外伝5話 巡礼者の道
ルソン王国の北側を占拠して拠点構築を行ってしまった倭寇対策に関してはイディアケス補佐官とウルダネータに委任することになったので、安宅神太郎と足利将軍家・三好家の家紋入りの幟については、補佐官の下へと派遣することになる。一応、日本人倭寇への投降には非常に有用であるとは思うので、積極的に安宅神太郎を使って欲しい旨は書状にて伝えておく。
ちなみに、その安宅神太郎関係のやり取り以外にも日本とは主にイエズス会宣教師用の連絡船によって、口之津を通じて情報のやり取りは行っている。直近でイエズス会からの報告で特筆すべきものは、堺にアルメイダが建てた療養所に浅井家祐筆である竹中半兵衛が通い詰めているということくらいか。あの療養所は地味に明智光秀も紛れていたし、ちょっと目は向けておかないとまずいと思っていたが、すぐこれである。
結果的には竹中半兵衛の策に全乗りする形で朝廷工作を行ったわけだが、その後に私が浅井家に対して何ら手立てを打たなかったことで竹中半兵衛に察せられたのかもしれない。
――浅井家、ないしは竹中半兵衛自身が今後、幕府内に対して大きな影響力を与える可能性が低い……と私が判断していることに。
そこから自身の体調管理にまで意識が向いたのだとしたら、私が『何もしない』という事実一点でそこまで推理するか……という驚きとも呆れともつかないものとなる。
ついでに気付いたが、その朝廷工作で利用した稲葉良通の縁。稲葉良通の妻の実家である三条西家から良通が薬学の相伝を受けていたわ。多分、この辺も竹中半兵衛は利用している気がしてくる。
とはいえ、その半兵衛の行動が今の私に直ちに影響を与えるかと言えば、そういうわけでもなく。
私のやることはテルナテ王国方面なのだから彼はどうやっても寄与しない。
テルナテ王国と正式な外交交渉へと赴く前に、彼の国の外交関係を一度整理する。
まず私がこれまでの経験で知っているのは、ポルトガルと対立をしつつも、決定的な決裂だけは避けつつ時には与することで、薄氷を踏むようなギリギリの交渉を行い続け独立を固辞し続けているということ、そして今はフィリピン伯領の臣従国となっているブール王国に親善の外交使節をかつて送っていたということ。まあこれがボホール海海戦の遠因ではあったのだが。
そんな対ポルトガル戦略を30年間以上に渡り根強く続けてきたスルタンがカイルン・ジャミル。おそらく私と対峙する相手となるだろう。
そしてテルナテ王国に対して外交攻勢を本格化するにあたり、フィリピン伯領のスタッフやポルトガル側からの流出情報、更にはブール王国の伝手や当事者・テルナテ王国自身から意図的に流された情報などなどを統合すると、朧気ながらインドネシアの情勢が見えてくる。
まず、当然であるがテルナテ王国単独でポルトガルに反抗しているわけではない。我等から見れば南西のスールー・スルタン国やミンダナオ島南部を治める独立諸侯たるマギンダナオ王国、この辺りがイスラーム王朝であるようにテルナテ王国を含めたインドネシア諸勢力のほとんどはイスラーム王朝である。
その意味ではポルトガルは当該地におけるカトリック勢力としてみればほぼ唯一の大国とも言えるのだが、ポルトガルの実力は隔絶しているがために、ポルトガル対インドネシアのイスラーム王朝連合という形になっても拮抗しているのだ。まあどちらも弱みはあるのだけれども。
ポルトガル側は隔絶しているとはいえ、それはガレオン船による沖合における戦闘能力と艦砲支援による地上攻撃能力、そして兵の有する銃火力によるものが大きく、兵数や船籍数で言えば大したものではない。その上ポルトガルはインド航路として艦隊を編成しているがために、そのインド航路用艦隊にて東アジア・東南アジア・南アジア・アフリカ東岸域をカバーしなければならない。なので東南アジアに割くことのできる船の数というのは思っているよりも多くないのである。事実ボホール海海戦において3隻のガレオン船をテルナテ王国に貸与した事実は1つの指標となるだろう。とはいえその反面、他地域の防衛を度外視すれば大艦隊が集積するとも言えるが。
一方インドネシア側の脆弱性は連合軍であり島嶼防衛なので根本的に連携しにくいという点である。その上で技術力ではポルトガルに勝てないとなれば、兵数は有利であろうとも、厳しい戦いを強いられる場面も多くなる。
その上で、カイルン・ジャミルに施政に関する資料を見てみると、彼の非凡さが垣間見える。
今から20年ほど昔には、スマトラ島にて栄えたアチェ王国とジャワ島北部のドゥマク王国によるポルトガル領マラッカの攻撃に相当数の艦隊を派兵しつつ、ポルトガルによる反テルナテ王国政策の一環として改宗を余儀なくされた少領の在地領主に対して鎮圧作戦を実施し彼等をイスラームへと留めることに成功した。
このうちドゥマク王国は内紛を起こし現在は無政府状態になっている。そんなジャワ島にて現在の主導権を握るのはドゥマク王国との相続の確執で彼等の配下にありながらも内紛に際してドゥマクとは別国家だと宣言し独立したカリニャマット王国である。
そしてアチェ王国。
そう、このアチェ王国こそが東南アジアにおけるパワーバランスの中核なのである。何故、中核と言えるのか。それはこの国の有する軍事力が最も簡潔であり明瞭であろう。
報告書を信用するのであれば、最低でも300隻を超える艦隊を保有しており、その大艦隊の主力艦はガレー船なのである。東南アジアでありがちな海上覇権国家であるなら大量の船を保有していることについては今更驚きはないが、その船の中に少なからずの『ガレー船』が居るという事実。
ガレー船という艦種自体は、最新技術というわけでもないので存在そのものは特筆すべきことでもないのかもしれない。それでも手漕ぎ船である以上、人員が必要となるわけで、それを艦隊として運用できるレベルの国家というのは決して侮れないが。
問題は、このアチェ王国艦隊のガレー船には。国産の真鍮や青銅製の大砲を搭載しているのである。とはいえガレー船だからガレオン船程には積載できないけどね。
青銅器による大砲自体は私の知識にもある。大友家が1576年に輸入した『国崩し』。即ちフランキ砲は、確かポルトガルのインド総督府によって作られた艦砲であったはずで、戦国末期から江戸初期にかけて『石火矢』として国内量産が可能となる代物が、既にアチェ王国においては先駆けて制式採用されているのである。
それと同時に私は1つの裏取りを行った。
「……フィリピン伯様。確認が取れましたよ!」
「どうでした? ルッジェーリ殿?」
イエズス会宣教師のミケーレ・ルッジェーリ。博多の銀価格の把握を配下の者に任せている彼は、イディアケス補佐官が北部対応で離れている現状、貴重なスペイン宮廷関係者である。とはいえ宮廷との連絡を取ってもらったのではなく、事務作業のサポート名目で、諜報の精査・解析をお願いしていた。
どんな内容の解析を頼んでいたのかと言えば。
「……アチェ王国とオスマン帝国の関係について裏取りができました。既にアチェ王国には多数のオスマン商人が入っており、その中には技術指導員や武器・兵器製造のプロフェッショナルも確認できました。
明らかに、オスマン帝国は東南アジア政策に関して注力をしているとみて良いでしょう」
アチェ王国とオスマン帝国の軍事的・経済的関係。調べればすぐに露呈する程には明らかであり、そして大規模に交流が行われていたという事実である。
オスマン帝国の砲兵戦力を下手をすればヨーロッパ最強の陸軍兵力を誇るスペインをも上回りかねない。仮にアチェに貸与された技術が数世代型落ちの旧式技術であったとしても、同じくポルトガル・インド航路艦隊という二線級以下を相手取るには充分に脅威となる技術なのである。
ルッジェーリの看破した解析内容を鑑みるに、そのオスマンの技術がアチェ王国には流入している。となれば、我々の所持するマスケット銃相当の射程を誇る銃がアチェ王国には存在するという話も未確認の情報として報告に挙がっていたが、砲と銃の双方の話は真実であると見ていいだろう。
「……でも、スマトラ島のアチェ王国と、トルコのオスマン帝国。
距離的に大分離れていますが、どうやって連絡を取り合っていたのでしょうか。インド洋はポルトガル航路と合致するのですが……」
「ポルトガルのインド航路艦隊では全域をカバーできていない以上、漏れがあるということですね。加えてインドなどにもイスラーム王朝は健在です。
それよりも、フィリピン伯様。1つ気になるものがあるのですが……」
「何でしょうか、ルッジェーリ殿」
「どうにもアチェ王国とのやり取りで発給されている文書のオスマン帝国への差出人の名が『セリム』と記載されているようなのです。
先の神聖ローマ帝国領内の城塞を陥落させしスルタンの名は『スレイマン』であったはずなのですが、どうにも解せません」
つまり、アチェ王国への援助の最高責任者が『セリム』なのに対して、ヨーロッパから新大陸経由で送られてきた情報ではオスマン帝国のスルタンは『スレイマン』であると。
「可能性としては3つですか。
1つは単純にアチェ王国方面の責任者がセリムという者だということ。
2つ目は、既にスレイマンは死去していてセリムが継承したが、私達の下に届くヨーロッパ情勢の情報は半年以上のずれが生じるからその継承タイミングと重なっただけ。
最後に、スレイマンの死がキリスト教勢力側には秘匿されている可能性……」
「前者2つであれば特に問題ありませんが、最後の可能性だけは憂慮すべきですね」
「……とは言っても、次に此方から新大陸へ船を派遣するのは最短でも2ヶ月先ですよね。いえ、勿論送りはしますが……」
そして気付いてしまったが、アチェ王国とオスマン帝国が繋がっている以上、このアチェ王国経由の諜報ルートを構築できれば、少なくともオスマンの情勢についてはあらゆる情報ルートの中で最速で私達の下まで届くのではないだろうか。
そして。
その条件は別にフィリピンでなくても、同じく東南アジアに根を張る勢力であれば全く同じことが言えるとするならば――。
*
とある可能性に至った私は、ミケーレ・ルッジェーリを下がらせて、1人となったセブの執務室にて1つの手紙を開く。
『――友邦・テルナテ王国の情勢不安について我が国も憂いており、第三国による攻撃には辟易させられている。そこで貴国とのかつての友好を復するために、第三国に対して適切な対応が行われれば、我が国としても貴国との貿易協定を再度締結することも叶うだろう。
無論、テルナテ王国に対しての正当な交易であれば、我が国としても内政干渉にあたるので関知することではない』
――それは、ヴェネツィア共和国のジローラモ・プリウリから頂いたオスマン帝国の密書である。
あの時私はテルナテ王国を『オスマンにとって帝国領土でも何でもないただイスラームを信奉する国という共通点しかない遠国』と評した。
しかし、アチェ王国とオスマン帝国の軍事的蜜月関係が明らかになった以上、アチェ王国経由というルートでオスマン帝国とテルナテ王国の繋がりがあってもおかしくなくなった。
その意味合いで改めて先の手紙を見直すと、気が付く点がある。
何も関係の無い遠国に関しての話にしては――オスマン帝国がテルナテ王国の現状を詳しく把握しすぎではないか、と。
そして、オスマン帝国がテルナテ王国のことを完全に認知して、先の手紙をヴェネツィアに送ったのであれば、この密書の意味合いがまるで異なってくる。
ただの口先だけの建前ではなく。非公式であれど外交文書としての価値が生じてくるのだ。
オスマンにとってのテルナテ王国が。
どうでも良い他国という存在であったら、この文書は適当にテルナテ王国を餌にしてキリスト教勢力が仲違いしてくれればラッキー程度の謀略だったし、私としてもそれを是認した上で、これを利用してきた。
しかし、テルナテ王国の価値が。オスマン帝国にとってそれなりに気にするべき同盟国の友邦であり、なおかつ救援に行くには遠すぎる相手であった……そんな認識の場合。
ポルトガルのアジア影響力を一貫して減退させようとしてきた私の行動は、アチェ王国――オスマン帝国間の航路構築を促進させ、そしてアチェ王国から香辛料がオスマンへ輸出されることで、本当にヴェネツィアまで香辛料提供ルートが出来る……そんな可能性が浮上してくる。
ポルトガルがスペインに反抗して独立した『フランドル=ワロニア王国』を公然と支援している以上、そのポルトガルに打撃を与えることは必須。
そして、私自身の命綱としてテルナテ王国との貿易交渉を行い香辛料をスペインルートで仕入れることも既定事項でかつ不可避である。
しかしそれと同時に、必要以上にポルトガルのアジア……というかインドにおいて影響力を損なってしまうとアチェ王国の伸張、ひいてはオスマン帝国に関する間接的な支援になりかねない。
だからこそ、私はポルトガルに打撃を与えつつも致命傷を与えてはならない。そんな舵取りが要求される局面に立たされていたのである。