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第51話 馬尾蚊足


 1566年11月に至る。

 私達の暦では11月なので、概ね冬、と言っても差し支えないが、この日本における暦では永禄9年の9月。和暦においては晩秋を指し示す季節なのである。


 その辺りの季節感の違いをふと、日比屋了珪へ零したら存外予想以上に、その季節感の違いに驚きそして興味を示した。


「私とフィリピン伯様。こうして同じ風を感じ陽光を浴びていようとも、ただ暦が異なるのみで、季節すらも異なって感じ取っている……、これは実に面白きことですよ」


 為政者としての立場で言えば、行事とかの季節感覚が暦によって異なるのは面倒だなあ、ってレベルの話である。特に私なんかはフィリピンなどという熱帯地域を統括しており、季節感もへったくれもないので例えば収穫祭などのイベントを現地で説明するのに困ったりする。二期作とかが出来るので、何故その時期だけで祝うのか? という疑問に答えるのが面倒というわけだ。


 しかし、目の前の日比屋了珪は、それを面白きこと……つまり趣深いものだと捉えているようである。言われてみれば、堺の商人というのは当代きっての風流人としての側面もあったな。千利休とかの茶会が最たる例であろう。

 そのときはそんなことを漠然と考えつつも、私は本題である通商協定への踏み込みをどうしようか思い悩んでいたわけだが、そんな雑談でしかない内容が意外と重大な鍵になってしまうとは、全く考えていなかった。


 これは、そのタイミングのお話。



「……魚屋ととやさんから私宛にですか、日比屋殿?」


「ええ、フィリピン伯様宛にお手紙を頂いております。中身を改めますか?」


「まあ見ますけれども……心当たりが全く無いですね……」


 魚屋ととや。堺の町にある商家だが、魚屋は魚屋であっても問屋である。小売店ではなく卸売を専門にやっている商家だ。


 で、開いたらまず真っ先に出てくる名前――千宗易。まあ魚屋の時点で大体察してはいたが、千利休である。


 内容としては、私のことを正客しょうきゃくとして、座を一席用意したので是非、嵯峨まで来て欲しいとのことであった。

 以降の文は平素に書かれていて、座主として取り仕切る者に不寒斎省巴という私の知識の中に全く聞き覚えの無い名が出てきたことに少々驚きがあったが、執筆という役に千宗易と書かれていたのも不可思議であった。千利休を秘書扱い出来る相手となるとますます得体の知れなさが増してくる。

 そして私以外の招待客――連衆として、史実では後に古今伝授を伝えられる細川藤孝、京の著名な医師である曲直瀬道三、そして納屋の今井宗久――まあ出家前なので彦右衛門名義だが――という中々の文化人最強メンバーがラインナップされている中、末尾にぽつんと明らかに浮いている名……京都奉行・木下秀吉。


 意図は分かる。不慣れな場において明らかに素人である秀吉をここに織り交ぜることによって、正客である私が恥をかかないようにという配慮なのであろう。そしてそれは副将軍・織田信長の好意であることも察しが付く。

 だけどなあ。京における政務を担う秀吉に箔を付ける意図も十二分にあるわけで。


 しかし、まあ千利休の誘い文句も中々に憎いというか。ただ『四季折々の感性の違いを楽しむ一座』と、そう書かれてしまってはこの席を拒否することは、風流を介さない者という烙印を押されることと同義であり、正直断れん。まあ、それが無くても行くつもりではあったけどね。


 しかし、嵯峨って洛外だから京の都扱いではないと解釈して良いのだろうか。それなら宣教師を連れて行くことが出来るから、どうせ同じ堺に千利休はいるのだから手紙を送って聞いてみたらどうやら問題ないっぽいので、今回はジョゼ・デ・アンシエタを宣教師メンバーからは選択。宣教師の面々もことごとく教養人なのでインフレ風流バトル要員として私を補佐してもらう。

 後は護衛としてグレイスと松永久秀が付けたキリシタン剣豪の結城忠正、そして勝手に付いてくるブール王国客将・シカツナの面々だが、こちらは全員現地では待機組になるだろう。現地である嵯峨までは千利休と一緒に行く。



 ――そんな出立当日、日比屋の屋敷を出れば、門前には供廻りだけを連れた小柄な武者が居た。


「お初にお目にかかります。その御姿は三国だけに留まらず遠つ国にも名声を轟かせていらっしゃるスペインの貴人・フィリピン伯様でいらっしゃいますね? いやあ、是非にとお会いしたくてこの秀吉居ても立っても居られず、信長様と堺政所の松井友閑殿に無理を申し上げてこちらまで参上いたしました。ささ、これから魚屋の千宗易殿の下へ出向くのですよね? この秀吉がご同行いたしましょう――」



 それは、随分とマシンガントークな木下秀吉であった。信長や松永久秀もそうであったけれど、この秀吉も随分と癖が強い。

 そんなやり取りをしていたら、見るからに豪商といった出で立ちをした随分と体格の良い人物がやってきて、それを目敏く見つけた秀吉はそちらへ駆け寄る。


「おお! そこに見えますのは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの商家であり、この日ノ本に2人と居ない茶聖と渾名しても、決して名劣りしない千宗易殿でございますね! 此度はこのような催し事に、尾張の田舎者でしかない私のような不調法者を招いて下さり誠、感謝しております」


「えっと……木下殿ですね。京からわざわざ堺までいらしたのですか? 別に此方へ伺わなくとも嵯峨の地で落ち合えば良かったのでは……」


「いやいや、千宗易殿! 折角、フィリピン伯様と貴殿にお会いできる掛け替えのない機会でございます。この秀吉、後からのうのうと京より出でて嵯峨へと至ることなど、とてもとても! ましてや、此度の『香遊び』など初めての経験でございます。名立たる京雀のお歴々に少しばかりでも自慢話が出来るようにと毎日夜も眠れずに本日を楽しみにしておりましたのですよ!」


「それは、こうした座を設けさせていただきました私共といたしても光栄の限りでございます。……しかし『香遊び』ではなく『組香くみこう』とおっしゃった方が恰好が付きますよ」



 ……んんっ?

 千利休が来ているのに茶席じゃなくて、香遊び……。


 ――茶道ではなく香道の席ってことなの!?




 *


 香道。

 古くは仏教の宗教的祭祀をルーツに置くものであるが、平安時代には香木と呼ばれる香り高い木を組み合わせて練り香水を作り、それを披露し合うという自作コスメバトルこと『薫物合わせ』が度々貴族の間で行われた。

 香木と言えば、戦国時代を知る人間であればピンと来るものが1つあるだろう――蘭奢待らんじゃたい、何かよく分からん内に信長が切って貰うやつという認識レベルの木である。実際にはこの香木こそが天下一と呼ばれるもので、本当の名は『黄熟香おうじゅくこう』という。蘭奢待という名は、『蘭』に東、『奢』に大、『待』に寺が入っていて全部合わせると『東大寺』になるという言葉遊びから付けられた雅な別名なのである。鎌倉時代以前には蘭奢待は東大寺に入ってきたものとみられている歴史ある品だ。以降権力者が切り取ったとされることもあり唯一無二の物凄い霊木か何かなのだろうと考えもするが、実際のところは香木の中では沈香じんこうとカテゴライズされる種類の木であり、天下の逸品であることには変わりないがカテゴリーとしては一般的な香木にも当てはまる位置に付けている。


 香木のグループ分けの手法はいくつかあるが、1つには大まかに木の品種で区分するという方法がある。沈香というのもその木で分けたときのカテゴリーの1つだ。

 沈香の場合元の木自体は本来は無臭なのだが、木の幹が埋もれ木になったときや樹皮が傷ついたり病気になったりしたときに、偶然樹液が集中するということがある。その樹液が固まり樹脂となり数十年から数百年という歳月の中で樹脂の成分が変質して特有の香り高さを有するようになったものを、特別に香木として扱う。

 この辺りの説明は千利休からの受け売りであるが、もうその説明を聞いただけでも如何に香木が珍重される代物かを体現している。


「――そのような香木の香りは甘・酸・辛・苦・かんに対応しておりますね。1つの香木に1つの香りが割り当てられるのではなく、複数の香りを持つこともあります。また、沈香だからどの香り……のような対応もなく、それぞれの香木に独特の香りが残されております。

 先程も話に出ました東大寺の蘭奢待などは、この五味を全て網羅する香木であったりしますね」


「私などは尾張の田舎生まれですので、木の匂いなどというものをわざわざ嗅ぎ分けるなどという発想は思い付きませんでした! いやあ、違う世界があるものですね、千宗易殿!」


「ええ、ええ。木下殿がおっしゃる通り、実のところ我々素人にとっては木のままだと大して香りは変わらないのは如何に香木といえども同じで御座います。無論、目利きが出来るものは居りますが。

 なので我々が香木の香りを聞く(・・)時には、その香木を香炉にて燻して、その芳香を拡散させて判断いたします」


 匂いを嗅ぐことを『聞く』と言うのは面白い。付け加えると、香炉というのは湯呑ほどの大きさで、その中に灰を満たし、灰の中には熱源とする小さな炭団があるみたい。で、その灰の形を整えた後に火気を通す穴を開け、上に小さなプレートのようなものを設置し、そのプレートの上から最早木くずと言っても差し支えない程に切り刻んだ僅かな香木を置いて燻す。イメージとしては凄く小規模な燻製だ。その破片の香木の燻製の香りを聞く、ということみたい。

 ということで、香木とはただでさえ非常に高価なのに、よりにもよって消耗品なのである。


 私も質問を重ねる。


「……香木ってどのような種類があるのです?」


「主に2種類ですね。先に挙げました沈香と、白檀が基本です。流派によっては他の木を用いることもあるようですが、そもそも2種の中で更に細分化されますから」


 そう話しているのをグレイスらにも伝えるために通訳とともに私もスペイン語に訳していたら、ここで反応したのがシカツナであった。


「フィリピン伯様。その2つの名で取引される木には聞き及びが。ルソン王国にて唐山の商人が積極的に買付を行っているものです」


「シカツナ殿……それってブール王国領内やフィリピンで採れます?」


「いえ……あくまで中継交易品ですね。テルナテ王国からの販路に稀に紛れています」



 ……ここでも、出てくるのか香料諸島、テルナテ王国。マジで香り系の産品が充実してんな、あそこ。




 *


 道中は秀吉と千利休という、ある意味元の歴史から見ても相性の良いコンビが居たおかげで全く退屈することは無かった。千利休が興味深い話をすれば、秀吉が軽快なリアクションで更に話を引き出すという教養人と陽キャというペアの強さを垣間見た瞬間であった。

 私の知る歴史では、最終的には利休は切腹を命じられるわけだが、その死には謎めいたものが多く、分からないことばかりだ。とはいえ20年以上先の出来事である上に、そもそも既に歴史は大きく狂ってきている。豊臣政権が出来るかどうかすら最早全然分からない状況なのだから、利休が普通に天寿を全うすることもあり得るだろう。


 そしてちょっと気付いたのが、秀吉がこういう教養エピソードに関して思ったよりも乏しいという点。別に粗暴な田舎者という役割を信長よりキャスティングされている以上、千利休を立てる意味合いでもその在り方は間違っていないのだが、あまりに無知であるという印象を与えすぎると京における政務に悪影響を与えかねない。


 気になることは、それを果たして秀吉麾下に居るであろう竹中半兵衛が許容するかどうかということ。


 古今無双の軍略家であり、今孔明と評されるほどの知略といった話は講談由来もので信憑性には疑問符が付くものの、少なくともこの世界において稲葉山城の乗っ取りはやってのけている。その後の顛末であるところの退去タイミングでの墨俣一夜城という神がかりを信長と秀吉によってやってのけられてはいるために半兵衛の存在感がやや霞んでしまうが、普通に考えれば稲葉山城乗っ取りだけでもこの乱世における城盗りを実際に成し遂げた人物であり、当たり前だが竹中半兵衛も規格外の存在ではある。


 そんな彼の教養の面も多くは窺い知れぬが、私の知るものの中で竹中半兵衛の聡明さを示しているかもしれないものに『花押』がある。竹中半兵衛の晩年の花押は鳳凰を模したものであり、この時代の人物にしては極めて珍しい。まあ単なる推測でしかないが、もしかすれば講談のような劇的な軍師程ではないにしろ教養人であったかもしれない。

 そうしたときに、もしその私の推測が正しいと仮定し、香道をやるという話を秀吉から伺ったのであれば、半兵衛は最低限度のことは教えるはずではなかろうか。たとえ、正式な臣下ではなく寄騎であったとしても。


 としたときに、可能性として浮上してくるのが竹中半兵衛が秀吉の配下に付いていないのではないか、という点。三顧の礼だとか栗原山中七度通いだとかの類は極めて怪しいけれども、この世界においては自身の稲葉山城乗っ取りの最後の最後でケチを付けた人物が木下秀吉なので、半兵衛と秀吉の間には怨恨すらあると言えよう。

 つまり現状竹中半兵衛が所在不明である可能性を念頭に置いた方がいいかもしれない。


 まあ何にせよ、秀吉単独でも警戒すべきなのは当然なので当面はさして半兵衛の有無で何か対応が変化するというわけでもないだろう、と意識を香道へ戻す。


 茶室よりかは広い和室に私を含めた5人の招待客に、執筆・千利休。更に隅の方で見学することとなったジョゼ・デ・アンシエタを含めて7名が居ると多少手狭さを感じるが、嵯峨の自然を眼下に見下ろせる庵はそれを感じさせない。近くに小川が流れているのか、静寂すらも退屈させない。

 当初、アンシエタのことは参加させようかなと交渉をして利休からも快い返事を頂いていたが、アンシエタ自身が辞退した。曰く、この国の社会風俗に根差した催し物のようだから言語を介せぬ今の私が体験してもその楽しさが減衰してしまうとのこと。まあ、分からない話でもない。そして言語を介したらやる気がありそうな言い回しに私もそれ以上無理に薦めることもなく了承した。ただ、気にはなるみたいで見学はするとのこと。


 そして、利休が語る。


「……皆様お揃いのようですので、我が師である不寒斎省巴様をお呼びさせていただきます。細川様と曲直瀬様、そして今井様は何度かいらしているからご存知でしょうが、本日は初の参加者もおりますので軽く説明を。

 この座にあるときは俗世の身分に身をやつすことなく、お互いに自然体のまま香を聞いていただきたいと願っております。なので、この場では私も省巴様のただの不出来な弟子である田中であり、茶人としての私や会合衆としての私ではないとご理解くださいませ」


「承知いたしました、田中殿! では私などは尾張中村の藤吉郎になりますな!」


 こうやって秀吉が場を暖めれば、利休は満足そうに頷く。身分や地位に囚われることなくありのままを出す、それが求められているからこそ秀吉はいち早くそれに順応する。そしてこの場に居る面々全てがそうした風流を介する者だと看破し、どこそこの出身かで相手を判断するような者ではないと理解しているからこその行動でもあった。


「……して、フィリピン伯様につきましては家名は……」


 あー……。私の名はマルガレータ・フォン・ヴァルデック。苗字がどこだか判断が付きにくいのね。


「ヴァルデックです。貴族であることを示す家名ではありますが、元々は地名ですので、木下殿流に言えばヴァルデックのマルガレータということになりますね」


「では、この場ではヴァルデック様と。それでは、省巴様を呼んでまいります」


 ……何気に姓で呼ばれるのはすごい珍しいことかもしれない。最近は基本爵位呼びだし、私を古くから知る者は名で呼ぶし。自分の苗字なのに全然呼び慣れていないから違和感すらあった。



 すると、部屋に腰を曲げながらお年を召した老爺が入ってきた。あまり顔色は宜しくない。だけれどもその眼光は鋭く、只者ならざる風格を感じさせる。


「……既に後事は門人に託しております老いぼれなれど、この田中の馬鹿弟子が面白き話を持ってきたので今宵限りの座を設けさせていただきました。

 今の季節は晩秋なれど、本日の正客たるヴァルデック殿の郷愁の地の暦の上では、既に冬。刻の移ろいは万人に等しく訪れるも、ただ暦の異とするのみで折節の情すらも変わるとは実に趣深い。

 して、そのような折節を楽しんでいただくべく、此度はヴァルデック殿に合わせて『冬月香とうげつこう』をご用意しました。四種の香――『霜』『雪』『氷』『月』をご用意いたしましたので、皆々様は、その冬の香りを是非、聞いてみてください――」

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 戦国大名もかくやの生き馬の目を抜く商いの世界で名を成した大商人たちを向こうにマルガレータはどう有利な話に持って行く事が出来るのか? 次回も楽しみにしています。
[一言] 商人で耳が早い人は"南蛮だともう冬なんだってさここは冬の季語を入れるのが粋ってもんさ"ってマウント取りしてたりするんだろうか? ほっこりするな
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