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第60話 全てを終わらせるために


 結局のところ冬が過ぎ去り、春を越え、初夏へと至っても、不穏な和歌に反して私の身には何も起きなかった。

 あの手の悪意は究極的には脅しでしかないことを私はヨーロッパでの経験で知っていた。『プロテスタントのクレオパトラ』などというもっと直截的な罵倒を受けていたが所詮あれもイエズス会が圧力を躱し、私のことを破門や異端審問騒ぎに出来ないからこその苦し紛れであった。それを思えば、風説に怯えてしまうことが相手の思惑に最も乗ってしまうこととなる。どうでも良いけど京とローマで似たような経験をすることになるとは。

 今の私達には朝廷上層の協力者があり、外交交渉も結局先例に倣った。そして帝の勅諭が出た以上は、この状況から我々に反発を抱く者が打てる手などごくごく限られている。既に出来上がったものを壊す、というのもまた手間がかかることなのだから朝廷の総意としての動きではないだろう。


 そして幕府の動き。まず朝廷の貿易協定の成立を歓迎し、それにいち早く賛意を示した。この動きが素早かったことからも足利義昭が乗り気であったという信長の情報は確かであったようである。

 そして矢継ぎ早に前将軍・義輝も認めていたイエズス会修道士の京への滞在許可が再度出された。これが貿易協定に連動するものなのか、私と別口で動いていたイエズス会の働きかけが成就したのかは分からないが、概ね既定路線と言えるだろう。なおこちらに関しては朝廷は沈黙を保っている。元々朝廷が布教を認めるとは思っていなかったし、貿易と布教の印象を分断することに成功したとみれば、むしろこれは一定の成功と言っても差し支えない。


 更に一連の私達の動きに関係したもので、朝廷人事の異動もあった。恐らく私達が関与しているだろう近江の武家官位についてだけ抽出すると……、


浅井長政 新たに従五位下に叙位、自称であった備前守を正式に任官

京極高吉 従五位上から正五位下に昇叙、中務少輔如元

六角義治 正五位上から従四位下に昇叙、右衛門督から弾正少弼へ転任


 とまあ、こんな感じ。竹中半兵衛の狙っていた浅井家の地位向上は成功はしているが、おそらく彼にとって満足のいくものではなさそうである。元々求めていたのは『幕府内』での地位向上、確かに官位が上がり自称だった名乗りが正式な官途になるというのは幕府内での風通しも変わるとは思うけれども、多分半兵衛が求めていたのはそういうことではなかったと思う。

 加えて言えば近江関係の守護2人も連動して位階が上がっているために、相対的に見ればあまり変わっていないとも言える。下に対しては浅井家は強く出られるようになったが、京極被官としての立ち位置はこれでは継続だろう。三条西実澄に関する浅井家の功を評価しつつもバランスを取った、ということなのだろう。


 なお、浅井長政に対しては私から竹中半兵衛の功績を讃える感状を送っておいた。その甲斐あってかは知らないが、半兵衛は長政直臣衆の祐筆として抜擢されることとなったようである。外様からの祐筆就任の近臣化ルートは完全に松永久秀を彷彿とさせるが後のことは勝手に半兵衛がやるだろう。介入できるわけでも無いので知ったことではない。


 そしてこれもまた幕府内情と関連はすることで一点。九州の地にて毛利と大友の大乱が発生した。高橋鑑種・立花鑑載を始めとする大友家の筑前支配の重鎮2名が謀反、これに呼応する形で名だたる家では秋月・宗像・筑紫・原田……そして龍造寺が蜂起して九州北部は戦乱に巻き込まれる。博多は中立を標榜し、現状はそれを毛利・大友双方が尊重しているものの、これでは私が鴻臚館構想の実現化に向けて博多入りすることはできなくなった。現地に置いてきたルッジェーリの腹心を介しての書状によるやり取りで何とかせねばなるまい。

 で、この両家の戦乱の勃発に際して、将軍・足利義昭は講和の斡旋によって足利将軍家の権威を高めようと画策し、連日幕府要人を集めて対応策を練るために評定を行っている。この御前沙汰を権力闘争の場として利用するのが管領・畠山高政と管領代・六角義治の両名でありこの管領と管領代の派閥争いは、その両名を担ぎ上げる双方の利害関係者の影響も伴って戦にこそならないが熾烈となってきている。

 本来はこの両名の協力によって副将軍の織田信長を牽制する役割が期待されていただけに、既に幕府機能は足利義昭が当初描いた絵図から少しずつずれてきている。


 一方で、この御前沙汰での争いに殆ど関与していないのが副将軍・織田信長である。しかし副将軍という職が枷となり史実のようにやることだけやってそそくさと自国勢力圏に戻ることが出来ていない。なので信長は京での政務を引き続き行いながら、織田家当主としての指示も出している。

 この信長が現在、何を重視しているかと言えば大和の平定と北伊勢の掌握である。南近江は六角家の勢力下であるため、京と織田領とを結ぶルートを確保しようとしているのだ。大和国は義昭への働きかけの結果、松永久秀と織田信長の連名での切り取り次第が認められ、信長は大和平定軍として塙直政を派遣。北伊勢に対しては滝川一益を送った。そして帰国できない岐阜の政務はまだ10歳の後継者、織田信忠を名目上のトップとして実務は織田信包、林秀貞、森可成らに任せられることとなった。

 そして、この当主・信長が帰国できない体制がなし崩し的に美濃の国人領主の権限強化に繋がるわけだが、これも半兵衛の策略の一環だったのであろうと思うと末恐ろしい。


 このような感じで幕府は混迷を極めているものの、逆に唯一彼等が一貫して行えていることに畿内における三好三人衆の影響力排除がある。既に三好三人衆に味方する諸将は四国へと脱出し、残された将は元より幕府に対して抗戦するつもりもなくあっさりと降伏した。とはいえ、大多数の将を取り逃したことで大阪湾における海上優勢が三好三人衆方にあることが露呈し、更にはそれはいつでも三好三人衆は四国から畿内へと攻め上がれることを意味していた。その辺りは摂津四守護の設置という沿岸対応能力の強化にも影響しているが、とにかく三好三人衆対策だけは一貫して行われていたのであった。足利義栄も居るし、そりゃ全てを壊しかねない存在だからこそ恐れるわけで。


 不安要素は尽きないが、まあ今までの室町幕府も不安だらけだったことを考えれば別に、足利義昭のやり方にそこまで失策があるわけでもなく、案外うまくやっていくかもしれない。




 *


「……石山本願寺へ顔を出す、ですか? 今更マルガレータ殿にお話するまでもないことかと思いますが、彼の地は異教の総本山のような場所ですよ。どうかご再考を」


「ごめんなさい、オルガンティノ先生。理解はしております。ですが、どうしても行く必要があるのです。既に先方にはお伝えしてアポイントは取っております」


 畿内での用事がひと段落つき、幕府や朝廷の動静を見守りつつその動きが特段私達にとって大きな障害とならないと判断した私は、オルガンティノへ石山本願寺を訪ねたい旨を相談していた。

 当然というか案の定というか、オルガンティノは反対をする。


「マルガレータ殿のこの国での働きはイエズス会としても十二分に評価しております。ですが……いえ、それ故にお止めせねばならぬのですよ。

 異教であるから当然なのですが……その中でもこの国においてとりわけ我等と相性が悪いのが本願寺の面々なのです。

 せめて、代理人を送るということは出来ぬのでしょうか?」


 オルガンティノの反論は正当だ。しかし私もこの件については退くつもりはない。

 つまりは平行線である。それから長らくお互いの意見をぶつけても平行線ある以上、どうしようもなかった。



 ――その泥沼の応酬を、私達に分け入って止めた人物が1人居た。


「オルガンティノ様、ここはマルガレータさんの意見を認めても良いのではないでしょうか?」


「……ヴァリニャーノ君、どうして此方へ……」

「ヴァリニャーノ殿、口之津に居たはずですよね?」


「ガレオン船で急遽口之津を発ち、こちらへと向かいました。兵庫津という場所に泊めてそこからはこの国の手漕ぎ船で……」


 兵庫津? 直近では千利休から聞いた地である以上、どうしても彼の関与を気にしてしまう。でも、博多よりも先である口之津にまで手を伸ばしていたのだろうか? ……うーん、やっていてもおかしくない。

 でも、応仁の乱にて大内家が占領していることも踏まえると、九州北部の者が兵庫津を知っているかもしれず、在地の商人なり武士なりから話を聞いて寄港地に決めた可能性もあるな。


「何故、ガレオン船で……って、そっか。博多は今、毛利と大友の大戦の真っただ中だから使えないのですね」


 となると私達との連絡路の確保のために、ヴァリニャーノはやってきたのかも。


「まあ、大体そんなところです。それよりも本願寺の件ですよ。

 マルガレータさんの名声は九州にも響いておりました。早々危険なことにはならないと思いますよ、オルガンティノ様」


「万が一、ということを考えますと、おいそれと認められないですよヴァリニャーノ君。マルガレータ殿の身に何かあれば……」


「……では、私もマルガレータさんとともに同行いたしましょう。準管区長補佐役筆頭の私の命はそこまで軽くない。

 私を含めて2人共々異教に殺されることあれば、流石に徹底的な報復に出られるかと」


 あー、私の身を案じるという意味合いもあるが、仮に私がここで死んだときに転向者という経歴上、状況次第では報復行動に移れない可能性もあるのか。

 しかし、イエズス会士の高位聖職者が殉死すれば、それは最早容認できるものではなくなりイエズス会として大々的に報復に移れる、と。

 そしてそれを恐らく私達が石山入りする前にオルガンティノは大々的に周知するのであろう。勿論長い付き合いではあるので私のことを心配はしているとは思うが、準管区長という組織の長として、以後の布教に対する打ち手を忘れていない。


 それでも、オルガンティノは認めてはくれなかったものの、最終的には黙認という形をもぎ取ることができた。




 *


 堀と土塁で囲まれた巨大な寺内町、それが石山本願寺である。複数の寺が有機的に連携している此処は、町であり城であり、そして戦国有数の特異な共同体である。


「いやあ、こうして2人で行動することなんて随分と懐かしいですね、マルガレータさん? パドヴァ大学でお互い学生をやっていた頃以来でしょうかね。あの頃に比べれば私達も随分と偉くなったものです」


「……この状況でよくそんな昔語りが出来ますね」


 当然2人でノコノコ出歩くような身分ではない私達が何故、2人だけなのかと言えば、この寺内町に入って早々護衛の兵は留め置かれ、周囲を一向門徒の僧兵に囲まれながら中へ案内されているからである。


「しかし、あれだけ逃げの一手を多用していたマルガレータさんが、このような危険へと飛び込むなんてらしくないですね。

 ……此処の異教の長である顕如とやらは、そこまでして会いたい人物ですので?」


「……まあ、ヴァリニャーノ殿には誤魔化せないか。

 私の今後の進退も踏まえて、会わねばならぬ人です」


「……会わねば、ですか。成程、まあ昔から突拍子の無いことを言う貴方のことですから、今更私からはとやかくは言いませんよ。

 おっと、着いたようですね」


 そう言われて前を見れば、確かに建物があった。周囲には厳しい視線の僧兵の姿。この状況下で修道服スカプラリオを身に纏いながら堂々としているのだからヴァリニャーノは大概クソ度胸である。


 部屋に入れば、中には袈裟を着た人物は目をつむって座っていた。最初から私達は下座である。何らかの意図はひしひしと感じられたが私としては別にそこで張り合うつもりが無いのでそのまま座ると、ヴァリニャーノもそれに続いた。


 私達が座るとともに目を開き、顕如は改めてお互いに自己紹介するまでもなく、語った。


「いかなるご用件にて、貴殿は真宗を頼るのでしょうか?」


 この場にはヴァリニャーノが居る。しかし顕如と私のコミュニケーションは、この国の言葉で行われる以上、ヴァリニャーノの介入する余地は少ない。


 私は、意を決して此処・・へやってきた理由を告げた。



「……1人の無縁仏を供養していただきたく」




 ◇ ◇ ◇


 ――今から10年近く昔。ローマのマセル・デ・コルヴィ街区にて当代随一の天才であったミケランジェロ・ブオナローティは次のような質問をした。


「――して、マルガレータ嬢は、神より賜りし命を賭して何を為す?」


「物語を無かったことにするためでもなく。……スペインのためでも、布教のためでもなく。……あるいは、彼の国をより良くするためでもなく。

 私は、彼の国……日本へ――」


 ……私は、あの時。次のように答えたのである。



 「『前世供養』のために赴こうと思います」


 ――と。




 ◇ ◇ ◇


 亡きミケランジェロに語った内容、そして私が日本へ来た本当の理由は、ひどく個人的な理由であった。


 『前世供養』。

 これをミケランジェロ以外の人物に話したことはなく、また話せるわけもない。だからこそ私はずっと日本へ行く理由を、『銀相場』であったり『宮廷への得点稼ぎ』であったり『公貿易』であったり装飾し迷彩する必要があった。

 それらが必要ではない、とまでは言わない。けれども、私が何としても日本に来なければならなかった理由は、前世……すなわち転生前人格を日本で供養すること。


 私には3つの自己がある。

 『物語の白雪姫』としての自己、『前世人格』としての自己、そして今の私を形成する『マルガレータ・フォン・ヴァルデック』としての自己、この3つである。


 『物語の白雪姫』としての自己は、既にミケランジェロとの対話を通じ、王子のキス無く目覚め終止符を打った。

 であれば、『前世人格』としての自己についても終止符を打たなければならない。これは理屈ではなく、私個人の感情に起因する考え方だ。全く論理的では無いし、必要性も皆無である。


 だからこそ、これは完全に私の気持ちの問題である。独善的で、身勝手で、自分本位で、自己中心的な願い。

 今まで何だかんだ言っても役に立っていた前世の知識、これを蔑ろにするわけではなく今後も使える時には使うこととなるであろう。マルガレータ・フォン・ヴァルデックとしての自己確立の中に、前世的な価値観が包括されていることもまた確かだ。


 どちらも私。でも、大元を辿れば別個の個体なのだ。同じ私であっても……いや、同じ私だからこそ、これ以上()の魂を、私の都合で振り回すのは良くない、そう感じたのである。

 だって私は、前世の私は。……日本人だったのだから。少なくとも国籍が希薄となっている今の私とは、違うのだ。



 その中で、一向宗を選択した理由は単純だ。


 顕如は、私の長考をまるで読んでいたかのように。このタイミングで言葉を差し込んできた。


「勿論、喜んで供養いたしましょう。真宗はすべてを救いますが故に」


 一向宗はすべての門徒を救済する。遊女であろうとも、奴婢であろうとも、村の中で飼い殺しにされいざという時に村の為に死ぬためだけに生かされている解死人であろうとも、全てを救う理念がある。

 勿論、私の知る歴史では、その理念が崩れ悪用され武家との戦に転用され、一揆を引き起こし、長きに渡る織田との抗争の原動力となった、悪い言い方をすれば方便でしかないことは承知の上である。

 だが、それが方便であっても。詭弁であっても。その時救われた人間は確実に居て、そういった者らによってこの石山本願寺は形成されているという側面はあるのだ。


 前世、などという荒唐無稽の存在を供養してもらう宗派として、私はここしか思いつかなかったのだ。

 顕如は、言葉を心地良い旋律を奏でるかのような声に乗せ紡ぐ。


「ですが『無縁仏』ですか……。貴殿ともあろう御方がわざわざこの石山を訪れてまで頼み込む、ということは相応に貴殿にとって大切な人物であったということなのでしょうか?」


 大切というか、自分自身なのだから愚問でしかない。だがいくらでも言い逃れは出来る場面であった。

 私に日本語を教えてくれた師、とでも言えば良い。あるいは私を日本へ来るように夢枕の中で語った人物が居た、などという方便でも構わない。

 『転生者』などという話を馬鹿正直に話さなくとも、全く問題の無い場面である。



 しかし、私は答えに窮した。何と答えようか迷ってしまった。そしてその迷いを沈黙を形成する。


 そして、その沈黙を破ったのは。



 ――アレッサンドロ・ヴァリニャーノが話す日本語・・・であった。



「……『テンショウ』、でゴザイ、マス」




 *


 ヴァリニャーノは知っていた。『テンショウ』……即ち、転生のこと。直接話したのはミケランジェロだけだし、その彼は既に亡くなっている。

 どこで知ったのか? というか、今までの会話を理解していたのか? 僅かな滞在で日本語が話せるようになったのか?


 しかし、私の様々な疑問と動揺を余所に、顕如は話を進める。


転生てんしょう……。成程、道理で。色々と納得はいきました。

 それで、あれば確かに『大切な人物』ですね」



「マルガレータさん、彼は何と言っていますか?」


 あっさり受け入れる顕如と、その顕如の言葉を聞きたがるヴァリニャーノのスペイン語での言葉。ヴァリニャーノはまだ完全に日本語を理解しているわけではなく、あくまで場の雰囲気などで察し、先の言葉を紡いだようである。


 そして顕如の言葉を訳せば、ヴァリニャーノは深く頷き私自身の言葉で返事を返すように求める。

 それに素直に従うと次のような言葉が私の口から出てきた。


「……どうして、そんな荒唐無稽なことをあっさりと受け入れるのでしょうか、顕如殿?」


 顕如は先に聞いた言葉を再び繰り返す。


「真宗はすべてを救いますが故に。

 肉体なき魂だけであっても、その魂が御仏を信じるのであれば救われねばならぬのです」


 それは力強い断言であった。そしてその言葉を訳すようにヴァリニャーノがせがむので伝えれば、彼はこう言う。


「高潔である、と彼に伝えていただけないでしょうか」


 それをヴァリニャーノの言であるとしたうえで顕如に伝えると。


「数々の労苦を乗り越えて、この日ノ本まで教えを広めにやってきた宣教師の皆様のそれには及びませんよ」


 私はこの期に及んで、今、もしかすると歴史的な瞬間に立ち会わせているのでは、と思い至る。

 ヴァリニャーノと顕如。私の知る歴史では決して相容れない両名がお互いの高潔な魂を相互に認め合っている。その宗教を超えた理解はまさしくこの世のものとは思えぬ、超然的でかつ幻想的な光景であった。


 そんなことを考えている刹那。2人の言葉が重なった。


 その言葉は異なる言語であったものの全く同じ意味を言っていた。


 『だからこそ我々は敵対するでしょう』――と。



 そして。

 続けざまに更に重なった異言語もまた、同じ意味の言葉であった。


 ――『同じことを言いましたね?』



 それが理解できるのは、この場においては私だけのはずなのに。

 顕如もヴァリニャーノもまるで確信を持っているかのように、お互いの顔を和やかに穏やかに見つめているのであった。




 *


「とはいえ、そのようなこと今の重大事の前では些細なことです。本当に大事なのは貴殿の前世の魂の供養にあります」


 顕如がそう言い、ヴァリニャーノも特に何も言わなくなったので、流石に稀代の宗教家同士の語らいには付いていけないと感じた私は、割り切って意識を切り替えることにした。

 顕如はその様子を見てから言葉を選ぶように語る。


「無縁仏とは言いますが、貴殿ほどの身代がありますれば、豪奢な墓で弔うこともできるかと思いますが……」


 私は即答する。


「いえ。一般信徒と同じようにしてください」


 今の私を基準としてしまえば、必ずや前世の私の身の丈には合わなくなってしまう。私のその回答を聞いた顕如は満足そうに頷き、こう紡いだ。


「分かりました。ではそのようにお進め致しましょう。

 それでなのですが……供養するにあたってですが、前世の何でも構いません――『個』を示すものを教えていただければ、と思います」



 前世の個。難しいものを要求された。

 心付けは当然渡すつもりであるが、それはマルガレータ・フォン・ヴァルデックとしてになってしまう。金や物はどうあがいても今の私からの贈り物にしかならない。髪の毛一本ですら前世のパーソナリティとはならない。


 では、次に浮かんだのはミケランジェロが臨終に伴い私に託した地獄の門の木像はどうか。……これも、駄目だ。これは『物語の白雪姫』としての私を示すものであり、前世は無関係である。


 最早、記憶という形でしか残っていない、前世のパーソナリティをどうやって顕如に渡せば良いのだろう。

 そこまで考えて1つの答えに辿り着いた。



 名前、である。


「顕如殿。前世における私の『名』はいかがでしょうか?」


「素晴らしいですね、それが分かるのであれば願っても無いことでございます」



 そして、は名前を遺すこととなる。

 歴史的偉人でもない、ただ一介のどこにでもありふれた取るに足らない――死者として。


「……では、私の名は――」




 *


「……というか、私の前世の話をどこで知ったのですか、ヴァリニャーノ殿?」


「あ、やっぱり気にしますか、そこ」


 顕如との前世供養の打合せの後に彼が退席した後でのアフタートーク。

 話している最中は捨て置いたが、どこからその話は漏れたのかはヴァリニャーノに問い詰めなければならない。


「そこまで難しい話でもないですよ。故・ミケランジェロ殿が、崩御なされた先代教皇であらせられたピウス猊下にお伝えしていて、私は猊下より『イエズス会としての垣根を越えて助力しなさい』と御言葉を預かっていたからです」


 そう言えば、ヴァリニャーノは教皇と関係が深かったっけ。ヴェネツィア脱出の際にそれが発揮されていたけれども、すっかり忘れていた。で、ミケランジェロ自身がまさか教皇相手には零していたとは。


「……よく信じましたね?」


「信じた……と言いますか、正直納得の方が大きかったですね。

 だって、パドヴァ大学に居る頃からこの国に来たいというマルガレータさんはやはり異常でしたから。理由はいくつも伺っていましたが、どれも他動的な理由でしたし。

 それに前世が異教であろうとも、今こうしてカトリックを信奉しているのであれば、それは私にとっては取るに足らないことです。でなければ、こうして宣教師などしておりませんよ」


 当たり前のことがすっかり抜けていた。宣教師とはキリスト教の教えを広めるものであり『広める』ということは必然的に異端や異教徒相手の仕事なのである。

 だからたとえ前世で異教であったとしても、それをヴァリニャーノは糾弾しないのだ。その答えは既にミケランジェロからも伺っていた話に通ずる。



 ――神の御業とは、今現在に現れるのだから。

 過去に何が行われたのかは超然的には関係ないのである。



「この事は他の誰かに話しましたか?」


「いえ、誰にも。亡き前教皇猊下が別の方に漏らしている可能性はありますが、まあ、それも薄いでしょうね。私に話されたのだって、マルガレータさんと近しい関係であったからなのでしょうし」


 うーん、確かめる方法は無い以上信じるしかないけれど。確かにヴァリニャーノが師として認め、上下関係が然りとしているイエズス会において上司にあたるオルガンティノにも話していなさそうだったし、信じても良いと思う。


「……では逆に顕如殿から漏れる可能性はあるでしょうか?」


「それは、何とも言えませんが。おそらく胸中に留めてくれると思いますよ」


 このヴァリニャーノの言葉は信じることができなかった。だって今までに日本で行ってきた交渉の数々の前提となっている日本に対する知識の証明に他ならないのだから。これを情報として売り付ければ、それなりの富を築き上げることができるはずなのに。

 ヴァリニャーノに続きを促せば、こう彼は語った。


「宗教家として実利的なことを言えば、懺悔した内容を他者に漏らすというのは、短期的に利益は得ることでしょうが、それをした瞬間に『ここで懺悔をすると、他者に漏れる』という醜聞を撒き散らすことと同義なのです。

 高位の権力者の懺悔であればある程に『あれだけ偉い人物でも勝手に話を漏らされるのか』という反感へと即座に繋がるのです。そうなれば宗教家としてはおしまいですから、如何に異教であってもその一線を越えることはないかと」


 俗な言い方をすれば商人以上に信用商売なのである。そういう言い方をされれば私としても深く納得できる。もっとも私がやったことは懺悔ではないとは思うが、そこは方便というものだろう。

 更に、ヴァリニャーノは話を変える。


「……しかしあの顕如という異教の指導者は、随分と高潔な方でした。あのような御方をカトリックに改宗できれば、この国の布教活動も大きく進むのでしょうが……」


「それは流石に無理がありますよ、ヴァリニャーノ殿?」


「そうですよね、マルガレータさん。結局、この国の風習や文化に『適応』して、少しずつ進めていくしか無いのでしょう。

 ですが既にあのような高潔な異教徒が居る以上は、ただ迎合するだけでは布教を推し進めるのは難しい……」


 ヴァリニャーノが『適応』という言葉を使うと私としては反応してしまう。史実の彼の布教政策である『適応主義』、即ち日本文化に馴染むようにするやり方は確かに一定の成功を収めていたが、その根底には僧侶を模倣し、服装・食事・振る舞いなどを細かく規定するという方策を取っていた。

 勿論、それは日本人受けするやり方ではあったけれども、彼は修道士の階級を表す言葉に仏教用語すらも使っていたという話もある。適応しすぎでしょそれは。


 おそらく私の知る歴史同様、仏教とキリスト教のこの国での対立は不可避であろうし、カトリックの布教が成功する展望も見込みも無い。

 けれども、それはそれで構わない。幕府の問題と全く同じ……当人同士の問題であり、私がわざわざ介入するものでもあるまい。


 だって、私は。『フィリピン伯』マルガレータ・フォン・ヴァルデック……フィリピンの統治者なのだから。



「……あ。そう言えばずっと聞きそびれてしまっていたけれども、ヴァリニャーノ殿はどうして口之津から堺に来たのかしら?」


「あれ? 伝えていませんでしたっけ、申し訳ございません。

 マルガレータさんの代理で統治しているイディアケス補佐官から急使が来ておりまして、フィリピン帰国要請が出ております」



 帰国要請とは穏やかではない。どうやら何か大ごとがあったのだ。



 そう。この時に至るまで、私はすっかりと忘れていた。

 ずっと、この国で見届けてきていた室町幕府の混迷と不協和音であったが。



 ――この世界に『室町幕府・・・・』はもう1つあったということに。



「ネーデルラントで政変が発生したとのことです。

 新たに総督に任命されたフェリペ陛下の嫡子であるカルロス王太子が、南部ネーデルラントにおいて『フランドル=ワロニア王国』を名乗り独立、強力なカトリック主導体制を敷きポルトガルと連合することを模索しているとのことです。

 一方北部ネーデルラントは、ネーデルラント宰相であるオラニエ公が中心となり、現行統治の継続を願いフェリペ陛下側に付き、真っ向から対立。両者は交戦状態に入ったとのことです。


 その善後策を検討するため、至急フィリピンへ帰還して欲しいと――」



 マルガレータ・フォン・ヴァルデックとして成し遂げてきた過去の清算。

 即ち、白雪姫でも前世でも無い――本当の意味での私の戦いはここから始まるのである。






 白雪姫、戦国日本へ降り立つ


 了

ひとまず主人公の当初の目標は達成したので、ここで一度区切ります。ここから先の話は『白雪姫』が『戦国日本へ降り立つ』話では無くなってしまうので。


一旦完結済設定としますが、まだまだ未回収の事項があるので、後々本編外の外伝という形でまとめ次第改めて再開するつもりです。



とりあえずはそれまでの間、本作をお楽しみいただきありがとうございました。



2021.9.23追記

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― 新着の感想 ―
[良い点] 傑作!だ [一言] 歴史の考察や、深い知識などが織り込まれた作品です。 感服しました。 歴史小説の面白さが十分に詰まった作品です。
[良い点] 最後まで面白かったです!完結おめでとうございます!
[一言] 完結おめでとうございます 表題、主題、登場人物、話の展開、作り込まれた内容の全てが衝撃的で、 次の投稿が待ち遠しく期待する日々でした この後も補足などが追加されるとのことですが、そちらも楽…
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