第56話 黄金律
千利休に誘導されている。
そのグレイスの言葉は全くの想定外であり、それでいて座して無視することのできる言葉でも無かった。
堺へと到着したときに私達に存在したのは、イエズス会宣教師の伝手と織田信長からの接触の手であった。
前者は今なお我々に宿を提供してくれている日比屋了珪に、和田惟政ら。後者は堺政所として配置されている松井友閑である。
その後、松永久秀から提供されたのがキリシタン剣術家の結城忠正、彼の母方の実家の伝手を辿れば公卿の勧修寺家に連なるが、この縁には手を付けていない。
私が選択したのは、宮中へも診察を行う曲直瀬道三にカトリックに対する好印象を与える搦め手と、細川藤孝の血縁を利用して宮内卿のキリシタン公家の清原枝賢への情報提供ルートを確保することであった。
しかし曲直瀬道三も細川藤孝も、千利休がセッティングした組香の場にて紹介された人物である。藤孝の先に居た清原枝賢は洗礼を行っている関係上宣教師らに伝手があったかもしれないが、少なくとも前者2人については、私もイエズス会宣教師らも直接に繋がることの出来る人物では無かった。
「……つまり、グレイス? それは『誰を紹介すれば私が効率よく利用することができるか』を千宗易殿が看破した上で、あのメンバーを香道で集めたということ?」
「結果からの逆算ですけれどもね。
……というか、そもそもマルガレータ様は、この国に来てから急に政治的な打ち手が精微になりすぎています。大方、この国のことに異常に詳しいことは誰かに調べさせでもしたのでしょうから私から指摘する話ではないので捨て置きますが、ヨーロッパや新大陸、フィリピンにおいての手腕と明らかに差異がありますよね?
少なくとも、血縁関係を辿る……なんて手法は、これまでのマルガレータ様は全くしておりませんでしたし」
そこまで、グレイスには掴まれているか。
グレイスが政略に優れた人物であることは理解していた。しかし、その能力を私への評価に転用されることは考慮していなかった。
確かに言われてしまえば元も子もない話である。この戦国日本での私の手数は、『歴史』として知らない他地域と比べて圧倒的に多い。『史実』から逆算して今の私にとって必要な手を取捨選択して打つというのはこれまでとは全く異なるプロセスである。そうやって物事を決定しているのだから、従来のやり方とは全く違うのは当然である。
問題は私がそこに全く意識が向いていなかったこと。辛うじてグレイスは『誰かに調べさせた』、『私が関与する話ではない』と言っているのが救いだ。とはいえ、こういうことをグレイスが言い出すのには理由がある。
そもそも、私の統治システムにしろ何か物事を推し進める時のプロセスは『分からないことはとりあえず全面的に誰かに任せる』という方針だ。丸投げとも言う。
その根源には出来ないのに失敗して責任を取らされたくないからという責任回避の意識が多大に働いていることは否定しようも無い事実である。だからこそ、フィリピン遠征の過程で軍事的な総指揮をウルダネータに代行させたり、ブール王国の臣従を認めてある程度の自治を許している。
そしてこの個々の高い独自裁量は、それぞれが領分とする領域に足を踏み入れない相互不可侵のような役割も同時に果たすようになった。だからこそ、グレイスの目で見えない何かが私の指示で行われていたとしても、それが普通、という土壌が形成されていったのである。
即ち、私は強権を手放して各人に丸投げすることによって、かえって身内にも高い秘匿性を有することになった。……完全に偶然だけどね。
なお、この形のデメリットは私以外の人間も同様の恩恵を享受できるために、私の下に居る人間が何らかの不正を行ったり秘匿を行っていたとしても気付くことがほぼ不可能ということ。
それを防止するにはフェリペ2世のように秘書官などによる諜報網を張り巡らして、各人の行動を逐一私の下まで上げてもらうという手法があるものの、それをやると私が事務作業で死ぬこととなるので放任している。
「しかし、そのことが何か千宗易殿と関係しますか?」
「逆の立場で考えてください。私などはずっとお供しておりますので、そうしたやり方がこの国限定のものであり、従来のマルガレータ様の講じる方策とは異なることを理解しています。
しかし、あの商人を始めとするこの国の多くの者からすれば、マルガレータ様は最初からそうした妙手を打つ外交官だと理解されているかと思います。
少なくとも、確定しているといっても過言ではないことは。
――マルガレータ様がこの国の内情に詳しいことは、既にこの国の人々に露見しており、彼等はその前提の下で策略を練ってきていますよ」
グレイスは一流の政略家である。だからこそ私の目線には見えなかったことを、こうして理解している。
……しかし、千利休もまた。一流の政略家であることを、他ならぬ私は知っているのだ。
だからこそ、この国でグレイスが見抜いた私に関することと同等以上のものは、今まで関わってきた大部分の戦国の人々に看破されていると判断すべきであり。そして、その上で対策を既に練られている、とそう考えるのが自然なのである。
この視点を持ったときに、今までに見えなかったものが見えてくる。
まず、意図が不明であった松永久秀の2つのプレゼント。茶器と結城忠正。後者の結城忠正は言わずもがな私自身が考慮していたように朝廷へのルート。
前者の茶器とは、既にこの時代の畿内ではそこそこ流行している茶会のための交渉ツールであると考えられる。
つまりあの時点で松永久秀は、『私が茶道を知っていること』を概ね看破しており、同時に『茶器を有していないこと』も調べが付いていて、その上で『ここで茶器を渡せば、茶会を利用して人脈を広げるだろう』ということまでセットでのプレゼントであった。
ここに、松永久秀自身が語った『堺の町衆との朝会で絶賛された逸品』である情報が加わると途端に謀略へと変質する。つまり堺の名だたる商人は、私の手元にある茶器が松永久秀より渡されたものであると分かるのだ。もっとも茶会をやる前から把握しているであろう商家も多いだろうが、それでも茶会を開いた瞬間に松永の名が露呈する、そんな仕組み。
けれども、その久秀本人が価値を知らぬ者が居たら松永久秀の名を出せ、とも言っていたので彼自身としてはそこまで秘すべきものでもない謀略ではあったのだろう。
しかしもし取っ掛かりに茶会を選択すれば、以後の交渉に松永久秀の名が見え隠れする羽目になっていた可能性があったのである。
――と、ここまで考えると1つの本来あるべきであった疑問に対してその答えの予想が生まれる。
それは、どうして千利休は茶会ではなく組香を主催したのか、という疑問だ。
千利休の最初の茶会は、私が知る限りでは1544年に行われたとされている。まあ記録が散逸した茶会もあるかもしれないので何とも言えないが、そこを起点としたとしても既に20年以上茶人としての名声をこの畿内に轟かせてきている。
なのに千利休は組香を選択した。勿論それは私が日比屋了珪へ零した暦にまつわる話が関係していて、それが趣があり風流があると判断したからこそあの一席を用意したのであろう。しかしそれは事実ではあれど、それだけが理由では無かったというわけだ。
考えてみれば商人である千利休、そして後々には秀吉の政商と呼んで差支えの無い地位まで上り詰める彼が、1つの催し物をやる理由が1つだけだとは考えにくく、複合的な理由付けをするのはむしろ納得がいく。
ということは、だ。
「――もしや、千宗易殿は松永久秀殿と別口で動いている……?」
千利休が松永久秀の茶器の策と連動するのを嫌って、敢えて組香を選択したという説が浮上する。
「さあ、そこまでは分かりませんが。ですが、何らかの思惑はあって然るべきでしょう。
というか、それよりも大きな問題は千宗易がどこでマルガレータ様の情報を入手したかのが私は気になりますが」
そのグレイスの問いに対して私は何も返すことができなかった。千利休がどのような伝手で私の情報を仕入れたのか、候補が多すぎて全く絞り込むことができなかったためである。
一旦そこで話を区切り、別口で気になったことをグレイスへと訊ねた。
「……ちなみになんだけどグレイス。この国に来る前の私の政治上の打ち筋をどんな感じで捉えていたのですか?」
「前と言いますか、今でもやっていることでだと私は判断しているのですが……。
盤面ごとぶち壊す奇想天外な言動で、諸問題を棚上げにすることで交渉の成否を上げる……ああ、いえ、別に悪口で言っているわけではないですよ。
時が解決する問題というのも確かにありますので、諸々のことを棚上げにするのは確かに有効的なやり方だとは思います。
……何より私がアイルランドで弔い合戦をするときにもマルガレータ様がスペインの旗印を掲げてくれたおかげで、領主間の抗争という盤面が崩れ私は優位に戦いを推し進めることができたのですから――」
確かに、予想斜め上の方策を示すことで、相手の虚を突くというやり口は何だかんだで私が好んで使うことが多かった。
その傾向の発端はまず間違いなく白雪姫のストーリーのように継母によって仮死まで追い込まれるのを嫌って此処、日本へ逃げようという思考に至った部分からなのだろう。
そして、それすらもグレイスに分析されていることに、私は今更ながら将器の違いというものをみせつけられるのであった。
*
堺へと戻ってきた。
私を含めた随行人員の一部は未だ日比屋了珪の屋敷を宿としているが、宣教師らはアルメイダとトーレスが前々から設置していた教会とそれに併設された診療所を拡充することに決定したようで、その周辺用地の寄進という名の買収工作を行っているらしい。そういえばイエズス会は修道会として領地を持っても問題なかったね。
その一環でどうやら建物が手に入ったみたい。なので改装までの暫定的な措置として、居住場所とするようである。
また日比屋了珪の屋敷を宿としていると言っても、私の方から謝礼というか宿代は払っている。滞在が少しずつ長くなってきたことから日比屋了珪は、あるいは他の堺の商人はこれが商機であることに気付いて、兵レベルなら日比屋了珪からの紹介で別の宿であったり、違う商人管轄の所などに分散配置されることとなる。
とはいえ、私自身は堺滞留時はずっと日比屋了珪の屋敷なので、もう段々と屋敷の一室が完全に私室扱いみたいになってきているし、応接用の部屋はほぼほぼ私が誰かと面会する際に占有することになっているが。
それで、細川藤孝の屋敷から帰る時に私が使っていた吹き矢――サンピタンは持ち帰ることとなった。細川藤孝は予備の分を含めて結構な数のサンピタンと矢を譲り受けていたので、私が使ったものを置いて行っても正直使い道がないとのことであったからである。
しかし、この吹き矢。棒の部分が異様に長いせいで置き場所に困る。身長を超えるかという長さの吹き矢は、普通に部屋に置くだけでも随分と邪魔なのだ。ということで置き場所を探っていたら、良い場所を見つけたのでとりあえず置いてみた。
「うーん……スペース的には申し分ないのだけれども、装飾も何も無いただの棒だから見栄えは最悪だ……」
そこは応接室。長押のように天井に高い位置ではなく、壁の低い位置に備え付けの槍掛けがあった。丁度長さ的にはぴったりでしっくりはきた。
しかし吹き矢である以上、中は空洞であっても外見だけ見ればただの長い棒でしかない。だから槍を飾る場所に置いたら、あまりにも殺風景。
仕方が無いので銃剣のように着剣して模擬的な槍にできることを日比屋了珪に相談したら、
「このままで良いと思いますよ。ただの棒に見える方が印象に残りますし、話の取っ掛かりとして『摂津守護の1人、細川藤孝も嗜む新武器』というのはアリですし。下手に槍のように見せかけてしまえば誰も突っ込みませんよ」
と言われ、そういうことならこのままでいいかと設置。
そして、その返す刀で日比屋了珪に千利休とのアポイントを依頼。
正直、千利休なんていう史実ネームド相手に腹の探り合いなんてことを私はやりたくない。それに腹に抱えるものはあれど基本的には友好的だし、松永久秀とは別口ルートを提供しているということもあるために、危険性は低いとみて直接意見をぶつけて反応をみたいという意図も込めて千利休との面会を要求してみる。
すると、同じ堺の町に住んでいることから返信は即日来て、快い返事とともに期日・場所に関する提案がなされていたので、それに返答しつつ待つことで面会日を迎えることとなった。
*
事ここに至っても、千利休との1対1での面会は茶会ではなかった。松永久秀との差別化という文脈を把握した以上、仕方のないことだが利休の茶というものは単純な興味本位では気になるので残念だと思う気持ちもある。
しかし、おそらくそんなことを言っている余裕はすぐ無くなるであろう。
「……今回、こうした場を設けさせていただいたのは我等の朝廷工作に関連することでございます。
千宗易殿が提供してくださった一座である組香の場での面識が――」
千利休は私の言葉を遮るようにしてこう話す。
「――お気付きになられた、ということですね。でしたらお互いに言葉を重ねることは不要かと、思いますが? 私に聞くべきことがあるのでしょう?」
「……はい。
何故、それまで面識の無かった貴殿が、我等にとって都合の良いように人を差配しているのでしょう? そのご厚意には感謝いたしますが、腹が読めぬとなると不安が募ります。
――目的を、聞いてもよろしいでしょうか?」
千利休は私の問いかけに対して目を一度閉じ、そして再び開く。その眼光は鋭く私を射抜いていた。
そして問いかけに対して、こう答えたのである。
「かつて淀川が河口に難波館という外国施設――鴻臚館があったのですよ。
博多だけではなく――難波にも、ですね」
……そうか、そういうことだったのか。
この御仁。神屋紹策以下、博多商人衆を中核に据えた公貿易管轄とスペインやフィリピン伯領としての在外公館の役割を担わせる予定の鴻臚館構想。
――この新たな『鴻臚館』を博多ではなく、堺近郊に置かせることを画策していたのである。