第45話 白露の住処
ルソン王国の首都であるトンドの港湾利用許可の貸出。
即ち、私貿易ではなく公貿易の流通ルート枠を博多商人に提示している。
ルソンの価値は、今更彼等博多商人に事細かに説明せずとも理解しているだろう。そもそも博多には明の商人が相当数来ているから錯覚するが、この行為、明では違法である。
倭寇対策の一環として、日本船の明への渡航も禁じていれば、明船による日本渡航も本来禁じられているのである。まあ前者はともかくとして、後者はあまり守られてはいないが、一応明国内では取締りもされている明確な犯罪行為である……このことは神屋の番頭も触れていたし。
だからこそ、日本船が表立って明へ赴くと倭寇だと勘違いされかねない。なので、基本的には戦国時代の商人が『明と交易する』と言った場合、大体は明の商人に来てもらうことになる。
そのときルソンは初めて真価を発揮する。同じ明の商人に来てもらう交渉でも、違法である日本への寄港と、海禁の除外指定を受け合法的に交易が可能なルソン王国とでは明の商人の心理的障壁が変わり参入しやすさが段違いなのだ。
確かに法を犯すのを躊躇わない商人もいるわけであるが、同じことをするのに法を犯さない手段があるのであれば、安全策を取る人間の方が普通多いわけで、それは日本側から見れば選択肢の多さとともに業者を選べ相手に暴利を貪られる可能性を減らすことに繋がる。
そして私の視点から見たときに、この交渉は殆ど持ち出しが無い。恐らく神屋紹策が条件の吊り上げを狙ったのは、商品の融通を企図したものであっただろうと予測している。火縄銃、あるいは硝石の。実際に、翌年発生するであろう毛利と大友の九州北部を巻き込んだ大戦においては、毛利がこの石見銀を垂れ流すことで硝石を大量に中国から仕入れていたことを私は知っている。しかも、これ発覚するのが大友側の資料だったりするので、敵にバレるくらいには大々的にやっていたようだ。
それを流通網そのものの提供という形にスライドさせたことで、私自身が商品の便宜を図る必要がなくなった。無論、ルソン王国という私の影響圏でかつ支配領域のすぐ北で交易が行われることになれば、必然明と日本の交易のコントロールが格段に制御しやすくなる。まあ、そこまで大規模な船団の編成はルソン王国との折衷もあるから認めないつもりだが、それでもジャンク船なりガレオン船なり数隻の規模は大きいだろう……というか、船もこちらの貸し出しになるか。ガレオン船を握らせるのは怖いので、明から古いジャンク船を日本向けに密輸することになるかな。
で、何よりも良い所は、私が認可を与えているだけ、という条件なので、罰するときには特定の商人のルソン寄港許可を奪うだけで良いという手軽さである。まあ、それくらいは分かってはいると思うので、ルソン王国側に賄賂を渡すなりして懐柔を試みるだろうけれども、その辺はむしろしなければ商人じゃないよなあ、という感じだし。
「……フィリピン伯様ご指名の赤間関の代官と、仲屋乾通殿、そして堺にも声をお掛け致しましょう。それだけの商人が動く大商いです、しばしの猶予は頂きたいと思いますがよろしいですかな?」
「ええ、勿論。今後とも末永くよろしくお願いしますね」
……地味に私の提示した『赤間関の町衆』が『赤間関の代官』にすり替わっていることには気付きながらも、敢えて突っ込まずに了承する。で、そうした奇手を使うということは、神屋紹策が引き入れようとしている人物は堀立直正なんだろうなあ、と予測できた。
堀立直正は商人であり水軍衆の長でもあり国人衆でもあり武士でもある、というこの時代の職業の曖昧性を体現したかという人物だ。毛利元就に仕える武士であるけれども、同時に商人的な兵糧調達も行っているし、その兵糧輸送には水軍衆の長のように振る舞いも見せるという何とも小回りの利く人物である。
私が仲屋乾通という大友の御用商人の名を出したことで、この人選に決めていたのだろう。まあ、これくらいのカウンターは仕掛けてくるよなあ。
*
博多に来てからは神屋との交渉が続いたので、それ以後は何日か休むこととした。やったことと言えば屋敷の庭や調度品を見てそれらの価値を見極める目利きもどきの遊びや、私達の噂を聞きつけて神屋の屋敷までやってきた商人の品々を見せてもらったりだとかである。
無論、その間に高橋鑑種家臣の何某だとか、立花家寄騎・米多比直知の手の者だとか、高祖城城主・原田隆種の使いだとかを名乗る武家からのコンタクトもあったが、それらは全て面会を謝絶とした。ただし私以外の面々が会ったりすることに関しては自由としたので、もしかすると上手くイエズス会側などで渡りをつけているかもしれない。
……まあ、高橋鑑種も立花家現当主の立花鑑載も原田隆種も全員毛利へ走るからなあ。おちおち会って、大友家に疑心を抱かれても敵わない。博多の周囲って反大友多すぎなのよ。
米多比直知に至っては立花家寝返りの際に立花鑑載に殺されてしまうはずだし。正直、九州の大乱、というか基本的に日本の戦に関しては中立でいきたい。とはいえ、神屋との接点が大分強めになってしまっているが、大友との係わりの強い仲屋の名を出したことで相殺されていると信じよう。
そんな憂慮よりも、ほとんど放置していたブール王国客将のダトゥ・シカツナが、博多の街を一通り回って出てきた一言が中々に興味深かった。
「この街、と言いますかこの国なのでしょうか? 様々な弓や銃が商われているのに、盾の類が全然売っていませんでしたね。
あ、でもフィリピン伯様がセブでの戦役の際に使用した置き盾に似たようなものはありましたが……」
盾が無い。戦国日本に一般的なイメージの盾は出てこないと言っても差し支えないだろう。鎧の大袖が盾の役割をこなすだとか、母衣は実質盾みたいな役割をするとか、私もアイデアを使った垣盾だとか、まあ色々と盾相当の働きをする存在というのは随所にみられるが、手で持つ盾といったものが存在しないのは事実といっても良いと思う。
まあ、勿体ぶる意味はないので、シカツナの疑問に答える。
「ああ、それは。陣笠が盾としても使えるからですよ。ほら、硬くて丸い大きな帽子があったでしょう? いざという時には、あれを盾代わりにするのです」
そんな話をしていたら、グレイスも会話に参加してくる。
「盾を頭で持つ……? 首がすごく疲れそうですし、何より頭に重いものを載せているせいで平衡感覚無くなりそうですが」
「紙か革かで出来ているので、兜ほどには重くはないのでしょう……多分」
紙とは言え和紙を数枚重ねにした上で漆を塗っているから実はそこそこに丈夫ではあるし、何なら鉄製の陣笠よりも漆で強化した革製のが防護力に優れるなんて話もあるみたいだ。とはいえ、鉄製の陣笠は確かまだほとんど無かったはずだが。
ちなみに、スペイン兵制のテルシオは、防御的な戦闘形態を多くとる割には比較的軽装である。ルイ・ゴメス侍従長の妻であった隻眼のアナの話では、レコンキスタ期のスペイン軍は攻城戦の多さから片手槍に盾といった兵装であるという話だったが、野戦主体になって編制されたテルシオでは槍兵の中の一部しか盾を持たない上に、鎧も上半身だけだとか、胸から肩にかけてだけみたいな感じで日本の甲冑ほどにはもうフル装備ではなくなってきている。アナからの受け売りだけどね。
「そういえば、グレイスやシカツナ殿のところの兵制だと、盾はどういった扱いなのですか?」
一応、どちらでも地場の軍勢と交戦経験はあるわけだが、当人たちの視点からだとどのように見ているのかが気になったので聞いてみる。
最初に応えたのはグレイスであった。
「基本的には商船を襲う前提ですから遠隔武器が主ですので、盾が役に立たないわけではないのですが……。盾を持たせると、その分こちらの火力も落ちるのであまり持たせることはしないですね。陸上で戦う場合なら話は多少変わりますけれども、大部分はガレー船での移動を前提としているので、あまり重い装備や邪魔になるものを持たせると櫂を漕ぐ効率が落ちますから……」
本来グレイスのところは手漕ぎ船が主体であったっけ。今でこそ無理やりガレオン船に乗せているから忘れがちだけど、彼女の指揮統率の真価を発揮するのはどうやら手漕ぎ船における戦闘術っぽい。……となると、今までのガレオン船戦闘は適正不一致で戦っていたのに戦果あげているのか、ヤバい。
そしてシカツナが次に答える。
「タミングやカサラグ……ええと、タミングは円盾ですね。そしてカサラグはラタンの木で作った大きな長方形の盾です。樹液を塗り乾燥させることで強度を高くして使います。
弓やスリングなどの武器を防ぐため、という意味は勿論あります。でも特に大事なのが、サンピタン……これは吹き矢なのですが、サンピタンの鏃には致死性の毒がよく塗られていますから、盾を装備しているのです」
吹き矢。それは武器として完全に念頭に無かった。
射程こそ短弓程度だが、シカツナが話すには吹き筒の細工を工夫すれば命中させやすくなるとのこと。鍛錬に時間のかかる弓に対して、地味に鉄砲と同じ利点を持っているのか、吹き矢。
しかも、鉄砲は勿論のこと弓よりも音が小さい。ここまで聞くと、吹き矢最強説が浮上してきそうな感じだが、欠点としては威力は全く出ないようだ。まあ、そりゃそうかという話ではあるけれども、足りない威力は毒でカバーするという発想の武器らしい。
セブ島でのラジャ・トゥパスとの戦にて吹き矢は結局使用されなかったが、それは私達が遮蔽物のない海岸線に布陣したことと、マスケットとアルケビューズ銃兵で士気崩壊させたために、吹き矢の射程に及ぶ前に戦闘が終わっただけであったらしい。
……そんなこと、今の今まで知らなかったが、少し考えてみると正直私が知らないのは必然である。
何故なら、私は開戦判断だけを請け負い戦場指揮については最初から放棄しているのだから、基本的にはそうした武具の詳細な情報まで部下が私に報告する必要性が薄い。その前提の下で、セブ島攻略時に立案した私の作戦で持ち込んだ、陣幕と垣盾。全くの偶然なのだが、どちらも吹き矢対策として刺さっている。だからこそ、遠征艦隊の諸将はこう思ったのだろう。
『ああ、フィリピン伯であるマルガレータ・フォン・ヴァルデックは、吹き矢のことを知っているな』……と。
勿論、駄目ならば誰かが問題点を指摘していただろうし、そして仮に欠陥点を残したまま戦闘に及んでも結局、銃の火力で押し込んで勝てた戦いではあったとは思う。とはいえそこには情報伝達の不備という穴があるのだ。
だが、その情報の齟齬を是正するのには、私の下まで何でも報告を上げてもらう他なく、全ての情報を精査するというのは理屈の上では可能でも、余程の処理能力の化け物ではない限り破綻する上に、私が判断を誤ることもあり得るのだから、一概に全てを知ることが正しいわけでもないとは思う。
そしてその集権化は、こうして私が外交交渉へ赴けるフットワークを損なうことに繋がるし、カスティリーヤ宮廷が求めている役割は、どちらかと言えば領内統治以上にこうした対外折衝の方な気がするので、双方のメリット・デメリットを鑑みたときに今までの方法を踏襲する方がベター……だと思う。
――そしてその情報の齟齬という現象に今までで最も翻弄され。
そのフットワークの軽さに最も助けられる事象が、私の目の前にもう迫っていたのである。
*
「今までありがとうございました、神屋紹策殿」
「ええ、いえ。こちらも久方ぶりの大商いをさせていただきました。
……して、堺での宿はお決まりで?」
「ええ、日比屋了珪殿のところになるかと」
「日比屋殿……ああ、ザビエル殿以来、宣教師の方々に世話を焼いている御仁でしたか」
更に数日、神屋の屋敷に滞留した後に、船の準備とともに風の様子も確認したことで博多を出て一同、堺へと目指すこととなった。堺の町に着いたら日比屋了珪の屋敷へと赴く予定となっている。神屋紹策も言っている通りザビエルの来日以来、イエズス会と懇意にしている商人だ。既に洗礼も受けていたはずである。
そして船には能島村上氏の過所船旗と水先案内人である上乗、更には神屋の手代も同乗している。まあこの手代の私物名目で僅かながらでも堺への荷を便乗させている点は流石としか言えないが。ちなみに能島村上氏は村上武吉が長の水軍衆だ。
そしてグレイスが「弁才船の操船を配下に覚えさせたい」という無理難題に近しい提案を投げてきたので、神屋紹策に丸投げしたら意外にもこれを快諾。上乗として瀬戸内の海の流れを知る者を同乗させているから彼の指示に従ってくれるのであれば、おそらく大丈夫という見立てなのだろう。そういうことであればグレイスに任せておく。グレイス本人の思惑としては、臣下に手漕ぎ船の感覚を掴み直させるとともに、異国の船の雰囲気を掴みたいのであろう。
更に、その一部始終を知ったシカツナが自分も櫂を使ってみたいと言い出したので、これもグレイスに丸投げ。客将という微妙な立ち位置である以上、そうした政治的な機敏を任せられるのはグレイスだけだし。というか軍事も政略も出来る将ってマジで便利だわ。そりゃどこの大名家でも出世するわけよ。
とはいえグレイスの場合、スペイン本国の官吏の職分を犯さない範囲内でしか使えないが。
そんな感じでの瀬戸内航海。早めに堺に入って情報収集がしたいというオルガンティノの要望に、私も賛意を示したことで、途中の補給は極力最小限となった。まあトーレスが体調不良って情報もあったし、先を急ぎたい気持ちは分からないでもない。
そして、天候も比較的安定していたために、すんなりと進んでいく。能島水軍の上乗をして『類を見ない程に順調』という証言を得る行程で、私達は比較的あっさりと堺に到着したのである。
……そりゃ、シカツナ以外は太平洋横断航海経験組だし。瀬戸内くらいで今更何とも思わないか。
堺の町が見えたのは1566年10月22日の夕刻のことであった。
堺の町は船着き場らしい場所はなく、我々の船も海岸線に乗り入れる形で夕陽を背にしての上陸となる。そしてやはり堺でも周囲の我々を見る目は異質を見るものである。毎度毎度髪色が目立つからなあ、これ。
ただしそんな人だかりの中、私の姿を見つけるや否や、駆け足で走ってくる上等な着物を着た者が居た。何処かの商家の手代や番頭レベルではなさそうだ。
もしかして日比屋了珪本人か会合衆クラスの人間かと身構えて、相手の出方を待っていたら、私達の目と鼻の先で折敷――立て膝で座り、こう告げたのである。
「――その御姿、噂に聞き及ぶフィリピン伯であらせられるマルガレータ・フォン・ヴァルデック様だとお見受けられます」
「……いかにもその通りですが、貴殿は?」
「失礼いたしました。――拙者、堺政所の松井友閑と申しまする。
フィリピン伯様につきましては、直ちに入京していただき通商交渉に向けての事前の相談をしたいとの命を受け、それを伝達するために参りました。
我が殿――室町幕府が『副将軍』であらせられます……織田信長様からの命にて御座りまする」
……はい?
副将軍・織田信長!?
――畿内で、一体何があった!?