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第46話 寄木細工


「……わざわざ此方に出向いてお伝え頂き……ありがとうございます。ですが……我々も堺に、来たばかり。

 慣れぬ船にて少々疲れも出ておりますし、何よりもう間もなく夜半となります。

 ……明日の出立でも構わないでしょうか?」


 心中ではこの上なく動揺していながらも、何とかこれだけの言葉を紡げたのは我ながら口だけは達者になったと感じ入るところもあったが、正直それどころではない。

 この場で松井友閑などという織田家の有力文官と腹芸を交わすだけの余裕は全く無い。幸い、私の言い分を松井友閑はさして疑問に思わずに「では、明日日比屋殿の屋敷へ伺います」という言葉だけを残して去っていった。


 滞在場所が割れているのは、最早致し方ないと割り切って、早急に日比屋了珪の屋敷へと向かう。そこにはトーレスとアルメイダも居たが、まず真っ先に聞くべきは彼等宣教師の視点ではなく、地場の商人である日比屋了珪が入手した情報であった。

 私と日比屋了珪は別室にて密談となる。


「日比屋殿。京で何がありましたか? 博多で伺っていた情報とまるで異なりますが」


 やはり、私が普通に話してきたことと見た目の乖離に日比屋了珪も驚きの表情を見せるが、私の切羽詰まった様子からその辺りの言葉は飲み込み、彼は端的に私に伝える。


「……本日より3日前に、上洛前に元服の儀を行い名を改めた足利義昭様が将軍宣下を受け、室町幕府第14(・・)代征夷大将軍に就任いたしました。併せて朝廷人事においては従四位下に昇叙し、参議並びに左近衛権中将を任官――」



 ……まさか、私が博多から堺へ移動している隙に室町幕府が再興されることになろうとは。しかも『第14代将軍』ということは、足利義栄――今は名が義親である彼が将軍にならずしての義昭の就任である。地味に名前も義秋から義昭に変えている。


「平島公方である義親公と三好勢は、義昭公の入京を座して見守ったのですか?」


「足利義親様は情勢急変のため摂津への渡海を中止し、淡路にて滞留しております。そして三好勢なのですが……」


 そこから話される内容は、異なる歴史を知っている私でも納得半分と驚愕半分の代物であった。


 現・三好当主である三好義継、並びに松永久秀は上洛してきた幕府軍に恭順。

 この時点では三好三人衆は上洛軍に対して抵抗の意志を見せていた。しかし上洛軍は足利義昭・織田信長が差配する本陣を京の東山にある東福寺に置くと、何と軍を三分する。本陣の守備兵と山城平定軍と摂津平定軍とに分けた時点で三好三人衆の趨勢は定まった。

 勝竜寺城を治めていた岩成友通は摂津の三人衆他2人と合流するために山城平定軍の開城交渉を承諾し摂津へ落ち延びた。しかし、落ち延びた先で岩成友通が見たのは、摂津国における三好の中核拠点たる芥川山城に入城する摂津平定軍の姿であった。三好三人衆・筆頭、三好長逸はこの芥川山城を支えきれずに1日で落城。

 また三人衆の最後の1人である山城木津城主・三好宗渭は、勝竜寺城の開城の報を受け取った段階で、摂津にて合流するために城を捨てるも、岩成友通と同様に芥川山城落城に間に合わず。

 そして池田勝正・伊丹親興らを始めとする摂津の国人衆は義昭方へ降伏し、畠山高政も河内より合力。


 ここまでが上洛から僅か5日間の出来事であり、同時にこの畠山高政合流までが、私達が博多に居る間に起きたことなのである。


 ……博多に居るのであれば情報が入らないのはおかしいと思うかもしれないが、この時代情報の伝達にはタイムラグが発生する。私がヨーロッパの情勢を仕入れるのに最短でも半年以上かかるように、物理的な距離に加えて水運伝達の場合には、気象条件や海の状態まで影響してくる。だからこそ今回の初報であるところの足利義昭上洛という報が入ってくるギリギリのタイミングで私は出航してしまった。

 そして先を急ぐ意味で途中の補給を最小限にしたことも、更には順調に航海が進み、ほとんど立ち往生を喰らうことが無かったことも、結果論ではあれど裏目に出てしまった。



「落ち延びた三好勢に関する情報は何かございますか?」


「三好長逸様は細川京兆家の当主であらせられます細川昭元様をお連れして足利義栄様との合流を目指して海路で淡路へ。

 三好宗渭様は三好康長様らともに此処、河内国で親三好の諸将をまとめており、岩成友通様は摂津越水城で抗戦の構えを取っている篠原長房様の下へ合流した模様です」


「……随分と三好方の動静にお詳しいですね、日比屋了珪殿」


 私がそう告げれば苦笑いしながら日比屋了珪はこう語る。


「ははは……。三好方とは長らくお付き合いがありました故。

 とりわけ、三好長逸様には随分と懇意にさせていただいておりました。

 ……もっとも、今の情勢下ではそれが裏目に……」


 考えてみれば、こうしてスペイン勢である我々を屋敷に泊めるということからもかなりイエズス会側に親身になってくれる存在だし、日比屋了珪自身既にカトリックなのである。

 で、ここで問題となるのが京における室町幕府からのキリスト教布教許可が下りたのは足利義輝の代であったこと。……完全に、三好政権期と重複するのだ。だからこそ、この初期の畿内における布教でカトリックへと改宗したものは、三好に関連する人物が多い。うん、まあここまでは百歩譲って良いとする。


 しかし、堺内部でこの我等にとって最も味方と言えよう日比屋は、よりにもよって三好三人衆側の商家なのだ。だからこそ、三好勢に関する情報がここまで精微に手に入る。しかし、三好三人衆が奉じていた足利義栄の将軍への道は一度閉ざされたも同然であり、この状況下では三好三人衆側に付いているというのが危ういことを日比屋了珪自身も察しているのだ。


 ……となれば。必然、こういう言葉が出てくるわけで。


「……フィリピン伯様! 貴方様がスペインの貴人であることは十二分に理解しておりますが、ここで我が日比屋が三好方であると足利義昭様に見定められてしまえば我等は破滅です。

 幸いフィリピン伯様は、理由は分かりませぬが副将軍であらせられる織田様からご信任を得ている様子。どうか口添えをして頂けぬでしょうか?」


 うーん。正直、堺における最大の協力者ポジションだから切り捨てるわけにはいかないし、言われずともそうするつもりではあったけど、確実に織田信長と面会するための理由だけが着実に積み重なり、選択肢が絞られていく……そんな気持ちになった。




 *


 正直、日比屋了珪からもっと情報を引き出せたらと思ったが、彼が三好三人衆筆頭である三好長逸と仲が良いということで、下手すると泥縄になりそうだと判断し、そして端から見れば面会としては充分な時間が経っていたので別れることとした。

 せめて、三好は三好でも、三好義継側なり松永久秀に付いていれば話はここまで拗れずに済んだのだけれども。まあ人の付き合いにどうこう言うのも微妙な上に、既に手遅れな話なのでここまでにしておく。


 ということで、イエズス会サイドに私も合流。そこには口之津で待機を命じたヴァリニャーノ以外の一同と、見知らぬ宣教師2人とが膝と膝とを突き合わせる形で、1枚の書状を囲って頭を悩ませている姿があった。


 とりあえず目星は付いているが、初対面の2人に挨拶すると、この2人こそがコスメ・デ・トーレスとルイス・デ・アルメイダであった。トーレスははたから見ても血色が悪く、いかにも調子を崩しているといった、様相だ。ただし動けないというほどではないようだ。

 それを医術を嗜むアルメイダに聞けば、何かの病というわけではなく、ここ数年で徐々に悪化して、慢性化してきている上に打てる手立てがないらしい。私から命じるまでもなく、ジョゼ・デ・アンシエタも堺に居る間は治療チームに加わるという話になっていたみたいだが原因不明である以上、大がかりな治療は出来ないとのこと。

 まあ、私から出来ることは滋養に良い食べ物を取り寄せられるように日比屋や博多の神屋に取り計らいをすることとお金を出すくらいか。あ、あとヴァリニャーノに対して医療スタッフと機材をフィリピンから派遣する旨を頼む手紙を書いておく。勿論、アンシエタが準備はしてきていたが、次発便で医療チームが増員されれば多少なりとも出来ることは増えるかもしれない、どんなに急いでも2ヶ月くらいはかかりそうだが。


 という差配をしたところで、彼等宣教師が頭を悩ませていた書状について尋ねる。


「……この書状は一体? 見たところ、この国の紙と墨で書かれていますが……」


 これにはオルガンティノが答える。


「トーレス殿の下へ急使が送られてきたのですが、マルガレータ殿もご覧になりますか? ……どうやらこの国における国王の代理統治機関の人事のようですが」


「……是非、見せてもらいましょう。丁度、その統治機関の者に私は呼びつけられている故に確認しておきたいことがあります」



 何と、想像以上に重大なものが宣教師側に転がっていた。

 そして、そこに書かれていた内容は私の想像を絶するものであった。



 第14代征夷大将軍、足利義昭。

 副将軍、斯波義長名義で記載されている織田信長。

 管領、畠山高政。

 管領代、六角義治。


 以下は現状の守護職の決定部分。

 尾張守護ならびに美濃守護、斯波義長。

 近江半国守護に、六角義治と京極高吉。

 そして京極被官の守護代として、浅井長政。



 ……なんだ、これは。


 未だかつてこんな寄木細工の幕府があったであろうか。

 そもそも私の知る歴史では断っていた副将軍を何故信長が受けているのかは甚だ疑問ではあるが、一応三管領家の斯波名義になっているところを見るに、家格だけは体裁が整えられている。斯波の猶子にでもなったのだろうか。で、その斯波家は最盛期は越前・尾張・遠江の三国の守護に任官されていたために、複数守護職兼任自体も斯波には先例はある。

 そう。そこにあるのは先例踏襲に対する配慮だ。管領に畠山家を付けるのも三管領家なのだから問題がないし、管領代の六角は、六角定頼を先例としているのだろう。近江における権限が分郡守護としてしか与えられていなかった京極家に対して半国守護を導入して近江を守護2人の国へと変貌させる。おそらく六角には管領代で礼を払っているという解釈で良いのだろう。そして守護代、浅井長政。


 これを見せつけられれば、大方上洛軍の様相に想像がついてしまう。即ち、三好勢を追い払った上洛軍の内訳は、織田・六角・浅井の三ヶ国連合軍なのである。

 で、おそらく実兵数が多かった順で礼節を払ったという解釈で、最大兵力が織田、次点が六角あったのだろう。畠山家はその上洛戦の過程で三管領家が転がってきたから管領にスライドさせた、という認識で良いのだろうか。


 となれば、この幕府の作り方を見るに。



 今回の上洛を主導しているのは織田信長ではなく――足利義昭だ。




 *


 そこに朝倉軍が混ざっておらず、そして本来の信長が奉じる上洛よりも2年前であることを鑑みると、多分足利義昭は若狭にも越前にも移っていないと予想でき、なれば六角領内の矢島御所に居る期間にこの上洛軍を纏め上げたと考えるのが自然であろう。

 そう、本来より2年早い1566年。これが、更なる謎を呼んでいる。


 ……今の段階だと美濃の斎藤家が滅亡していないはずでは?


 にも関わらず、副将軍を拝領している事実より、織田勢は上洛軍の中核であると考えて良さそうだし、美濃守護を頂いているというポイント。

 そして考えてみれば博多に居る段階で神屋に「足利義昭が上洛の兵を集めた」という情報自体は真偽不明とは言っていたものの入っていた。私はこれを織田と斎藤の合戦である河野島の戦いの誤報だと判断していたが、実際にはそれこそが織田軍を中核とした上洛兵であったとみていいだろう。


 だが、やはり斎藤家の動向がそこには無い。



 となると。上洛そのものは足利義昭の発起であったとしても、まだ何かおかしな点が残るのである。

 そして九州や毛利の山陰の現段階の情勢は、私の知る歴史から大きくずれることが無かった故に、そのおかしな点とは日本全国的な影響を与える変化――少なくとも西国情勢には関わりのない変化だと推測できる。


 さて、何が起きたのか。と思うと同時に、全く別のことに思い至る。



 そもそも何故、私達の下に幕府の人事案を渡してきたのか?


「……トーレス殿。この書状はどなたから頂いた物なのですか?」


「……ああ、それはですね。今も新たな『ショーグン』のお側に仕えながらも、我等イエズス会士とカトリックの民を慈しんで下さる『ワダ』様の使者殿からですよ」


 将軍に近しい『ワダ』様……和田惟政か。幕臣であり、甲賀の有力国人であり、足利義昭の一乗院脱出時には、矢島御所に入るまで自邸で義昭を匿った人物。


 改宗こそしていないがイエズス会に近しい幕臣ではあるために、確かに説得力があるが、しかし和田惟政の目的が全く掴めない。


 手がかりの一端こそは掴めたものの、全貌が明らかになることは無く。私にとってあまりにも短い一夜はすぐに明け、松井友閑に従い入京を目指すこととなったのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] これ、どこが蝶の羽ばたきの大元だろう。ヌエバ・エスパーニャ側からでは無さそうな感じだが。 本国サイドかポルトガル絡みか。
[一言] もはや複数転生者でもないとしんどそうなカオス。毎度、次が楽しみ。
[良い点] 続きが気になって夜が長いです!! やはり第二の転生者の登場となるのでしょうか。
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