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第50話 プロテスタントの幻影


 堺に到着して、松永久秀と別れるときに彼に少し呼び止められた。


「……フィリピン伯様。実は京を出立する際にも土産をお渡ししましたが、実はもう1つ貴殿への貢ぎ物が御座いましてな」


「松永殿、それはどのようなものでしょう?」


 今までとは、少し変わった松永久秀の雰囲気を認識しながらも尋ねる。すると彼は1人のこれまた随分と年配のご老人を私の眼前へと連れてきた。


「……この方は?」


 質問しながらに気付く。この男、首からクロスをぶら下げていた。

 ……つまりはカトリックに洗礼した武将である。その老人が答える。


「――松永久秀が臣、結城忠正と申しまする」


「こ奴は、キリシタンであり、しかも剣の腕もそれなりのものよ。見てくれはしょぼくれた老人ですがな。

 もう長い付き合いなのだが、これでも若い頃は幕臣として仕えておったものでな。武術の心得もありささやかながら幕府との繋がりもある。貴殿に客将としてお貸しすれば我が松永の名も天下に轟くというもの――」


「……監視、ということですか?」


「ま、そうさな。じゃが貴殿にとっても悪い話ではなかろうて」


 結城忠正、柳生新陰流にも影響を与えている剣術家だ。畿内における布教の初期の段階から感銘を受け洗礼をしていた人物である。

 そして、朝廷の反カトリック的な動きの実務者である松永久秀に結城忠正が監視役かどうか聞いたら否定はしなかった。誤魔化さないからこそ、かえってよく分からなくなる。それに確かに護衛は欲しいと思っていたところ。グレイスにしろシカツナにしろ将としても使える彼等を護衛に置き続けるのは勿体ない。


 ただし、この結城忠正が私のことを斬りかかりにこなければ、という大前提があるが。

 松永久秀の紹介という部分もネックである。確かに私の知る歴史においても結城忠正という男は三好長慶の死去後に松永家臣としての活動が散見される。だからこそおかしな部分というのは何も無い。ただおかしな部分が何も無くとも、松永久秀であるというだけでどうしても警戒してしまう。


 だが更に探りを入れてみる。


「解せませぬね。……どうしてカトリックを弾圧する立場の松永殿が、結城忠正殿のような方を匿い、そして私に対してここまで良くしてくれるのか……良く、分かりません」


 この質問をした瞬間、松永久秀は僅かに表情を強張らせたかと思うと、表情とは裏腹の芝居がかった口調でこう答えた。


「何を隠そう某の亡き弟・甚介の後を継いだ子はキリシタンでしてな! それがもう孫のように歳が離れておるので、どうにも嫌な顔をされたくは無いのです! 今じゃふてぶてしさばかり某に似てしまった我が息・久通とは違い、立派な若武者でしてな……」


 松永久秀の弟・甚介とは、松永長頼またの名を内藤宗勝と言い、その子であるところの内藤如安がキリシタンであるのは事実である。というか如安は洗礼名である『ジョアン』由来なので正しくは内藤貞弘なのだが、まあ取り敢えずそれは置いておこう。


 しかし、松永久秀がそんなに内藤如安に対して目を掛けていたという話はあまり聞いたことが無い。そもそも松永久秀が大和を抑え、内藤如安は丹波を何とか維持しているような状態で正直血縁以外の接点がそこまで無いのである。



 また、今度は涙を浮かべて松永久秀はこうも語る。


「それに亡き我が主君・三好長慶様は、宣教師の方々を手厚く保護し彼等の布教の助けに大いになりました……。そんな亡き主君の生前の命に背く所業をしている今の某にはこれくらいしか皆様に出来ることは……」


 三好長慶が口之津に居たガスパル・ヴィレラと対面し、京における布教の許可状を出したのも事実である。見方によっては手厚く保護したと解釈することも出来るかもしれない。しかし、そもそも根本的に三好長慶の畿内における宗教政策は全方位中立だ。既存の仏教勢力に対するカウンターパートとしてキリスト教を利用しようとしていた側面はあるだろうが、キリスト教だけを伸ばそうとしていたわけではない。

 確かに、三好家中にはカトリックの洗礼を受けている武将は結城忠正や内藤如安以外にもそれなりに居るが、だからといってそれらキリシタン武将が優遇されていた、というわけでもないのである。


 だからこそ三好長慶がキリスト教の布教の助けに大いになっていたという部分には間違いはなかろうが、それが三好長慶の命だと言うのはちょっと誇張のように思えるし、松永久秀ほどの将がその辺りの事実認識を誤認しているだけ、というのはとても考えにくい。



 そして最後に気さくな好々爺のような姿を見せて話す。


「何より、フィリピン伯様の育まれた精強な兵と、貴殿自身の叡智! この不肖松永、感銘を受けてしまいましてな! 何かせずにはおられぬと居ても立っても居られなくなってしまい申した!」


 こうまで清々しく胡散臭いといっそのこと痛快ですらある。全部が真実では間違いなく無いが、かといって全部が嘘という訳でも無いのだろう。

 しかし、この快活さと表情のコロコロと変わる姿に嫌悪感を抱く人間は恐らく少ない。見ていて楽しいとか何かしてあげたい気持ちにさせてくれる御仁――それが松永久秀なのである。



 だからこそ、次のお互いの問答が嫌に頭の中に残ってしまった。


「だったら、何故――」


「――まあ、某と同じ法華宗徒の公卿であらせられる竹内季治様の御意向には逆らえませぬ故」



 ……結局、敵なのか味方なのか掴みところの無い人物であった。

 そして置いて行かれた結城忠正はとりあえず、連れて行く他無かった。




 *


 日比屋了珪の屋敷へと戻り、オルガンティノやトーレスを始めとしたイエズス会士らに、京での出来事と、帰り道の松永久秀について語った。結城忠正は取り敢えず日比屋了珪に事情を説明した上で日比屋の方で部屋割りについては丸投げした。


「……しかし、幕府は京での布教を認める方向性でも、朝廷が反対している、ですか」


 今まで日本布教を行ってきたトーレスが陰鬱な表情でそう呟くことから、あまり良くない結果だと何となく察して一行の雰囲気は更に下がる。


「すみません。この国の統治機構について完全な理解に至っていないのですが、そもそも朝廷と幕府とは何が違うのでしょうか」


 その中でミケーレ・ルッジェーリだけが皆を代表してそう声をあげた。最年少でありしかしカスティリーヤ宮廷での秘書官経験のある彼は、こういう場の空気の読み取る能力は流石に別格である。


「……丁度、私も関わったネーデルラント統治政策で言えば喩えやすいでしょうか。

 カスティーリャ枢機会議によって、ネーデルラント総督が現在任命されていますが、この枢機会議が朝廷、総督が将軍だと思っていただければ。

 そして総督の下で実務を執り行っているネーデルラントの宰相職が副将軍であったり管領、管領代に相当するものかと。そして三部会のように合議で幕府の方針は決定され、ネーデルラントの17の領邦の裁定を行うように、この国の群雄割拠している領主の仲介をしております。

 で、厳密な原因は異なりますが、カスティーリャ枢機会議のように朝廷も実権は失いつつある権威のある機関です」


 ネーデルラント政策を室町幕府に似せたのは私なので、そりゃ喩えやすいのは当たり前なのだが、私以外の人間は、室町幕府をネーデルラントの統治機構の参考にしたことは知らないので、説明上における偶然の一致だと考えるであろう。


「しかし実権が無い組織なのにも関わらず、何故我等宣教師を京から追放出来ているのでしょうか、マルガレータ様」


「その幕府という組織そのものが我々が堺にやってくる直前まで機能不全になっていたことが大きいかと」


 実際にはそれ以外に朝廷と幕府の職務上の境界線が結構曖昧という面はある。物凄い語弊がある言い方を敢えてすれば幕府とは朝廷の軍事組織でしかない。しかし本義であるところの征夷大将軍は占領地統治のための統治機構が備わっていた。スペイン流に言えば『副王』なのである。

 ……正直、戦国日本で『副王』と言ってしまうとどうしても私の中では三好長慶がちらついてしまうが、実際のところ三好長慶を『日本の副王』と呼ぶようになった出典は不明である。なおフロイスの日本史においても日本の統治機構を喩える際に副王制度を念頭に入れた上で語ってはいるが、そのときに副王としてフロイスが形容したのは足利義輝だったり。

 まあフロイスの話す副王は『ポルトガル』の副王のことなので、スペインの副王とはちょっと違うものではあるのだけれども、それは今は重要ではないので置いておく。


「……しかし、どうなさるお積りでしょうか、マルガレータさん」


 クラヴィウスが私に問う。


「そうですね。私としては問題を切り分けたいのですよね。

 京における布教許可と、フィリピン伯領との通商交渉。これって正直、全く別物の話ではないですか」


「……つまりフィリピン伯様は布教許可に向けて動かない、とそういうことでしょうか」


「少々違いますね。……京での布教許可に関しては既にこの国で認められた先例があります。そして朝廷と幕府の対応が割れた場合には、幕府の対応が優先されることも既に先例としてあるのですよ。

 即ち、通商協定と布教許可を一緒くたにする方が、かえってイエズス会の布教を阻害しかねない事態を招く恐れがあります」


 そう言えば、皆押し黙った。既に足利義輝と三好長慶に認められたことのある京の布教許可。そして幕府そのものは足利義昭も副将軍・織田信長も前向きに考えているという情報も私から提示しているが故に、未だ先例のないフィリピンとの公貿易許可と絡めて損をするのは実は布教許可の方であったりする。


「……宣教師が入京できない、というのもやり方次第というわけですね、フィリピン伯様。既にフィリピン伯様は入京しているのでカトリックが入れないというわけではありませんから、案外修道服(スカプラリオ)を脱ぐくらいでも何とでもなりそうな気はしますな」


「まあ、そういうことですね。よって布教許可だけであれば、無理に朝廷に渡りをつける必要は薄いかと。

 ……ですのでオルガンティノ先生。私は通商交渉を求める際に、敢えて布教のことを表に出すことは止めようと思います。ただ商いの話だけに注力しようと考えておりますが、よろしいでしょうか?」


 この地での布教責任者はオルガンティノなので、最終判断は彼に委ねる。提案としてはリスクがある。私が元プロテスタントであるから、布教に消極的なのではないかと思われるリスクだ。


「1つだけ、聞きます。分離したい、ということは逆に言えばマルガレータ殿は朝廷はカトリックを容認しないだろうと考えているのですね?」


「……痛いところを付いてきますね」


「まあ、マルガレータ殿とは長らく付き添ってきましたからね、多少は分かってきましたよ」


「ええ、朝廷は布教の容認姿勢を見せることは現状難しいと思います。理由は単純です、この国がかつて受容した外来思想である仏教を認めた背景には蘇我氏という臣籍降下した氏族の協力関係がありました。

 そうした先例がある以上は、少なくともこの国の皇族、ないしは高位貴族の強力な後押しが無い限りは、朝廷がカトリックを容認することは無いかと」


 つまりイエズス会はかつての蘇我氏のような強力なパートナーを得る必要がある。イエズス会は権力者への布教親和性が高いので方法が無いわけではなさそうだが、史実においては最終的には目的を完遂することができなかったことから、それは相当厳しい道のりなのだろうとは思う。まあ思っているだけで絶対言えないが。

 


「……つまり、朝廷に認めていただく為には、段階的な布教が必要ということですね」


「加えて言えば、時がかかります。この国の貴族には1000年を超える歴史の積み重なりがあり、外来の思想と興味を示すことはあれど、高位である者ほど受容に時間が必要となるでしょう」


「つまり、私達が生きている間に成し遂げられるかは微妙と、そういうことですか」


 私は黙って頷く。そして周囲が私の言葉を訝しんでいないこのタイミングを見計らって次の言葉を告げた。


「――そして、それだけの時がかかるということは、確実に布教の過程でこの国に『プロテスタント』の存在は露見することでしょう。

 ……まあ、そもそも私のバックグラウンドを探られればいずれ分かるであろう問題です。この際、ある程度は明かしてしまった方が良いのではないでしょうか」



 倭寇経由でフィリピンの情勢に関する話を入手できること、そしてその倭寇の中にはポルトガル商人が同乗していることから、いつプロテスタントの存在が露見してもおかしくないことは伝えねばならなかった。

 私の知る歴史では、イエズス会士はそれを日本へ伝えなかった。仏教が宗派を分裂して互いに争っている中で、キリスト教も同等であると見られるわけにはならなかったという側面はあるだろう。しかしそれが徳川家康に露見した際に、外交パートナーを徐々にだがオランダへと切り替えられたことを私は知っている。



 ――これを、元プロテスタントである私によって言及することが問題になることは理解はしていたが、それでも今後の武家や朝廷との付き合いを考えていく上では今、言わねばならないことであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] プロテスタントとカトリックはこの時代キノコたけのこ戦争並みに相容れませんからね
[良い点] 現代的な感覚からすると布教の方が大変で、交易の方が許可得やすいんじゃないの、と思うけど、 なるほど、当時の人からすると前例がある布教の方が可能性は高くなるんですね。 [一言] コペルニク…
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