外伝4話 ルソンの戦い
とはいえ、すぐさまテルナテ王国に行く準備はできない。
既に時期的には過ぎていたが、何とか良い風向きの日を見つけて、無理やりメキシコへと船団を送り出した。本来8月の出航が目途ではあったものの、そこそこ無理をした形である。とはいえ、この時期的な問題というのはフィリピン近海における風の影響による部分が大きいために、一度外洋まで出てしまえば、それほど問題になることはない……はずだ。自然現象ゆえに安心はできないが。
無理やり送り出したこの船団には、無理をしただけの理由があった。いくつかの報告と提案を持たせている。
まず、フランドル知事であり現在『フランドル=ワロニア王国』にて軟禁されているエグモント伯の助命嘆願である。私から言わなくても命を奪うことはないであろうが、一応伝えるというパフォーマンスは必須である。
そして、主目的である『テルナテ王国への外交交渉』に関する報告。届くころには事後であろうが、それでも送った日付を見れば事前に伝えておこうという意志が見えるようにはしておいた。細かいことではあるが、この辺は私の命綱になるので大事。
更に、ここからは全力で宮廷への媚の姿勢を示したものになる。
王室財務管理官の招聘とジャンク船への関税徴収、そしてこの太平洋間交易路にも関税をかけることを提案した。
この辺りの比率は、イディアケス補佐官がまとめてくれた数値をそのまま利用する。ジャンク船がフィリピン伯領内に入港する場合には3%、太平洋往路については17%という数値を提言の中でまとめた。ただし、関税をかけるのはフィリピンから新大陸への輸出に限定し、まだまだ産業が未達であるフィリピンの資材を集積する目的から輸入に対しては非課税にして欲しいとも付け加えておいた。
なおジャンク船の入港については、フィリピン伯領内であるため、同盟国であるルソン王国には及ばず、臣従国であるブール王国は適用範囲であったりする。なので、本政策の企図する部分は、これから増大するであろう日本船団に関しての適用が主軸としている。まあジャンク船を日本へと売りさばくために明や倭寇から密輸、ないしは建艦技術をラーニングして我が領内で作るところからなのだけど。
そして、肝心なのがジャンク船の関税収入は王室財務管理官の管理下とし、太平洋交易については『通商院』に一元管理するように求めた。フィリピン伯としては関税の変更に対する裁可の権限だけを残し、この辺りの収入に関する統治機構の設立と維持は各々に丸投げすることにしたのである。ウチは行政リソース足りていないし。
とはいえ『通商院』は現状スペイン本国のセビーリャで大西洋交易を一元管理しているため、太平洋へと参画するための事務局を新大陸へ作るところからのスタートになることから、それ相応の時間がかかるだろう。
それまでの業務代行を行うのは、おそらく――メキシコシティのアウディエンシアであると、イディアケス補佐官のお墨付きだ。
なのでこの辺は本国に媚を売りつつも、同時にセイノス長官への救済目的でもある。こうなった以上は、ポルトガル工作は失敗とみて良さそうだしね。
このほかに要求事項として、いつも通り船大工と食糧増産に関する話をした上で、いわゆる『南蛮吹き』――粗銅から金や銀を抽出する技術――の技術者を求めた。日本の粗銅は、倭寇が購入する値段はその含有する金銀のため割高なので、フィリピン伯領としてそこまで買い集める必要は薄いけれども、だからといって手元にそうしたものが入った際に、精錬せずに更に別の地域へ売りさばくことになったらもったいないことから、一応技術を手元で持っておこうと考えたわけだ。
だが、反面求めなかったのは8レアル銀貨の鋳造技術だ。これについては補佐官より、
「銀が領内へ大量に流入するのであれば、銀貨を鋳造することは必要になるのでは?」
という提案を受けていたが、私としては断じてこれをフィリピンに設置するつもりは無かった。
理由はいくつかある。
まず、新大陸においては銀塊のままの輸出は禁じられており、インゴットや銀貨の形にしないと出荷ができない。ヌエバ・エスパーニャとペルー副王領の双方に既に鋳造所も建造されているというのが第1の理由。今後日本から銀が流入するとはいえフィリピン伯領として自前で鉱山を確保しているわけではないので、新大陸から仕入れられる銀貨を無理して日本輸入品の銀から加工する必要がないのだ。というか、日本からの銀輸入が常時一定量になるはずがないので鋳造所が稼働しないタイミングが多くなることが容易に想像がつき、採算性が悪いためである。
そして、そもそもこのスペインの銀貨、職人による手作りなので熟練度によってどうしても品質にムラが出る。インゴットを切り分けたものを伸ばして丸くカットして打刻という作業が全部手作業なのだから、そりゃあ品質は安定しないのも当然である。加えて言えば、この時期の新大陸の鋳造所は民間で運営されていたり。
だからこそフィリピンにおいて新大陸技術の模倣によって新たな鋳造所を設置すれば、その品質は更なる低下の一途を辿るだろう。そしてそこで働いた工員は容易に偽造業者にもなり得る。どうせ偽造はされるだろうが、そもそも製造拠点をフィリピンに置かなければスペインの銀貨の生産地がアジア一帯には存在しないために、多少気休め程度の偽造抑制効果はあるだろう。
それに私が銀貨を東アジアに注ぎこめば、注ぎ込むほどに、その分ヨーロッパへ渡る銀の総量は相対的に目減りし、それは同時にスペインの衰退要因であった銀の暴落の抑制にも繋がるのである。もっともその程度では誤差に過ぎないかもしれないが。
というところまで来て、ようやくテルナテ王国対策へと入る。
元々、ブール王国とテルナテ王国は親交があったことは側室に対する暴言で使者を殺した件からも明らかではある。いや、そのせいでボホール海海戦になったのだけれども。
で、一応戦後に両国の国交の正常化と私達がブール王国の宗主国に就いている件に関しては承認を頂いているし、小規模ながらも商取引は現状でも行われている。だからこそ、使者そのものを送ることは然程難しくない。
なので、最初は私がテルナテ王国に行きたいって言っている旨を使者を通じて何度かやり取りしたら、相手側もそこそこ好感触であった。ボホール海海戦のときはポルトガルと共同で攻めてきたけれども、パドヴァ大学の資料的には過去に国王拉致とかされているっぽいし、そんなにポルトガルとの関係は良くないのかもしれない。
相手国であるテルナテ王国の国王の名はカイルン・ジャミル。イスラーム王朝なのでスルタンなのだけれども、テルナテ王国なのでひとまずは国王とさせてもらう。かれこれ30年以上は統治している王であるようで、先のパドヴァ資料にあったポルトガルによって拉致された王の弟みたい。……絶対、ポルトガルに良い感情抱いてないじゃんそれ。
それでも30年以上治めているのだから随分と老練な人物を想像してしまうが、年代的にはフェリペ2世辺りとそう大差ないくらいだ。つまり若年にして王位に就いたということで、言ってしまえば当初はポルトガルの傀儡として即位させられた王であったようだ。
傀儡で済んでいれば、私達の話を聞くわけ無いのだけれども。そしてテルナテ王国の状況とポルトガルのことを此方に流してもくれた。
曰く、ポルトガルのことは嫌いだがポルトガルと離れて我等の敵と結ばれても困る、ということ。だからこそ関係は悪いながらも長年協力はしてきたし、何ならボホール海での一件はポルトガルによる威力偵察であったことも明かされた。
ある程度分かってはいたことではあるけれども。
30年。それほど長い期間をのらりくらりと躱しながら、ポルトガルと関わってきた王。これは、一筋縄ではいかないだろう。日本で実績を上げたからといって軽く見ては痛い目に遭うであろう。
事前調整の段階から慎重に話を摺り合わせていくこととする。
そんなテルナテ王国とのやり取りを詰めていきつつ1ヶ月経過した日のこと――問題は北方で発生した。
「フィリピン伯様! ルソン王国の連絡員より急報が入りました!
倭寇が数千の兵を率いてルソン王国を急襲した模様です。彼の国は辛くもこれを撃退したもののトンド・マニラは甚大な被害を受け壊滅状態で我が国の交易船にも被害が出ております!
更に、その倭寇はトンドから北に離れたリンガエン湾のパンガシナンという地域を制圧し、拠点を構築しました。
在地の我が国の商人はフィリピン伯領に損害の補填を求めており、ルソン王国は救援を要請しておりますが……」
うわあ……。撃退したは良いものの首都壊滅で近くに拠点を作られたとか、どうすれば良いんだこれ。
*
ひとまず現地での受け入れ態勢が未知数であったため、ガレオン船3隻を基幹とする艦隊と急遽集めた徴募兵300を隠居したレガスピの孫であるフアン・デ・サルセードが派遣指揮官に立候補したのでそのまま送る。
サルセードは私の隷下というわけではないが、太平洋交易路を何度か往復していることもあり、おそらくルソン王国にてとばっちりで被害を受けた交易船に何らかの関係があったのだろうと推察される。でなければ、本義的にはヌエバ・エスパーニャ所属の彼が一時的にでもフィリピン伯領の指揮に入るとは思えない。
一応、彼だけだと不安なのでブール王国の人員やらミケーレ・ルッジェーリの手の者などを目付として付けた上で、報告は逐一あげてもらうようにした。
そして数日後に上がってきた報告にて、まず敵の総大将の名が林鳳ということが判明。私の知識にはない、知らない倭寇である。
それとトンドとマニラの街と船は燃えた後ではあったものの、町割りであったり港湾機能まで喪失しているわけではなく建物部分さえ復興し船を回せば何とかなる状態だったということが分かった。
つまり初報の通り、負けたわけでは無かったのである。後は熱帯域なので最悪夜に外で寝ても凍死しないというのは、何というか熱帯施政において数少ない利点ではあるなあと思った。寝床や防寒具の確保よりも食糧援助を優先して行っていいというのが明確なのは良い。まあスコール降るから建屋自体は必要なんですけどね……。
また、その戦火の影響でフィリピン伯領ないしはヌエバ・エスパーニャ領民の損害は70名と推定。戦いで街が燃えたことを考えれば少ない方なのだろうか、それとも同盟国とはいえ他国に在住していた居留民被害として見れば多い方なのだろうか微妙なラインである。
一方で、ルソン王国が計上した戦果は400名以上討ち取ったとのこと。この手の数値は盛るのが基本だけれども、ちょっとありえそうな数値なのが困る。だって、初報の敵の総数が数千だったから市街地戦でかつ街が燃え尽きるまで戦えば実際それくらいの被害を与えることはできそう。ルソン王国の戦果が嘘にしろ本当にしろ、敵の総数が数千なら、かなり残存しているのは確定なのですが。
加えて、倭寇側が使用していたとみられる武器の中に『日本刀』が存在していたことと、『Sioco』と呼ばれるおそらく日本人であろう副官が襲撃部隊の先駆けであったことが判明した。
いや、誰だよSiocoって。日本人だとしたら倭寇サイドで中国語辺りで訛って発音されたか、スペイン語圏でのリスニングミスかが起きているでしょ。
そのような経緯があって、フィリピン伯領の外交方針として北のルソン王国の救援、南のテルナテ王国との交渉が同時に重なることになってしまった。ただでさえ行政リソースが低いこの国で多方面の同時展開はキツい。
ということで、イディアケス補佐官が次のような提案をしてきた。
「フィリピン伯様はテルナテ王国へ赴くのであれば、そちらの外交交渉に注力していただければ。
代わりに私が代官としての権限でルソン王国との渉外折衝を行いますので。軍事に関してはウルダネータ司祭へ相談致しますが、それでよろしいですか?」
「うーん、それはそれで悪くないかもですね」
「では、私からお伺いしたいのはルソン王国の処遇ですが、どうします? 今の状況ならば臣従させるも攻め滅ぼすも可能かと思いますが」
その物騒な提言を受けて少し頭を悩ませる。確かにルソン島を直轄にするのも悪くない話ではあるけれども、でも折角ルソン王国が明の海禁の除外指定を受けている点は有効利用したい。だから滅ぼすのは無しの方向だ。
「明の海禁除外という利点は残したいと考えています。ですので国家として存続させる方向でお願いします。
臣従に関しても……そうですね。朝貢交易で明に名目上従属していたのであれば、両属状態へと持っていくのもアリでしたが、スペインの配下とした瞬間に海禁を受けてしまっては元も子もありませんので、海禁がどうなるかに依存してしまいます。
外交権限は取り上げず、国家として存続させつつ絞れるところから程よく、といった感じでしょうか。それと、多少の飛び地などよりも権利や許認可を優先するようにしてもらえますかね」
「私としては甘い裁定な気もしますが、外交への利用という点は理解いたしました。その方向性で進めさせていただきます」
「あ、あと。敵倭寇に日本人が居るって話でしたので、室町幕府……えっと日本の統治代行機関の方にも使者を送っておきました。
軍事的にすぐに解決するのであれば、倭寇拠点は自由に攻め落として貰ってかまいませんが、そうでない場合は日本のアクションを利用して倭寇への離間策を促すために使ってもらっても構いません」
私がそう言えば補佐官は一礼して、感謝の言葉を告げた後に退出していった。
多分、私本人が前線に出ないでかつ、私の臣下でありフィリピン伯領の最高戦力であるグレイス家臣団を利用しないで、どこまで出来るのかのデモンストレーションという意味合いもあるのであろう。イディアケス補佐官は私亡き後のこの地の統治を模索している。……私自身、自分が死んだ後のことを露ほどにも考えていないのがおそらく露見しているからなのだろうけれど。
とはいえ、グレイス無しで軍事的に数千の戦力を有する倭寇をどうにか出来ればいよいよフィリピン伯領として十全になってきたと言えるだろう。補佐官の外交手腕とウルダネータの軍事差配に期待である。
*
それから2ヶ月が経過して12月。
私の下に室町幕府より1人の日本人が使者とともにやってきた。
「室町幕府・水軍奉行の明智光秀殿の命を受け参りました兵庫津幕府操船所付の安宅神太郎と申します、此度は白雪様の倭寇帰順の策の助力のため、客将として貴国へと参りました」
おおう、これまた凄いところからリアクションし辛い人物が来たな……。
三好長慶の弟の1人たる安宅冬康、その嫡男・安宅神太郎。淡路水軍を差配する人物であった説もあったはずだが、いつの間に三好三人衆側から離脱し幕府方に寝返っていたのだろうか。
室町幕府の意図は比較的読みやすい。三好と関係が強い……どころか三好一族そのもので水軍指揮官として仕える人物。
新しい幕府水軍という試みにおいて使い潰すには充分な人選ではある。倭寇との戦や、航海で失ったとしても幕府にとって全く痛くないのだ。それでいて水軍指揮経験があり、ただの海賊ではない元・天下人の一族ということで教養もある。うん、幕府から見れば最高の手駒だ。私としては使い捨ての手駒だとしても、幕府の人員をガレオン船に乗せてきて欲しくはなかったのだが、事前にそこまで想定していなかったわけで。幕府への使者にそこまでの高度な判断を求めるのは酷というものであろう。ミスというよりかは、他者に任せる場合に生じるリスクである。
しかも存外、今回の話に室町幕府もノリノリだったようで、彼の荷物の中に『丸に二つ引』の家紋が入れられた幟まであった。
『丸に二つ引』……足利将軍家の家紋である。
また安宅神太郎もこの幕府のテンションに悪乗りして『三階菱に釘抜』紋の幟を持ってきた。これは三好家の家紋である。安宅の家紋ではなく、そっちを持ってくるのかい。
如何に倭寇であっても日本で生まれ刀を扱う者であれば、将軍家と三好家――この2つの家紋の意味を知るものくらいは居るだろう。