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第54話 有職故実


 幕府の足並みが全く揃わなそうな感じがひしひしと噂として伝わってくる。それはある意味では、ここからが足利義昭の真価を見ることができるとも言えるだろう。


 これだけ寄せ集めで作った幕府を果たしてどのように運営していくのかは、気になるところである。私の本心としては、しっかりと運営されるに越したことはない。だって現状、足利義昭も副将軍の織田信長も私や宣教師に好意的な訳だし政権が安定するならその方が良いに決まっているのだ。


 ただ、そう願ってはいても実際に長続きするか否かとは別問題である。歴史が全く変わってしまっている以上、この足利義昭政権がどれだけ継続するのかは全く未知数だ。最初の1ヶ月だけで全てが判断できる訳もなく。そして政権安定化が私達にとって利益にはなるものの、だからといって下手に介入するのも変な話だ。あまり、政権運営における特定の個人と仲良くし過ぎると、政権交代が起こった際に外交交渉が『個人的な契約』と見做されて反故されるリスクもある。

 日本という枠組みの完全に外側に位置しているが故に、彼等に振り回されないように中立的である、ないしは分かりやすく『最大勢力だけを相手にしている』という建前を提示し続けるのは大事だ。まあ大事とは言ってもリスクと天秤にかけて、危険回避になるのであれば何某かを優遇することもあるだろうが。



 で。朝廷工作についてなのだけれども、搦め手である曲直瀬道三からのルート以外にも伝手は実はある。それも幕府を通さない道が。

 松永久秀によって護衛兼監視役として付けられた剣術家の結城忠正。彼の妻は武家伝奏を務める勧修寺家の出身だ。例えば結城忠正の義兄弟には正三位・権中納言の公卿である勧修寺晴秀が居たりする。そこそこあっさりと公卿に辿り着くわけだが、一方で結城忠正がカトリックではあれど、松永久秀の紐付きというのはどうしても気になる部分だ。

 オルガンティノやルッジェーリに話した正規ルートとは、まさしくこのルートなわけだが、明らかに松永久秀によって整備され誘導されているようにしか思えないこれに足を踏み入れたくないのだ。



 だからこそ、抜け道を使おう。幕府がごちゃごちゃしているからこそ、逆に堂々とそこの人脈を使えるという利点はある。

 私は再び、我等が常宿としている日比屋了珪を呼び出してこう伝える。


「先の幕府人事をお伝え頂いた謝礼として、細川藤孝殿の下へ参ろうと思います」


「承知いたしました。輿を用意いたしましょうか――」


「いえ、船で行きます」


 そういえば、馬に乗る練習もしないとな。




 *


「先日は河内守護のこと、内々に知らせていただきありがとうございました」


「いえ、あれしきのこと礼にも及びませぬよ……白雪殿」


 嵯峨での組香の一件は瞬く間に京雀の格好の話のネタとなったらしい。まあ異人が香道をやったらそりゃ話題にもなるか。

 それで、あの時の『冬月香』にて『月』の香と『雪』の香を間違えたことで、詠まれた坂上是則の歌の末尾を持ち出して、白雪殿だとか白雪姫だとかで洛内では呼ばれているらしい。


 期せずして『白雪姫』というスタート地点に戻ってきたわけであるが、当然雅なだけの渾名というわけではなく、まず分かりやすいところだと『冬月香』で間違えたことを大々的に周知してバカ鼻だと揶揄する意図、これが入っている。

 そして、私の金髪の髪色であったりとかあるいは、ヨーロッパ出身であるという肌の色という身体的特徴を持ち出して、そこに意味を重ね掛けしているとのこと。明らかに異人に対する拒絶反応を孕んだ名付けではある。


 ……まあ、ヨーロッパだともっと露骨に『プロテスタントのクレオパトラ』などと言われていた経歴もあるからなあ。ローマと京都でまさか似たような扱いを受けるとは思わなかったが、とはいえ私としては何周も回って逆に馴染みのある場所に落ち着いた、ともいえる。


 そんな雅称であるとともに蔑称でもある『白雪姫』だが、表向きは雅称なのだから逆に堂々と使って広めてしまおう、ということに組香関係者はなったようで、細川藤孝もそれが洛内では蔑称として使われていることを理解した上で、それを上書きしてしまおうと敢えて使っている。


「それで、白雪殿。礼を言うためだけにわざわざ私の下を訪ねたわけではないでしょう?」


「ええ、まあ。細川殿……折り入ってお願いしたいことがございます。

 ――細川殿の母方のご実家である清原家。確か、従兄弟にあたる宮内卿の清原枝賢殿がカトリックであったと記憶しているのですが……渡りを付けることはできますでしょうか?」




 *


 広澄流清原家、それが細川藤孝の母親の実家である。平安時代の頃より明経道を家学として栄えたこの家は代々著名な儒学者を輩出してきた。何回か養子を入れていて直近だと細川藤孝からみて母方の祖父にあたる清原宣賢は、『反本地垂迹(すいぎゃく)』という仏を神の権化とし、神に仏が従う形での神仏習合の考え方を示した神道の流派である吉田神道の開祖、吉田兼倶の子であったりする。

 因みに全くの余談ではあるが、この広澄流清原家は臣籍降下して成立した皇別の清原家と同名ではあるが全く別の氏族であるので、清少納言の清原家とは関係がないのであしからず。


 そんな室町時代における神道の新流派と、代々の儒学の血脈を連なってきた清原家であるが。細川藤孝の従兄弟にあたる枝賢が、私の知る歴史ではカトリックの洗礼を受けている。ちょっと清原家、属性過多だよねこれ。


 そんな清原枝賢がカトリックの洗礼を受けた背景には1563年のロレンソ了斎との大和での公開論議があり、これに敗れたことでカトリックの教えに感化され改宗している。

 宮内卿に列されていることから官位相当で言えば正四位下辺りなので、従三位以上ではないことから現状公卿ではないと考えられる。宮内卿なのに公卿ではないって分かりにくいな。ただし殿上人にはなり得る。



 ただし、その清原枝賢がカトリックの洗礼を受ける契機となった公開論議とは、本来は退京し堺に逃げ込んでいたイエズス会宣教師を追放しようとして松永久秀の命による画策された場であり、枝賢自身も本来は宣教師に何か瑕疵があればそれを儒学者としての立場から糾弾する役割を担っていたはずなのである。その状況をひっくり返したロレンソ了斎の弁論能力の異常性はさることながら、負けたとしても何に対して改宗までする程に感化されたのかはよく分からない。

 そしてその論戦の場には、松永久秀から護衛として付けられている結城忠正も同席しており、この清原枝賢と同じタイミングで洗礼を受けているのである。


 だからこれも松永久秀案件であることには違いないが、清原枝賢が結城忠正と大きく異なるのは松永家の家臣でも元三好所属の武士でもない公家ということ。つまり松永久秀から見れば格上の相手であり、上手いことやれば松永久秀の影響力を脱したままに朝廷の内情を知ることができる。まあ清原枝賢自身は公卿ではないので成功したとしても、もう一手か二手は必要になるとは思うが。


 というかこの時期の畿内の日本人キリシタンって多かれ少なかれ全盛期三好家の影響を多大に受けている。そりゃ三好長慶が実務者の時代に布教の許認可が下りているのだから当然と言えば当然の話なのだけれども、だからこそ松永久秀という男はイエズス会の弾圧者として登場してくると同時に、三好家臣として日本人キリシタンを多く抱え、ともすればその信者の増加に関わっているという一見大いに矛盾している在り方を両立しているのだ。


 だからこそ細川藤孝の血縁による繋がりを使うことで、極力松永久秀ルートから逃れられるようにということでこの清原家を接触相手に選ぼうと考えた。



 というところで、細川藤孝の返答。


「清原枝賢様へと渡りを付けることが可能か不可能かという問いであれば、無論可能ではあります。ですが、我が細川家に何の益もなく、おいそれと紹介するわけにも……」


 これは私のことがどうこうというより、こういった仲介を一度無償で認めてしまうとその噂が広がったときに縁を求めてやってくる人間が後を絶たなくなるという理由が大きいだろう。対価をしっかりと得ることで、細川藤孝から人を紹介してもらうのにはコネだけではなくそれ相応のものが必要なのだと知らしめることで自身をブランディングしているわけである。

 ただし、正直な話。そこで必要となるのが金であろうと貴重な品々であろうと私が用意するのはそこまで難しくも無い。一応フィリピンを差配しているので。何なら先の組香の場で使われていたような香木ですら臣従しているブール王国に一報入れるだけでテルナテ王国からかは分からないが仕入れることは出来るのだから。

 だからこそ、あまり気負わずにこう尋ねてみた。


「……逆に細川藤孝殿は、どのようなものを私から引き出そうと?」


 このとき私は細川藤孝が幕臣であり文化人であることに意識を取られて1つのことを失念していた。


「此方から要望を出せるのであれば――スペインの武者と手合わせがしたいと考えているのですが……白雪殿の随員には、剣を然りと修めているのは結城忠正殿くらいですよね?」



 ……そうだった。この人、塚原卜伝から剣術の指示も受けていた。




 *


 結構大きな盲点を見抜かれていた。フィリピン派遣艦隊というかそれ以前からずっとそうなのだけれども、私の陣容に実は武力に秀でた人物ってほとんど居ないのである。

 軍略でも政略でも基本何でも出来るグレイスは確かに弱くは無いがアイルランドの出であり決して剣術家であったり騎士団のような系統だった武術を修めているわけではなく家流・我流の類のものだ。

 あるいは物好きに付いてきているブール王国の客将ダトゥ・シカツナも元々は領主層であり、勿論武芸は身に付けてはいるが専門的にやってきたわけではない。


 としたときに、武芸特化型の人材が不足しているのは紛れもなく事実であり。それを細川藤孝に見抜かれていた、というのは少し考えなければならない事態である。前々から考えつつも保留にしていた剣術家の結城忠正をどこまで信任して良いのかという問題もさることながら、相手が手練れの武術家を持ち出して私のことを害しようとしたときに下手すると止められないのだ。これは由々しき事態だ。


 そうした安全面の問題をとりあえず棚上げしておくとしても、スペインの武者……つまりは騎士団員クラスとの手合わせを行うのは中々に難しい。私の派遣人員に現役の騎士団所属の人物は居ないから、一度スペイン本国まで要請する必要があり、年単位で細川藤孝を待たせなければならない。割と何でも対価として出せると思っていた私の手の内に無いものを要求されてしまったのである。


 確か、ルイ・ゴメス侍従長がカラトラーバ騎士団に所属していて、アイルランド遠征時にはそれらの人員を付けてもらったから不可能ではないのだろう。あ、でもあれは一応ヨーロッパ派兵でかつ短期的な同行であったから、アジアまで来てもらうのはまた話が異なるか。


 また返答に困ることに細川藤孝は幕臣である。基本的にはこちらに友好的ではあっても他国の政府要人であるという意識を忘れてはならない。今の要求が、こちらの軍事的な脅威度を推し量る意図が含まれているかどうかまでは分からないが、私がそれに類する情報を零せば、幕府上層や朝廷まで届く可能性がある。

 ただでさえ異人ということで目立ってはいるのだし。


 とは言っても、内情はともかくとしてスペインを軍事的に見れば誇張なくヨーロッパ最強といって差支えないのだから、こちらの情報を漏らしたところで舐められる、という事態にはならないとは思う。後、どこまで広まっているかは知らないが私の一夜城伝説の話もあるし。


 ということで、嘘は付かないがかといって真実を全て話さない方向で。


「そうですね……細川殿。通商交渉を目的として来ているので、貴国に過度の軍事的脅威を与えてしまっては元も子もないので連れてきてはおりません」



 ただし、これでは不十分なので問題を斜め上に吹っ飛ばす一言を続ける。要は日本以外の武術を見たいという知的好奇心が主軸の提案なのだから、あまり軍事的脅威にはならず世界的にも広まらなかった応用力が低く、そこまで役に立たなそうだけれども、明らかに戦国日本において革新性があるものを提案すれば良い。


「……ですが、実は細川殿」


「何でしょう?」


「この国では見たことが無く――ああ、私の本国でも殆ど見られなかったものなのですが、現在統治しておりますフィリピンにおいて臣従した勢力が面白き武術を有していたので、それをお見せすることなら出来るかと」


「……ほう。してその武術とは如何なるもので――」


「呼気を用いて矢を飛ばす――サンピタンという吹き矢を、客将として此方まで連れてきておりますダトゥ・シカツナという将の領内では用いております。直接の臣下ではなく客将身分であるので当人の許可が降りれば、という条件付きにはなりますが、これを細川殿に師事することが――」


「是非! お願いしたく存じまする!」



 予想以上の食いつきで驚いたが、結果としては実質的に臣下であるダトゥ・シカツナが断るわけもなく。

 そしてシカツナ曰く吹き矢の肝は毒にあるとのことだったので、そこだけが秘伝に類するものだということで、それ以外の息遣いの技術部分は大して難しいことでもないので教えるのも楽だからという理由で、案外さっくりと細川藤孝の新しい武術に『吹き矢』が追加されることとなる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 遠く極東の地でも『白雪姫』・・・・ 果たして蔑称を畏怖に変えられるのか? そー言えば日本に来て大分経ちますが『食』に関しての記述が少ない気が・・・・ まあ表立って日本…
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