな私との縁が薄い女性学者であるロレダーナ・マルチェロが、手紙を送った理由はヴェネツィアの総意……というか引き続き私とヴェネツィアを繋ぐ窓口としての役割、のようである。こちらとしてもアントウェルペンが『フランドル=ワロニア王国』の独立問題で揺れ動いている最中だから、ヴェネツィアがバックに付き続けてくれるのは素直にありがたいのだけれども、問題なのはその手紙の文面の最後に書かれた言葉であった。
何が書かれていたのか? そこには。
――『香料諸島』に関する件も引き続きご考究いただければ。
そう、書かれていた。
ヴェネツィアから我等をどれだけ見通しているのかは全くの未知数だが、ジローラモ・プリウリが死してなお、あのオスマン帝国との非公式の密約は有効だと考えざるを得なかったのである。